チモシェンコ大村のロン・ポール研究+くだらない話

ロン・ポール氏のブログ翻訳を通じて、リバータリアン思想・オーストリア経済学について勉強しています。

アフガニスタンから学んだこと

2013-06-25 14:04:52 | 軍事
Texas Straight Talk 2013/06/24

What We Have Learned From Afghanistan

アフガニスタンから学んだこと(拙訳:チモシェンコ大村)

タリバンは先週、カタールの首都ドーハに、対外交渉の窓口となる事務所を開設し、米政府はこれを歓迎しています。その開所式で、彼らはタリバンの旗を掲げ、アフガニスタンを「アフガニスタン・イスラム首長国」と呼びました。この名は、彼らが政権に就いていた2001年以前のアフガニスタンの国名です。

米国は、ドーハのタリバン事務所を、アフガン和平に向けた協議の場にすぎないものとして考えていました。しかし、開所式でのタリバンは、亡命政府さながらに見えました。一方、アフガニスタンのカルザイ政権は、本国に無断で米国とタリバンが交渉を開始したことに不快感を表しています。カルザイ政権側もまもなく現地に赴きますが、このアフガン和平交渉において彼らは蚊帳の外であるように感じています。この状況は、1968年のパリに奇妙なほど似ています。当時米国は、6万人の米国人とそれを何倍も上回るベトナム人の命を奪ったベトナム戦争からの撤退の可能性を探るため、パリで北ベトナムの代表と交渉しました。

何年にもわたり我々の多くはアフガニスタンからの撤退の必要性を主張してきました。戦争と殺戮、破壊行為、国家建設をやめる必要性を主張してきました。欧米流の民主主義をこの国で確立するなどという馬鹿げた夢想に終止符を打つ必要性を説いてきました。しかし、連中はずっと、撤退は不可能だ、と反論してきたのです。今アフガニスタンから撤退すればタリバンが再びやってくる、と言ってきたのです。しかし現状はどうでしょうか。12年が経ち、何兆ドルもの金が費やされ、2200人以上の米国人が死亡し、民間人と戦闘員を合わせておそらく5万人以上のアフガニスタン人が殺されました。しかしそれでも結局、タリバンは戻ってきつつあるのです!

この長期間にわたるアフガニスタン戦争は当初からまったく不可解なものでした。タリバンが9・11テロを仕掛けたのではないのです。9・11テロのあと、軍隊の使用を承認する法案が可決されましたが、その際に、10年にわたる米軍のアフガン占領については何も言及されていませんでした。そして不幸にも、2人の米大統領がこの法律を拡大解釈し、米国はどこでも好きな時に戦争を行うことができると理解するようになったのです。そしていつものことながら、議会は大統領の暴走を抑えるために何もしませんでした。一部の議員がこの法律を無効にしようとしたのみです。

過去にアフガニスタンはソビエト連邦を屈服させました。我々はその事実から何も学んでいません。

米国は10年にわたるイラク戦争から撤退しましたが、現在のこの国の状況は、戦争を開始した2003年よりさらにひどくなっています。何兆ドルもの金を無駄にし、何万人もの命が奪われた結果、現在のイラクは荒廃した絶望的な地となり、さらに、アルカイダが台頭する危険な場所になっています。正気の人間ならば、イラクの現状を見て米国の勝利だなどとは言わないでしょう。我々はこの事実からも何も学んでいません。

そして今、米国はアフガニスタンから撤退しようとしています。何兆ドルもの金が無駄に使われ、何千人もの人命を失った以外になんの成果もありませんでした。現在のアフガニスタンは、弱体な傀儡政権によって統治される荒廃した国家です。そして米国は、我々がこの12年間戦ってきた相手と和平交渉をしようとしているのです。これを利用してタリバンは権力奪還を目指すつもりです。我々はここでも何も学んでいないのです。

こういった、介入主義者たちと彼らの間違った外交政策がもたらした悲劇的状況から教訓を得るどころか、オバマ大統領は「今度はシリアだ」と息巻いているのです!

米陸軍大佐のハリー・サマーズは、1975年にハノイを訪問した際の、北ベトナム軍大佐とのやりとりを紹介しています。会見でサマーズ大佐が「我々は戦場では負けたことがなかった」と言うと、相手はひと呼吸置いてこう答えたのです。「確かに。だとしても、それが何だというのだ」

残念ながら、これが米国の外交政策です。我々は9・11以降、少なくとも5カ国を攻撃しました。また、無人機を用いてもっと多くの国を攻撃しています。独裁者を倒し、外国軍を破壊してきました。しかし、それによって何を達成したのでしょうか。答えは明らかです。すべては無関係なのです。

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