チモシェンコ大村のロン・ポール研究+くだらない話

ロン・ポール氏のブログ翻訳を通じて、リバータリアン思想・オーストリア経済学について勉強しています。

連邦を脱退する自由

2012-11-23 15:51:24 | 国のかたち
Texas Straight Talk 2012/11/19

Secession: Are We Free To Go?

連邦を脱退する自由(拙訳:チモシェンコ大村)

州の連邦脱退が最近話題になっていますが、これは大統領選の結果に失望した人たちの負け惜しみにすぎないのでしょうか。それとも、もっと深い意味があるのでしょうか。現在のところ、米国の50州すべてから、連邦脱退の請願書が提出されています。中でも、テキサス州はその署名数において先頭に立っています。テキサスは、連邦政府からの回答を得るのに必要な署名数を優に超える署名を集めました。テキサスが実際に連邦から分離独立するようなことがすぐに起こるとは思いませんが、今回の請願は、アメリカ合衆国の本質に関する重要な問題を提起しています。

合衆国から脱退しようとする動きは背信行為でしょうか。多くの人は、連邦脱退に関する問題は南北戦争をもって解決したと考えています。しかし、自治と自由意志による連帯が、合衆国建国時の基本的原則でした。明らかにトーマス・ジェファーソンも、連邦脱退は最終手段だとはしているものの、その正当性を主張しています。1825年にウィリアム・ガイルズに宛てた手紙の中で、ジェファーソンはこのように書いています。

「連邦解体か、無制限に権力を増大させる政府への屈服かの選択を余儀なくされた場合に限り、州は連邦から脱退すべきだ」

また、アメリカ独立宣言の初めと3番目のセクションには、中央政府が専制的になった場合には政治的統合体の解体もありえることが明確に示唆されています。

我が国の政府はすでに、“無制限に権力を増大させる政府”に相当するでしょうか。南北戦争で、連邦政府は暴力と武力行使により連邦解体を防ぎましたが、これは本当に正しかったのでしょうか。

連邦脱退は合衆国における重要な原則です。この国はそもそも脱退によって生まれたのです。当時、イギリスからの分離独立は裏切り行為だと考える人も一部にはいましたが、その“裏切り者”こそが、米国で最も偉大な愛国者になったのです。

国民の要望に耳を傾ける連邦政府を望むことは、裏切りでもなければ非国民的なことでもありません。そもそもそれが独立戦争の意義でした。現在の政府は、合衆国憲法で制限された権限を大幅に逸脱し、改善する兆候も見られません。先日の大統領選は、既得権益層(ステータス・クオ)をさらに保護するだけの結果になりました。連邦脱退という可能性が完全に断たれれば、連邦政府による国民の自由侵害に歯止めがかからなくなり、政府に辟易する国民は拠り所を失ってしまいます。

コロラド州とワシントン州で採択された、マリファナ合法化に関する住民投票案を考えてみてください。両州の住民は、麻薬に関して連邦政府とは異なる政策を行う用意があるという明確な意思表示をしました。しかし、彼らは、連邦政府によるとてつもない脅しにさらされることになるでしょう。カリフォルニア州では、医療用マリファナを使用する一般人が連邦政府により逮捕され、州と地方政府によって認可されたマリファナ薬局が強制捜査を受けました。このようなことは自由国家では起きてはならないことです。

非常に不評なオバマケア(医療保険改革法)を遵守せず、医療保険取引所の設立を拒んでいる州にこれから何が起こるかはまだ分かりません。州レベルでのこのような決定を、連邦政府が尊重するつもりはないでしょう。

自由国家では、政府は、統治される側の同意を得てはじめて権力をもつことができます。国民が、ある法律に対する同意を明らかに取り消しているのであれば、そこで話は終わりのはずです。連邦政府がこの事実を受け入れるのを拒み、国民を蹂躙し続けるのであれば、この国には自由がないということを我々は認めなければなりません。国民は、ますます専制的・圧政的になる連邦政府でつながったアメリカ合衆国という政治的統合体をいつ解体させるべきでしょうか。最終手段として合衆国を去るという選択肢が国民や州にないのであれば、本当に自分のことを自由だと言えるでしょうか。

国民が圧政的な国家から脱退できないのであれば、彼らのことを自由だとみなすことはできません。
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石油価格の便乗値上げ万歳!

2012-11-14 16:30:15 | 経済
ハリケーン・サンディーの直撃を受け、小生の住むエリアも、つい3日ほど前まで深刻なガソリン不足が続いておりました。サンディーが通過したのが10月29日頃で、その直後は、近所のガソリンスタンドの前に1キロメートル近くの自動車の列ができているのを目撃しました。しかも、ポリタンクを手にした人も外で行列を作っているという有様でした。まさに石油パニックです。(どうでもいい話ですが、「ガソリンスタンド」は和製英語で、米語では「gas station」と言います)



そんな中、「人の弱みにつけこんでガソリンの値段を上げる店はけしからん」とか、「どいつもこいつも我先にガソリンを得ようとして自己チューだ」とか、「ただでさえガソリン不足なんだからSUVみたいな燃費の悪い車を乗ってる奴は遠慮しろよ」とか、一部の消費者や売り手の行動を非難する声が小生の周りでも聞こえました。

しかし、そのような非難がお門違いであることは言うまでもありません。すべては政府が悪いのです。需要供給の法則を完全に無視し、災害時でも低価格でガソリンを提供するように業者に強制している政府が、諸悪の根源なのです。

なぜ政府による価格統制が問題を悪化させるのか、おなじみロン・ポール議員が完璧な議論を展開します。

Texas Straight Talk 2012/11/12

In Praise of Price Gouging

石油価格の便乗値上げ万歳!(拙訳:チモシェンコ大村)

ハリケーン・サンディーに見舞われた米東海岸の復旧活動が続く中、ガソリンをはじめとする物資を市場価格で売ろうとする者に対して、いつもながら非難の声が上がっています。自然災害による供給停止が引き起こす価格の高騰という当たり前の現象が、「便乗値上げ」と再定義されています。自然災害が起き物資の供給が不足する中、この状況に便乗して法外な価格で商品を売ることは凶悪な犯罪だと政府は非難しています。しかし、このような主張は果たして、経済の実情を反映しているでしょうか。それとも、庶民の生々しい感情につけ込んだ、ただの政治的駆け引きなのでしょうか。

ハリケーン・サンディーの影響を受けて、ガソリンの供給が著しく低下しました。停電のため、多くのガソリンスタンドで給油ができなくなり、供給が激減したのです。それと同時に、自家発電機があちこちで使われるようになったことで、ガソリンの需要が急増しました。しかし、ガソリンスタンドは、この需要増大を受けてガソリンの価格を上げることを禁止されているため、店の前にはガソリンを求めて何マイルもの行列ができ、さらには、個人が買えるガソリンの量を制限しなければならなくなったのです。ニュージャージーのガソリンスタンドはソビエト連邦の食料品店のようになったのでした。

もし、ガソリンの需要増加に応じてその価格を上げることがガソリンスタンドに許されていたならば、ガソリンをほんとうに必要とする人だけがガソリンを購入し、他の人は残存するガソリンを節約しようとしたでしょう。しかし、その価格が災害後も人為的に低く保たれたがために、誰もガソリンを節約しようなどと思わなかったのです。低価格であるということは、ガソリンの供給が豊富であるということを意味します。現状はそのまったくの逆であるにもかかわらずです。そして、行列の前のほうにいたラッキーな人だけがガソリンを買うことができ、ガソリンは早々に売り切れてしまったのです。そんな中、1ガロン20ドルもの価格でガソリンを提供するような闇市場がにぎわっているのも、なんら驚きではありません。

価格統制が行われたことで、供給不足は悪化しました。もし価格が市場価格にまで上昇することが許されていたならば、この商機を狙って外部から新たな供給がもたらされていたでしょう。供給が増加すれば、価格は次第に低下し、需要と供給は再び均衡に達します。しかし、価格統制下では、停電が続き道路も冠水した被災地にガソリンをわざわざ輸送しようなどと考える石油会社はありません。被災地に行かなくても他の場所でも同じ価格でガソリンを売ることができるからです。したがって、外部から被災地にガソリンが流れ込むどころか、現地でわずかに残っているガソリンがあっという間に売り切れ、消費されたのでした。

価格というのはただの思いつきの数字ではないということを政府は理解できていません。価格は、市場に情報を提供する上で重要な役割を担っており、需要と供給を調整し、経済的算定を可能にします。しかし政府が価格メカニズムに介入することで、経済的疫病が引き起こされるのです。ガソリンの価格統制は1970年代に悪名高い石油パニックを引き起こしました。にもかかわらず、政治家は相変わらず、同じ過ちを繰り返しているのです。上限価格を市場価格以下に設定することは常に供給不足をもたらします。いかなる法律をもってしても、需要供給の法則を覆すことはできないのです。

歴史が示すように、経済復興のための近道は、あらゆる価格統制を廃止することです。政府が本気で被災地の復旧を手助けしたいのであれば、「便乗値上げ」に関する法律を廃止し、自由市場を機能させなければなりません。

自然災害の経済学

2012-11-12 16:28:54 | 経済
先週の火曜日にやっと電気が復旧しました。計9日間停電が続いたことになります。今はガソリン不足。車のガソリンが尽きてきたので徒歩通勤しております。今週中にはマシになるでしょう。やれやれ。

Texas Straight Talk 2012/11/05

The Economics of Disaster

自然災害の経済学(拙訳:チモシェンコ大村)

先日米東海岸を襲ったハリケーン・サンディーは、この地域が過去経験した自然災害のなかでも最悪のものとなりました。後片付けと復旧作業には何カ月も、あるいは何年もかかるでしょう。そのための費用は何百億ドルにもなると言われています。ニューヨークとニュージャージーの一部の地域は元に戻ることはありません。沿岸部の町は壊滅状態にありますが、再建に向けた住民の強い意志は、勇敢で立派なものだと称賛されています。しかし、あらゆる自然災害において言えることですが、ハリケーン・サンディーもある厄介な問題を引き起こします。それは、復旧活動にどれだけの税金を投入すべきか、そして政府の支援プログラムがどれだけのモラルハザードをもたらすか、ということに関する問題です。

例えば、ハリケーンによってもたらされた洪水被害に関しては、連邦緊急事態管理庁(FEMA)と全米洪水保険制度(NFIP)がその復旧費用を負担することになっています。当然ながら、これは、さらなる連邦負債の増加とインフレーションを意味することになります。この保険制度には現在40億ドルの現金しかなく、ハリケーン・カトリーナとリタからの復旧活動ですでに180億ドルもの負債を抱えているのです。しかしながら、多くの人は、政府がこの類の洪水保険を提供する必要があると信じています。市場には、洪水が起きやすい地域に住む人々に対する手頃な価格の住宅保険が存在しないというのがその理由です。しかし、この事実は何かを物語っていないでしょうか。

それはつまり、悪天候の影響を受けやすい沿岸部や氾濫原に立地した住宅に保険を提供するのは保険会社にとって採算が合わない、ということを意味しないでしょうか。そして、もしそれが採算の合わないことだと初めから分かっているのであれば、政府の洪水保険が出す必然的な損失を納税者が負担すべきなのでしょうか。

NFIPは、洪水が起きやすい地域での洪水保険の真のコストを偽り、該当地域での住宅建設とその販売を促進しています。リスクが過小評価されることで、リスクをともなう愚かな行動を一層助長してしまうことを、モラルハザードと言います。氾濫原に立地する住宅の価格同様、そのような住宅に対する民間での保険料が高すぎると政治家が判断すれば、彼らの解決法はいつも、政府の補助金をばらまくことによってリスクを人為的に低くすることなのです。しかし、言うまでもなく、そういった政策は、災害が直撃したときに住民の生命を必要以上の危険にさらすのです。

現在は、NFIPでさえも、沿岸部での住宅保険料を大幅に値上げしており、また、セカンドハウスを保険対象から除外しています。

それでも多くの人は、被災者を思いやるのならば、復旧活動を政府の計画者に任せるのが一番だと考えています。しかし、ほんとうの意味で思いやりのある行為というのは、善意だけでなく結果もともなうものなのです。ハリケーン・カトリーナやアイクの時にも、FEMAのような官僚組織がいかに杜撰な復旧活動をするか我々は目にしてきました。赤十字のような非営利団体や、ホームデポ(訳注:大手ホームセンター)やデュラセル(訳注:大手電池メーカー)などの民間企業はすでに勇敢に立ち上がり、被災者に救助の手を差し伸べています。FEMAが彼らの支援活動を邪魔しないことを今度こそは学んでほしいものです。

最後になりましたが、今回のハリケーン・サンディーにより被災された方には、一刻も早く通常の生活に戻れるようになることをお祈り申し上げる次第です。

住宅市場を清算せよ!

2012-11-02 14:01:20 | 経済
こんばんは。チモシェンコ大村です。

小生が住むニューヨーク州ロングアイランドも先日ハリケーン・サンディーが直撃し、えらいことになってます。あちこちで大木が倒れ、電気も止まり、おまけにガソリンも不足。もうすでに4日目ですが、正常な生活に戻れるのはいつのことやら。幸いなことに職場には電気もインターネットも温水もありますのでなんとかやっています。

こんな大変なときに、政治家や政府の役人というのはどいつもこいつも、ここぞとばかりに「ええかっこ」したがりますね。彼らが、善意ある一般市民の支援活動を妨げないことだけを小生は祈っています。

(ちなみに、昨年の9月にハリケーン・アイリーンが東海岸を襲ったとき、ロン・ポール氏は連邦緊急事態管理庁 (FEMA)についてこんなことを書いていました)

Texas Straight Talk 2012/10/29

Let the Markets Clear!

住宅市場を清算せよ!(拙訳:チモシェンコ大村)

フランスの実業家であり経済学者であるジャン=バティスト・セイは、市場が自由に機能している場合、物の需要と供給は一致するという経済学の基本原則を発見したことで評価されています。彼のことばで言うと、「生産品は生産品で支払われる」ということです。

この「セイの法則」を誰よりも発展させたのが、イギリスの古典経済学の学者であるデヴィッド・リカードです。リカードによれば、セイの法則は、モノの市場均衡が常に成り立つことを我々に教えてくれました。つまり、市場が政府の計画者やその他の詐欺師によって邪魔されないかぎり、需要と供給はいずれ一致し、モノの価格はいやおうなく「均衡価格」に近づいていく、ということです。したがって、過剰な供給や需要が生み出す余剰や不足を、市場は自ら清算してくれるのです。

この、「市場は清算する」というセイの法則から導き出される真理は、瀕死状態の米国の住宅市場を理解する上で重要です。住宅市場では、政府と中央銀行による市場介入が、どの市場にもまして悲惨な結末をもたらしました。

まず、連邦準備銀行(FRB)は、この数十年間にわたり、絶えず通貨供給量を増やしてきました。FRBによって新たに作られたお金と信用は、FRB加盟銀行から住宅用および商業用不動産市場に流れ、2007年に住宅バブルがはじけるまで家の価格を急激に上昇させました。

同時に、FRBは何十年間も集中的に金利を低く抑えました。この政策は、住宅建築業者や個人による大規模な誤投資を招き、いかがわしいサブプライムローン業界に、市場金利のもとでは全く経済学的意味を成さない持続不可能な融資を行うことを助長しました。

さらに、住宅ローン市場に議会が介入したことも事態を深刻なほどに悪化させました。地域再投資法のような馬鹿げた法律が、リスクの高い融資先に何千件もの貸付を行うことを銀行に強制したのです。同様に、ファニーメイやフレディマックも、納税者のお金を使って、本来ならば市場の融資基準をまったく満たさない融資先へ、何百万件もの住宅ローン融資を行いました。そしてもちろん、不動産業界や住宅建築業界のロビー団体は、個人債務の中では例外的に、住宅ローンの金利支払いだけを課税控除の対象のままにするよう圧力をかけました。

議会やFRBの思いやりある人々によるこのような市場介入が最終的にもたらしたのは、米国史上最大の住宅バブルとその崩壊でした。これにより、何百万人もの米国民が、自分の家を失うことはなくても、住宅ローンで火だるまになったのです。何百万人もの市民の生活を破綻させた直接の原因は議会とFRBであり、彼らは、不動産担保証券という形で何兆ドルものいまだかつてない経済的損失を米国に与えた張本人でもあります。

この悲惨な状況を打開する唯一の方法は、米国の住宅市場を清算することです。差し押さえであろうが破産であろうが手段を選ばず、不良債権をすべて清算しなければなりません。大量の住宅ローンや不動産担保証券を抱える銀行には、自らの行いの報いを受けさせ、バランスシートが現実を反映するように再調整させなければなりません。これによって、間違いなく多くの銀行がすぐにでも破綻に追い込まれるでしょう。しかし、そのような銀行はそのまま破綻させるべきであり、これ以上納税者のお金を当てにさせてはなりません。住宅バブルの間、銀行は自らリスクをとって金儲けをしたのです。間違った判断をした者には、自らの行いがもたらした結末を受け入れさせるべきなのです。

米国史上いまだかつてないほど、我が国は自由放任主義的な政策を必要としています。一方で、政府は、産業界を人為的に支えようと、いまだかつてないほど意欲をみせています。しかし、住宅市場を清算させることだけが、打ちのめされた我が国の経済を確固たる地盤の上に再建することを可能にするのです。もちろん短期的には痛みを伴いますが、我々は、若者や将来世代に対して、健全な住宅市場を再構築する義務があるのです。