中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

『復録版 昭和大雑誌』に見るレシピ

2014年06月30日 | レトロ探偵団

 いその爺さんから昭和8年発行のレシピ本をお借りしたあと、そういえば私の本棚にこんなのもあったなと思い出したのが、『復録版 昭和大雑誌』。

 この本は『明治大雑誌』、『大正大雑誌』、『昭和大雑誌』(戦前編・戦中編・戦後編)という5冊が発行されており、その時代、その時代に生まれた多くの雑誌から80~100編を精選し、それぞれ1冊にまとめられている。

 むかし発行された書籍については、図書館でかなり保存しているので、借りて読むことができるが、雑誌となるとそう簡単にはいかない。毎週、毎月発行されているからその分量は膨大になり、なかなか保存するというわけにはいかないのだろう。

 そこで、各時代に出ていた雑誌の中から主な記事を集めて集大成したものがあればいいなぁ…と思う人たちのために作られたのがこれだ。発行は昭和53年。
 

 『昭和大雑誌・戦中編』は昭和12年~20年8月の間に発行された雑誌を対象に収録している。

 その主な雑誌というのは……

 改造・講談倶楽部・国防国民・時局情報・実業之日本・主婦之友・少国民の友・週刊少国民・新青年・日の出・文芸首都・満州評論・揚子江・若桜などなど、全部で75冊以上ある。


 雑誌の表紙も、一部だが掲載されているので、当時の雰囲気も知ることができる。



 その『昭和大雑誌・戦中編』に取り上げられた『日の出』(昭和16年8月号)の記事。

 日中戦争は既に始まっており、あと4か月で日米開戦を迎えるという時代だ。

 この年、年賀状廃止、豆なしの節分、一般車のガソリン使用禁止、国民学校、米の配給、代用品の増加、金属回収などが始まっている。

 そんな時代を反映して、『日の出』8月号ではこんな“悲しいレシピ”が紹介されたわけだ。


 「砂糖のかはりに」と題して、砂糖の代用品の作り方が書かれている。

 柿の皮を干して、それに水を加えて煎じると甘い水ができるらしい。それが砂糖の代わりとなる。
 甘草を煎じて、その甘い汁を使う手もあるらしい。


 ニンジンの屑、ジャガイモの皮を炒め、そこに熱湯を加え深鍋に移しグツグツと煮込む。そこにカレー粉を加えればカレー汁のできあがり♪

 なんだか、不味そうだ……。
 これは真似したくないレシピだなぁ。

 と、こんな記事を読み進んでいったら、次のようなページが出てきた。


 太平洋戦争中、一般の邦人を乗せた船がアメリカの潜水艦に撃沈された事件に関する話だ。

 これは、そのとき奇跡の生還を果たした女性の手記である。

 そこに重なるかのように6月27日、天皇皇后両陛下は、沖縄からの学童疎開船「対馬丸」がアメリカ軍に撃沈されて犠牲となった人たちの慰霊碑を訪れて、その霊を慰められたというニュースが流れてきた。

 そんなこともあって、この女性の手記を読んでみた。

 以下にそれを引用しておくので、お時間のある方、ご興味のある方はどうぞ。

*********************************

米鬼に撃沈されたOO丸
奇蹟生還した娘の血涙手記 復讐の鬼とならむ 舟木ハツエ

南海のたゞ中に
 風が出てきて、ドス黒い大波のうねりが一段と高くなった。私達の機帆船○○丸は木の葉のやうに翻弄されながらも、発動機の音を船一杯に響かせて全速力で走ってゐる。
 漁師だった父母は、18年前二人の兄と1歳の私とを連れて、南の○○島に渡つた。父母の血と汗で築いた生活は、この島に深い根ざしを下してゐた。
 しかし、その島も敵の空爆にさらされてきた今、父母と私達姉弟6人は、島の69人の人達と一緒に○○基地に疎開しようとして、○○丸に身を託してゐるのであった。

 ○○島は今日まで18年間、さまざまの想ひ出を美しく織りなして私を育んでくれた。
 なつかしい島――もうとっくに見えなくなったその島を、私はまたしても恋しく瞼に描き、今もそこで軍属として闘ってゐる二人の兄や、看護婦となって献身してゐる女学校のお友達のことなどを、あれこれと想ひ浮べるのだった。

 パシャーン、パシャーンと、しぶきが激しく舷(ふなばた)を打つ。その音は、サイバン、テニヤンの近いこの危険な海域を、一時も早く乗り切ってくれるやうにと祈る私達の心に、むしろ快く響いてくる。三つになる妹の好子をあやしながら、私は甲板を行ったり来たりした。

 舳(へさき)の方では、11歳になる弟の友栄と14の妹の澄枝とが、五つになる義弘を遊ばせてゐる。
 18歳の弟昭司は船長と一緒に舳に立ち、ぢっと水平線の彼方を向いて身じろぎもせず敵艦見張りをしてゐる。昭司は島で生れた少年の中でもずば抜けて泳ぎがうまいのである。星一つない夜も、人魚のやうに海の底を泳ぎ廻って育った。
 そんなに馴れ親しんだ南の海との別れが、昭司にとってはどんなにか辛かったことであらう。なつかしい故郷であるその島から、自分を追ひ出した敵を憎む怒りは人一倍だったと思ふ。だから乗船するともうすぐに、かうして敵艦見張りについてゐるのだった。

日本人の誇に死なむ
 好子は私の腕で、額と鼻の頭にうっすらと汗を浮べてスヤスヤ眠つてゐる。私は、父と母が気分が悪いと言って朝から休んでゐる船長室へ行かうとして、甲板を数歩歩いたときだつた。

『潜水艦らしいぞ。敵の……』

 うめくやうな船長の声を聞いた。反射的に時計を見た。10時13分だった。瞬間ざわめきと笑声が消え、皆な舷に駈け寄って、船長の双眼鏡の向く水平線にぢっと眼を据ゑた。
 またゝく間に、船の右方2000米ばかりのところにマッチ箱のやうなものが見えてきた。銀色だ。見る見る大きくなる。敵潜水艦だ。

 憎々しく巨大な艦体を浮上させ、両舷に真白なしぶきを飛ばせながら全速力で迫って来る。おゝ勝ち誇るかのやうに、たった130噸(トン)の私達の船にピタリと砲門を擬してゐるではないか。敵は急に速力を落した。と思ったとたん、パッと火が見えて砲声がとゞろいた。船の左に物凄い水柱が立つた。

 敵は舳に白い飛沫をあげると、私達の船の周囲をゆっくりと円を描いて廻り出した。もうとっくの昔、私達の船には、一門の大砲もなく、一挺の銃もないことをよく見極めてゐるくせに、なほ用心深い警戒心からか、グルグル廻りながら、二発、三発と、狙ひを定めて悠々と射ってくる。しかし激しいうねりは船を右に左に弄び、砲弾は皆な舟をかすめて海中に水煙をあげるばかりだ。

『皆さん。』

 近藤運転士の声は、凝然と敵を見つめて立ちつくしてゐた一同をその周囲に集めた。

 『残念です。皆さん、どうぞ敵の捕虜にだけはなってくださいますな。私は上官として命令する。捕虜になるのは日本人の恥ですぞ』。

 近藤運転士は陸軍兵長だつた。短い、しかし悲痛なその叫びは、私達の肺腑に貫き透った。
 『それは心得てをります』。言はれるのは、赤ちやんにおっぱいを含ませてゐる婦人だつた。
 『アメリカの憎らしさは、死んで恨み呪ってやっても憎みきれませんです。今こゝで死んでゆくのは如何にも残念ですけれど、いたし方がございません。いさぎよく死にます。どんなことがありましても捕虜になどなりはいたしませんです。それが私達の、お国へのせめてもの御恩報じでございますから……』

 唇を噛みしめつゝ語られる言葉は、そのまゝ皆の気持だつた。誰一人騒ぐ者もない。
 私は船長室に走り込んだ。老いた父母はまだそこにゐた。父は重要書類の束を私に渡すと、しっかりした声で言った。
 『ハツエ、お前は泳ぎも男よりうまいくらゐだな。どうぞしっかり頑張って生きのびてくれ。好子を頼んだぞ。それから残る兄妹に伝へてくれ、皆な仲よくやってくれるやうに、とな。』
 
 お父さん、永い間苦労をしつゞけてきたお父さん――私は肯きながら、涙をぼろぼろこぼした。船酔で苦しさうな母は好子をぢっと覗き込んでゐたが、たまりかねたやうに顔を蔽った。
 『安心して……大文夫だから……』。涙を堪へてやっとそれだけ言ふと、私は甲板へ走り出た。

肉片、血糊、重油の海
 おゝ敵が、船のまうしろにあんなに近い。たつた150米の近くだ。砲弾がまた船をかすめて水煙をあげた。
 艫(とも)に立って、敵を真正面に睨みつけてゐるのはうちの昭司だ。ぢだんだ踏んで口惜しがってゐる。
 
 『昭司さんッ。』駈けつけようとしたとたん、船が物凄く揺れ、艫の方に恐ろしい音響が起つた。白煙が立ち昇って閃光が飛び散った。瞬間私は、『姉さん、やられたッ。』といふ叫びを聞いた。
 昭司、昭司だ。砲煙が薄れてゆくにつれて、腹を貫かれ鮮血にまみれてゐる弟の姿が見えてきたとき――私は夢中で駈け寄らうとした。

 しかしそのとき、第二弾が轟然とマストの下に炸裂した。煽りを喰って、たくさんの人が海中に抛(ほう)り出された。友栄ちゃん、澄枝ちゃん、義弘ちゃん! あなた達はどうしてゐるの――大きく傾いた甲板を一足々々踏みしめながら、私は弟妹を探し求めた。

 第三弾が機関部に命中した。近くにゐた私はパッと火を噴いた重油の熱気にしたヽか顔を打たれ、次の瞬間、砲弾でみぢんに砕かれた人達の肉塊と血糊をびしゃっと頭から浴びた。

 『船にをっちゃ駄目だッ。飛び込めッ』。私の耳もとで怒鳴った船員の一人は、もう身を踊らせてゐた。海は荒れてゐる。しかし――他にどうすることができよう。私はとっさに好子を海中に落した。同時に私も甲板を蹴って好子の傍に泳ぎ寄り、火のついたように泣いてゐる好子を捨ひ取った。水をかぶらぬやうに好子を高く差し上げ、力の限り抜手を切って、できるだけ船を遠く離れた安全な海面へと泳ぎ出した。

 第四弾が船に命中した。またたくさんの人が海面に叩きつけられて、一団一団となって泳いでゆく。船はめらめらと燃えてゐる。お父さんは――お母さんは――友栄ちゃん達は――涙が激しく類を伝つた。
 急に右脚が重くなつた。ギョッとして見ると、八つくらゐの女の子が、『助けて、助けて頂戴。』と必死と足にしがみついてゐる。
 可哀さうに――濡れそぼち冷くなつたその身体を私は右脇に抱へ、好子は左に、足だけでぢっと浮んだ。

 ハタと砲声がやんだ。敵潜の甲板をザワザワと白波が洗ったと思ふと、それは潜没し始め、甲板の鬼どもはあわてゝ司令塔に駈け上った。爆音が聞えたのだ。だんだん近くなる。おゝ鮮かな日の丸! 首だけ出して浮びながら皆な泣いた。
 機は海面に低く低く舞ひ下ってくると、通信筒を落し、待ってるよと言はんばかりに翼を振つて、〇〇島の方へ飛び去って行った。あの機の連絡が、うまく○○についてさへくれヽば助かるといふ希望が、皆の心に明るく射し込んできて、どこからともなく歓声が湧き起つた。口々に家族を呼び合ふ声がする。船長さんが人員を調べ、54人しかゐないと言つてゐる。

同胞相ついで憤死
 すぐ近くの海面が、にはかに騒ぎ出し、銀色の巨体がざーっと白いしぶきをしたゝらせながら浮上してきた。敵潜水艦だッ。海底にぢっとひそみ、飛行機の飛び去るのをほくそ笑んで待ってゐたのだ。

 あッ、機銃を私達に向けてゐる。皆すかさず水にもぐり、姿を消して散開した。しかしそれよりも早く敵は機銃の引き金を引いてゐた。ダダ、ダダダダダッと唸りながら、銃弾は私達の上に雨霰と注いでくる。

 恐れおびえた赤坊の、胸をかきむしる泣き声。断末魔の悲鳴。私のすぐ傍で、木の桶を棒で叩いたやうな音がした。誰か海面に出してゐた胸を射たれたのだ。鮮血が恐ろしい勢ひで噴き出してゐる。

 重油と血糊の海水をガブリガブリと呑みながら『オカアチャン、オカアチャン。』とたえだえに泣き叫ぶ坊や。『おお、今、行きますよ。』と手をあげて必死に泳ぎ寄るお母さんの左脇には、もう一人の子供さんがしっかと抱へられてゐる。坊やは母の腕にしがみついた。

 しかし、子供の重みに母の身体は忽ち自由を失ってしまった。悪魔はこの二人に機銃を向けた。それと気づいた母親は狂気のやうに子をかばふ。しかしそれも瞬間だった。銃弾は忽ち母子二人の頭を貫き通した。老人をかばひ幼児の手を引く人達へは、特に激しい砲火を浴びせるのだ。

 眼をゑぐられ、耳を飛ばされた人。鼻や顎を射ち飛ばされ、海水で洗はれた傷口が白くざくろのやうにそゝけ立つてゐる人――いつの間にか、私の着てゐた女学校の制服は波にはぎ取られ、腕や肩はドス黒い重油で包まれて、肉片や血糊がベットリとくっついて離れない。

 機銃弾は人絹の布を裂くやうな音を立てゝ私の耳をかすめ海中へ突きささってゆく。夢中で私は好子と女の子をかばひ、手と足にありったけの力をこめて泳ぎ、敵弾から逃げつゞけた。
 突然、銃声がやんだ。と、誰かゞ叫んだ。

 ブイだ――
 
 あッ! ほんたうだ、ブイだ。敵の甲板には、パンツ一つの悪魔どもが、次々と現れて何かわめいてある。耳を澄ますと、はっきりとした日本語ではないか。

 『助けてあげるよ娘さん。このブイにつかまりなさい。』
 『娘さん、つかまればいヽのですよ。』

 勝ち誇ったやうに仲間達で笑ひ合ひ、ブイにつけた綱を握り揺らめかして、鬼は漂ふ婦人へ叫んでゐるのだ。綱を握ったもう一方の手にはピストルを擬しながら。

 忽ち海面から叫びが上つた。『畜生ッ、誰がつかまるものか』。『皆決してブイをつかむなよ』
 私達は日本人だ! 捕虜になるよりは死んだ方がいヽ。御国の勝利を祈ってこヽで死なう。重油と血の中に身悶えし、喘ぎつゞけながら、皆そのことを思ふばかりだ。

 機銃音がまた耳をつんざいた。悲鳴と一緒に血潮がどっと噴きこばれた。悪魔! 鬼! 人間の皮をかぶつた畜生! 畜生!
 爆音だ、日本の飛行機だ。敵は忽ち潜没してしまつた。

お母ちやん、おっぱい
 叫び声も悲鳴もだんだんまばらになって、海面はもうひっそりしてゐた。『お父さーん、お母さーん。』私は声を限りに呼んでみた。
 しかしなつかしいあの声は、どこにもなかった。寂しい。一人ぽっちだ。頼りなさがしみじみと襲ってきた。死んでしまひたい。

 私の足にすがりついてきた女の子も、もうとっくにいけなくなってゐた。残ってゐるのは7人の船員と、4人の疎開者だけではないか。66人の島の人連が、血を呑み肉片を呑みながら、殺されてしまったのだ。
 しかもその4人の中には、小さな私の妹も入ってゐる。可哀さうな好子! 生れて間もなくから、小さな兄達におんぶされて海に入って育ってきた好子は、私の腕の中で何時間も重油と血を浴びながら、なほ小さな生命の灯をともしつゞけてゐてくれたのだ。

 有り難う好子ちやん、頑張りませうね。お姉ちやんと二人で頑張りませうね。
 両手を私の頭にかけ、頭をぐったりと私の胸にもたせかけてゐた好子は、可愛い眼を力なく開くと、『おっばい、おっばい。』と言って泣き出した。可愛さうな好子ちやん、お母ちゃんは悪魔に殺されてしまったのよ。

 ねんねんころりよおころりよ
  坊やはよい子だねんねしな

 母がよく歌った子守歌を、私は好子の頬に顔をすりつけて歌ってやった。濡れる涙を波のしぶきが洗ってゆく。
 飛行機は上空を旋回するとサイダー壜を落してくれたけれど、誰も取りに行かうともしなかった。その気力はもうすでになかったのだ。

 4人のうちの一人がまた息を引取った。船員の他はあと3人、私と好子と、12になる娘さんだけになつた。この娘さんも、やっぱり両親と兄妹6人を殺されたのだ。
 『畜生、畜生。』と、その娘さんは浮びながら言ひつゞけてゐる。

 一隻のボートが、一人の船員の決死的作業で炎々と燃えてゐる船から卸された。しかし、それも機銃弾の穴だらけで乗れはしない。皆のワイシャツなどで穴をふさいで海に浮べ、舳の水の入らぬところへ好子を坐らせた。私達はそのふなべりにつかまってゐる。

 いつの間にか、三度目の敵潜が浮いてきてゐる。皆はまたバラバラに海中へ潜ったけれど、私は好子をおいてゐるボートの傍を離れなかった。突然、好子が敵潜に向って手を振り上げ、びっくりするほど大きな声で、『お母ちやん、お母ちやん。』と呼び出した。母が乗ってゐるとでも思ったのだらうか。

 『駄目ッ 好子ちやん。』 私はあわてて小さな目を掌でふさいだ。『あれは鬼よ。こはい、こはい鬼が乗ってゐるのよ。お母ちゃんはあの鬼に殺されてしまったの。好子ちゃん、おとなしくねんねして頂戴ね、お願ひだから。』
 好子を舳に寝かせ、板を被せて敵に見えないやうにした。

 あッ、敵潜がこっちへ向って進んでくる。
 血の海を楽しむやうに、浮ぶ死体の中を忙しく走り廻りながら、パンツひとつの鬼どもが長い棒で死体を突つく。肋をゴツンゴツンと叩く。ほんとに死んでゐるかどうかを確めてゐるのだ。

 悪魔の求めるものは生きた日本人の標的であり、悶え死ぬ同胞の姿なのだ。小さな板で顔を蔽ひ、死んだふりをしてゐる私のすぐ眼前を、敵潜の巨大な発射管が悠々と動いてゆく。

 パーン! ピストルが鳴つた。威嚇射撃だ。『見つかつた。』 とっさに感じた私は、12の娘さんと一緒に海中へ潜り、敵潜の背後に出た。しかし敵はすぐ方向転換し、再び私を目がけて迫ってくる。迫りながら、女と見てかまたブイを投げてきた。つゞいて髭面の一人が、ゴム製の救命ポートを私達に投げかけ、ピュッと口笛を鳴らすと、大きな声でわめいた。

 『乗ればいゝでせう。娘さん。助けてあげるのですよ。』
 誰が、誰がそんなものに――恥知らずの鬼め。『つかまっちゃいけないのよ。あれにつかまったらおしまひよ。』
 私は娘さんに必死の声をかけ、励まし合って泳ぎつゞける。

 爆音がかすかに開えた。三度目だ。敵はまた潜没した。好子が『こはい、おんぶ、おんぶ。』と泣いて両手を出す。私は好子をおんぶし、首だけ出して浮いてゐた。

復讐の鬼とならむ
 日が西に傾いて、冷い風が吹いてきた。四度敵潜は浮上してきた。長い死闘に全く精魂を使ひつくした私達は、死を装ふまでもなく生きた尻であった。
 追跡、機銃――浮き沈みする死体を、鬼どもはあかず突つき掻き廻してゐる。日が水平線に隠れ、夕靄(もや)は次第に濃く辺りにたちこめてきた。手もとがはっきりせぬほど暗くなってきた頃、血に飽いた悪魔は針路を西に取って悠々と去った。

 疲れ果てた私達に夜がきた。寒さと空腹のためにガタガタ震へる。船員の一人が、肌身につけてゐた鰹節を腰からはづし、皆に分けてくれた。私はそれを噛み砕いて好子にもしゃぶらせようとしたけれど、妹はもうすっかり弱ってしまってゐた。

 夜が明け日が高くなつた頃、水平線近くに、私達を探してゐるらしい日本軍艦の姿が見えてきた。
 『好子ちゃん、しっかりして。日本のおふねが、ほらあそこに来てくだすったのよ。』
 深い眠りにおちようとする好子を、私は揺り起し揺り起した。けれど小さな手足は氷のやうに冷えきって、力なく開かれてゐる瞳は、もう私に何も求めようとはしなかった。正午頃、好子は泣き叫ぶ私の腕の中で息を引取ってしまった。

 父も母も、昭司も澄枝も友栄も義弘も、皆な殺されてしまったあと、たゞ一人生き残ってゐて私を励ましてくれた好子ちゃん。敵の手を逃れるまで、せっかく苦しい生命を生きのびて、もう日本の軍艦に助けられるという直前に死んでしまった好子ちゃん。いつまでも、いつまでも、私は好子の死体を抱いて放さなかった。

 『可哀さうだが……』船長は顔を曇らせて、好子を他の死んだ人と同じやうに、この死場所に水葬にするやうにと訓された。私は泣く泣く好子に頬被りをしてやった、冷い水が顔にに当らないやうにと希って。
 小さな唇、可愛い瞼――いまさらのやう惜しかった。船長の手で、好子は静かに波に下された。けれど――好子は波に乗ってすぐ私の傍に戻ってきた。

 一度、二度、三度……もう、たまらなかつた。私は好子を拾い上げて、すつかり固くなってしまったその身体を抱きしめてやった。
 そして小さな耳に口を当て、静か言ひ聞かせた。
 『好子ちやん、お父ちゃんもお母ちゃんも小っちゃい兄ちやんもお姉ちゃんも、皆な一緒にいヽところへ行ってゐるのよ。あなたもそこへ行った方がいゝの。ね、真直ぐにそこへいらっしゃい。』

 そっと波に預けた好子は、やがて波間に消えてもう再び帰っては来なかった。それから3時間、舳に菊の御紋章をきらめかせながら御国の○○艦が近づいてきたとき――そして艦長が、『よく捕虜にならずにゐてくれました。有り難う。よく頑張ってくれました。』と慈愛の眸をうるませられるのを見たとき、私は声をあげてその場に泣きくづれてしまった。

*  *  *  *

 ○○島にゐるとき、アメリカ人捕虜がかう言ふのを度々聞いた。

 『アメリカが勝った暁は、日本の男子で働けさうな奴には、鼻に金輪を通し、綱をつけて働かす。その他は一人残らず殺してしまふ。女は全部本国へ連れ帰って、黒人と結婚させる。子供はうるさいから、首をちぎって引き裂いてしまふ。』

 けれど、人間にそんなことができるものではないと思ってゐた。私は大馬鹿者だつた。アメリカ人を人間だと思ってゐたのだ。
 アメリカ人は鬼だ、悪魔だ、悪魔の国だ。そんなことは朝飯前でやる悪魔の国だ。7人の肉親と、62人の島の人々の霊魂と共に、私はこのことをはっきりと叫ぶ。
 
 私もまた復讐の鬼だ。いつの日にか許されることがあれば、私は魚雷を抱いて敵潜に体当りを喰はせてやる。父母をはじめ、虐殺された人々の霊に、私は固く誓ってゐるのである。

『主婦之友』昭和19年11月号

*************************************

 このような話で語り継がれているのは、たいていがアメリカ軍による民間船舶撃沈の事件であるが、昭和20年8月15日以降、やっと戦争が終わったと思って本土に引き揚げる樺太在住の邦人を襲ったソ連潜水艦のことも忘れてはならない。

 昭和20年8月22日、北海道留萌沖の海上で、樺太からの引揚者(主に婦女子)を乗せた日本の小笠原丸が、ソ連の潜水艦による攻撃を受け沈没。1,700名以上が犠牲となっているのだ。
 
 ソ連に言わせれば、8月22日はまだ戦争が終わっていない状態だ。
 日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告したのは8月14日。その翌日、玉音放送によって日本の降伏が国民に公表された。
 たしかに、これは我国が「参った、降参します」と言っただけのことで、日本政府が降伏文書に調印したのは9月2日である。

 だから8月22日は戦争状態だと言うわけだ。

 でもね、「参った、降参!」と言っている喧嘩相手の婦女子を海に沈めるって…ひどいよね。

 さらに思い出すのは69年前、日本領土だった南樺太に侵攻してきたソ連軍兵士から身を守るため、9人の若い女性電話交換手が自決した真岡郵便電信局事件だ。

 一般庶民はみんな戦争が終わったと思ったはずなのに…
 
 そして、現代の庶民は「もう戦争はない」と思っていたはずなのに…



←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね




コメント (12)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「龍鳳酒家」にて排骨冷麺 | トップ | 大口商店街の「宝明楼」にて... »

12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大政翼賛会、が思い浮かびます。 (吉継)
2014-07-01 00:57:28
戦争は無いもの...ですか、戦争になれば血みどりになり四肢をもがれたおれていくのは庶民です市井の方々です、昨今の世情にここでも取り上げた空襲やバンザイクリフ、対馬丸沖縄戦、広島長崎、ソ連参戦などから想像力をはたらかせかせなければ、いつかきた道へ戻るかもしれないとの危機感を抱いてしまうのは自分の取り越し苦労でしょうか?
返信する
Unknown (kinchan60)
2014-07-01 09:38:25
たった今集団的自衛権行使容認で合意されました。

思い出したのは半村良の「軍靴の響き」です。

二十年前に書かれた小説が現実に・・・ ・・・
返信する
人間は学習しない…。 (冬桃)
2014-07-01 10:33:25
この手記を読み、「だからもう二度と戦争をしてはいけな
い」と思い、反戦にむかうか、逆に「敵の攻撃を受けたら
こんな悲惨なことになるから防衛力をつけなければ」と思
って軍備に走るか、どちらかの選択を、日本は今、迫ら
れているのでしょう。
でも、いまの政府は後者を選んだようです。
どういう結果を想定してのことか、私にはわかりません。
ちなみに、昔の婦人雑誌では、名家の奥様方や有名作
家が満州のすばらしさを語り、移住をあおっていますね。
その結果も、いまの私達は知ってるんですけどねえ…。
返信する
愚かなるかな人間ども (馬の骨)
2014-07-01 10:40:06
馬や牛が主義主張の為戦争をした
という話は聞いたことが無い。
返信する
Unknown (いその爺)
2014-07-01 15:29:22
昭和19年11月、既にサイパンは全滅して東京に空爆が行われた頃でしょうか?
この時点で軍部は本土決戦も視野に入れていたのでしょうね。国民を鼓舞し最後まで戦わせようとする文章に恐ろしさを感じます。

戦争は起きてはいけない、しかし世界を見れば侵略があることも事実、これから難しい選択を迫られそうです。
返信する
いまは (管理人)
2014-07-01 22:59:49
>吉継さん
もはや戦前です。
この歳だから戦場に駆り出されることはないけど、
いつミサイルが飛んでくるか…
返信する
半村良 (管理人)
2014-07-01 23:01:36
>kinchan60さん
この作家の本はいくつか読みましたけど、
これは読んでないですねぇ。
1972年の本なんですね。
さっそく取り寄せました。
返信する
満州 (管理人)
2014-07-01 23:08:03
>冬桃さん
前に取り上げた昭和8年の本には、
名家の奥さんと御嬢さんらしき人達を使って、
中華料理の食べ方などを教えています。
底辺の人々は苦しい生活をしていたというのに。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%B5%B6%E6%BB%85%E5%8F%97%E5%90%88%E6%B3%95%E6%A1%88
返信する
そうそう (管理人)
2014-07-01 23:09:57
>馬の骨さん
戦争などせず、旨い牛肉や馬刺しを食べたいです。
返信する
Unknown (管理人)
2014-07-01 23:12:12
>いその爺さん
今日のテレビでは賛成派、反対派がいろいろ語っていました。
解釈改憲ではなく、ちゃんと明文改憲ということで、
国民投票にしてほしいです。
返信する

コメントを投稿

レトロ探偵団」カテゴリの最新記事