どうでもいい話ですが、スーパーコンピューターのことを“スパコン“と略するのはいかがなもんでしょうか。
小生の分からない分野ですが、スーパーコンピューターっていうぐらいですからきっとすごーいコンピューターなのでしょう。でも“スパコン“と略されると、語感からして安っぽく、子供のおもちゃ程度にしかどうしても聞こえないのです。そりゃ、サイエンスを解さない政治家の皆さんに目の敵にされるでしょう。
ついでに、大きなおっぱいさんのことを“デカパイ“というのもいかがなもんでしょうか。おっぱいさんはそんな安っぽいものではないはずです。のみならず、“デカパイ“という表現はおっぱいさんに対する冒涜としかいいようがありません。
日常的な言葉に目を移しますと、T大時代によく耳にしましたが、メーリングリストのことを“メーリス“と略する人が結構いますね。これも不快です。それから、T大では『同じクラスの人』のことを何故か“オナクラ”というらしいです。たまに頭の悪そうなT大生(まあT大生はたいてい頭悪いですが)が使っているのを耳にします。なぜ、略する必要があるのでしょうか?これにいたっては、言葉の問題というか、何か卑猥な倶楽部のように聞こえるのでやめたほうがいいと思うのですが、残念ながらかなり定着しているようです。
こういった略語に不快感を感じるのは小生だけではないと思いますが、その原因は略語が禁忌語・差別語の形成過程を潜在的に連想させるからなのだと考えています。人間は、直視したくない現実があるとそれを指し示す記号として婉曲的な言葉(省略語を含む)を使う傾向にあります。たとえば、bear(熊)はbrown(茶色)と語源を同じくし、本来は「あの茶色野郎」みたいな意味だったらしいです(鈴木孝夫「ことばと文化」)。つまり、ゲルマン民族にとって熊は直接的な言葉にするのも恐ろしい現実だったわけです。一方で、この婉曲的用法を積極的に行うと、今度は差別語が出来上がります。たとえば、日本人をジャップと言ったり、パキスタン人をパキと言ったら、これは言うまでもなくそこに差別意識があります。
そんなわけで、略語を必要もなく使う人に出会うと、まるで差別語を安易に使う人を前にするときのように、『軽薄そうな人だな~』『教養なさそうだな~』『本読まなさそうだな~』という印象を持ってしまってついつい軽蔑してしまうのです。ま、小生の偏見と言えばそれまでですが。どうでもいい話のつもりが、小難しい話になってしまいました・・・。
小生の分からない分野ですが、スーパーコンピューターっていうぐらいですからきっとすごーいコンピューターなのでしょう。でも“スパコン“と略されると、語感からして安っぽく、子供のおもちゃ程度にしかどうしても聞こえないのです。そりゃ、サイエンスを解さない政治家の皆さんに目の敵にされるでしょう。
ついでに、大きなおっぱいさんのことを“デカパイ“というのもいかがなもんでしょうか。おっぱいさんはそんな安っぽいものではないはずです。のみならず、“デカパイ“という表現はおっぱいさんに対する冒涜としかいいようがありません。
日常的な言葉に目を移しますと、T大時代によく耳にしましたが、メーリングリストのことを“メーリス“と略する人が結構いますね。これも不快です。それから、T大では『同じクラスの人』のことを何故か“オナクラ”というらしいです。たまに頭の悪そうなT大生(まあT大生はたいてい頭悪いですが)が使っているのを耳にします。なぜ、略する必要があるのでしょうか?これにいたっては、言葉の問題というか、何か卑猥な倶楽部のように聞こえるのでやめたほうがいいと思うのですが、残念ながらかなり定着しているようです。
こういった略語に不快感を感じるのは小生だけではないと思いますが、その原因は略語が禁忌語・差別語の形成過程を潜在的に連想させるからなのだと考えています。人間は、直視したくない現実があるとそれを指し示す記号として婉曲的な言葉(省略語を含む)を使う傾向にあります。たとえば、bear(熊)はbrown(茶色)と語源を同じくし、本来は「あの茶色野郎」みたいな意味だったらしいです(鈴木孝夫「ことばと文化」)。つまり、ゲルマン民族にとって熊は直接的な言葉にするのも恐ろしい現実だったわけです。一方で、この婉曲的用法を積極的に行うと、今度は差別語が出来上がります。たとえば、日本人をジャップと言ったり、パキスタン人をパキと言ったら、これは言うまでもなくそこに差別意識があります。
そんなわけで、略語を必要もなく使う人に出会うと、まるで差別語を安易に使う人を前にするときのように、『軽薄そうな人だな~』『教養なさそうだな~』『本読まなさそうだな~』という印象を持ってしまってついつい軽蔑してしまうのです。ま、小生の偏見と言えばそれまでですが。どうでもいい話のつもりが、小難しい話になってしまいました・・・。