弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

トム・ヨークへの手紙

2009年02月03日 | アクション
 今日、トム・ヨークに手紙を出した。読んでくれるといいのだが。

 発端は、P-navi infoに掲載された「拝啓 村上春樹さま──エルサレム賞の受賞について」という記事(公開書簡)である。その少し前、僕も新聞の片隅で村上氏のエルサレム賞受賞のニュースを読んで、気にはなっていた。「受けるのかな──表立って政治批判めいたことをするのを嫌う人らしいから、賞は賞でありがたく受けるんだろうな」という考えが浮かんで、漠然と「ヤな感じ」を抱きつつ。
 だけど、P-naviの記事を読み、何とかこれを村上氏に読んでもらえないかと思案するビーさんの様子を見て、そうだよな、日本人として、「どーせムラカミなんて・・・」などとやり過ごしてしまうのは悔しいよな、という気持ちが強くなってきた。

 そこで、ふと思い出したのが、イギリスのロック・バンド、レディオヘッドの中心人物トム・ヨークと、村上氏との関係である。
 トム・ヨークが大の村上ファンで、村上氏も小説にレディオヘッドのアルバムを登場させるなど、ファンである、という話を読んだことがある。お互いにファンであるだけで、親交があるのかどうかは分からないが、もしあるのなら、彼を通じて村上氏に「エルサレム賞はちょっと問題あるんじゃない?」くらいのことを言ってもらいたいじゃないか──そんな風に思っていた矢先、ビーさんの公開書簡を英訳してアップしてくれたブロガーの方が現れた。これは便乗させてもらうっきゃない!というわけで、作戦始動と相成ったわけである。

 下に掲載するのは、その英訳文を紹介する形で僕が書いた手紙の、大体の内容である。実際に出した英語の方の文は、恥ずかしいので掲載却下(たぶん文法の間違いとかいっぱいあるので・・・・子どもに英語教えてるのにひどい話だ)。
 送り先はレディオヘッドの地元オクスフォードの事務所だが、この手紙が近日中にトム・ヨークの目に触れる可能性は極めて低いと思う。だとしても、無駄だとは思わない。彼の読むのが遠い先だとしても、あるいは読まれた結果、「自分はムラカミのファンではあるけど、どうこう言える立場じゃないから力にはなれない」ということでうやむやになっても、あるいは彼は読まずに事務所の人間がチラッと読むだけだとしてさえも、無駄だとは思わない。こういうことを考える日本人が直接コンタクトを取ってきた、という事実は残せる。
 事実を残していくことは、今の僕に必要なディシプリンだ。満足ということで言えば、村上氏がイスラエルに対する何らかの批判的行動・もしくは言及をするというのでもなければ、満足には程遠い。その意味で“自己満足”にすら届く保障はないのだけど、そんなことは関係ない。
 元はと言えばビーさんの援護射撃をしたくて始めたような作戦だけど、やっているうちに、結局は自分と海の向こうのミュージシャンとやらの関係性に対する、ある種の“オトシマエ”ということにこだわっている自分に、気づかないではいられなかった。

親愛なるトム

僕はあなたとほぼ同い年の、長年ロックを聴いてる人間だ。レディオヘッドのアルバムは全部持っている。レディオヘッドは世界で最も重要なバンドの一つだと思ってるよ。

へたくそな英語でごめんなさい。さらにすまないんだけど、実は今、こういう話をじっくり書いている余裕がない。

この手紙は緊急のお願い。知っての通り、我らが偉大な小説家、村上春樹がエルサレム賞っていう文学賞を贈られることになった。でも、僕はこの賞には深刻な倫理上の問題があると考えている・・・とりわけ今の政治状況の中では。

僕は単なる一介の勤め人だけど、友人たちとパレスチナを支援する活動の輪に加わっている。村上氏のニュースを聞いて、その友人の一人が公開書簡をウェブログで発表した。彼女は何とかそれを村上氏に読んでもらおうとしているが、確かな手立てがあるわけじゃない。

親愛なるトム、本当にすまないんだけど、僕はもしあなたが村上氏とコンタクトを取ることができるのなら、あなたに一言言ってもらいたいと思ったんだ。
彼はあなたのファンだし、友人だろう?あなたの言葉には真剣に耳を傾けるはずだ。だからたとえば、「おめでとう、ハルキ!でもよく考えてください、今その賞を受けるべきでしょうか?」ってな具合に話してもらえないかと。

ぶしつけで、一方的な手紙だと思うだろうね。あなたは一人の自由な人間なんだし、こういうケースに関する自分自身の意見くらい持っていることと思う。だからこそ、まず同封の公開書簡を読んで、その上で何が取るべき態度か、決めてほしい。
僕はこれが“大それた考え”(*1)だとは思わない。ごく小さな願いに過ぎない。で、そうした小さな願いが地面の虫けらみたいに踏み潰されていいなら(*2)、世界は地獄に向かうだろう(もうすでに?)。奇妙なことを考える変人(*3)だと思うかも知れないが・・・・僕だけじゃない。

1月10日に、ハイド・パークで行なわれたガザ虐殺抗議の集会で、ブライアン・イーノがスピーチをしたね。彼はこう言った、「宗教の問題でも民族の問題でもない。これは人間の尊厳の問題だ」って。僕にとってパレスチナ/イスラエルの問題はまさにそういう問題だってこと。

エルサレム賞の授賞式は2月15日、グラミー賞授賞式の一週間後だ。あなたは今、すごく忙しいだろうね。だけどもし、同封の公開書簡の主張に賛同できるなら、そしてちょっと時間を使えるなら、簡単なメッセージでいいから、あなたの気持ちを村上春樹氏に伝えてみてください。

ひどい作文、最後まで読んでくれてありがとう。


心よりあなたのものなる
○○○○××××、2009/02/02

(*1)「“大それた考え”~地獄に向かう」はレディオヘッドの曲「NUDE」の詞からの引用。
  「Don’t get any big ideas
   They’re not gonna happen
   You’ll go to hell for what your dirty mind is thinking」
(*2)同「Let Down」の中の「crushed like a bugs in the ground」より。
(*3)同「Creep」の「I’m a creep, I’m a weirdo」をもじった。


追記:
media debuggerさんのブログにて、村上春樹に読者の声を届けるよ!という企画が行なわれています。村上氏のファンであればあるほど、参加する意義の高い企画だとお見受けします。メッセージ受付は2/5(くらい)までとのことですので、皆さん奮ってご参加を(そして広めましょう)。

追記2:
2月2日から新しいテンプレートに移行したようなのですが(gooにより一方的に)、文字が小さくなって読みにくい気が…左下の方に文字サイズを大きくするモジュールが付いてますので、読みにくい人はそれで「大」にしてみてください。

最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
感動しました (月の子)
2009-02-03 23:32:33
わたしは、かなり真面目に感動しました。
レイランダーさんの、トム・ヨークへの手紙を出す行為に。
どこかで、いつか、その気持ちを話せる時がくると思います。
返信する
Unknown (やめも)
2009-02-04 01:55:14
こんにちは。私は村上春樹もレディオヘッドも好きです。エルサレム賞に関して、村上さんには村上さんなりの方法でなんかしてほしいと思ってます。

それで、レディオヘッドのライブをアメリカでみたことあるんですが、トム・ヨーク、アメリカさんの軍事行動にブチ切れてマシンガントークしてました。チベットに関しても、ライブ中あの旗がキーボードにずっとかかってました。
返信する
どうも×2 (レイランダー)
2009-02-04 18:00:03
月の子さん

ほんのできごころでやってしまったことで(笑)、そこまで言ってもらうと恐縮です。
なんていうか、「貸し」は返さないと、みたいな気持ちが、話がことロックになると強まる性分なんでしょうね。ちょっとカッコつけて言えば、ただの人間でいるのは構わないけど、ただの消費者ではいたくない、ってことです。


やめもさん

実は手紙の中で嘘ついてまして…レディヘのアルバム、全部は持ってなくて、2枚ほど欠けてます(笑)。

>村上さんなりの方法でなんかしてほしいと思ってます

僕もそう期待してます。必ずしも「辞退」じゃなくていいから。
「政治批判めいたことは嫌いらしい」っていう話から、漠然と抱いた「ヤな感じ」っていうのは、つまりこの賞については、何もせずに受け取るってこと以上に政治的な行動はない、っていう話があるからなんですよね。その辺、モジモジさんという人が論じているとおりです。
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090128/p1

トムは、そういうことも含めて状況を理解できる人なのは間違いないですから、本当は手紙のような「御注進」がなくたって、自分で気づいて何らかのアプローチをしてほしいところです。
返信する
それでも根本的な誤認 (千年虫)
2009-03-02 21:41:21
レイランダーさんは二点なさっていると考えられるので、コメントさせていただきます。

まず、活動や運動と表現・創作は別です。たまたま両立できる場合もあり、問題意識が表現衝動につながることもありますが、そうなのかどうかは、作品の評価基準足りえません。
次に、トム・ヨーク氏に手紙を出したことは問題意識の発露として極めて妥当だと思うのですが、この行為は意見の表明や助言です。オトシマエを付けることではありません。
自分に影響を与えてくれた表現者に対するオトシマエというのは、もしできれば共作や共演、そうでなければ自分の作品を提示して、お互いに尊敬を得ることです。

以上のことを理解して身に付けるのは、難しいことではありません。自分の作品を継続的に世に出し続ければそれで済みます。特に商業ベースで活動しなくても構わず、ネットアップだけで十分です。
音楽に向いていなければ、絵画でも文筆でも、それこそ訳詞でもいいでしょう。自分で納得のいくものを300篇ほども公表しているうち、分るべきことは自ずと分るはずです。
返信する
>千年虫さんへ (レイランダー)
2009-03-03 02:14:24
いや、ここにおいて僕は誤認というほどのことは別にしていないし、書いてもいません。

はじめの方についてですが、

>問題意識が表現衝動につながることもありますが、そうなのかどうかは、作品の評価基準足りえません。

僕はおよそ音楽であれ他の表現ジャンルであれ、「問題意識の有無が作品の評価基準である」などと書いたことはありません。なぜなら、そんなこと思ったことがないからです。
僕の場合昔っから、面白いものは面白いし、つまらんものはつまらん、それだけです。面白いものの中身を探っていって、自分と同じ問題意識をそこに発見して喜んだり共感したりする、つまり後から評価基準(というのかな・・・もうちょっと簡単に、いいところ、みたいな)の一つに入れることはありますが、あくまで順番はまず直感的なものです。

いったい僕の文章のどの部分を読んで、僕が「誤認」していると考えたのでしょう?それこそが「誤認」ではないですか?

二つめの「オトシマエ」についてですが、これも僕は、これがすべての人にとって唯一のオトシマエのつけ方だなんて微塵も主張していませんし、僕自身においてすら、唯一の方法だとは思っておりません。
僕がやりたかったのは、トム・ヨークを通じて村上氏にメッセージを伝えること。ただそのための手紙を書くということは、これはこれで一つのオトシマエである──なぜなら、彼の音楽を通じて彼という表現者を見込んだからこそ、自分の中に伝えるべき言葉が生まれているんだ、ということが一つ。もう一つは、パレスチナ問題という、一見ロック・ミュージックと関係ないかのようなイシューについて、橋渡しになるべきは俺みたいにその両方に関わっている人間だろう、という自負がある。そういう二つのことが、書いている自分の中である種のこだわりとして感じられていた、それだけの話で、誰にもこんなやり方・考え方を採用するよう押し付けていません。

対して、

>自分に影響を与えてくれた表現者に対するオトシマエというのは、もしできれば共作や共演、そうでなければ自分の作品を提示して、お互いに尊敬を得ること

こういう話は、正直、押し付けがましくて嫌いです。これでは、芸術・芸能などの表現者に対しては同じようないわゆる「表現」らしいことで返さなくてはならない、と、そうした技能を有している者の側から決め付けられているような気がします。
僕は、たとえばトムの音楽に感銘を受けた人が、とりあえずその気持ちをファン・レターに書いて送った、それだけでも「表現」だと思います。「お互いに」尊敬を得られるかどうかなんて、そんな余計なハードルを設ける意味が、この際分かりません。たかが人間同士で。
まあ、ここでの問題は「オトシマエ」という言葉の意味が、そちらの翻訳では僕の与り知らぬ概念に化けただけのことでしょうから、これ以上ツッコむ気もしませんが。

最後の段落に書いてあることは、(本当は触れるのも抵抗があるのですが)それこそ余計なお世話です。
僕は実際は自分で曲が書けるし、あなたの言うような意味での狭義の「作品」を作って活動してきた経験がある人間ですが(ネット上ではまだですが)、そのこととは全く関係がなく、余計です。僕にとってはそれらも「作品」だし、ホームページに掲載している訳詞も「作品」だし、トムへの手紙も「作品」だし、このコメントだって「作品」です。
で、あなたがそう思わないとしても、僕の知ったこっちゃないですね。アウト・オブ・眼中です。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。