中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

横浜小学校

2009年11月20日 | レトロ探偵団

 石川町駅方面から中華街に向かうと、まず最初に延平門(西門)が現れる。
 その門の右側に港中学校が建っているが、ここにはかつて“ハマの学習院”といわれた横浜小学校があった。

 左右田喜一郎野尻抱影来栖三郎などを輩出している横浜の名門校だった。
 ついでに言えば、昭和5年「街の国際娘」でデビューした北林透馬は附属幼稚園の出身である。

【横浜小学校の沿革】
明治6年3月 学制に従い北仲通3丁目に壮行学舎として創立
明治8年7月 元浜町1丁目に移転、横浜学校と改称
明治9年2月 北仲通6丁目に移転
明治18年7月 附属幼稚園を併設
明治25年4月 横浜市立尋常高等横浜小学校と改称
明治38年3月 高等科を廃止し横浜小学校となる
明治41年4月 尋常本町小学校と改称
明治42年3月 再び尋常横浜小学校と改称
大正12年4月 横浜尋常小学校と改称
大正12年9月 関東大震災で全焼
昭和3年3月 位置を山下町241番地に変更指定
昭和3年4月 新校舎(鉄筋コンクリート3階建て)が竣工 
昭和16年4月 横浜国民学校と改称
昭和20年9月 米軍に校舎接収され吉田国民学校校舎を借用
昭和21年2月 吉田国民学校に統合されて廃校

 その後、この校舎は横浜市立第一女子商業学校(のちの港高等学校)が使用していたが昭和23年9月、同校は横浜商業学校へ移転。
 昭和23年4月、北方小学校に間借りしていた北方中学校が港中学校と校名を変更してここへ移転。

昭和56年3月 旧校舎解体
昭和57年2月 新校舎完成
昭和60年4月 中国人講師配置校となる
平成12年9月 港中学校門柱(旧花園橋親柱)国登録有形文化財に指定される
平成17年10月 選択教科に中国語会話コースを新設


 私は横浜小学校や港中学校の卒業生ではないが、かつて、この学校の校庭に入る機会があった。
 そこで見たものは……


 皇族の記念碑。
 これは昭和3年5月に閑院宮親王が台臨した際に建立したもの。
 震災復興小学校として鉄筋コンクリートの校舎を建設した翌月だ。


 碑文を読むと記念樹とある。この石碑を取り囲むように植えられているのがそれだろうか。


 聖蹟記念碑。
 昭和4年4月には天皇が親臨している。
 
 このとき、市内小学校の児童代表1000人が御前体操を演じたという。


 二宮金次郎。

 こういうのがまだあるんだね。久しぶりに見たよ。
 なんだか懐かしいなぁ。

 

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2 コメント

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震災復興小学校 (すぎちゃん)
2009-11-20 09:27:14
現存するのは、一番古い浦舟の旧市大校舎だけになってしまいましたね。
昭和40~50年代に全部立て替えられてしまったようですが、さすが震災復興だけあって耐震性バッチリの頑丈さで、壊すのが大変だったと聞きました。
壊さなければ、今はそれぞれ貴重な歴史的建造物だったろうに、本当に惜しいことをしましたね。
私の通った滝頭小学校も、立派なスロープのある、昭和3年建築の素晴らしい校舎だった。。。
なんでも壊す横浜市 (管理人)
2009-11-21 06:28:56
◆すぎちゃん
東京に比べると横浜は壊しすぎです。
港中学校の旧校舎はすばらしかったのにねぇ…

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