ギリシャ神話あれこれ:雷電に撃たれたセメレ

 
 私は昔からモローの絵が好きで、モローの絵を観るたびに、その主題の物語るストーリーのイメージが、子供の頃読んだ本の挿絵の類とは全然違うのに唸ったものだった(今でも唸る)。モローのイマジネーションは独特で異端的。神話というのがそもそも異端的なのだが、モローの場合、聖書を主題に描いてもやっぱり異端的。
 私は学生のとき聖書を一通り読んだのだが、その動機は、教養を別とすれば、モローの絵のストーリーを知りたかったからだった。

 セメレは、テバイの王カドモスの美しい娘。カドモス王の末裔は概ね不幸な末路をたどるので、この点、セメレの未来も暗雲が漂っている……
 さて、このセメレのもとに、例によってゼウス神が通うようになる。やがてセメレは、ゼウスの子を身籠もる。
 
 で例によって、嫉妬に煮えたぎったヘラ神が、この恨みを直接にセメレに対して晴らそうと、白髪に皺だらけの老婆に姿をやつして、セメレのもとへとやって来る。これ、実はセメレの乳母の姿。
 乳母の姿を借りたヘラは、ゼウスの寵愛を受けたセメレの光栄を喜ぶフリをしつつ、言葉巧みに、彼女を訪れるゼウスが本物かどうか確かめるようそそのかす。

 心配になったセメレは、次にゼウスが訪れた際、自分の願いを叶えてくれとせがむ。迂闊なゼウスは、ステュクスの流れにかけて、叶えてやろうと誓ってしまう(ギリシャの神さまたちは、この川に誓いを立てると、絶対に背くことができない)。
 で、安心したセメレは、あなたの本当の姿を見せてくれ、とゼウスに頼む。

 はたと困惑したゼウス。が、誓いを取り消すことはできない。やむなく雷光の鉾を手に、雲と疾風と稲妻を伴い、光輝と雷鳴に包まれて、セメレの前に姿を現わす。
 人間であるセメレの肉体は、この灼熱に耐えられもせず、雷電に打たれて呆気なく焼け死んでしまった。

 ゼウスは死んだセメレの腹から胎児を取り出し、自分の太腿に縫い込んだ。で、月満ちて産まれた赤ん坊が、酒神ディオニュソス。
 ゼウスは赤ん坊を、セメレの妹イノ(同じくカドモス王の娘)に預けるが、ここでもヘラの嫉妬が及んで、イノは狂気して死んでしまう(別伝もある)。
 で、ゼウスは赤ん坊の姿を仔鹿に変えて、ヘルメスを遣わしてニンフたちに預ける。

 やがて成長したディオニュソスは、人間界を、迫害されながら遍歴することになる。

 画像は、モロー「ユピテルとセメレ」。
  ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826-1898, French)

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