「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

無策

2008-03-31 | つれづれ
政治の無策に腹が立つより情けなくなる。ガソリン税の道路特定財源問題は与野党共にあまりに無策。国民生活より党利党略を優先したのがモロ見え。国民生活は政争の具ではない。こんなことを続けていると、本当に政治に対する不信感は底なしになる。2大政党が国民の信を得られないとき、ポピュリズムに偏した、国民重視を騙った団体が出てこないとも限らない。そして、そちらに国民が雪崩を打たないとも限らない。ナチスのように。杞憂であらんことを願います。

とことん石ノ森章太郎

2008-03-30 | つれづれ
NHK・BS2で6夜連続で石ノ森章太郎さんの特集番組を放映していましたね。懐かしい番組や原作漫画を折々にはさみながら、対談や解説などもあり、石ノ森ファンにはたまらなかったですね。私は残念ながら4、5日目全部と6日目の一部を見ただけでしたが、巨匠・石ノ森さんの魅力を十分に楽しみました。

特に「スカルマン」と「サイボーグ009」。原作では、いずれも正義と悪などという単純な割りきり方ができない。「大人」の漫画とあらためて思ったしだい。サイボーグ009の天使編・神との戦い編は続編・完結編を読んでみたいとずっと思い続けていたのですが、石ノ森さんの息子さんが続編を小説にまとめようとうしているということを知り、楽しみ! ただ、インタビューを聞く限りではなかなかに難渋しそうですね。テーマが「神」ですし、哲学的要素が相当入り込みそう。父親からの構想だけが与えられて、相当に苦心していらっしゃるご様子でした。しかし、009の完結編はやはりぜひ見てみたいと切望します。

それにしても解説役で登場していた島本さんは漫画のごとく焔のような熱い喋りでしたね。いやあー、いかにもオタク的な熱すぎる感じもあったけど、あれだけでも相当に見る価値があったかも

ちりとてちん

2008-03-29 | つれづれ
NHKの朝の連ドラ「ちりとてちん」が今朝で終わってしまいました。これ、大好きで欠かさず観てました。このブログを書きはじめてから「アタリ」の連ドラが多い(「ファイト」「芋タコナンキン」)のですが、今回のは出色の出来。毎日、ワクワクしてました。

主人公を演じる貫地谷しほりさん。決して美人ではないですが、演技上手でけっしてかっこよくはない人間像をうまく演じていましたし、和久井映見演じる母親など配役が絶妙(ただ、師匠役・渡瀬恒彦の落語があまりに下手だったのだけが残念でしたが…)!よくあるヒーロー、ヒロインとはまったく異なる人物像だったので、とても人物に親しみを感じられたですね。なにせ主人公がイジイジタイプで、「自分はどうせ…」と後ろむき。なにかというとすぐ泣きが入るヘタレ。前作だった「どんど晴れ」のやたら意味不明に前向きで明るく、なんでも「おもてなしの心」なるもので乗り切り、周囲も主人公を立てていくなんていう、ありえない人物、つまらない内容とは対極でしたから。

個人的には主人公も好きでしたが、奈津子さんの「肉じゃが女!」的な発言ははまりましたし、順ちゃんの「正論」が出てくると、「おお、さすが順ちゃん! よくぞ言った」という感じ。竜雷太演じる鞍馬会長が出てくると私なんぞは「ゴリさんなんだから、そんなあこぎなこといってはいかん!」なんてわけのわからない反応を自分で楽しんだり。出色は和久井さんですよね。あのボケぶりと、暖かな人柄を感じさせる演技は新境地を開いたのではないでしょうか。美人がボケ役をするとなんだか妙に面白いですよね。

そしてなにより、今回のは脚本がよかった。田辺聖子さんの生涯を描いた「芋タコ」はまさに人そのものの面白さでしたが、「ちりとてちん」は落語の素養豊かで、筋とうまくリンクさせている。しかも伏線を張りまくりで、しばらく観て「ああ、そういう意味か」とひっぱられる。あと、いい意味で「騙された」のが、週末の「次週の予告」。確かに場面を切り張りしているのですが、一体これは「なにが起きるのか」と興味をそそるように、説明調ではなく、疑問、解釈の余地を残しながら観ずにはいられないような見せ方なのです。「A子」の服装も、性格の変遷にあわせて白っぽい色から黒っぽい色、そして再び明るいカラーへと変えていくなど、登場人物全員の服装や髪型の変遷にも細かい心配りがありましたね。この脚本家、きっとこれから大きく育つような予感がします。

いつものことですが、はまっていた面白いドラマが終わるとさびしい限り。でも、またいつか面白い番組が出てくるに違いないと期待することにします。半年間、たのしませてもらえた「ちりとてちん」に感謝です!

「僕の小規模な生活」

2008-03-27 | 
福満しげゆきさんの漫画「僕の小規模な生活」。いや、なんといじましいというか、ほんとにこじんまりとした売れない(いや、売れなかったというべきか)漫画家(作者自身)の日常生活をチマチマと描いている漫画です。すごーーく物事をウジウジと考えて、言うこと聞くこと、すべてを悪いほうに考えてウジウジしてしまう。バイトをすればすぐに投げ出して辞める。でも、働いている奥さんが怖くて、また懲りずにバイトに行こうとする。そんな生活が延々と。

そんな漫画の何が面白いのやら、といわれそうなのですが、「自分にもこんなところあるある」と妙に殊勝に思ったり、「ここはまだ自分のほうがまともかな」と優越感にひたったり。

最初のころはエロ漫画の注文を受けて描いたりもするのだけれど、途中からモーニングと某誌の間で引っ張り合われることになり、それもまたこの作者らしい反応で両方の仕事を投げ出そうとさえしてしまう。その葛藤というか情けなさが笑いを誘う。吾妻ひでおさんの「失踪日記」をぐーーんとチマチマ化した感じ、太宰治「人間失格」をもっと情けなくした感じ、といったら伝わるでしょうか。

たぶん、この漫画が受けているのは(最近言葉としては沈静化してきたように感じるのですが)「癒し」効果なのでしょう。生活って何でもあり、というか人それぞれでいい、肩肘張らなくたっていい、と。まあ第1巻が出たところですが、私はもういいかな、とも思います。

桜開花ですね

2008-03-25 | つれづれ
桜が見事に開花ですね。きょうは神田川沿いの桜を見る機会に恵まれましたので写真に収めました。もう一気に3分咲きぐらいでしょうか。それにしてもなんで桜ってこんなに人の心を捉えて離さないのでしょう。



いろいろなこと思い出させる桜かな

この芭蕉の句ではないですが、ほんとに様々な思いでとも密接にかかわる桜。ああ、楽しみ! いろいろな桜をめでたいと思います。

不条理

2008-03-24 | つれづれ
土浦市の連続殺傷事件。亡くなった方、家族の方の無念を思うと、本当に胸が痛みます。それにしてもあまりに不条理な事件。なぜ? 最近、こうしたあまりにも人の理解を超えた事件が多すぎる。先日書いた「ノーカントリー」を現実にみている気分です。今日も、千葉で「おい、金」と言いながらいきなり包丁で腹を刺して金を奪う事件がありました。

なんでそんな短絡的に人を傷つけられるのか。目的が金なら変な言い方ですが、盗めばすむ話でしょうに。何故命を奪おうとするのか。不条理。想像力の欠如なのか、人間性の崩壊なのか。考えれば考えるほど、鉛を飲み込んだような重い気分だけがいや増します。

あまりに利己的な、一方で生きる希望を失った人々が多すぎるのでしょうか。いやな雰囲気です。政治も機能しない、経済もずるすると後退し、寄る辺となるコミュニティや家族も機能不全で、人々の連帯の意欲も失われている。そんな全体状況が背景にあるようにも思います。こういうときはちょっとしたきっかけであらぬ方向に社会全体が向かっていきそうで怖い。緩やかに健全なコミュニティの再構築をして人々の連帯を取り戻すという困難な道に向かわなければ、不条理な事件が日常化したような状況は改善しないように感じます。床屋談義ですが、そんな感想を抱きました。

「女は何を欲望するか?」

2008-03-23 | 
なんだかすごい題名ですみません。これ、私の敬愛する哲学者、ブログで取り上げている個人名としてはたぶん一番多いのではないかと思う内田樹さんの著作です。内容は極めて真面目。フェミニズムを批判的に論じた一冊です。単行本では読んでいなかったのがこのほど新書化されました。

単行本の出た02年段階ではまだフェミニズムは社会的影響力も大きく、内田さんの批判の対象になりえたのでしょうが、すでに08年の現在、もはやフェミニズムは内田さんが予想したとおり影響力を失い、見る影もほとんど無くなりつつあるところです。

何故、あれほど多くの優れた知性が生み出してきた思想がこれほど早く社会的影響力を失ったのか。内田さんは、フェミニズムが、あらゆる事柄を説明できるという全能感に陥った、つまりわからないことはわからないという謙虚さを失ったが故だと分析する。あらゆる反論を「父権的イデオロギーに毒されている」として封じ込めた段階でマルクス主義と同じ(「ブルジョワ的イデオロギーに毒されている!」)ような過ちに陥ったのだ、と。

その論証として本では、大きく「フェミニズム言語論」と「映画論」に分けて論考を進めている。言語論ではラカンが「根源的疎外」と呼ぶ、哲学の古来からの難問にフェミニズムはある意味、視点を提供したが、この問題がなぜか女性だけの問題だと強引に引っ張ってしまい人間に普遍的な問題だという視点にはまったく考慮がなされない不思議さを論じる。

また、映画論では「エイリアン」を題材に、時代の変化の中でフェミニズムがどのように変容とういうか、社会的受け止められ方に変容がみられたかを論考している。エイリアンの形態自体がまさに男性の象徴をシンボライズしたものである、というのは耳にしたことがあったが、なかなかに興味深い分析です。

内田さんは、フェミニズムが社会資源の男女への公平な分配を求めることに異論はないとしています。しかし、権力や地位といったものの公平な分配を要求することについては「そんなものを求めても空しいのではないか」という視点を否定すべきではないと主張します。価値観はばらけていたほうが、つまり多様性があったほうが社会システムは安定するというのがその理由です(だってみんながみんな男性みたいな働き方や地位に汲々とする生活を目指すなんて、いったい何を生み出しました?)。

その弁でいえば、というか最初から内田さん自身が書かれているのですが、内田さんは決してフェミニズムをすべて否定しているわけではない。どころか、フェミニズムに対してとても深い造詣と、ある意味、愛情にも似た思いがあるようにも感じます。沈みつつある船を救出はできないが、そこから大事なものをできる限り拾い救い出しておきたいというスタンス。大事な考え方がフェミニズムにもある。そんな「謙虚さ」が全編を通じて感じられます。

それにしてもマルクス主義もフェミニズムも共に社会的弱者の視点があったことは間違いないと思います。でも、善意の思想が必ずしも善意の社会システム構築につながるとは限らない。それだけが「教訓」として得られたものだとしたら悲しい限りです。グローバリズムによって社会的弱者が大量に増加している現在だからこそ、フェミニズムのような視点をもつ思想が求められているように思います。その早い退潮が現状のような状況を助長してしまったのではないか。善意を背骨に社会的弱者の視点を宿した謙虚な思想。そんな思想が強く求められていると感じます。

もうすぐ桜

2008-03-22 | つれづれ
つついたら「ポン」という感じで開きそうな桜のつぼみ。きょうの東京は暖かくて風も無く、とても過ごしやすい。春本番を感じさせます。

午前中、荒川サイクリングロードを軽く60キロほど流します。川の周辺で桜の名所といえば「小松川千本桜」。その桜並木の周辺は、早くも花見対策で警備員がところどころに配置され、周辺道路には駐車を防ぐためでしょうか、赤いコーンが道端にずらりと並べられていました。今年の花見はロゼワインで楽しみたいなあ。

「十二国記」の最新短編

2008-03-20 | 
待望久しい、小野不由美さん「十二国記」の最新作が6年ぶりに発表されました。新潮社の雑誌「yomyom」に掲載された短編「丕緒の鳥」です。なかなか手に入らなかったのですが、ようやく昨日手に入れて一気読み。うーん、あの独特な世界がよみがえります。

ただ、今回の話は慶王・陽子が即位するさいの儀式を裏方として支える匠の物語で、なんというか「本筋」とは色合いが異なります。楽しみというか、心配している泰国の「その後」の話でないのはちょっと残念。とはいえ、あいかわらず愁いを帯びた、人の弱さ、醜さを描きながらも、一方で人の「希望」を信じる温かみを感じる文章です。

この短編ももちろんうれしいけど、小野さんにはぜひとも本筋の続きを書いて欲しいと思います。

ノーカントリー

2008-03-19 | 映画
アカデミー賞4部門を受賞した、コーエン兄弟監督作品「ノーカントリー」。重い作品です。ずっしりとした鉛のような、黒い塊が心に残る感じ。映画の内容を一言で言うと「不条理」です。

=goo映画から=
メキシコ国境に近い砂漠でハンティング中に、偶然、死体の山に出くわしたルウェリン・モスは、大量のヘロインと現金200万ドルが残されているのを見つける。危険を承知で大金を奪ったモスに、すぐさま追っ手がかかる。必死の逃亡を図るモスを確実に追い詰めて行くのは非情の殺し屋アントン・シガー。そしてもう一人、厄介な事件に巻き込まれたモスを救うべく老保安官エド・トム・ベルが追跡を始めるのだった。


殺し屋は非情という言葉では説明できないほど、いとも簡単に人を殺していきます。それも、単なる通りすがりで車に乗っていただけとか、たまたまその部屋にいただけとか、殺される側にしてみればまさに不条理な死をもたらす存在です。彼の前では人間の愛情とか、善意、正義といったもろもろの感情は存在しないのと同じ。でも、そもそも「死」は常に不条理。それを、はしなくも示すエピソードが最後に近い場面での交通事故でしょう。不条理を体現したようなその彼自身が不条理な事故に巻き込まれる。事故の前に、モスの妻が殺し屋に向かって投げつけるセリフも死そのものが不条理なのだということを示唆しているでしょう。

トミーリージョーンズが演じる老保安官が時折つぶやくように「理解できない」と言います。これは単純に米国の社会がかかえる病理的状況が常識的理解を超えるということもあるのでしょうが、なによりも「不条理」を目前に突きつけられて、「正義」を体現するべき立場の人間としての無力感ととらえられると思います。

この映画の原題は「NO COUNTRY FOR OLD MEN」です。老人に居場所がない、といった感じの意味なのでしょうが、むしろあるゆる人間にとっては、不条理な死の前から逃げる場所などない、といった意味に私には感じられました。

それにしても痛そうな場面のオンパレード。おもわず目を背けたくなる、時には「うっ」とうなりたくなるような殺しの場面などが続きます。緊迫した展開であっという間で、最後は「え、これでおしまい?」とたぶん感じる人が多いのではないでしょうか。救いはないです。観る場合、覚悟がいると思います。

我慢

2008-03-17 | つれづれ
どうもイライラが続いています。企業風土がまったく違う会社と一緒に仕事するって、ほんとーーーーーーーーに疲れる。自分でやれば、ちゃかちゃかと終わる仕事が何倍にも時間がかかるし、いちいち相談する煩わしさと、他社が介在するがために社内にもいちいちしなければいけない手続きが増える。ふー、メ・ン・ド・ウ。社会人なって20数年のくせに、こういう経験がこれまでなかっただけにどうにもねえ…ま、我慢我慢。展望も長期的戦略も、もはや一緒に仕事をする理由・理念もまったく無いけど、とにかく自分の「戦闘範囲」で負けないことを目指すとしますか。局地戦での勝利が全体の勝利になるとは限らない。どころか、無意味でしかないかもしれない。自分の守るべき門は守ったけど、後ろを向いたら天守閣は落城、とういうこともあるのだけど。ま、それは将軍レベルの指揮官が考えることですからね。むなしいねえ。
たまの愚痴、ご容赦を。

横浜大世界

2008-03-16 | つれづれ
うららかな一日でしたね。東京は昨日、今日と春を満喫!という天気。昨日は久しぶりに100キロ近くの自転車ライド。風もほとんど無く江戸川堤を野田まで行って帰ってきました。難点は花粉症の私にはきびしー花粉状態だったことぐらいでしょうか。

で、きょうは久しぶりに横浜中華街。ふと思い出すと、昨年のいまごろもブログに中華街の話題を書いているところをみると、どうも春の声をきくと出かけたくなる場所のようですね。海風が心地よいし、おしゃれな街がより一層浮き立つような感じ。いざヨコハマ!という気分になるのかなあ。自分でもよくわからないままに、ま、行ってきました。

で、今回は「横浜大世界」のことだけ触れときましょう。上海の大世界をイメージしたのでしょう。お土産屋や軽食、イベントスペースが入った雑居ビルとういうかエンタテーメントビル。きょうはここの3階でXO醤チャーハンを食しました。お値段500円台と値段のわりに、おコメがきちんとパラついて、レタスのしゃきしゃき感も悪くない。醤油の辛味がピリっと口の中を締めるようで、なかなかにgood! 気軽に中華街を体験するにはまあ、便利なビルですね。それにしても入り口にあったパンダのぬいぐるみをきたキティちゃんは、なんというか…なんでも合体させればいいというものではないでしょうに…

夜は短し歩けよ乙女

2008-03-15 | 
外装に惹かれて読んでみたのがこの本「夜は短し歩けよ乙女」。京都の町を舞台にした大学生の恋愛物語なのですが、まあ、天狗みたいなものが出てきたり、仙人としかいいようのない者が出てきたり、奇想天外といえばいえるのですが、要するに青年向けファンタジーです。かわいらしい主人公の女性と、レトロなしゃべり口調の会話がいまどき珍しいかなあ、という一冊です。まあ、御用とお急ぎのない方向けでしょうか。この本でけっこう売れるのなら、いいですよね。題名と表紙絵さえある程度なら売れるということですものね。一応、粗筋だけ以下に。

=以下、アマゾンから=
私はなるべく彼女の目にとまるよう心がけてきた。吉田神社で、出町柳駅で、百万遍交差点で、銀閣寺で、哲学の道で、「偶然の」出逢いは頻発した。我ながらあからさまに怪しいのである。そんなにあらゆる街角に、俺が立っているはずがない。「ま、たまたま通りかかったもんだから」という台詞を喉から血が出るほど繰り返す私に、彼女は天真爛漫な笑みをもって応え続けた。「あ!先輩、奇遇ですねえ!」…「黒髪の乙女」に片想いしてしまった「先輩」。二人を待ち受けるのは、奇々怪々なる面々が起こす珍事件の数々、そして運命の大転回だった。天然キャラ女子に萌える男子の純情!キュートで奇抜な恋愛小説in京都。

闇金ウシジマくん

2008-03-13 | 
闇金を営む23歳の青年社長ウシジマと、そのウシジマから「奴隷くん」と呼ばれる闇金の利用者たちの物語を描く漫画「闇金ウシジマくん」。1巻を手に取ってみたけど、気持ちが悪くなった。それほどエグイ描写が続く。この漫画が10巻続いているこの国の現状に思いをはせると暗澹たる気持ちになってくる。以前、青木雄二さんの「ナニワ金融道」という漫画が、やはり同じテーマを描いていました。あの漫画も中身的には厳しい現実を描いてはいましたが、人に対するまだ優しさ、希望といった筆者の暖かい視点を感じることができました。だからある部分、ホッとできたのですが、今回の「ウシジマくん」という作品にはそうした希望を感じませんでした。

パチンコ中毒の女性、見栄を張るために分不相応な出費を続ける女性など、一度闇金の世界に手を出せば、まさに骨の髄までしゃぶられる姿。人間としての尊厳もなにもかも失う。その悲惨な転落ぶりの描写がエグイとしかいいようがない。1巻でこれだと、10巻までいったいどんな世界を描いているのか、逆に興味がわいてしまいます。この社会の末期的症状を忠実に記録した漫画といったところなのでしょうか。それにしても、ほんと気持ちが重く、気分の悪くなる漫画なのでありました。

櫻の園

2008-03-12 | 
「海街diary 1 蝉時雨のやむ頃」を以前ご紹介した吉田秋生さんの懐かしい作品「櫻の園」を偶然手にしました。20年ほど前のLaLaに連載した短編連作。女子高を舞台に、青春の真っ只中で人間関係などに悩む女子たちの物語。

懐かしいですよ、一言。青春!!! そう。こっぱずかしくなるような自意識過剰ぶりと、滑稽なまでの異性への関心、ぎこちない会話、うぬぼれとあっという間の自己嫌悪…いま思うと「なんであんなことを」と身悶えたくなるような思いがする日々です。そんな日々をちょっと思い出しました。

それにしても吉田さんの、人と人の関係の描き方のうまさ。携帯電話がない、自宅の「黒電」が出てくるとか時代背景こそ違いますが、いま読み返しても決して古びない普遍性が感じられます。「好き」という思いは、青春の普遍的キーワードなのでしょうね。