うちのぼんぼんと田舎生活

ワン達と 2007年9月に生まれたちび(人)との田舎生活を書いてます。

チェス 小さな木箱に

2014-03-12 13:38:50 | 
チェスが夜中に亡くなって、旦那さんは朝、仕事を休んで以前マックスを灰にしてくれた業者さんへ連絡を入れました。
マックスが亡くなった時は私は日本にいて、やっと再会した時は小さな木箱になっていました。
マックスは車にひかれて内臓破裂して2時間後に亡くなりました。
事故にあった時、病院はすでに閉まっていて誰もいなかったのですが、ドクターが家からすぐかけつけてくれたけれど 手の施しようがなかったそうです。
その時、信頼できる業者さんを紹介してもらってマックスを預けました。ただその時は混んでいたため 10日後に灰になった木箱のマックスを受け取ったのでした。

その業者さんに連絡をすると直接焼き場へ行っても良いとのこと。
マックスの時は病院に託したので場所がわからなかったのですが、今の家から病院へ行くのは3時間かかるけど、そこへは1時間短縮できる距離にあった。
チェスをつれて午前中に行くことを告げたのでした。

ケイレブは、チェスの様子がおかしくなってからずっと遠目で見ていて近寄ろうとしなかった。
夜明け前の1時間くらい、私がチェスの側の寝袋で少し横になっていたら、ケブが私の隣に来て、私越しにチェスを見ていた。
今までとは違う、凄い苦しみかたをしたチェスを見たから 怖さがあって近寄れないのかもしれない。

ちびを起こしてチェスが亡くなったことを告げた。ちびはチェスの前で涙ぐんで手を合わせる。
どれだけチェスがちびの面倒をみてくれていたか話をした。ちびは冷たくなったチェスをもう一度ハグして「サンキュー、ちぇす兄ちゃん」と言った。
これからチェスもマックスと同じ灰になって木箱に入るんだよ と伝えた。


チェスは思ったより死後硬直が早くて、旦那さんは早めにチェスを車に乗せないと きちんと乗るかわからないと言う。
今までは車半分後ろがすべてワン達の場所で、チェスは必ず伏せて、ケブはコーナーの隅っこで座っていることが多かったのですが、
チェスを完全に横に寝かせるとケブの場所がかなり狭くなる。
亡くなったチェスをまだ少し怖がっているようなケブだったので 前の席に乗せて、ブランケットにくるんだチェスだけを後ろに乗せることにした。
旦那さんがチェスを持ち上げる時、軽くなっていたけれど(といっても私には持ち上げることができない)硬直しているのでやはり車に乗せるのに苦労していた。
時間をかけてきれいにしたチェスだったけれど、車に乗せた時またお尻から真っ黒い液状の汚物が流れ出ていた。
何も食べていなかったのにねと思ったけれども、かなりの血液も混ざっているからなのかなとも思った。
洗っても洗っても流れ出てくる。きれいにして送り出してあげたいので、できる限り洗ってあげた。
出かける時、チェスの前のシートに私とケブで座った。 時々もぞもぞと動くケブ。時折私の膝に頭を乗せる。
なれないシートでもあるけれど、後ろのチェスを気にしている感じもあった。

業者に着くと、チェスとケブを車に残してオフィスへ。
灰のケースはいろいろで素材も形も数種類あり、その他に前足型をとる素焼きのオーナーメントなどもあった。
私達はマックスと同じ灰の木箱と前足型の素焼きオーナメントを頼むことにした。
ただ、オーナメントの大きさが決まっていたので チェスの大きい手でもちゃんと入るかお姉さんに聞いたら「大丈夫よ!」とのこと。

車に戻ると、大きなカートを押してお兄さんがやって来た。
お兄さんがチェスに触ろうとした瞬間、黙っていたケブがお兄さんに 今までに無いものすごい吠え方をした。
「ちぇす兄ちゃんに触るな!」 と言ったような気がした。
大丈夫だからとケブをなだめると、黙ってずっと見ていた。
旦那さんとお兄さんは二人がかりでチェスをカートに乗せた。
ちびに「もうチェス兄ちゃんに触れるのはこれで最後だよ。」と言って最後の挨拶をさせる。
毛並みはまだ柔らかいチェスを抱きしめて、本当に最後なんだと思ったら 涙が止まらなくなってしまった。
しばらくお兄さんは離れた場所で待っていてくれて、そしてお悔やみを言って焼き場倉庫の奥にチェスを連れて行った。
私は涙が止まらなくてオフィスには行けず、そのままケブと車で待ち、ちびと旦那さんはオフィスへ。
旦那さんが戻って来て「前足型オーナメントには ハートとか骨とか名前とかのデコをいろいろ入れられるようになっているけどどうする?」と言う。
どう見てもチェスの手でいっぱいになるから「何も入らないと思うけど、もし余裕があるようだったら名前を」と。
手続きを終えて、ちびと旦那さんが戻って来た。「これから前足形をとって、それから焼いて、明日以降に受け取れる」ということだった。
最後に倉庫の入り口をちょっと覗くと、焼き釜の前でお兄さんがカートの上のチェスにきちんとブランケットをかけてくれているところだった。
焼くところは見ることができないけれど、そのままお兄さんに託して車に乗り込む。
ケブが病院の時と同じように、焼き場の倉庫を振り返りずっと見ていた。

帰る途中で、旦那さんのiフォンにチェスのドクターから連絡が入った。
「チェスターの様子はどうですか?」と心配して連絡をくれたのでした。 
亡くなって、以前の業者さんに頼んで来たことを告げました。
その3日後に、病院からお悔やみカードが届いて、開くとドクターと看護師さんからの手書きの文字がいっぱい書いてありました。
本当にチェスターを可愛がってくれた方達で感謝しています。近くにこの病院があったら良かったのになと本当に思いました。



そして、チェス受け取りの日。
灰になった木箱のチェスも、やっぱり重かった。マックスと同じくらいの大きさかなと思っていたけれど、チェスの方が大きい。
サイズは 一番大きなXLargeでした。
                      
                                 左がマックスで、右がチェス


そしてやっぱり、オーナメントはチェスの手がはみ出していた(笑)でも名前も入れてくれていたし、大事な1枚になりました。
        
       ちょっとわかりづらいかな  手形の上の方、指先がはみでてる
 
手に取ると本当にチェスの手大きかったんだなと改めて思ったのでした。


ずっとキャンドルをつけ続けて、お線香も無くなるまで灯してました。
今はキャンドルだけですけど、灯してます。はじめのうちは時々チェスの声がして、旦那さんも時々チェスの声を聞いていました。
 寝ていて夜中に声が聞こえて目が覚める時は、だいたいキャンドルが消えている時だったので教えてくれていたのだと思います
(よく何でも教えてくれるチェスでしたから)

49日の日は、チェスの亡くなった場所にこたつテーブルを置いて、チェスとマックスを並べて、お友達にいただいたお花と最後は全く何も食べられなかった大食いのチェスのために、ご馳走をいっぱい用意しました。
        

マックスに後はチェスのことをよろしくお願いして、一緒に時々遊びにくるように何度も言い聞かせて、一人になるケブのこともよろしく頼んで送り出しました。

どんなに動けなくなっても、おむつになってもきちんと世話をするから長生きしてねと、ずーっとチェスに言い聞かせてきたけれど、具合が悪くなってから本当にあっという間だった。
以前は、移動するときのカートとか、いろいろ介護のことを考えたりして、持ち上げられない大きい子だからきっと相当大変かもしれないななど思ったりした。けれど、実際は何の用意もさせてもらえないうちに逝ってしまった。最後まで手がかからなかったチェス。親孝行なんだろうけど。
介護になったら大変なのはわかっていたけれど、私としてはどんなに大変でも良いからもっともっと長生きして欲しかったよ ちぇす。


11年生きて、その間にいろんなことがあったけれど、ちびも生まれて本当に良いお兄ちゃんでいてくれました。


               








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