大正11年6月22日の「横浜貿易新報」の記事。当時は7月1日が開港記念日であり、毎年、新聞社が開港記念会館において児童大会を開催していた。有料のイベントで、多いときは2,000人もの市民が入場したという。今、あの開館を思い浮かべても、そんなに入れるとは思えない。 これはあとで分かったことなのだが、椅子席をすべて取り除き、観客は床の上に正座して観ていたという。それにしてもすごい人数だよね。大正時代だから、こんなことが許されていたんだろう。 大会は浦島小学尋常6年生の廣尾君による開会の辞のあと、31人の小学生が合唱をしている。 あの狭い舞台に31人ものったのだろうか? 合唱をした生徒の名前が掲載されているが、数えたら36人もいる! ホールの座席を撤去して、観客を正座させていたくらいだから、舞台上もギュギュウに詰め込んだのだろう。すごい時代だったんだね。 横浜港の開港は安政6年6月2日(1859年7月1日)である。そのため開港記念日は当初、6月2日だったのだが、明治42年、新暦の7月1日に改められた。しかし、昭和3年、再び元の6月2日に戻されたという経緯がある。 昨日は花火の音が聞こえていたけど、どこで打ち上げられていたんだろう。なんてことを思っていたら、衝撃のニュースが入ってきた。 横浜中華街の聘珍樓、運営会社が破産手続き開始 本店は5月に閉店 まさか、開港記念日に…… ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
開港記念日は昔はお休みだった
なぁとか、横浜市歌歌ったなぁとか、
ほのぼのしたコメントを書こ
うと思ったのに、ぶっ飛びました。
移転と聞いてたのに……。
今年、わざわざ行っておいてよかった。
先日のブログに移転するみたいと書きましたが
多分辞めるんだろうなぁと思っていました。
コロナ過で会社関係、人数が集まる会が無くなり
大箱の店舗はかなり厳しい状態だったでしょうね。
国の支援金融資分(2年後から返済する措置分)が
先月から始まる店が多く、思ったより良くなってないので倒産、破産する店がバタバタと増えると思います、残念・・・(-_-;)
開校記念日に破産のニュースが出るとは!
驚きました。
閉店し移転するという案内が出たときに、
すぐ行くべきでした。
でも肉まんは帰るようだから、
これも今のうちに食べておこうと思います。
ただ、移転先が決まっていないという時点で、これは厳しいのかな~とは思っていました。
こういうケースだと、そのまま閉店になることが多い気がします。
青葉台や溜池山王の店も閉店していたから、
縮小しているのかと思っていましたが、
まさか本店が破産とは。
ビックリです。
私も同じように思っていました。
あんな大きな店なのに、移転先が決まっていないまま閉店とはおかしいと。
やっぱり、でしたね。