ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

美味しいものを少しだけ……

2006年10月31日 | Weblog

最近よく交わす言葉……美味しいものを少しだけ……。

養生や節制には「腹八分目」という言葉があるが、最近の栄養過多と巷にあふれる食材の豊富さから「腹六分目」という言葉も定着しつつある。
“過ぎたるは及ばざるが如し”、美味しいものも少しだけ味わうからこそ、その旨さが五臓六腑に染み渡る。

今日もお昼時、白いごはんにかつおの塩辛をほんの少々乗せていただいたが、この塩辛の美味にごはんの味も冴え渡った。

先日のぎんなんも手の平に乗る位を拾って、旬の味を堪能した。

宵越しの金は持たぬ…ならぬ、宵越しの旨いものは持たぬ精神で、美味しいものをほんの少々いただくことの愉悦は大きい。
旨すぎるものは体にも毒である。
牛肉のステーキ、大トロの刺身、いくらの醤油漬け、くさや、赤ナマコなどは、食べ過ぎてはいけない。口に含んだとたんに生き返るように「ああ、美味しい!」と叫んだ後は、もうちょっと食べたいなと思うところで箸を置く。勇気が要るし、誘惑にも負けそう。
けれど、それで矜持を正し、バランスをとらねばならない。

平松洋子著「買えない味」(筑摩書房)には、食と、食の道具の含蓄があふれている。
本の帯には、本文を引用して「果てようとしている、その瞬間にも おいしさというものは、ある。最後の最後、深くくぐもる臭いもまた、おしまいだからこそ、開く味わいだ。旬がいいのはあたりまえ。勝負は旬が過ぎてから。 ただし、熟れるか、腐るか。明日はどっちだ。」とある。
腐る寸前の熟れ加減に勝負をかける喰い道楽の楽しみが書かれている。
反面、「冷やごはん」という章もあって、もくもくもごもごと釜に残った冷やご飯を食べていたら卒然と美味しさに気付く。
「米は冷えてから味がわかる。貯金は減ってからありがたみがわかる。冷えびえと鈍重なごはんには、しかし噛みしめるうち芯から厚みのある甘さが滲む。……。」とある。

食べることは、いのちをつなぐことの他に、豊かなニッポンでは、欲の極致のひとつでもある。
慎ましく慎ましく「いただきます」の精神を忘れないで、本当に美味しいものを少しだけいただく。

ところで、本当に美味しいものはなかなか手に入らない。
人づてに見つけるしかないホンモノの味。少し骨が折れる。
わたしの場合は、よき人たちに恵まれておすそ分けにありつけることが多い。何もお返しの出来ない心苦しさを感じつつ、感謝!!!

(今日の写真は、イエルカ ワイン氏のマグカップ。持ち手の所がイエルカ流)


手の平アイロンと、みどりのセラピー

2006年10月30日 | Weblog

先日NHKの「ためしてガッテン」を見ていたら、「太ももリラックス法」というのがあった。
http://www3.nhk.or.jp/gatten/archive/2006q4/20061025.html
30年来のひどい肩こりが、自分の手の平を太ももに10分乗せるだけで解消するというものであった。

やっぱり!!とわたしは叫んだ。
わたしがやっている「手の平アイロン」もこの原理である。
「手の平アイロン」は人様にやってあげるだけで、自分では出来ないと思っていたので、「太ももリラックス法」は早速ためしてみたらバッチリ効果があった。

今日の毎日新聞「みどりのセラピー」では、長野県信濃町が認定する森林メディカルトレーナーのことが出ていたが、黒姫山国有林に作られた「御鹿池一周コース」で池のほとりに出たら、トレーナーが参加者に促す。「一人ひとり散らばり、30分から1時間ほど地べたに座ってもらうんです。いかに早く五感を開いてもらえるか、それが森の案内人の腕の見せどころです。」と。

わたしは、もう数年前から、森の中や木の中に座ることをやっている。
ひとりのときもあれば、友人といっしょのときもある。
ビニールシートを持ち歩き、ここぞと思う場所に陣取り、シートを敷き、土の上に体を横たえる。
すると、ぐんぐん元気になるのが判る。近場では、美浜区の「花の美術館」の先の広場の先にある木立の中に体を横たえたこともある。
リュックの中にシートを持ち歩くことがミソ。泉自然公園でもやったことがある。
長野県長谷村の分杭峠にある「ゼロ磁場」では、それは当たり前の行為でもある。
ゼロ磁場にも20回以上通った。
分杭峠はhttp://www.city.ina.nagano.jp/kanko/shizen/ki/index.html

要は、地面と体が接点を持つといいということかしら。
土や樹は、人の体を癒し楽にするエネルギーがあると思う。イメージとしては、体の中の毒素を地面がぐんぐんぐんぐん急速に吸い取ってくれるというイメージ。
豊かな森の中や、風の抜ける陽だまりの林の中でのこの「行」は最高!!!
ちょっとの勇気さえあれば、一人で出来るので、簡単お手軽。
(森深く入ると危険なときもあるので、人がそぞろ歩く小道の脇などがいい。(ちょっと恥ずかしくじろじろ見られるときもある。)

話しは変わって「ちあ」11月号が今日届いた。
「65号目の『ちあ』おめでとう!!ありがとう!!」とひとりで「ちあ」にお礼を言う。
そして今日からポスティング開始。今日は自転車でわたしの持ち分の内2500部をマンションに配った。
マンションの中庭につわぶきの花が咲いていた。
つわぶきは大好きな花のひとつである。つわぶきもわたしを見て「おめでとう!!」と言ってくれているみたい。

花束を持って……

2006年10月29日 | Weblog

花束を持って、急遽コンサートに行くことになり、小岩へ向かった。
時間がなかったので、駅の中にある花屋さんに駆け込んだが、今日はあいにく花の仕入れ日ではないらしく、いい雰囲気のバラなどめぼしい花がなかった。
しばらく思案したけれど、「そうだ、グリーンアレンジで決めよう!」と、花らしい花の入らないグリーンのアレンジメントをお願いしたが、怪我の功名というか、ステキな花束が出来た。

「カント アルフィーネ」の「第4回・ヴォーカルコンサート」に出演者のお一人から急にお誘いを受け、会場へ駆けつけることになったのだが、13名の出演者の方の歌声は素晴らしく、和やかな発表会を堪能した。
会場は、サンライズプラザ「オルゴール館ホール」。
60名の客席と、舞台、それにロココ調の天井が雰囲気を醸し出していた。

グループの名前「カントアル フィーネ」とは、歌えなくなるその日まで歌を!という意味が込められているそうで、ほとんどが熟年の出演者のように見受けられたが、皆さんとても一生懸命でほほえましく、好きな歌に打ち込んで発表会にこぎつける姿勢には深い感動を覚えた。

出演者の中には、貫禄十分のプロはだしの方もいたが、途中で歌詞を忘れてやり直す方もいたし、声が充分に出なくて普段の成果を出せない方などもいたが、その双方が大きな拍手と『ブラボー』という声に包まれた。
女性は総じて堂に入ったもので、長いドレスのすそを踏んでつまずいてもにっこりと笑う術を知っていて、場をいっそう盛り上げていたが、それに比べ、男性は慣れないカクテルスーツに身を包み、身を固くしていたがそれもまた初々しくていいなあと思った。
わたしを誘って下さったS氏は着物にはかまの古武士のような佇まいで舞台に立っていた。

心を打つとはどういうことだろうかと考えた。
大きなコンサートホールで一流のプロが歌う歌声を聴くのもいいが、今日のコンサートもとてもよかった。
譜面を持つ手が震えながらも歌い切る恰幅の良い紳士。そらんじて歌うベテラン。
その両方が甲乙つけがたく琴線に触れた。いずれも趣味の延長線上での出来事。
人前で歌うことの緊張感があふれ、舞台で歌うことの凄さのようなものを感じた。

「アヴェマリア」「この道」「ちいさい秋みつけた」「庭の千草」「アメージンググレイス」「彼の人に告げてよ」「カタリカタリ」「千の風になって」「ある晴れた日に」(蝶々夫人より)「私のお父さん」(ジャンニスキッキより)「人知れぬ涙」(愛の妙薬より)などの歌声が響き渡った。
超音痴のわたしに語る資格はないが、第一部で「この人上手い!」と思った人は第二部でトリを務めていた。歌うことはできなくても聴く力はあるのかしら……♪?

ブラボー!!!

フルに遊んだ一日

2006年10月27日 | Weblog

かねてから執着していた「ぎんなん拾い」決行のため、小林さんに車を出してもらい、ドライブを兼ねて土気・あすみが丘方面へ行った。

今朝、起きたときにめずらしく目が赤く充血していて、最近のハードスケジュールにブレーキをかけないといけないかしらと思ったけれど、約束をしたら、這ってでも行くタイプのわたし。ましてやわたしから頼んだ今日の日程を変更するわけにも行かない。
土気駅で待ち合わせをしたけれど、千葉駅を過ぎて、車窓に映る緑が多くなるにつれてどんどん体が軽くなり、わたしの体は自然の中に入ることを欲していたのだとひとり納得。

せっかくのドライブ、有名な「チバリーヒルズ」にも立ち寄って、御殿のような家々を眺めながら、プラタナスの街路樹の紅葉を楽しんだり、うっとりとするローズガーデンやプールを抱える個人所有の『ゲストハウス』を外から伺ったり。
まさに「目の保養」の一角を散策したあとは、現世に戻って、フツウの家並みの続く街を走り、目指すイチョウの木の元へ。

よい熟し加減のぎんなんが落ちていて拾った。
ふたりで分けて、手の平に乗るくらいの量が収穫できた!!!(写真)

そのあとは、若葉区にある小林さんの友人が開いた“カフェレストラン”に立ち寄った。通りからオーナーご夫妻が開墾して切り開いたという土の道を走り、たどり着いたところは黄花コスモスが咲き誇るワイルドガーデンの中にあるこちらも「ゲストハウス」。
見渡す限り緑に囲まれた野生的な庭の中にある一軒家のようなお店。
ここで珈琲と名物のすいとんをいただいた。珈琲が一杯150円。思わず「ここは長野ではなく千葉ですよね!!」と訊いたほど。
長野に行かなくても……別荘がなくても……ここに来ればいいとわたしはすっかりとりこになってしまった。
ワイルドな庭にも草取りの人手が欲しいと聞いて名乗りを上げた。
「星もきれいで、朝がとてもステキなんです!!」とオーナーに伺って、寝袋持参でぜひ朝景色を見たいと思った。
旅の醍醐味は早朝日の出前の朝景と、夕日が沈み、沈んだ後しばらくの夕景である。尾瀬に行かなくても、軽井沢にいかなくても…いい場所を見つけたと興奮!

後ろ髪をひかれるようにそのレストランを後にして大急ぎで家に帰り、ジーパンからよそ行きのパンツにはき替えて、千葉市弁天町にオープンした「スタジオこころ」のこけら落としパーティーに参加した。
「スタジオこころ」は、千葉大生が立ち上げた「IT企業・株式会社かっぺ」のかっぺビル1階の駐車場だったところをイベントホールにしたもの。
創業8年目にして、「かっぺ」の躍進はすごい!!
「ちあ」も7年目を走っているのに、引き比べて「ちあ」は「進化しないちあ」のまま。でもまあ、楽しく動いていればそれでもいいかも…と、自分で自分を慰める。

こんな毎日が毎日続くと、わたしはとてもハッピー☆…☆
しかし、そんな訳にも行かない……。
さあ、そろそろ仕事へ向けてのウオーミングアップ体制に入らないといけない。

●東京国際映画祭オープニングで見た映画「アメリカから観た硫黄島・『父親たちの星条旗』」の感想は今日アップされました。お暇なときにお読み下さい!!
http://www.janjan.jp/culture/0610/0610243366/1.php







思いがけず、お花が届いた!

2006年10月26日 | Weblog

仕事が一段落した後は、のんびりと体も心も休める。
緊張と弛緩の繰り返しのような日々、今は、だらりだらりとリラックス状態。
それでも、なにやら用事が多くて家を出たり入ったりと落ち着かない。

そんな中、今日夕方家に帰ったら、お花屋さんから電話があり、わたし宛にお花が届いているのでこれから届けますとのこと。
お花が大好きなわたしは、大喜びだけれど贈って下さった方には感謝と共に申し訳なさでいっぱい。
大急ぎでメールでお礼を伝えた。
本当は、メールではなく手紙を書かなければいけないのにと思いつつ。

最近創刊されたばかりの雑誌にも手紙のことが書かれていた。手紙を特集した記事もよく見かける。
メールが出来て、手紙を書くことがめっきり減ったけれど、手紙のよさを見直したいなと思う。
手紙に欠かせないのは切手。わたしは、出かけた折その地域で売られている切手や、街角で出張販売している切手コーナーには必ず立ち寄り、かなりの確立で切手を買うことが多い。
先日も、六本木の文化村で行われた映画祭では、「日本映画Ⅰ」「日本映画Ⅱ」の切手シートが販売されていて買った。
「キュープラのある街」の浜田光男と吉永小百合、瀬戸内少年野球団の夏目雅子を中心に、「男はつらいよ」「鎌田行進曲」「たそがれ清兵衛」「七人の侍」「東京物語」などの映画の中の俳優さんが切手になっている。
切手をコレクションする気はないけれど、手紙を書いたときは、その内容とその人に向かって、手持ちの切手の中から出来るだけイメージに合う切手を探し出す楽しみも大きい。

その雑誌には「手紙を書こう!!」の特集の他に、「『おにぎり持って』『水筒持って』『マイ箸持って』散歩に行こう!!」という特集記事もあって、眺めているだけでも心が緩んでくるのがわかる。
近いうちにおにぎりと水筒を携えて、六義園あたりに紅葉を見に出かけよう!!

家の中には、造花ではなく生花をたとえ一輪でもいいから飾りたいと思っている。
ゴージャスなお花を贈って下さったK氏に心を込めて『ありがとうございます!!」




504ページの写真集:地球巡礼(野町和嘉)

2006年10月24日 | Weblog

アルテミスの中野さんに誘われて、新宿三井ビルエプソンギャラリーで行われている「野町和嘉写真展」に行った。

野町さんのことは中野さんに聞くまで知らなかったけれど、「1946年高知生まれ、1980年代後半より撮影の舞台を中近東、アジアに移し、中国、チベット、サウジアラビア等での長期取材を経て、2002年以降アンデスに取り組んでいる」とハガキの案内に記されていた。

先日、千葉市稲毛区にある市民ギャラリーで行われた「ボリビアの風展」で主催者の大西さんからボリビアの説明を受けていたので、今日の写真展でもボリビアを含むアンデスのことがかなり理解できて展示された写真に見入ることが出来た。
野町和嘉ホームページhttp://www.nomachi.com/

写真展を一通り見て、ランチを取りおしゃべりをし、帰りにもう一度会場に寄った。「生きることは、祈ること」という強烈な言葉によるメッセージも写真と共に魅かれ、わたしの悪い癖で写真集を買うことになった。
写真集「地球巡礼」(写真)は新潮社刊・5775円。25・5㌢×25・5㌢のフルカラーで504ページ。重い本を抱えて帰ることになった。

買ったことへの言い訳をするとすれば、ゆっくりと手許に置いて眺めたい本というものがあり、この「地球巡礼」は、ページをめくる毎に強く心を揺さぶられ、ねっとりと喰いついて離れがたい何かがあった。美しいものを飛び越えて、生きること、祈ることへの本質が切り取られ、「祈りの熱狂と厳しさ」がヒタヒタと迫り来て揺り動かされる。
気付かない深いところで、文明社会の中に生きる人間の甘えを切りそがれ、生きることと祈ることが一体となって人が生き続ける地での巡礼模様が描かれている。

それにしても、片付けようとする矢先に、こうやって持ち込むものが生まれてくる。いつまでたってもイタチゴッコ。それも「生きること」なのかもしれないと自分で自分を慰める。504ページもの厚い写真集との遭遇も不思議なら、そのページ数でこの値段と言うのも何とも不思議な気がしている。得をしたのか、「祈れ」ということへのメッセージなのか…。大得なこと違いなし。

●野町和嘉写真展は11月12日まで行われています。(新宿三井ビル1階・エプサイトにて)


ご褒美に花を買う…

2006年10月23日 | Weblog

あわただしい日々から束の間解放された。
ご褒美に薔薇の花を買った。玄関に飾った。良い感じ。

溜まっている家事を片付けよう。
夏物から冬物への衣替えもやろう。不要なものは、思い切って処分しよう。
まず、クローゼットの中から片付けよう!
「ゴミに出すもの」「リサイクルに出すもの」「とりあえず、来年までとって置くもの」「お気に入り」に分類しよう。

「お気に入り」は擦り切れても、ぼろぼろになっても着続けたいもの。
今日も、池袋のデパ地下で、厚手木綿の柿渋染めのちょっとよれよれのコートを粋に着ている老年の男性を見かけた。かっこよかった!!「思わず、かっこいいですねぇ!!」と声をかけそうになったほど。でも、その人の顔がピカピカ光っていなかったら危うく浮浪者と見間違うほどのシロモノだった。こんなことってあるんですねぇ…あるんですもの…。
でも、それは上質のもので、毎日着続けてこそ味わいが出るもの。ここのところを誤るとタンスの肥やし状態の厄介なものになる。紙一重。

「ゴミに出すもの」は、さっさと片付く。

「とりあえず」のものは、来年になって棄てたことを後悔しないように来年までとって置いてそれでも思い出さなかったら棄てるモノへの分類。

経験上、持ち物は少ないほど無駄がないということをわたしは知っている。
シンプルはベスト…。

さあ、始めよう!!!!!

西千葉の仲間たち……

2006年10月22日 | Weblog

今、西千葉のゆりのき通りを中心にNPO法人「TRYWARP」が管理運営するSNS「あみっぴぃ」への新規加入に向けての情報収集のため、これも千葉大生で組織する「街歩き隊」が中心になって、“街歩き”を行っている。

今日は、西千葉で「街あるき隊」に遭遇。
みんなわたしの知り合いであり仲間でもあることから、写真公開。
大学生、主婦、商店主も入り混じって、「ハイ・ポーズ」。

「街あるき隊」は、街あるき隊証明カードを首にぶら下げ、地図と情報記入用紙を持って班に分かれて出発して行った。
西千葉商店主の方たちにとっては、頼もしき存在。
「あみっぴぃ」は「ミクシィ」の地域版と言ったところで、今、会員数が900名を越えた。
「あみっぴぃ」は、招待制で、あくまで顔が見える関係に重点を置いている。

わたしは、ひたすらブログを書くことをメインにしているが、それでも「あみっぴぃ」に日記を書いたり、あみっぴぃ経由でメールや情報が流れたり、パソコンの世界と無縁なときには考えられない情報と人のネットワークが広がっている。


映画:父親たちの星条旗

2006年10月21日 | Weblog

10月21日から29日まで「第19回東京国際映画祭」が始まった。
会場は、六本木を中心に、渋谷・恵比寿・秋葉原の映画館で映画祭が繰り広げられる。

私も、今日午後から仕事のキリをつけて、渋谷のオーチャードホールへ行った。
映画祭のオープニング「アメリカから見た硫黄島・父親たちの星条旗」を観るためである。
入場時、入口受付で持ち物検査とボディチェックを受けて会場内へ。ちょっと物々しかった。

「ミリオンダラーベイビー」で観たクリント・イーストウッド監督作品と知って、ぜひ観てみたいと思ったのが渋谷へ出向いたきっかけである。
今日の公開は「アメリカから見た硫黄島」だったけれど、渡辺謙主演の「日本から見た硫黄島・硫黄島からの手紙」は12月公開予定で、その予告編も少し観る事が出来た。

今日の映画の感想は、腰を入れて書いて記事として送らなければならない先があり、まだ余韻の中をさ迷っている状態ではうまく書けない。(余韻が冷めたところでうまく書けるかどうかは危ういけれど…)

太平洋戦争最中の硫黄島決戦で硫黄島にアメリカ兵士6人が星条旗を掲げ、それが写真撮影され、その兵士のうちの3人が生還し、彼らを待ち受けていたのは「英雄」視する民衆と、その民衆を操るように国の上層部によって英雄に祭り上げられて行く冷酷な操作であった。
戦費を稼ぐための国債を買わせるための広告塔としての全米ツアーの中で、沈黙を守り通した男・チャンスをつかもうとした男・自滅の道をたどった男が生還した兵士3人を通して描かれて行く。

「日本人から見た硫黄島・硫黄島からの手紙」も併せて観たときにどんな感想が持てるのだろうかと思いながら、会場を後にした。

メディア操作は、最近の出来事を通しても、新聞やテレビのニュースで正しく伝わっているのだろうかと訝しく思うことも多い昨今である。
太平洋戦争の中の硫黄島を通して、掲げられた星条旗と一枚の写真のナゾ。その解明を見ても、いかに戦争が悲惨で哀しい出来事かと思う。




動く、 動く、 動け! 動け!

2006年10月20日 | Weblog

23日の「ちあ」の入稿と様々なことが重なって、昨日、今日と久しぶりに「髪の毛逆立ち現象」となったが、何とか目処が立った。
今回も、たくさんのよき人たちの援けをいただいた。心より感謝を捧げます!

わたしは、自分の仕事の周辺の方たちに本当に恵まれているといつもいつも感謝とうれしさでいっぱいです。!!
紙面には出ない様々なドラマがたくさんたくさんあり、そのほとんどがわたしにとっては感謝と感動に値することばかり。
締め切り近くになってあたふたと動き回るわたしを快く迎えて下さる皆さま方、本当にありがとうございます。

昨日、今日はいつもののらりくらりおばさんから脱却して、動きに動いた。
と言うのも、明日午後から急に東京に出なければいけない用事が出来てしまい、計画が少し狂ってしまったのが原因。
でも、何とか乗り切った。

髪の毛逆立ち現象が起きると、「ああ、花瓶の花が枯れている!」「ベランダの花の水遣りをしなければ!」「洗濯物をたたまなくては!」「台所の食器が洗い桶にたまったまま!」とこんな、日常はすぐにさっさと出来ることが出来ない。
もちろん、その時間もとれなくてパソコンに集中。ファックスのやり取りや、そして打ち合わせのために外に出る。
動くスピードがそれに伴いぐんぐん上がる。もちろん、そうなると新聞を読む時間もニュースを見る時間もゼロ。
でも、ほぼ終わった!!

夜10時を過ぎて、あわやベランダの花たちに水を遣る。
食器を洗う。もちろん、花をベランダから摘んできて1~2輪花瓶に生ける。
パッと、家の中の「気」が変わり、清々しさが家の中に漲って来る。
大急ぎで洗濯物を取り込み、とりあえずの「ヒナン場所」に置く。

今日、いつもお世話になっている「美容室AI」さんで、ヘアカラーをしながら取材……の予定が、オーナースタイリストの知秋先生は鳥取に出張。でも、今日の深夜電話で打ち合わせもしくは明日かあさってお店での取材の段取りに快く応じて下さった。
私は、通常通りヘアカラーをお願いし、午後1時半から5時位まで束の間のリラックスタイムを過ごした。
AIさんで読んだ婦人雑誌に映画の字幕翻訳家の戸田奈津子さんの取材記事が載っていた。

~印象に残った戸田さんの言葉から~
「振り返って言えることは、わたしの翻訳した字幕スーパーが好きという人もいれば、嫌いという人もいます。嫌いな人からは次のオーダーが来なくなります。でもそれは重要なことではなく、大切なことは、自分がその仕事に向かって一生懸命打ち込んだかどうかということだけです。」

ビックな人はビックな悩みが、人それぞれに与えられる。
でも、それを乗り越えるときの心の糧となる姿勢に教えられることも多い。

よし、わたしもまた明日も頑張ろう!!☆★