スロバキア、タトラ山脈の麓より

スロバキア人の夫と2人の娘たちと私の生活

春のコシツェ(Kosice)へ

2017-04-22 | お出かけ
今週スロバキアはとても寒く、私たちの住むポプラド辺りは朝の気温はマイナス、更に3日ほど吹雪いていました。ちょうど北海道の方でも雪だったそうですね。一度少し暖かくなってからぶり返した寒さだったので気の早い人は車のタイヤを夏タイヤに変えていたりして、高速道路では40台の玉突き事故がありました。

さて、数週間前の春めいたころ、土曜の朝急に思い立って家族でコシツェへでかけてきました。
コシツェはスロバキア第2の都市、ハンガリーの国境からは20キロ、ウクライナの国境からは80キロほどのところにある町です。我が家からは車で1時間20分ほど、いつもなら車ででかけるところですが、この日は子供たちも喜ぶだろうしとあえて電車で出かけてみました。

文字は少なめ、写真多めでお届けしたいと思います。

お出かけの一番の目的はマルツェルの母校を見ることでした。マルツェルは青春の5年間をここで過ごしています。コシツェに行くのはマルツェルは大学を卒業して以来のこと、私は18年ぶり(駅だけは乗り換えで8年前に行きましたが)、町は変わりませんが駅と周辺が随分新しく、きれいになっていてとても驚きました。


大学寮前の卒業生たちの落書き


キャンパス内のなかなか趣のある建物


大学生活後半はほぼここで過ごしたそう。窓、窓、窓、圧巻ですね。


中にはこんなエレベーターがありました。この日、学校は休みなので動いていませんでしたが、扉はなく、箱がエスカレーターのようにずっと動いているエレベーター。箱が来たら乗り、希望の階に着いたら降りるのだそうです。

大学を見た後は町へ。
たいした距離ではないのですが、子供たちが喜ぶからと路面電車で移動です。


降り立ったところには木造教会がありました。


町の大通り

まずは適当なレストランに入り腹ごしらえです。


レストランで何を注文するか迷ったらカツがお勧めです。
大概のレストランのメニューに入っていて、どこでも揚げたて、ハズレることもなし。付け合わせはレストランにも寄りますがマッシュポテト、フライドポテト、ポテトサラダなどが選べます。
メニューにはヴィーナーシュニッツェル(ウィーン風カツレツ)なんてドイツ語で書いてあるところもありますが、Rezen(レゼニュ)とあればそれです。Kuraciとあればチキンカツ、Bravcovyとあればトンカツです。

昼食後はまた散策


今回の散策の第2の目的はここでお土産にチョコレートを買うことだったのですが、残念ながら閉まっていました。
赤いスカーフをした女の子が目印のディェヴァ。


趣ある通りを発見
もう売り払ってしまいましたが、マルツェルのおばあちゃんの家の天井もそういえばこんな形をしていました。


国立劇場

マルツェルの卒業式はこのオペラ座であったそうです。
前に噴水があるのですが、卒業式後、卒業証書をここで落としてしまったマルツェルの思い出の場所だとか。
私はここへは大学時代の大親友とスロバキアに来るきっかけとなったルツィアと来たのですが、その頃はまだやんちゃ坊主だったルツィアの弟がこの噴水で遊びずぶ濡れになり困っていたという私にとっても思いで深い場所です。


その後ろにあるのが大聖堂、聖アルジュベティ教会
スロバキア最大の大聖堂だそうです。


そして今回のコシツェ散策の3番めの目的、老舗のケーキ屋さんアイダに到着です。
同じ通りに新旧2軒あるのですが、もちろん古い方へ。

ケーキを4種類ほど注文しました。値段はどれもほぼ一律の1ユーロ、スロバキアとは言えあまりの安さにちょっと疑惑はあったのですがやっぱり、イマイチでした・・・。それぞれ違う種類のケーキを頼んだはずなのにどれも似たような味、何かミックスでも使ってるのでしょうか。

ケーキを食べたら駅へ戻り帰りの電車に。

私たちの向かいの電車はチェコ・スロバキア人に愛されるピーナツクリームが挟まったウェハース、ホラルキー号でした。


久々にイチゴちゃん登場。この日も私たちにお伴しました。
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海外で鬱になったら

2017-03-24 | 海外生活の強い味方
今週から職場にスペインからのインターン生が来ています。月曜の朝、出社したら私の席の隣に知らない男性がいるものだから驚きました。誰も紹介してくれないので自分たちで自己紹介をしてインターン生だと発覚、その後上司から改めて紹介(で、彼の担当はChihirkoだから任せたよ!と…)と彼に任せる業務を知らされましたが、みんな忙しいとは言え誰も言ってくれていないんですもんね。昨日は朝行くと同僚がいつもよりおめかししています。テーブルの上にはケーキとジュース、聞けばハンガリーからお客さんが来るとのこと。どうりで同僚たちが先週オフィスの掃除や片づけをしていたわけです。これまた私は何も知らず。。。まぁ、私が当日知ったところでどうってことはないので全く問題ないのですが、サプライズの続く1週間でした。

インターン生はまだスロバキアに来てようやく2週間経ったところとのこと。とても社交的な青年でもう友達もできたようです。それでもまだ一週間しか滞在していないのに、一人の時間が多くてもう一カ月くらいいる気分と先日ポソッとこぼしていました。私もなんだか自分がスロバキアに来たばかりの頃を思い出し、「何か困っていることはない?」「チーズが好きならこれがお勧めだよ」、「この辺りの観光名所は・・・」、「今度家に来る?」等々、おせっかいなおばちゃんと自覚しながらもあれこれ、話しかけてしまいます。

日本であれ海外であれ、学校や仕事、育児、日々の生活で何らかのストレスを感じることってありますよね。みなさんそれなりにストレスの発散方法を生みだされていると思います。私の場合は友達や家族に愚痴ることと、ランニングでした。でも環境が変わるとその自分の生み出したストレス発散方法が使えないこともありますよね。そういうときは辛いものです。

私にはスロバキアに来て以来辛い時期が2度ありました。まずは来た当初の3カ月です。たった一人の友人を頼りに単身渡ったスロバキア、彼女の会社で働くことで私のスロバキア生活はスタートしたわけですが、日本にいるときは実家を出たと言っても妹と二人暮らしで全くの一人暮らしもここに来て初めて、語学を教えるという経験も初めて、そしてこういうときに冬だったこともあり私のストレス発散のランニングもできず、そしてたった一人の友人以外に友達も知人もいなかったので愚痴る相手もいなく、ちょっとばかり辛く寂しい時期でした。でもこのとき常に自分に言い聞かせていたのは3カ月の辛抱

これまでの経験で3カ月頑張れば新しい環境、仕事に慣れ、そして気づけば友達もできている、そんなものでした。だから3カ月頑張れ。不思議とその通り、春には仕事にもそこそこ慣れ、ランニングも再開、愉快な友達に囲まれスロバキア生活を謳歌していました。

それより辛かったのはスロバキア生活が1年以上過ぎてからのことでした。スロバキア生活にも慣れたはずでしたが、マルツェルに出会い結婚、妊娠し、仕事を辞めることにより、また新しい環境になってしまいました。スロバキアでの私の最初の友達は皆ヒッピーだったので、それはそれは自由なものです。たとえば金曜日の仕事帰りに待ち合わせして遊びに行くと、そこから週末温泉へキャンプに行こう!なんて誰かが言い始めます。着替えと寝袋を誰かが貸してくれ、ヒッチハイクで温泉へ向かいます。温泉と言ったって自然に湧き出た天然温泉で、そのそばに勝手にテントを張り、近くの森から枯れ木を切り出しキャンプファイヤーをします。そんな友人たちでしたから独身時代は良いけれど、結婚してからはマルツェルに遠慮してその友人たちとも疎遠になりました。その後妊娠。初めての妊娠生活でただでさえ不安な気持ちになることも多いのに、妊娠・出産本に書いてあるできないこと色々と、医者や周りの人から受けるスロバキア流のアドバイス、妊娠してできなくなってしまったことが倍もある気分になりました。そんなときにまた愚痴る友達もいなければ、ランニングもできません。このときは本当に辛かったなと思います。冷たい風が吹き荒れ、何もかもが凍てついている外へ気分転換に一人で散歩に行きたいと言い出すあの頃の私を振り返って、あのときは本当にどうなるかと怖かったと何年か経ってマルツェルに言われたことがありました。ちょっとしたことで涙がポロリ、親切な言動も逆効果、気分は余計に滅入る、どうにかしたいけれどどうして良いか全くわからない、そんな日々が続いていました。そんな時、パッと日本にちょっと帰ってしまえば良かったのかもしれませんが、そんなことは思いつきもしませんでした。それで何をしていたかって、ひたすらパソコンに向かい、ちょうどスロバキアで初めて妊娠、出産した方のブログを見つけ、その方のブログや、その他の国で頑張っている人たちのブログを毎日毎日読んでいました。

今では読むことも好きですが、こうして書くこと、発信することも私の精神安定剤のようなものだと気づきました。数週間書く時間が取れないでいるとだんだんイライラしてくるんです。誰かに読んでもらえるのはもちろん嬉しいのですが、誰かのためというよりは今はもうほとんど自分のために書いています。

それで何が言いたいのかというと、もしかしたら私のブログにその頃の私のような気持ちでたどり着く人もいらっしゃるのではないかとふと思ったのです。本当に海外で鬱になってしまったら、日本に気分転換で帰ってしまうか、専門のカウンセラー等に相談するのがもちろん良いと思います。でも私のように誰かのブログを読んで気持ちが落ち着くのなら、読んでくださいね。そして誰かに愚痴をこぼしたくなったら、的確なアドバイスができるかはわかりません、でも話を聞くことはできるので私に愚痴をこぼしてくださいね。PC画面でブログを見ていただくと右側にメッセージを送るボタンがあります。メールアドレスをご記入いただければ、なるべく日をあけずにお返事しますので。

辛い時期があっても必ず道は開けるので、その時の自分にできる、そして自分にあったストレス対処方法を見つけてお互い頑張りましょうね!



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小学校就学前の知能検査と多言語育児

2017-03-23 | 育児
今日はネルカは小学校見学に行ってきます。幼稚園からみんなで小学1年生の授業を1時間見学しに行くのだそうです。そして来月には小学校入学の申し込みと知能検査があります。ネルカの通う予定の小学校は義母の勤務する地元の公立校、今通っている幼稚園はその付属幼稚園です。

一昨日幼稚園にその知能検査の内容が掲示されていて、自宅で練習するようにと書かれていたそうでマルツェルが携帯で写真に撮ってきて早速家で練習を開始しました。が、そのレベルが以外と高くて驚きました。幼稚園入園前は日本語の方が強かったネルカも、幼稚園に入園したらすぐに逆転し、今はほとんど日本語では話してくれないほど、スロバキア語力に問題がないのがせめてもの救いだなと思うほど、練習問題は全部で38個、私も理解できない質問がありました。

当日は保護者が付き添い、子供数人ずつを面接形式で検査するのだそうです。マルツェルが携帯を見ながらネルカに質問します。

まず始めは「お名前は?」― フルネームで答えます。スロバキアの場合、通常愛称を使うことが多く、子供が名前で呼ばれるのは怒られるときぐらい、案の定ネルカ(これが愛称です)も「ネルカ○○」と愛称で答えています。もちろん、それではダメです。次は年齢、家の住所、そして両親の職業、兄弟の有無など答えます。

その他聞かれる内容はざっとこんな感じでした。

・スロバキアの首都は?
・乗り物の名前を言いなさい
・花の名前、野に咲く花と庭に咲く花を答えなさい
・木の名前
・動物、家畜と野生動物の名前を言いなさい
・動物の家族(例:雄牛、牝牛、子牛等)
・数を数える
・図形(正方形、長方形、三角形、円、立方体、球、円柱、円すい等)
・挨拶
・一週間は何日?
・物語のあらすじを聞き、その物語のタイトルを答える
・物語の悪い登場人物と良い登場人物をあげる
・お父さんかお母さんの絵を描く
・歌、もしくは暗記している詩の朗読
・左右の認知(右手で左の耳を持ちなさい等)
・義母からはネルカの場合は日本語の歌も聞かれるかもしれないから何か考えておきなさいと。

等々です。

一日目は義母の家のキッチンで練習していたのですが、義母はもう黙ってみていられず、マルツェルが質問するとネルカが答える前に先に義母が答えてしまいます。マルツェルは質問の意味をきちんと理解しているか、時間がかかってもネルカからまず答えを聞きたい、でも義母はこういう風に答えれば良いのよ、と解答例をいくつかあげてあげたい。どちらの気持ちもわかるのですが、半ばケンカになっているそのやりとりが傍目の私には面白かったです。

まぁ、日本でも、そしてスロバキアでもきちんと回答できれば良いにこしたことはないのでしょうが、たとえ全部答えられなくても、検査の目的はきちんと受け答えができるかをみることにあるのではないのかと思うので私としてはそれほど心配していません。「はい、いいえ、と大きな声ではっきり言って、質問の意味がわからなかったらわかりませんともう一度聞けば良いんだよ」とそれだけ言っておきました。

ちょうど良い機会なので6歳になったネルカの言語について備忘録兼ねて記録に残しておきたいと思います。

我が家は私は子供たちには日本語のみで、マルツェルはスロバキア語のみで接しています。そして私とマルツェルの会話は英語です。

ネルカは幼稚園に入るまでは私と過ごす時間が圧倒的に長く、一番強い言語は日本語でした。1言語だけで育っている子よりも話し始めが遅かった上、話すときにまず出てくる言葉は日本語だったので入園当初少し心配して幼稚園の先生に問題がないか相談もしましたが、スロバキア語の聞く力も話す力も同年代の他の子供と比べて全く劣ることないレベル、もしくは言葉の遅い子と比べるとだいぶしっかり話す方だということでした。
英語は全く教えても話しかけてもいませんが、私とマルツェルの会話から自然に覚え、この頃はネルカは自分の身の回りに関係する英単語、お風呂に入る、寝る等を理解していました。

6歳になったネルカ、スロバキアで生活し、幼稚園、祖父母、お友達の中でスロバキア語にどっぷりつかり、私が日本語でいくら話しかけても悲しいことに返ってくる言葉はほとんどスロバキア語ばかりになってしまいました。でももちろん私の言うことは全て理解しています。
面白いのは全く教えていない英語を結構理解することです。私とマルツェルの会話を聞くのと、以前英語で見ていた好きなアニメ番組で覚えたようです。英語で会話することはできませんが、私とマルツェルの会話はほとんど全て理解でき(もう内緒話はできません)、英語からスロバキア語への変換も問題ありません。ただし、英語は全くの受け身なので逆のスロバキア語から英語に訳すのはあまりできません。
それにしても私たちの会話を聞いているだけで英語もこれだけできるとは子供の吸収力ってすごいなと感心するばかりです。

さて、幼稚園生活、クラス替え後の後半2年間はクラスメートにも担任の先生にも恵まれず、今でも事あるごとに泣きながら通う日々ですが、小学校生活は楽しい、実り多きものになりますように。
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春休みでしたが

2017-03-11 | スロバキア2017
スロバキアでは西部、中部、東部で週をずらして春休みがあります。せっかく子供の春休みを利用して里帰りしても従姉妹たちが学校では遊べないし(とは父方と母方とどちらの祖父母も遠方にいた私の考え)、全国一斉にすれば良いのにと思うけれど、帰省、移動ラッシュを緩和するためだとか。今週は私たちの住む東部が春休みでした。そうは言っても休みは幼稚園と学校(つまり子供たち)のみで私とマルツェルは通常通り仕事でした。

同じ職場の女性はみんな子供がいます。小さい子供はおじいちゃん、おばあちゃんに預け、10歳くらいにもなれば家で留守番させているようです。ただ日本と違うのはみんな勤務地が家から近く、私は家から徒歩15分ほどですがその私が遠い部類に入るくらい、ほかの女性たちはオフィスから徒歩5分以内くらいのところに住んでいるようです。春休み、朝寝坊する子供たちを家に残してきた同僚の携帯が10時頃鳴り、「おはよう。今起きたの?冷蔵庫に朝ごはんが入ってるからね。もうちょっとしたらお昼休みで家に帰るから待っててね。」と話しています。その女性はお昼休みは家に帰って子供たちと一緒にご飯を食べ、またオフィスに戻ってきます。

我が家の場合こういうとき助かることに義母が学校に勤務しているので子供たちと休みが同じです。今週は毎日義父母に子供たちを見てもらいました。これからは夏休みも子供たちは毎日義父母に見てもらう、きっとこんな感じになるのだろうなと思います。スロバキアではほとんどの家庭が共働き、幼稚園は夏休み中でもどこか開いているところがあってそこに預けることができるそうですが、小学校に上がるとそうもいきません。おじいちゃんおばあちゃんが近くにいない人や、まだ定年退職していなくて頼れない家庭は大変だろうなと思います。それはきっと日本でも、世界中どこでも働くママたちみんな同じなのでしょうけれど。

せっかく春休みでしたが、私たちは仕事、さらに子供たちは春休みの2週間ほど前から交互に体調を崩しずっと休ませていたところそのまま引き続き春休みに入り、どこにもでかけることなく、いつもとなんら変わらない1週間でした。強いて言えば子供たちは義父だけでな義母とも遊んでもらえ、私は毎日義母がお昼ご飯を作ってくれたのでいつもよりちょっとラクな一週間でした。


現在土曜日の朝、ブログを書いているとネルカが天使を持って起きてきました。



何でも怖がりのネルカ、マルツェルの案で昨年のクリスマスにこの天使をあげました(もちろんくれたのは私たちではなくイェジシコ、キリストということになっています)。
ネルカ曰く、私たちにはみんなそれぞれに天使がついていて、その天使がいつもその人のことを見守ってくれているのだそうです。ネルカはこのアニエリック(スロバキア語で小さな天使)をとても大切にしていて、今日は同じ服(ちょうど似たような服を持っているので!)を着て同じ髪型にするのだそうです。
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LEGO展

2017-02-26 | スロバキア2017
先日、「こんなところに日本人」でお世話になったディレクターさんからメッセージが届きました。「(訪ねてくださった)モト冬樹さんと明日一緒に仕事をするので最近撮った家族の写真があれば送ってください」と。家族写真をメールで送ると翌日ディレクターさんとモトさんとのツーショット写真を送ってくださいました。取材に協力してからもう3年半ほど経ちますが、日本に帰るたびにお会いし、時々こうして連絡をとり、取材が終わったらそれで終わりではなく、まだこうして覚えていてくださることがとても嬉しいです。取材後、放送されたものを見て、こんな平凡な私たちの生活を、ありのままに、でも笑いあり、涙ありの素敵な映像にうまくまとめてくださりすごいなぁと思ったのですが、良い仕事をする方って仕事だけでなく他に色々されているんですよね、たとえばこうやって一期一会を本当に大切にされているとか。こういう方にお会いできて幸運だったなと改めて感じました。

さて、数週間前のことになりますが、LEGO展に行ってきました。理由はネルカが幼稚園で行ったのですが、展示作品を見た後に、LEGOで遊ぶコーナーがあったそうなのですが、子供たちは多いは、時間もほんの少しだけで満足行くまで遊べなかったそうでもう一度ゆっくり行きたいと。

LEGO展は私たちの住む町、ポプラドのギャラリーでありました。駅の隣にあるこのギャラリーはもとは発電所でした。なかなか趣のある建物ですよね。中に入ったのは私は初めてで、中は期待をちょっと裏切る発電所の面影は何もない普通に綺麗な空間でした。

Tatranska Garelia

写真:SITA/Rastislav Ovšonka

入場料は大人も子供も一律1ユーロ。

始めのコーナーにはLEGOのロゴの入った木製おもちゃが少し展示されていました。LEGOの歴史をご存知ですか?始めはこの会社、大工さんだったんですよね。以前ママ友に「LEGOの創設者の精神が素晴らしくて好き」と聞いたことがあったのですが、そんな歴史を調べる時間も機会もなく、今回ようやくちょっと検索し、3つほど読みました。本当にざっくり語ると始めは家と家具を作っていたそうですが、その後、木製のおもちゃ、そしてプラスチック製のブロックへと移って現在に至ります。その変化の背景にあるのは2度の火事(で木工所と倉庫を失う)と世界恐慌、それにも屈しない精神。それから50年前のLEGOと現在のLEGOが今もぴったり結合できる、これだけでも驚きですが、幼児向けのデュプロとレゴも結合できるのだそうです。我が家もデュプロとレゴ(フレンズ)両方あるのですが、まさかこの大きさの違う2種類のブロックを結合できるとは思いもしませんでした。明日早速してみたいと思います。とてもシンプルなのに奥が深いのですね。ママ友がその精神に感銘を受けていたのも納得です。

LEGO展はスロバキアLEGOファンの方たちの私物の展示で、多くはマルツェルの世代かそれより少し古いくらいのシリーズで作られた町や乗り物で、子供たちよりもマルツェルの方が夢中で見学していました。何せ高校生になって彼女とデートするお年頃になっても、デートから帰ってきてレゴで遊んでいたほどのレゴ好きだそうですから。余談になりますが、マルツェルの幼少時代はまだ共産主義、その後も貧しい時期が続いていましたから、レゴは今ではとても考えられないほど高価なものだったのだそうです。マルツェルの友人のご両親はクリスマスプレゼントにレゴをローンで購入したとか。



早く遊びたいと機嫌の悪くなり始めるネルカをなだめ、ようやくお目当てのレゴで遊べるコーナーへ到着すると、まぁとても小さな小さなコーナーでした。ブロックの数も家にある方が多いんじゃないと思うくらいの少なさ、ここで園児たちはどうやって遊んだのだろうかと思うほどでしたが、場所とブロックの種類が少し違うだけでも楽しいんでしょうね、家にもレゴあるんだからと言ったってなかなか帰ろうとせず、二人とも夢中になって遊んでいました。

4月1日までLEGO展はあるそうなのでもう一回くらい行ってもいいかもしれません。たった1ユーロですし。
ギャラリーのサイトはこちらから→Tatranska garelia Poprad
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