杜のパン屋
縁があり友人に頼まれて出雲方面に治療に伺うようになって久しいのですが、仕事の合間をぬって忙中閑ありで、奥出雲にある食の杜のイベントに参加してきました。
<食の杜>山陰中央新報 10.1.10より抜粋
斐伊川中流域雲南市木次町に約7ヘクタールの「食の杜(もり)」はある。地域の食文化、自給自足の農業を守るスローライフ・スローフードの交流拠点である。
「*農業はもともと有機で、安全は当たり前。私らは半世紀も前からやっとる」。創設者の1人、木次乳業(同町東日登)相談役の佐藤忠吉さん(89)は、卒寿を迎えた今も毎日のように農園を駆け巡る。
*農業はもともとが有機なのは当たり前の当たり前で、戦後化学肥料が入ってくる前は、歴史が始まって以来有機農業でした。私が幼い頃には家の近所のそこここに、汲み取り式の便所から汲み取り貯めるためのタンツボという大きな瓶様の貯蔵坪があり、それこそ人間の排泄物からの見事なリサイクルシステムが構築されていました。
食の杜は1997年、地元農家や企業家、医師ら15人が出資し、協同農場「室山農園」を設立したのが始まり。近隣から築130年のかやぶき民家を移築し、農業と市民を結ぶ場を立ち上げた。
80年代、ついに50%を割った国内の食料自給率は、その後も下がり続けていた。安価な輸入食品や加工品がスーパーなどの店頭を席巻。「もうけや政策のため、単なる商品になった食べものを物とみるか、命とみるか、農民も考える力を無くした」と佐藤さん。
戦後の近代農業が、速効性や利便性を求めて陥ったゆがみ-。食の杜の原点となる佐藤さんらの苦闘は、既に60年代から始まっていたという。
当時、協同組合に結集した酪農家仲間の牛に、思いがけず繁殖障害などが発生した。原因は化学肥料で栽培した牧草、農薬散布のあぜ草。これを機に有志で「農」「食」の在り方を模索し、戦前のような風土に根差した自給自足の農業「地域自給論」にたどり着いた。
工夫の末、佐藤さんらは78年、日本初のパスチャライズ(低温殺菌)牛乳を生み出す。併せて、牛乳パックや配送車に掲げたのが「赤ちゃんには母乳を」のメッセージ。牛乳の質や栄養維持に徹し、価格でも消費者にこびない姿は、最初はけなされ、笑われた。
だが「自らが健康で、安心できるものを作る自給が基本。その余りを人に分けるのが『農』の本質」と信じ、節を曲げずにやってきた。
「身土不二」というポリシーのもと、身体と土(環境)は切り離せず、その地の伝統食で旬を頂く「土産土法」につながる。底流に不動の哲学が息づく食の杜の生産プロセスは、至ってシンプルだ。自家栽培や契約農家からのブドウでワインを造り、豆腐やパンも国産原料のみ使う。
そんな小規模ワイナリーが国産コンクールで毎年入賞し、来訪者は年間4万人。住民グループがかやぶき民家で供する完全予約制の伝承料理は、昨年9カ月間で約2千人が食した。
<
<
実はここで紹介されている佐藤さんこそが、先日ベトナムの鶏の件でコメント紹介した人です。
私は以前から牛乳はそんなには飲まないほうですが、飲むときはよいものをと木次乳業のパスチャライズミルクをチョイスしてました。その創業者の方と宴席で隣り合わせに座るとは・・、ほんと縁は異なもの味なものと思います。
石油から作った化学肥料で見てくれの良い野菜を作り、同じく石油から作った農薬を使用し虫喰いのまったく無い野菜を生産しまた食し、石油から化学的に合成した薬(西洋医学のほとんどの薬はそうです)を飲み、原子力発電で作った電気を煌々とあてて育てた花を慈しむ。それが、私たちが信ずる**東洋医学の進むべき方向であるとは私には思えません。
私たちの眼の前にあるリアルな物のみが本物である。
その意味においてこの方々のやっている農業こそが本物の農業であり、私たちの目指すものにつながると信じているので、今回は紹介しました。
**例えば漢方医学に基づく漢方薬は、すべて自然素材(草や木など)です。
*移築された古民家のいろり
にほんブログ村
東洋医学 ブログランキングへ