放浪礼讃

 
 相変わらず放浪生活に憧れ続けている相棒。せっかく定職を放り出し、金はあるわ、時間もできたわで、世界中を見聞しようと張り切っていたところが、私のほうがまだそうではないものだから、放浪生活に突入できないでいる。
 で、相棒はブーブー言いながら、たまに小旅行して弾けるほかは、本を読んだり映画を観たりすることで日々、脳内トリップして我慢している。
 可哀相な相棒。この一年、相棒の読んだ文学の量は膨大なもので、このままじゃ私、追い抜かされること必定。

 ここ2、3年のあいだに、相棒は定住生活というものに否定的になった。定住するとまず、所有欲が生じ、モノに執着するようになる。それと相俟って、秩序に取り込まれること、周囲に妥協することを、良しとするようになる。広く世界に接して感得しようという姿勢が弱くなる。自然に対する驚嘆や畏怖や敬意が衰える。云々……
 相棒の場合、何についても捉え方が極端なのだが、それはそれで筋が通っている。世界にはろくでもない放浪者もいるには違いないが、定住が人間生活として優れている、とは、私ももう思わなくなった。

 が、私自身の放浪志向は結構テキトーで、定住が、ここに留まればいつか何かがやって来てくれるだろう、というパッシブなものなら、放浪は、どこかに進めばいつか何かにたどり着くだろう、というアクティブなもの、という程度の感覚。

 漠然とではあっても、将来自分は一つ所には定住はすまい、と決めると、不思議と身も心も軽くなる。自分には帰るべき故郷があるという、国や地に対する思い入れがもともとなかったことを、嬉しく感じる。
 ヘッセ「知と愛」の主人公ゴルトムントのような仕方で世界に触れ、世界を愛し、世界を我がものとして、移ろいゆくもののなかから永遠を救い出す、そうした暮らし方も、何も特別なものではないように思えてくる。

 画像は、ドーミエ「さまよえるサルタンバンクたち」。
  オノレ・ドーミエ(Honore Daumier, 1808-1879, French)
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