
クレイジー剣バンドの横山剣さん御用達のホットドックコーナー「パンアメリカン」が閉まっています。そして、あのアクリルのドアには貼紙が…
『都合によりしばらく休ませていただきます』
いったい、どうしたのでしょうか。ご主人が身体でも壊したのでしょうか。なんでもなければいいのですが。
ああ~、焼き魚定食を食べたかったのにぃ。カレーライスも食べたかったのに…
![]() | よく見ると、余白に書き込みがありました。 |
![]() | そこには、こんなひと言が! |
嬉しいじゃありませんか。常連さんなのでしょうか。店主の身体を心配して、再開されるのを待っているのです。
私はこの書き込みを見て、中華街唯一の駄菓子屋「アオキ」が廃業したときのことを思い出しました。現在はきれいになって再開営業していますが、10年ほど前、この店は一旦廃業したのです。
![]() | 10数年前の駄菓子屋「アオキ」 |
![]() | 改築し再び営業開始した今の「アオキ」 |
この駄菓子屋は結構繁盛していて、いつも子供たちで賑わっていましたが、10数年前のある日、突然シャッターが閉まり、その上に閉店をお知らせする案内が貼り出されたのです。そこには、こう書かれていました。
『お客様へ たくさんの方にお世話になったあおきですが この度 閉店することにしました。長い間 本当にありがとうございました』

貼紙を読みながら、私は駄菓子屋衰退の波が確実に押し寄せてきていることを実感しました。
ところが、翌日からこの貼紙に書き込みが始まったのです。
『大阪からこの店に来るため夜行バスに乗ってきましたが、閉まっていて残念です。S・K』
これが最初でした。その後、続々と書き込まれ余白が埋まっていきました。それがこの写真です。
『チェリオ、カメセン大好きでした。私たちにとって想い出のお店です。お疲れ様でした。ヤコ』
『ぼくがまだ小さな時から楽しませてもらって、本当にありがとうございました。T・T』
『やめないで。シュンスケ』
『おばあちゃま、長生きしてください。本当にご苦労さまでした』
閉店を告げる貼紙に、こんなにも書き込みがなされるとは、ちょっと信じがたいことでした。そこで私は自宅のブザーを押し、家の人に事情を伺いました。
このおばあちゃまというのは先代の経営者。1952年からここで駄菓子屋をやっていましたが、脳梗塞で倒れると閉店を余儀なくされ、この貼紙を出したとのこと。
娘さんがあとを継ぐことも考えたそうですが、ちょうどその頃、おじいさんも入院してしまい、継続を断念したそうです。
「おばあちゃんにこの書き込みを見せたらね、泣けてくるからイヤだって…」と言いながら、ご本人もすっかり涙目になっていました。そして最近の駄菓子屋事情について、いろいろと語ってくれました。
「昔はね、お店に来た子供たちに店番を頼むことができたのに、今じゃあ、それも難しくなったみたい。大きな違いは、店に入ってきても喋らないこと。声を出して注文することができないのよ。コンビニの影響かしら、ふれあいがなくなったわねえ」
あれから10年―。駄菓子屋「アオキ」は再開しました。
しかし、くじ、ビー玉、ベーゴマなどがゲームセンターやDSにとって代わられたように、やがて駄菓子もコンビニのスナック菓子に駆逐される日が来るかもしれません。中華街唯一の駄菓子屋「アオキ」がいつまでも続くことを願ってやみません。
しかもつい一週間ほど前にpeace-cafeが閉店しているのに気がついたばかりのことでかなりショックです。
もしご存知なら教えていただきたいのですがpeace-cafeが入っていたあのビルは再開発により解体されてしまうのでしょうか?
横浜らしいああいった趣のある建物が失われていくのはとてつもなく悲しいことです。
あのビルはストロングビルといって、歴史的建造物です。中にはクレイジー剣バンドの事務所も入っていたようです。看板に「狂剣組織」と出ていましたから。
ビル裏のアマゾン・クラブも移転し、あの倉庫も取り壊しのようです。
駐車場もだいぶ前に廃止になっています。
どうやら、再開発が始まるようです。
少し早い正月休みかと思っていましたが、予想外に長引いているようですね。