瑞原唯子のひとりごと

「東京ラビリンス」第48話・残酷な選択

 澪は全身がバラバラになりそうな激痛とともに、意識を取り戻した。どうやら瓦礫の上で仰向けになっているようだ。体の上にも瓦礫が載っているような感触がある。それを退けようと思っても、指先を動かしただけでズキリと腕に痛みが走った。身じろぎひとつできないまま、鉛のように重い瞼を持ち上げる。薄く開いた目に飛び込んできたものは、天まで突き抜ける、目の眩むようなまばゆい光の柱だった。ところどころで枝分かれして禍々しく揺らめいている。
 光の魔神――。
 大地の言葉が脳裏によみがえる。海上に突き出た部分だけを見れば、魔神のように見えるのかもしれない。何となくではあるが想像はついた。だが、ここから仰いでいると昇り竜のように見える。建物の天井は吹き飛んでしまっており、空なのか海なのかよくわからないが、はるか彼方の薄青色をまっすぐに貫いていた。
 ダメ、だったのかな――。
 ぼんやりとそんなことを思いながら目を細める。轟音を上げていたまばゆい光の柱は、徐々にその勢いを失い、やがてふっと掻き消えるようになくなった。

 ガラガラ、ガラ――。
 瓦礫の崩れるような音が聞こえたかと思うと、その向こうから武蔵がよろりと姿を現した。ところどころに軽い擦り傷があるくらいで、大きな怪我はなさそうに見える。彼は瓦礫の中で横たわる澪を視界に捉えると、ハッと息をのみ、何度か蹴躓きながらも勢いよく駆け寄って来た。
「澪! しっかりしろ!!」
 虚ろな目を覗き込んで声を掛け、体の上に散らばった瓦礫を必死に退けていく。そして、あちこち破れた血塗れのブラウスに手を伸ばし、ボタンを外して中を確認すると、ようやくほっと小さく安堵の息をついた。顔にも体にも多数の裂傷を負っているものの、出血は軽く、命に関わることはないと判断したのだろう。
「武蔵!」
 武蔵がブラウスのボタンを留め終わる頃、向かい側から、遥が瓦礫を踏みしめながらやってきた。シャツも手足もひどく血みどろに見えるが、澪と同じく美咲の血がついているだけだろう。足取りは軽く、これといって深刻な怪我はなさそうに見える。
「おまえは大丈夫か?」
「何とかね、澪は?」
「ああ……」
 武蔵は大きく顔を曇らせると、横たわる澪に視線を落とす。
「見たところ大きな外傷はなさそうだが、だいぶ体や頭を打ちつけているみたいだ。どこか骨折しているかもしれない。致命的なところでなければいいんだが……それよりも心配なのは頭の方だな。意識が混濁しているのか、話しかけても目が虚ろで反応が返ってこない」
「へ……いき……」
 澪はどうにか掠れた声を絞り出した。確かに頭も打ったが意識はハッキリしている。ただ、苦しくて答える気力がなかっただけである。息をするだけで体中がズキズキと痛むが、ひたすら堪え、先ほどから気になっていたことを尋ねる。
「結界、は……?」
「結界は破れた」
 武蔵は深刻な面持ちで答えた。そして、向かいに立つ遥を見上げる。
「だから一刻も早くここから離れないと危ないんだ。潜水艇は一時避難しているかもしれないが、落ち着いてきた今なら戻ってくるだろう。俺が今から急いでメルローズを連れてくる。その間、二人はしばらくここで待っていてくれ」
「母さんも忘れないで」
 遥は表情ひとつ変えずにそう言い添えるが、武蔵は眉根を寄せ、答えあぐねるような様子でうつむいた。美咲が事切れていた場合の対処について悩んでいるのだろうか。しかし、その可能性については遥もすでに認識しているはずである。
「どうなってても置き去りにはできないよ」
 痺れを切らしたのか、どこか苛立たしげに言い捨てて美咲のいた方へ自ら向かっていく。その言動からは、生きていても死んでいても連れ帰るという強い意志が感じられた。しかし、武蔵は大慌てで立ち上がって追いかけていくと、後ろから細い手首を引き掴んだ。
「俺が行くから待ってろ」
「覚悟はしてるから」
「駄目だ、まず俺が――」
 二人がそんな言い争いをしている間に、澪は軋む体を起こし、奥歯を食いしばりながらそっと足を進めた。美咲が生きているのか死んでいるのか気になり、いてもたってもいられなくなったのだ。すぐに、床がクレーターのように大きくえぐれているのが目に入る。その中心部の最も深いところで、誰かがうつぶせになっていた。鮮血に染まった白いワンピースに、緩いウェーブのかかった灰赤色の長髪――メルローズだ。
「おいっ、澪!!」
 ようやく気付いた武蔵が驚愕した声を上げ、血相を変えて追ってきた。澪は反射的にクレーターに足を踏み入れるが、斜面でバランスを崩して倒れ、そのままゴロゴロと砂埃を上げながら転がり落ちる。
「澪っ!!」
「う、ぐ……っ」
 あまりの痛さに意識が遠のきそうになった。それでも脂汗を滲ませて必死に堪えながら、ガクガクと力の入らない手をつき、どうにか上体を起こしてあたりを見まわす。どこにも美咲の姿はなかった。暴発前はメルローズの隣にいたはずなのにどうして、と倒れている彼女に再び目を向けると、体の下から指らしきものが覗いていることに気付く。怪訝に思い、横から彼女の小さな体を起こして中を覗き込んだ。
「……っ!!!」
 思わず声にならない悲鳴を上げて少女の体を突き飛ばし、反動で尻もちをついた。そこにあったのは片腕だけだった。他の部分はどこにも見当たらない。血に濡れた白衣からすらりと伸びている白い手――信じたくはないが、美咲である。
「い、やーーーーっ!!!」
 ガタガタと大きく体を震わせながら絶叫し、後ろに倒れかけたところで、追ってきた武蔵に受け留められた。そして、眼前にある現実から庇うかのように抱き込まれる。澪はその広い胸に縋りついて火が付いたように号泣した。
「ひっ……う、なんで……こんな……こんなの……っ!」
「メルローズが抱え込んでいたところだけ残ったんだ。それ以外の部分は暴発を受けて消し飛んだんだと思う。橘美咲には魔導の耐性がまったくなかったからな……連れ帰ると言ったのに、こんなことになってしまって本当にすまない」
 武蔵は苦しげな声で謝罪すると、抱きしめる手にそっと柔らかく力をこめた。ほのかなぬくもりが伝わってくる。それでも澪の震えと涙は止まらない。頭の中はぐちゃぐちゃで何も考えられず、ただ泣き続けることしかできなかった。
 ザッ――。
 砂地のようになっている地面を踏みしめながら、遥は前に進み出た。腕だけになった母親を無言のまま見下ろす。そして、血に染まったシャツを静かに脱ぐと、片膝をついてその腕を丁寧にくるんだ。
「腕だけでも、何もないよりはいいから」
「遥……」
 武蔵は黒のTシャツだけになった後ろ姿を見つめて、眉を寄せた。
「こんなときにこんなことを頼むのは申し訳ないが、遥にはメルローズを連れて行ってもらいたい。魔導は放出しきってるから数日間は暴発しないだろう。今後、何かのはずみで暴発することがあったとしても、魔導の発現が格段に弱くなる地上なら、こことは違ってさほど大事には至らないはずだ。魔導力を安定させる研究もしていたらしいし、石川とかいう医者に頼れば、メルローズの暴発を抑えることも出来ると思う」
 一方的にそう言うと、今度は澪の背中をポンポンと叩く。
「澪、気の済むまで泣かせてやりたいのは山々だが、今はあまり悠長に構えている余裕はないんだ。結界が破られた以上、すぐにでもミサイルが撃ち込まれるかもしれない。だから、つらいだろうが今は堪えて立ち上がってくれ。体も痛いと思うがどうにか潜水艇までは歩いて行ってほしい」
 彼の言葉にどこか他人事のような響きを感じ、澪は啜り泣きながらも怪訝に顔を上げる。
「武蔵、は……?」
「俺はここに残る」
 澪は濡れた目を大きく見開いたが、彼は迷いなく言葉を紡ぐ。
「ここは俺の故郷だ。攻撃されるとわかっていて逃げるわけにはいかない。たとえ守りきることができなくても」
 今さら彼一人が残ったところでどうにかなるとは思えない。それを承知の上で、故郷と命運をともにしようとしているのだろう。どうして、そんな――澪の目から新たな涙が溢れてきた。肩を震わせながら武蔵の胸に縋りついてしゃくり上げる。
「武蔵が行かないなら、私も行かない」
「冷静になれ。ここにいたら死ぬんだぞ」
「もう、いいよ……疲れたもん……」
「おまえには待ってる人がいるだろう」
「大切な人が死んじゃうのは見たくない」
 小さな子供のようにぐずぐずと泣きじゃくりながら言う。ここで死のうと覚悟を決めたわけではなかった。母親に続いて武蔵まで死ぬと思うとショックで、悲しくて、何もかもどうでもよくなってしまっただけである。立て続けに起こった尋常ではない出来事に、心身とも絶望的なくらいに疲れきっていた。
 遥はすっと立ち上がり、鋭く厳しい顔つきで振り返る。
「武蔵が残ることでこの国が救えるのならわかるけど、その可能性はほぼ皆無で、無駄死にになる可能性の方が圧倒的に高いんだよね? 故郷を思う気持ちはわかるけど、他に大切なものはないの? 今の澪を救えるのは武蔵だけだよ。メルローズを守れるのも武蔵だけ」
「…………」
 武蔵は体をこわばらせ、澪の肩を抱いたまま無言で考え込んだ。メルローズのことも澪のことも大切に思っているだろうが、この国にはおそらくそれ以上に大切な人たちがいるはずである。だからこそ留まろうとしたのだ。簡単に覆せるような軽い決意だとはとても思えない。しかし、遥はなおも淡々とした口調で畳みかける。
「故郷を見捨てて、僕らを助けて」
 彼の迫っている決断はこの上なく残酷なものだ。取り繕うことなく放たれたまっすぐな言葉に、武蔵は眉を寄せてうつむいた。グッと奥歯を食いしばり、目をつむり、手に力を込め、額に汗を滲ませる。息の詰まるような重い沈黙。時が止まったかのような静寂。そして――。
「……わかった」
 硬い声でそう言うと、吐息を落として幾分か緊張を緩める。
「俺は澪を抱えていく。おまえはメルローズを頼む」
 遥が頷いたのを確認すると、武蔵は澪を横抱きにして立ち上がった。それだけで体中にズキズキと痛みが走り、澪は声を堪えながらも顔をしかめる。だが、彼が一緒に帰ってくれることになったおかげか、気持ちの方は落ち着きを取り戻しつつあった。
「自分で歩くよ」
「無理するな」
「……うん」
 まだまともに歩ける状態ではないのだから、かえって迷惑かもしれないと思い直し、素直に甘えさせてもらうことにした。小さく息をついて何気なく彼を見上げる。そこにあったのは痛々しいくらいつらそうな顔で、澪は思わず息をのんだ。
「武蔵……」
「ごめんな」
 不意に落とされた視線と謝罪。それが何に対してのものだったのかは判然としないが、謝らなければならないのはむしろこちらの方である。自分たちの我が儘で故郷を捨てさせたのだ。泣いてどうなるものでないことくらいわかっていたし、謝罪すべき側の人間が泣くなど卑怯だろうとも思ったが、それでも涙が止まらなかった。必死に泣き声を抑えながら顔をそむけようとした、そのとき。
 ――ドォォオォン!
 轟音とともに、地面が突き上げられるように大きく揺れた。それから小さめの振動が続く。遥は抱き上げていたメルローズを下ろして庇うように抱きしめたが、武蔵は少しよろけながらも澪を抱えたまま立っていた。
 すぐに揺れはおさまる。
 澪は抱きかかえられたまま彼の腕に縋りついていたが、少しほっとして体の力を抜いた。何が起こったのかはいまだにわからない。海中にあるこの国で地震など起こりうるのだろうか。それとも、まさかもう溝端たちが攻撃を――ふと最悪の可能性が頭をよぎりゾクリと背筋が震える。おそるおそる真上に目を向けると、崩れた天井の向こうに広がる晴れやかな薄青色の一部分に、黒い煙のようなものが禍々しく渦巻いているのが見えた。
「どういうことだ……」
 武蔵も同じ方向を見上げながら、愕然として呟く。その頬には一筋の汗が伝っていた。


…これまでのお話は「東京ラビリンス」でご覧ください。

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