ちな2の日々戯言。

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バンクーバー五輪 フィギュアスケート

2010-02-28 23:40:39 | 日常
あっという間に五輪が終わろうとしています。
今回は、期間中結構おいかけられましたよ。
初めて見る競技もたくさん。
特に、スピードスケートの各種競技には驚きました。
日本人はじめ、選手のみなさまお疲れ様でした。
頑張る姿に、人は感動するのですね。


というわけで、タイトルに掲げたフィギュアスケートです。
いや~、盛り上がった盛り上がった。
仕事中も、今回はYahoo!実況を常にブラウザで開きながら動向を見守っておりました。
(4年に一度なんだから、このくらいいいでしょう)

浅田真央の「鐘」は、とにかく圧倒的でした。
トリプルアクセルを2回入れた事は、もちろんフィギュアスケートの歴史に残る偉業だけれども
あの表現力は、やはり目をみはるものであると思う。

最初、シーズンの始めは「なんか重たい曲にしたねぇ…。さすがロシア人コーチ!」と思ってて、
実際演技を見ても「何をしたいやら…」な感想でした。
正直言ってね。
で、グランプリファイナル不出場となり、「鐘」はそれっきり数ヶ月人々の前から姿を消す。

そして、全日本選手権。久々の「鐘」。
あの時感じた何かは、とにかく衝撃的だった。
初めて、タラソワが「鐘」にこめたメッセージが伝わってきて、改めて彼女の世界観に驚いた。
そして何より心にガツンと来たのは、そのタラソワの世界観をきっちり表現しきった浅田真央の演技である。
わずか19歳。でも、もはや真央ちゃんなんて呼べない。
彼女は、間違いなくアーティストだった。そこに世界を作ったからね。

言葉で言うのは難しいので、動画でどうぞ。今の世の中は本当に便利だ。


彼女はアーティストであると思う。
と同時に、一流のアスリートでもあるわけだ。

自らの限界に、人類としての限界に挑むのがアスリートの目標のひとつならば、
(これが目標でないと、世界記録に挑む意義がひとつなくなってしまう)
今大会で彼女が目指し、そしてやってのけた「トリプルアクセルを2回決める」ということを、
アスリートの祭典であるオリンピックは、評価しなくてはならないのではないだろうか?
彼女の、この4年間の集大成として。

それをどれほど評価するか、そのさじ加減はもちろん議論の対象だと思う。
何せ、私だってド素人の意見なのですが。。。
とはいえ、新聞で見た彼女の評価の内訳を見ると、そこのどれにも
「世界初の偉業をなしえたこと」への評価は見当たらない。

フィギュアスケートは芸術競技だから、点数偏重に至りすぎるのも良くないし、個人の印象と点数が結びつかないのは仕方ないことと思う。
しかし、アスリートとして挑み続け、達成した事に対し、評価するのはオリンピックの役割であるし
それを評価する機能を持たないシステムは、片手落ちなのではないのだろうか?

(繰り返しになるけれども、浅田真央の順位に不満なのではなくて、
彼女の偉業に対する評価が余りに少ないのではないか?ということを言いたいのです)



議論の的になっているこの新しい評価基準。
これは、ソルトレイクオリンピックで起きてしまった、ある不正行為の反省から生まれたもののようです。
そのソルトレイク五輪のエキシビション、フィナーレで、NHKアナウンサーの刈屋さんはこのように仰っています。

「スポーツというのには、ルールがある。
そのルールを決めるのは人であり、そのルールがしっかり運営されているか確認するのも人である。
つまり、人を信じなければ成り立たないのがスポーツである」
この動画の2:30くらいからご覧ください。
ヤグディンとプルシェンコのダブルジャンプも見物です)

選手の努力と実行力を評価するのがスポーツたる所以であり、
そして評価されると信じているから、選手はアスリート足りえるのではないでしょうか。
そして、人に納得されないルールは、そのルールで評価された選手に不信感を与えてしまいます。
ISUには、そこを真摯に受け止めて欲しいですね。

技術の向上にも、一定の評価を与えられないスポーツは、衰退するのではないでしょうか。
そう思った、バンクーバー五輪 フィギュアスケートでした。

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