中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

「牡丹園」の牛バラ焼きそばとぺヤングの「焼き蕎麦」

2014年05月26日 | 中華街(香港路)

 人気の香港路でも、ひときわジモティーに愛されている「牡丹園」。

 昼時はいつも近隣の会社員などで賑わっているのだが、金曜日はとくに彼らの存在が目立つ。

 そう、毎週金曜日は牛バラ類ランチが100円引き♪なのだ。もちろん平日はデザートもサービスで付く。

 ということで、5月16日(金)の中華街ランチは「牡丹園」へ。注文したのは牛バラ焼きそばである。

 蒸し麺を焼いて、その上にあんかけをのせている。あん自体は玉ネギの甘みが混じり、そこに中華フレーバーな牛バラがゴロゴロ入っていて、かなりなボリュームだ。
 麺もなかなか美味しい♪


 食後は杏仁豆腐で口中をさっぱりとさせる。
 
 久々の「牡丹園」だったが、時間をずらして行ったので、ゆっくりと食事をすることができた。
 次回も行くなら金曜日だな。


 さて、そんな焼きそばランチを食べた翌日のことだが、コンビニでこんな物を見つけた。


 焼き蕎麦!

 焼きそばではない、ぺヤングの「和風 焼き蕎麦」である。蕎麦粉入りの麺を使っているそうだ。
 日本の二八蕎麦の場合、蕎麦粉のほかに「つなぎ」として小麦粉を混ぜているのだが、こちらは逆。小麦粉に蕎麦粉を混ぜている。

 以下、製造過程をご覧くださいね。










 最後に、冷蔵庫の中で眠っていた長ネギを茹でて加えてみた。

 食べてみると、不思議な美味しさが口中に広がる♪
 あきらかに蕎麦の風味が感じられる。でも基本はどこか中華っぽい。
 これは、なんだかクセになりそうな気がするな。

 そういえば、かつて中華料理店で日本蕎麦を食べたことがあるのを思い出した。蕎麦屋でラーメンというのはよくあることだが、中華料理店で蕎麦というのは珍しい。
 それを食べたのは中華街の「京華楼」だ。メニューには「蒸し鶏入り四川風蕎麦」と書いてあった。


 麺は完全な日本蕎麦を使用しており、そこに蒸し鶏のほか、キュウリの千切り、赤・緑の唐辛子・香菜がトッピングされている。とてつもなく辛く、舌が痺れるほど痛かった!


 中国では蕎麦を食べないと思っている人は多いと思うが、『誰も知らない中国拉麺之路』(坂本一敏著)によれば、実は陝西省、甘粛省、四川省、雲南省でも食べられているそうだ。
 その本のなかでは、なんと中国の盛り蕎麦が紹介されているからビックリする。
 食べ方は2通りあり、蕎麦の上に調味料をかけ掻き混ぜて食べる方法と、温かいスープをかけて食べる方法だという。
 
 私が「京華楼」で食べた蕎麦は、この前者の食べ方と似ているのかもしれない。
 

 最後に蕎麦を題材にした中国の小説を紹介しておこう。これは張競さんが書いた『中国人の胃袋』という本の中に出てくるのだが、話の中身はだいたいこんな感じだ。


 唐の汴州の西に板橋店という宿屋がある。女将の三娘子(さんじょうし)は夫に死に別れ、子供も親族もいない。
 宿ではロバがたくさん飼育されており、道行く人が乗り物のことで困ったりしていると、いつも安い値段で客にロバを売っている。

 元和年間、許州から来た趙季和という人が東都へ行く途中、板橋店で宿泊した。宿屋に着いたとき、すでに6,7人の客がいたため、趙はもっとも奥の部屋に泊まった。
 一枚の壁を隔てて、女将の部屋とは隣り合わせになっている。

 日が暮れると、三娘子はご馳走を並べて、客たちを手厚くもてなした。夕食のあとも酒を出し、客たちと楽しく飲んでいたら、いつの間にか夜が更けてしまった。
 客たちはしたたかに酔ってしまい、おのおの就寝した。三娘子も自分の部屋に戻って蝋燭の火を消した。

 趙季和は酒が飲めないし、ほかの客が熟睡したあとも、なぜかなかなか寝付けない。
 すると隣の部屋で何やら物音がするような気がした。壁の隙間を覗くと、三娘子が蝋燭に火をつけ、箱の中から木の人形や牛、鋤を取り出した。大きさはみな6,7寸ほどである。

 口に水を含んで吹きかけると、人形たちと牛はたちまち動き出し、田を鋤で耕し始めた。三娘子は箱から蕎麦の種を取り出し、種まきをさせると、あっという間に花が咲き、蕎麦が実った。
 人形たちに収穫させ、小さな臼でその場で粉に挽いた。全部で6,7升ある。作業が終わると、木の人形や木の牛に戻し、箱にしまいこんだ。収穫した粉でそのまま焼餅を作った。

 まもなくニワトリの鳴き声が暁を告げる。三娘子は先に起きて、客たちに出来たての焼餅を出した。
 不安に思った趙季和は一旦チェックアウトし、外に出て中の様子を覗いてみた。すると、食堂で焼餅を食べていた客たちは、突然、ロバの鳴き声をしたかと思うと、たちまちロバになってしまった。
 三娘子はさっそくロバたちを店の後ろに追い込み、彼らが持っていた金品をことごとく自分のものにした。

 1ヶ月余りたって趙季和は東部から戻り、また板橋店に宿泊した。
 宿屋に入る前に、自分で蕎麦の焼餅をつくっておいた。三娘子は前回と同じように温かく迎え入れたが、趙季和の顔は覚えていない。

 寝る前に三娘子は何かご要望はないかと聞いたので、趙季和は、明日早く発つから点心を用意してほしい、と頼んだ。
 真夜中になって、奥の部屋を覗いてみると、彼女は前と同じことをしていた。

 夜が明けると、三娘子はさっそく焼餅を盛った皿を食堂に運んできた。彼女がほかの食べ物をとりに行く隙を見て、趙季和は食堂に入り、その中の1枚を自分が持ってきたのとすり替えた。
 
 しばらくしてから、趙季和が食堂に現れた。
 彼は、「自分はたまたま焼餅を持っているから、いま出された分はほかの宿泊客のために残しておいてください」と言って、自分の持ってきたのを食べ始めた。
 三娘子がお茶を運んでくると、趙季和は「味見でもしませんか」と言って、すり替えた焼餅を勧めた。
 一口食べたら、三娘子はたちどころに逞しいロバに変身してしまった。

 趙季和はそれに乗って出発した。(中略)ロバは一日百里も歩き、一度も遅れたことはない。
 
 あっという間に4年の歳月が過ぎてしまった。
 ある日、ロバに乗って道を歩いていると、路傍にいる老人は「板橋三娘子よ、おまえはなんて無様な格好をしているんだろう」と、手を叩きながら大笑いをした。
 そして趙季和を止め、「彼女は確かに悪いことをした。しかし、あなたも彼女をずいぶんひどい目に遭わせた。どうか可哀想に思い、今日から自由にさせてください」と懇願した。
 趙季和が承知すると、老人はロバの口と鼻のあたりから手で皮を裂いた。
 すると三娘子は皮の中から飛び出し、元の姿になった。


 

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13 コメント

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唐の話しの蕎麦の焼き餅は (吉継)
2014-05-26 20:59:27
そばがきを焼いた感じですかね?今年の早春頃ペヤングの蕎麦を食べましたが確かに結構な蕎麦の香りがしました、団長が食べられのは最近リューニユアルされたものなのでより香りと味わいが良いことでしょう。
追加蕎麦の話題 (吉継)
2014-05-26 21:20:46
成都がある四川省では蕎麦にトマトをつかったたれをかけた料理があり降雨が多く湿気が高い土地柄さっぱりしてるので結構食べられてるとか、テレビで放送されたのを視た事が有ります。
中国人の胃袋の話 最高です。 (馬の骨)
2014-05-26 22:40:43
三娘子とおぼしきご婦人がたが、ご近所に結構居ります。
また、もと驢馬だった様な感じのご主人も多々見受けられます。クワバラクワバラ。
流石ですね。 (ばんど)
2014-05-26 22:41:29
ぺヤングのカップ麺から『京華楼』を経て陝西省、甘粛
省、四川省、雲南省にまで辿り着くとは流石、団長殿。
焼餅 (管理人)
2014-05-27 05:10:18
>吉継さん
普通は小麦粉で作るのですが、
張競さんは実際にこれを蕎麦粉で作ってみたそうです。
そこそこに良かったようですよ。
なるほど (管理人)
2014-05-27 05:11:37
>馬の骨さん
なんだか分かるような気がします。
光景が目に浮かびますよ。
たまたま (管理人)
2014-05-27 05:12:54
>ばんどさん
話を思い出しただけです。
たいしたことありません。。。
なるほど (sociton)
2014-05-27 09:06:22
牡丹園の金曜日ですか。
これは行ってみたいですね。
牛バラ食べたいです。
金曜 (管理人)
2014-05-27 19:34:36
>socitonさん
100円引き、いいですよ。
金曜日だけですからね。
懐かしい! (棚ボタ)
2014-05-28 16:01:45
この話、小学生時代に読んだ覚えが有ります。
もう一つ覚えているのは、見てはいけないと
言われている箪笥の引き出しを、こっそり開けて
見てしまうと四段が春夏秋冬に分かれていて
やはり、中で動物や人形が農作業をしていたという話。
結末は忘れてしまいました、残念…。

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