増田カイロプラクティックセンターの近況レポート

筋骨格・神経・アレルギー(NAET)・感情の統合療法。
増田裕D.Cのブログ

一度死んでみた 映画

2020-05-29 16:54:12 | 近況
https://movies.shochiku.co.jp/ichidoshindemita/

先週の木曜日に観に行ったのを、アップするのを忘れてました。
面白かった。(笑える映画は良い)
ロケ地が、すごく観たことある風景。

オススメです。

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新聞記者 映画

2020-04-17 15:30:48 | 近況
新聞記者 (角川新書)

2020/04/16、映画を観てきた。
https://shimbunkisha.jp/

観客人数は、自分を含めて3人であった。
新型コロナの影響かと思われたかもしれないが、平日の静岡の映画館ではデフォルトである。

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2014年夏の日の増田院長

2014-09-10 16:25:44 | 近況
今年の夏もあっという間に終わりました。
読書記録がままならないので、増田院長の写真日記を苦し紛れに載せます。
(読書記録をアップしないのは、桐井が渋っているから)
※写真はクリックすると大きくなります

そういえば7月のはじめには連休があったのでした。
増田先生はどんな連休の過ごし方をしたのでしょう。

火曜日の夜。

お!東京都庁?

「都庁を見たかった」(院長 談)←喋ってないけど

夜の新宿…さぞ混んでいたことでしょう。

翌日か翌々日か、増田先生が一番行きたかったのはここ? ↓


図書館?と思ったら違いました。
東京大空襲・戦災資料センターです。
院長の何かを訴える目つき。
「戦争はもう二度と起こしてはいけない」(←おおまかに言うと)ということを伝えたいのではないかと思います。
もちろんそれだけではないことは分かっていますが、院長の平和に関する意見はあまりに深くて、知識の浅すぎる私では汲み上げることができません。
ここの出版物の一つ↓


Amazonでも買えます(^^)
語り伝える東京大空襲〈第3巻〉10万人が死んだ炎の夜 (ビジュアルブック)
早乙女 勝元,東京大空襲戦災資料センター
新日本出版社


他にも色々行ったようですがこんな写真が。↓

エプソン品川アクアスタジアムでマンタを見て大満足!
他にも海獣ショーを楽しんだり、イルカショーを見たりと満喫したご様子。

ワタシもマンタに会いたくなりました。


NAET JAPANのセミナーにも、院長は積極的に参加。






寝てるじゃん!Σ(゜∀゜*)


セミナーの後は夏休み期間中のラッシュだったのでしばらくお出かけも控えめ。
夏の終わりに、こんないいショットがありました。

もんのすごくウマソーなんですけど・・・

中島農園カフェに行ってきたようなのです。
増田先生が食べているのはメロンパフェだそうです。
けっしてマスカットパフェではないのです。
ウマソーですねぇいいですねぇー(^^)

そんなこんなで、2014年の夏も過ぎていったのでした。
桐井 記

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2014年5月後半の増田先生

2014-07-04 14:29:15 | 近況
今年に入ってからのブログ更新が皆無でした。
すみません・・・。

増田先生はいつも元気です。

5月の後半、葛西臨海公園の大きな観覧車の前で。

・・・暑そうですね(^^;

ここの観覧車は車椅子でも乗れるものが1台だけあったようです。
その貴重な1台を待って乗り込みました。


↑だいぶ上まできました。

増田先生の方にカメラを向けると・・・


い~いお顔( ̄ー ̄)

あれ・・・?
たしか増田先生は高いところは怖かったはずです。


斉藤先生が訊いてみました
「増田先生、本当は怖いんじゃないの?」




図星だったようです・・・


ちなみに、6年前のエスパルスドリームプラザ観覧車での証拠写真。



←笑顔のつもり


桐井 記(写真を元に勝手に編集(^^;)

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2012年の10大ニュース

2012-12-31 18:05:00 | 近況
2012年の出来事ベストテン
毎年恒例の「今年の10大ニュース」、改め「増田院長の2012年を振り返って」をお届けします。今年もクリニック業務に関することは一つもありません。


第10位 映画「のぼうの城」
 今年一番印象に残った映画。今年も多くの映画を鑑賞し、毎回10点満点で点数をつけています。ちなみにこの映画は10点超え。様々なジャンルの映画を見ましたがやはり面白いものが一番のようです。

第9位 伊豆への旅
 7月に斉藤先生と1泊旅行に行ってきました。下田海中水族館や黒船美術館だけでなく、前から院長が気になって仕方なかった戸田の造船博物館へ。ロシア人のプチャーチン提督の銅像としっかり記念撮影してきました。とにかく院長の知識の引き出しは底なしです。
 
第8位 御殿場への旅
 美味しいものを食べて寝るだけの特に何もしない旅。このリフレッシュ旅行の後、2ヶ月続いた不調から元気を取り戻しました。脱・車椅子生活(第5位参照)。
そしてこの旅行で斉藤先生の高速道路運転デビュー!増田院長は助手席で教官として指導していました。

第7位 美術館めぐり
 静岡市立美術館・県立美術館は院長(障害手帳保持)と付き添い1名が無料です。よって院長は自分とスタッフ3人を別々に連れて行こうとします。思いやりなんだか、自分が行きたいだけなのかはわかりません。また県立美術館ではシニアカーの無料貸し出しもあるので運転をエンジョイしています。見ているほうは冷や冷やしますけど。

第6位 金環日食観察
 5月21日、数百年に1回と言われる金環日食を観察しました。詳細は5/21のブログをご覧ください。

第5位 けいれんー車椅子生活2ヶ月
 9月中旬に麻痺側の腕のけいれん(単発)が見られ、その後けいれんの頻度・範囲ともに悪化。麻痺側が弛緩してきたことでバランスがとれず、自力歩行がほぼ不可能に。今まではバリアアリーの環境でも生活できていたのに、急な悪化に周囲も大慌てでした。仕事終わりに閉店間際の店で程よい高さのベッドを買って車に積んで持ち帰ったこともいい思い出です。今は以前の調子を取り戻しました。

第4位 東海道の旅(蒲原宿~由比宿)
 3月3日斉藤・佐藤が不在の間に桐井さんが得意なコースに連れて行ってくれました。電車に車椅子に、いざとなれば階段の上り下りに、毎日読書三昧の院長にとってはこのような旅行は刺激的で元気になるようです。詳細は3/15のブログをご覧ください。

第3位 古事記編纂1300年
 なぜか第3位・・・。
さすがに古事記ゆかりの地を巡る旅には出られませんが、本屋にある古事記関連の本は総ざらいして帰ってくる勢いです。
本と言えば、増田院長の大好きな丸谷才一氏が10月に亡くなりました。以前、増田先生の「カイロ哲学」の講義でも何故だか紹介された丸谷氏(カイロプラクティックとは何ら関係ないのですが、増田先生がお薦めする本ということで、生徒は必死にノートに書き写していました)。氏の紹介する本を次々に購入するため、幅広いジャンルの本を読むことができるのでしょう。

第2位 ロンドンオリンピック
 時差もなんのその、見たい試合は夜でもキッチリ大音量で見ておりました。金7、銀14、銅17、計38個のメダルは過去最高、多くの感動で見ている私たちが勇気づけられました。レスリング吉田選手のガッツポーズ写真の切り抜きを院長がいつも座るところに貼っています。トラのレスリングウエアにボッサボサの頭、4年分の苦しみを乗り越えたガッツポーズとその笑顔が院長のお守りになるように。

第1位 東日本大震災・福島原発事故のその後
 震災から日が経つにつれ、忘れられてしまうことの多い被災地や被災者の状況、様々な被害etc。院長はまだ忘れていません!選挙も反原発で政党を選んでおりましたが、選挙後すぐ福島入りするような心ある政治家はいませんね。


2013年も皆さんにとって、幸多き年となりますように、と院長ももしかしたら思っているかもしれません。では、皆様、良いお年を。

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2012年5月21日 今日のDr.MASUDA

2012-05-21 09:51:41 | 近況
最初に断っておきますが、
日食を肉眼または何の対策もされていないサングラスで見てはいけません。

↓このページが結構参考になりました
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1205/19/news009.html

そんなことを踏まえて、本日の増田先生です。


まず、出勤時[07:15]


なんか・・・やる気満々の人がいるんですけど!

すでに来る途中で車の中から「欠けはじめた太陽」を見ていたようです。

朝のおつとめ(スタッフのNAET施術)を終えて、2階の従業員控え室に行くかと思いきや、クリニックのエントランスのところに、いすに腰掛けている人が扉の下のほうから見えました。
[07:32]玄関を出てみると


「おおぉぉぉぉぉぉぉ~~」という増田先生の雄叫びが(^^;

  ↓1人で金環日食鑑賞中だった


まあ、楽しそうだからいいか。←ダメです、注意しましょう

そしてサングラス3つかけ作戦です。



この増田先生の雄叫びから、スタッフ総出で「日食鑑賞会」になってしまいました。

私はネットで日食ライブ動画を見たり、外へ出て増田先生を見たりしてました。


理科の教科書風♪

増田先生、楽しかったですか?


桐井 記

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Dr.MASUDA、東海道を行く【車椅子の旅2】

2012-03-15 20:22:21 | 近況
斉藤先生と佐藤先生がアメリカのNAETセミナーに行っている間に、増田先生と「車椅子の旅Part2」してきました。
今回は天気に恵まれませんでしたが、3/3だけは天気予報はどうにかのマークになりましたので「この日しかない!」と出かけることにしました。
今回の旅は前回の車椅子の旅と決定的に違うところがあります。

公共交通機関を使いますっ!

今回の車椅子の旅は、歴史大好きオトコの先生のために東海道の蒲原宿から由比宿(一般的に言われている宿場間の距離はたったの3.9キロ)を行くので、蒲原がスタート。
どうしても列車を使わなくてはいけません。
佐藤先生は車椅子で公共交通機関は慣れているし、斉藤先生も、天浜線や首都圏へ増田先生を連れて行っているので慣れているのですが、私はまったくの初心者
に・・・ニガテですがなんとか頑張ろうかと・・・。

朝食の用意をしに増田先生の宿泊部屋へ行くと先生は既に起きていて、毎日新聞の朝刊を自慢げに見せてくれました。
「自分でコンビニいって買ってきたぞ」と言いたかったのです。
最近ひとりでお出かけしなくなってきたのでスタッフたちはちょっぴり心配していたところでしたが、どうやら大丈夫でした(^^)

9時に出発することを予告して、片づけやらクリニックで作業していましたが、30分前行動の増田先生は8時30分に出勤。
ちょっと待っていてもらい、とりあえず9時になってから出発!
・・・のはずでしたが、私が忘れ物をしてしまったことに気づいたので、一旦増田先生をクリニックに置いてけぼりにして、ちゃりんこダッシュで自宅往復する羽目になりました。
だいぶ時間をロスしてしまいましたが、ようやく9:30頃になって、JR東静岡駅へ出発です。

まず、障害者の切符の買い方がわかりません
とりあえず障害者手帳を窓口に出して「新蒲原駅まで」と告げて買います。
障害者と付添い人は半額なのです。
JR東静岡駅の職員さんが新蒲原駅と連絡を取るためにしばらく待ちます。
実は新蒲原駅にはエレベーターがなく、職員さんも1人しかいないため、車椅子対応がむずかしくて時間がかかってしまったのでした。
「駅の階段ぐらいなら車椅子から降りて歩けますから大丈夫です」
と、こちらから告げたためにどうにか話がつき、10:16の列車に乗せてもらいました。
なんだか・・・早速くじけそうです_| ̄|○

新蒲原駅で降りると、ひとりしか居ないのにJR職員さんが迎えに出てきてくれて、しかも車椅子も運んでくれました(^^)アリガトウ!

そこから最初の見学地点である「義経硯水の碑」まで東へ歩きます。

←これは蒲原一族の墓

↑ここは歩道がせまく、近すぎてファインダーに収まりきらず、へんなアングルです。

ここには浄瑠璃姫と義経の悲しい恋の物語が、伝説として残っています。
奥州に向かう源義経はここの湧き水を使って硯水とし、恋しい浄瑠璃姫に手紙を書いた。
浄瑠璃姫は矢矧(三河国)の長者の娘だが、義経のことが忘れられず、蒲原まで追ってきたが病に倒れ、そのまま亡くなってしまったという伝説。
この近くの蒲原中学には浄瑠璃姫の墓もあるのです。
・・・・が、浄瑠璃姫は実在しなかった説が有力であります(^^;
でもいいんです、これも言ったもん勝ちです。

さあ、ここを折り返し地点にして、東海道に行きます。(今見学したところは、ちょっと東海道から外れていたのです)
ちょっと歩いて一里塚跡です。

蒲原宿には、見学したいところはたくさんあるのですが、坂道をずーーっと登らなくてはならなかったり階段をひたすら登らなくてはならなかったりで、増田先生には不向きです。
この一里塚跡のすぐ向い側には「北条新三郎の墓」の標柱が立っているのですが、これも坂道なので、がんばって行こうとする増田先生を止めました。
ここで体力を使われると、次にJRに乗るときにまた階段を上り下りするのでその体力ポイントを残しておくために管理が必要なのです。

しかし
この後、なんとも見た目が美しい「諏訪神社」に来たとき、増田先生はスックと立ち上がりました。


「えーー、登るの?先生っ!大丈夫なんですかっ」という私の心配をよそに、どんどん一人で階段をすすみはじめました。


もー・・・しょうがないなぁ・・・と思いながらもシャッターを切る私。
がんばってます

しかし、あと10段ぐらいを残して、とうとう息が上がってしまいました。
もともと行く前に足が痛かったはずなのです。やっぱりムリはしちゃいけません。
せめて上がどうなっているのか撮影しに行ったら、境内がとってもこぢんまりしていて、私の50ミリレンズでは近すぎてしまってファインダーに収まりきらないのです。

何を撮ったんだか(^^ゞ

一度登ってしまったら、今度は降りなくてはいけないのです。
降りるときはどうするかというと、後ろ向きに降りるのです。
足をふみはずさないように、後ろにまわって見張ります。
手は貸しません。リハビリのために、甘やかさない私です。←オニ でも踊り場では肩を貸しますが。

階段をすべて降りきって、ホッとしたところで
「頑張りましたねぇ・・・」とねぎらいつつも
「先生っ、もうムリしちゃダメですよ。食事するところも階段使うんですからねっ!」
と厳しい言葉を浴びせてしまう私。
そう、今日予定している食事どころは階段で行かねばならないのです。
駅より何より、食事するところの階段が登れなかったら、私が泣きます←オイ

さてさて、蒲原は歩いていて飽きません。
この後すぐに東木戸跡。宿場の江戸よりにある出入り口というわけです。


このあと、大きな水道管のところを通りますが、先生はそこが新日本軽金属の工場の持ち物であることを知ってました。
水力発電を山の上に持っていて、その大きな水道管は発電用なのだそうで、工場の電力はそこでまかなわれているらしいのです。
それがなかなか無知な私に伝わらなくて、けっこうイライラしてましたが、後でちょっと調べたらフツーに有名なことでした(^_^;
「先生、何でも知ってますね」と言ったら「がはは」と笑ってました。

さて、大きな御店であったであろう「木屋」の屋号をもつ材木問屋の「渡辺家」の前にきました。
←この写真は私が東海道歩きしてたときに撮影したときのもの

ここの土蔵には貴重な資料がいっぱいあるのだそうです。雨天ではない土日の日程で、予約すれば見学もできます。
http://kiyaedoshiryoukan.eshizuoka.jp/

安政の大地震の記録も日記に残してあるのです。
増田先生は熱心に外の塀に掲示してある資料を読んでました。


その後、ここの印刷された資料を買ってました。


なまこ壁と塗籠め造りの元商家、「佐野屋」の前で。
実際に人が住んでおられるのでちょっと気が引けましたが・・・失礼します。

旅籠だった建物は今はタバコ屋とおやすみ処になってます。
(写真は過去のもの)
この元旅籠の向かいは本陣跡です
(写真は過去のもの)

次に訪れたのは志田邸といわれる、醤油の醸造をしていたところだそうです。
(写真は過去のもの)
ここの志田家が実家という志田威氏による『「東海道五十七次」の魅力と見所』という本が売られていたので、増田先生も私も買ってしまいました。
「東海道五十七次」の魅力と見所
志田 威
交通新聞社東海支社

私は東海道のガイドブックのほとんどの本を持っているので、「本当は大阪までの五十七次が東海道」というのは知っていたのですが、増田先生はここで初めて聞いたらしく、ひたすら「ほぉー」と感心してました。

志田邸を出て、また由比に向けてチャッチャと歩き、「ここが旧五十嵐医院、ここも階段が大変だから見学はパスですよー」などと説明だけしながらすすみ、蒲原宿の西木戸跡に来て蒲原宿も終わりです。
ここには「茄子屋の辻事件」の説明板があります。この西木戸近くに「茄子屋」という茶屋があって、高松藩の藩士と薩摩藩の藩士の乱闘があったそうな・・・と説明しようとしたら、増田先生は「知ってる!!」のサイン。
「さすがですねぇ」と言ったら、またガハハと笑ってました。

ここから由比宿まで、えっちらおっちらひたすら歩きます。
とっくにお腹が空きました。
「・・・・お腹すいたぁ~」と独り言を言ったら、増田先生の左手が「グー」をしながらサッと挙がりました。
増田先生もお腹すいたようです。

お腹が空くと無口になるし、カメラも出てきません。
次の写真はコレでした。

どこかというと、ここでした↓

由比宿にほど近い道しるべにて(^^)

ここの向かい側は「神沢川酒造場」です。
正雪を造ってます。平日の午前中なんて通ろうものなら、ものすごーーく良いにおいがします。
東海道歩きをしていると、酒造はメチャクチャ多いのですが、一度も買ったことはありません。
答えは簡単です、重くなるからです。
増田先生は「直営店に入っていいよ」のサインをしましたが、入りません。・・・買いたくなってしまうからです(^_^;

このままざーーーっと由比宿の本陣前まで行って、さっさとレストランに入ります。
「海の庭」という、駿河湾が一望できるレストランにしました。

▲食事が来るまで、木屋の土蔵で買った資料に目を通す増田先生

頼んだ食事が来ました!!
・・・写真、ありません!!!

おなか空きすぎて、さっさと食べてしまったので撮影し忘れてしまったのです。
参考に、過去の桜えび膳をアップしておきます。

増田先生の注文したのはこれに近い、ご飯がざるそばになったような感じのメニューです。
席から見える駿河湾ですが、曇りでしたからこんな感じでした。

ごちそうさまでした(^^)


このあと、由比本陣跡に建つ「東海道広重美術館」を見学です。



美術館を出て、また由比の町を見学しながら今度は由比駅まで歩きます。

蒲原や由比は昔ながらの民家だけでも見る価値があるので、本当に退屈しません。
駅までもあっという間でした。

さて、由比駅に着いたら増田先生は車いすから降り(階段なので降りないとホームへ行けません)、自分できっぷを買ってきました。
230円を2枚です。窓口が閉まっていたのです。
東静岡までは障害者手帳を見せればもっと安くいけるはずなのだけど、おかしいなぁと思いながらも階段を歩いて登ります。
えっちらおっちら階段を登っていたら、JRの職員さんがどこで見ていたか、急いできました。
あれ?休憩中だったのに、悪いことしちゃったなぁ~と思いつつ(^_^;
「どこまで行かれますか」と聞かれ「東静岡までです」と伝えると増田先生がいきなり怒り出しました。
「え、ちがうの?どこですか?」と聞くと、どうやら「清水」と云っているようです。
「あ、清水だそうです」と伝えました。職員さん、急いで清水駅と連絡を取ってくれました。

そのあと、列車が来るまでちょっと職員さんと世間話したり、撮影したり。

やっといい顔が出ました(^^)しかし、ピント合ってませんが・・・。

清水に行きたかった理由はというと、エスパルスドリームプラザで映画を観たいからなのだそうです。
「またですかーーっ!」と聞くと、もう増田先生は大笑い。
清水駅に着いてから、歩いて(車いすを押しながら)エスパルスドリームプラザまで行きます。

私は観られる映画は非常に幅が狭いのです。「健全」「安心」「おもしろい」と相場が決まってます。
「PG12指定」なんてのはもうダメです。ようするに子どもでも安全に観られる映画ということになります(^_^;
先生はそんな私の好みをよくわかっているようで
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を選んでくれました。
ものすごく良い映画で、心が温まりました。

映画が終わると外は雨。タクシーで清水駅まで行ってもらい、あとはまたJRで東静岡まで帰ってきました。

私はこの前の晩、夜更かししておでんを煮込んでいて、それを晩ご飯用に鍋で持ってきてました。
「さあ、クリニックに帰っておでんを食べましょう~」と思っていると、先生は「ジョナサンに寄れ」のサイン。
「先生っ!!私は夜なべでおでんを仕込んだんですよっ!!食べてくださいよぅ~~」と仕舞いには泣きが入り、先生も渋々あきらめてクリニックに戻ってくれました。食べ終わって時刻は22時でした。


この「蒲原宿~由比宿」は、車いすでも無理なくいける東海道の旅なので、ここを選びました。
階段ナシ、歩道橋で渡らなければならないところもナシ、大きな川に架かる橋もナシ、急坂ナシです。
ただし、駅は階段なので、そこはちょっと大変でしょうか。(JRの人も大変(^_^;))
増田先生、足が痛いのに本当にお疲れさま。

この日車いすで行ったルートは以下の通りです。
▼地図をクリックしてください


桐井 記

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2011年の10大ニュース

2011-12-25 09:36:15 | 近況
年末恒例「今年の10大ニュース」です。
書こうかと思い2011年を振り返ってみると、増田カイロに大きな出来事や変化があったようななかったような・・・。こうやって一年を振り返り、また新たな年の抱負を考えるには良い機会でした。
ということで、「増田院長の2011年を振り返って」と名を変えてお送りします。

第10位 ミスター・ウィル
 アメリカのパーマー大学時代の友人から久しぶりに手紙と写真が送られてきました。とても懐かしく嬉しい出来事でした。彼は3月の東日本大震災とそれによる原発事故のことを心配し連絡をくれました。彼の心遣いに癒されました。

第9位 2011年の映画
 2011年一番印象に残っている映画は3本。
 『英国王のスピーチ』
アルバート王子の吃音症克服と向き合う姿に触発されて、院長の失語症リハビリにも刺激を与えました(と書けと本人からの指示がでました)。
 『friends-フレンズ-もののけ島のナキ』
選考基準は分かりませんが、院長が紙に「FR  S」とアピールしてきました。昨年はまった水木しげるといい、おばけ・妖怪ものが好きなのでしょう。
因みに院長の得意な出力系は昨年と似ていますが1数字、2地図、3漢字・英語(アルファベット)、です。スタッフ一上手に世界地図を描きます。平仮名はもうひと頑張り。本を写す「写経」にも励んでおります。 
 『ステキな金縛り』
桐井さんと観た映画。面白く笑える映画だったようです。笑うことはNK細胞を活性化して免疫力を上げると言われていますので、身体にいい映画だったのでしょう。

第8位 星野富弘展鑑賞
 2011年絵画展示ナンバー1。静岡の駿府博物館にて開催されました。
頸髄損傷で手足が不自由になり、口に筆をくわえて絵やエッセイを描き続けた星野さん。彼の作品から良いエネルギーをチャージできたことでしょう。彼の作品に刺激されて、院長の行動療法(散歩、外出)も精力的になった??
増田カイロ待合室に本を数冊置いていますので、是非読んでみて下さい。
  駿府博物館 http://sbs-bunkafukushi.com/museum/index.html
  富弘美術館 http://www.tomihiro.jp/index.html

第7位 姪の結婚・新しい生命の誕生
 姪の結婚式にいつもよりオシャレをして参加しました。招待していただきありがとうございました。また、増田カイロのスタッフに甥っ子、姪っ子が誕生しました。
直接ではないけれど仲間が増えました。

第6位 池波正太郎ブーム
 2011年読書ブームの一つ、池波正太郎。東京・台東区立中央図書館内にある池波正太郎記念文庫にまで行く熱のいれ様。池波正太郎の本・本・本に囲まれて大満足。『池波正太郎ガイドマップ 台東区とその周辺作品の舞台と池波正太郎ゆかりの地を巡る』を購入し、そこに載っていた斉藤先生の母校まで訪問。さらに満足。
  池波正太郎記念文庫 http://www.taitocity.net/tai-lib/ikenami/

第5位 入江泰吉写真美術館訪問
 2011年写真展ナンバー1。と言っても写真美術館は佐藤に付き合い1回行ったのみ。この時の展示は『入江泰吉 大和の暮らし―昭和20年代~30年代』。この頃の風景はその時代を生きていなくても「懐かしい」と感じるものです。展示写真は本で出版されています。
→ http://www.mitsumura-suiko.co.jp/published/published05/ISBN978-4-8381-0451-2.html
奈良好き、昭和好きにはたまらない一冊です。
  入江泰吉記念 奈良市写真美術館 http://www1.kcn.ne.jp/~naracmp/

第4位 全国高校野球
 2011年の甲子園に院長の母校が8年ぶり22度目の出場!!文武両道の素晴らしい学校ですね。甲子園では1回戦で敗退してしましましたが、母校の活躍は嬉しいですね。
甲子園の予選会はクリニック近くの野球場で行われていたので、「観戦に行く」と行ってスタッフの制止を振り切る勢いでした。
今年は何度か一人で出かける機会がありましたが、夏の蒸し暑い野球場に一人で向かわせるのはまだ不安です。

第3位 車椅子の旅
 詳細は11/4のブログをご覧ください。
普段は自動車で移動し、駐車場と目的場所間を歩く程度です。好きなことのためなら20分以上歩きます。階段も上ります。ただし桐井と佐藤は自動車免許がありませんので、一緒に外出の際には院長は好んで車いすを使用します。なぜなら、あちこち寄り道できるから。手の方向指示器が上下左右前後斜めあっちこっちに動きます。普段寄らない所へも脚が疲れる心配なく行くことができる素敵な乗り物です。
しかし静岡では快適であっても、東京で車いすお出かけは大変です、人ごみやちょっとした段差で気を使います。駅の構造は複雑、混雑した電車内ではもちろん邪魔ものになってしまします。エレベーターはベビーカーやスーツケースの人々で長蛇の列。のんびり静岡生活に慣れてしまうと都会は疲れますね。
姪の結婚式で東京に行った時は、品川で山手線に乗り替えました。駅員さんの誘導で2本電車を見送ることに。後から気付きましたが、駅員さんの配慮で隣の大崎駅始発の空いた車両に案内してくれたのです。素敵な心遣いありがとうございました。

第2位 歌川国芳展
 2011年美術展ナンバー1。今夏に静岡市立美術館での「没後150年 歌川国芳展」に2回行きました。車いすでなく自分の脚で何時間もかけて満喫しました。
この展示は2012年2月12日まで六本木の森アーツセンターギャラリーにて開催されています。

第1位 東日本大震災・福島原発事故
 2011年3月11日14:46、院長は一人で徒歩と電車で駿府博物館に行っていました。静岡での揺れはひどくなかったのですが、交通も麻痺してきてスタッフが心配する中、何食わぬ顔でタクシーにて帰宅。それ以来TVの映像にかじりつきっ放し。最初に福島第一原発の事故情報を得たのも院長でした。その時の様子は6/21のブログをご覧ください。
東日本大震災、津波、原発事故、代替エネルギーに関する本は、これまでに131冊読破しました。新聞記事の切り抜きもとってあります。増田カイロから御前崎の浜岡原発までは約50㎞、以前から関心は高かったものの、今回の事故によりさらに関心は高まったようです。
(佐藤記)


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Dr.MASUDA 車椅子の旅にでる(長文注意)

2011-11-04 18:36:29 | 近況
10月末から佐藤先生が留守、11月はじめまで斉藤先生もアメリカのセミナーなので、私が増田先生のお食事係、世話係でした。

ちょうど決算の仕訳をまとめなくてはいけないところだったので、もってこいです。
増田先生は前々から「谷津山に登りたい」という意思表示をしていました。
私が音羽町の清水公園から登ってそこから続く谷津山をハイキングし、長沼の科学技術高校のところに降りたという話をしてしまったため、増田先生の中で「谷津山地元ハイキング」が憧れとなってしまったようです・・・すみません。
ちなみにその時のコースは以下の通り。
http://yj.pn/hc8gt2


まあ、いくら低い山とはいえ、普段トレーニングをしていない、しかも革靴の半身麻痺している人が登れるような、そんな甘い山ではありません。
だから清水公園から登って、公園にある滝の上の「なんちゃって清水の舞台」まで行けば体力の限界がきてあきらめるだろうから、そこで降りてくるというのを私の中で目標としていました。
本当はその後、駿府博物館まで足をのばして「星野富弘 花の詩画展」に行くつもりでしたが、前述の記事の通り先に行ってしまったので浅間神社の文化財資料館の企画展に行く予定でいました。

朝は計画通り、6時台から増田先生の泊まっている部屋に行ってご飯つくり(私、ご飯の支度も超ノロマ)と洗濯。
8時半にクリニックを車椅子で出発。私は歩き用の靴を履いてきたのでやる気満々です。

曲金から東海道を通って、私の「地元東海道のうんちく説明」付きで清水公園へ到着。
清水寺前の「家康公の下垂れの松」の横で記念撮影。

▼滝(水は止まってました)と水車の前でも一枚

そしてすぐに登り口に行き、先生はやっきになって谷津山をのぼりはじめました。

すんごくがんばってます。

途中で疲れたようで休みながらですが、なんとか「なんちゃって清水の舞台」のところまで登ってきました。


満足そうな顔です。




「さ、降りましょう」と声をかけると先生は「まだまだ登るんだ!」とジェスチャー。
「この先には手すりはありません。階段もないところが多いです。一段がものすごい高いです」
と説明すると、ちょっとがっかりな顔をしてあきらめてくれました。

それでは、いざ浅間神社を目指せ!
そのまま東海道を歩いていけば、浅間神社へかんたんに行けるのだ。
横田町に来ました。「おいべっさん」で親しまれている西宮神社。


先生に「おいべっさん、知ってる?」と聞いたら首をかしげてました。静岡市に昔から住んでいる人なら大抵知っているものだと思っていたのですが、そんなに有名でもなかったか(^^;
私は育った家が商売してたので知っていた。この祭りで買うお飾りが大好きで、買い換えたら古いものを貰おうと常に狙っていたのだが、買い換える時に古いものは納めるらしく、私のオモチャになることはついになかった・・・。

さて、東海道を歩きながら浅間神社へ行くために車椅子で行きやすいコースを考えてみました。
難関は江川町交差点。地下へもぐらずにずっと上だけを歩くとすれば、新静岡方面から北街道の横断歩道を渡っていくのがいちばん無難です。

となれば、ちょっと人はたくさんではあるが新静岡セノバの中を通って北街道へ出て・・・と考えながらセノバ近くへ来ると、先生の動作が激しくなったのです。
「セノバへ行く!」と方向指示器(手で、行きたい方向を示す)が出ていました。

私「えーー・・・混んでるのにぃ。やですよ」
先生「セノバ行く!セノバへぜったい行く!」手は口ほどにものを言う(^^;

仕方が無いのでセノバへ行き、何が見たいのかわからなかったけど、フロア案内の「nojima」を指します。
私 「nojimaへ行くんですね?」
先生「こっくり(v_v)」
nojimaに用があるのは私ぐらいだと思ったのだが・・・院長はいったいnojimaで何を見たいのだ?
とにかく混雑するエレベーターに乗って4 階へ行くと「まちがえた。ここじゃない!」と(^^;
じゃあ何階だ?と聞くと「丸善&ジュンク堂書店の5階」だそーで・・・エレベーターを何度も見送り(混んでいて乗れない・・・健康な人はなるべく足を使いましょう(^^;)やっと乗ることができて 5階へ。
ジュンク堂へ到着すると、先生はまっすぐ検索機へ。
「イ」(入力)
・・・・・・
私「イ・・・?(@_@;」
増田先生を見ると、首をひねったまま固まっている。検索する文字が出てこないのです。
増田先生は頭への入力はたぶん完璧なのだけど、思考を出力することが大変難しいのです。
だから思っていることを文字盤で示すこともできないし、「書いて!」といって紙とペンを渡しても、分かりにくい暗号のような数字を書いてしまったりして、解読するのは大変なのです。
でも書かせると何らかのヒントになるので、紙とペンを渡すと、下の絵を描きだしました。

▲これを書いた後


赤線のところをぐりぐりして「ここ、ここ!(実際は無言)」と言いたげに示します。

さて、これがなんだかわかります?


先日もクリニックでなにか言いたかった時に紙を渡したらこんなものを描きました。

左上のほうをさして「ここ!!」としきりに何か言いたげ。


これ、先生が描く世界地図です。わりかしポイントは押さえてあるのですぐに地図だとわかる(^^;
クリニックで言いたかったことは、パーマー大学時代のニュージーランド人の友達は、純粋なニュージーランド人ではなく、「ここ!」であるイギリスの人とのハーフだ、といいたかったらしいです。
ニュージーランド人の友人の話をしていたことを知らなかった私には、さっぱりでした。
で、本屋の検索機の前で描き出した「ここ」は、ハイ、もうわかりますね。

インドでした。
よく最初に検索機で「イ」を入力できたものだと、後になって感心しました。だって文字盤も使えないのだから、検索機のキーボードだって大変なはずなのだ。
きっと無意識では最初の一文字ぐらいは入力することができるのでしょうね。

で・・・インドというキーワードがタイトルにつく本を探すのか_| ̄|○←気が遠くなる
とりあえず「インド」で検索して出てきた膨大の検索数の中から、院長は欲しい本を探し当てたのでした!!
インドの経済の本であった。さっすが経済学部出身(^^;


すっかり疲れた私ですが、なんとしても目的を果たしたいわけです。
今度こそ浅間神社へ!と向かうと、駿府公園の前でまたしても方向指示器が・・・。
「もーぅ、駿府公園は浅間神社の帰りに寄りますから!」となだめて歩き出します。
すると今度は旧市役所と葵警察署の間で激しく方向指示器が出ます。

「何ですか、札の辻にでも行きたいんですか?」←それは桐井だけだ
【札の辻】江戸時代の高札場跡:現在の伊勢丹の交差点

聞いても方向指示器(手)が出るだけです。
「もう聞かないよ」
というと激しく方向指示するので、仕方なく言われるままに進んでいくと、到着したのは所はシネセブン(東宝映画館)・・・とは今は言わない、CINE1・2・3・4です。さすがにブチきれる私。
「浅間神社の安政地震の絵見に行くんでしょう。映画なんか観ないよ!」
するとついに院長が暴れだしたので、一応何が観たいか聞くと「ステキな金縛り」だそーで。
それだったら私もコンビニのポスターを見てて興味があったので、まあいいかってことで、予定変更して映画鑑賞会へと突入するのでした。

映画の前に1時間以上の空き時間があったので、映画チケットを購入してからは再び先生の方向指示に従いながらお昼ご飯へ向かいます。
「そばが食べたいなーー。」
といったら連れて行ってくれたのは「スマル亭」でした。さすが安い店を知ってらっしゃる。
その後も増田先生に行き先を任せていたら、県庁へたどり着き
「・・・展望室でしょ」と聞くと力強く「グー!」上から静岡市を見下ろして結構満足してました。


そのあと、ちょっとだけ駿府公園も行きました。


そして映画の時間となり、はじめて増田先生と二人で映画観ました。「ステキな金縛り」は、私のツボを的確についてくる、非常に面白い映画でした。
増田先生もよく笑ってました(^^)
もしかして、コメディ好きの私に合わせてくれていたのかもしれないなあと、今となっては思ってみたり。
増田先生、ありがとうございます。

映画を観終わったら時刻はすでに15時。急いで帰って夕飯を作らねば、自分の仕事が全然できてないっ!
というわけで、帰りはまっすぐ(しずてつストアで買い物しながら)車椅子を押して歩いて帰ってきました。
この日、先生の車椅子を押して歩いたルートは以下の通り。
http://yahoo.jp/Raux5n

いやぁ、クリニックから静岡の中心街は結構歩いても近いです!←だからそれは桐井だけだ

増田先生もこの日はものすごく頑張って歩きました。

楽しめたかな、増田先生は。
そしてこの日の私の仕事は・・・うたた寝してしまって、まったく進みませんでした。

桐井 記

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2011年10月に読んだ本

2011-11-04 14:30:23 | 近況
2011年10月に増田先生が読んだ本を、ブクログにアップしました。
以下のURLをクリックしてください。
http://booklog.jp/users/chiromasuda/Books?display=front&category_id=1786658&status=3&rank=0&sort=sort_desc

10月は31冊でしたが、1冊は再読のため、30冊の表示になっています。
再読したのは以下の本です。URLをクリックしてください。
http://booklog.jp/users/chiromasuda/archives/402258694X

報道写真全記録2011.3.11-4.11 東日本大震災
朝日新聞社,朝日新聞出版
朝日新聞出版


31冊ということは・・・やっぱり一日一冊計算で読み進んでいるということです。
真似できません。
やっぱり震災の本が多いですね。
桐井 記

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