写真集へのお誘い

私の日常、日々折々の写真集を見ていただければと思っています。

街道見て歩きシリーズ<<<<<トップページ>>>>>

2020年11月15日 | 街道見て歩きシリーズ

 

古来より人々は集まって生活をしておりました
人の集まった集落が形成され
人は移動するため歩いておりました
歩いた後が道になり、沢山の人が歩くと
道となり人の往来で多数の道ができました
集落と集落の間に街道というものができました
街道沿いには茶店ができ、食べ物屋さんができ
生活に必要な物が扱われ商店もできました
地方にも主要街道ができました
旅人のための宿ができ、宿場町が出来上がりました
宿場から宿場へと人は歩きました
生活の範囲が広がり物の輸送も行われ
特に5街道と言われる街道が発達しました
人と物の流れが多くなり発達したものでしょう
特に徳川時代には顕著になり
街道、宿場町が発達したようです
現在でもその面影を偲ばせてくれます
400年の昔の人の息吹、物の哀愁に
心引かれときめかされます
その街道を取り上げました

 

〜〜〜街道見て歩きシリーズ〜〜〜

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

街道見て歩き・東海道五十七次<<目次>>

2020年11月05日 | 街道見て歩きシリーズ
〜〜〜街道見て歩きシリーズ〜〜〜
 
 
<<東海道五十七次見て歩き目次>>
 
徳川家康は東海道をはじめ
中山道(木曽街道)、日光街道、奥州街道、甲州街道の五街道を整備しました
東海道はお江戸日本橋より
京都三条大橋までの五十三次の宿場を繋ぎ
その主な目的は各地の大名に参勤交代をさせるための街道だったそうです
街道には松並木が植えられ、
その道標となる一里塚が設けられ124カ所もありました
各宿場には問屋場が設けられ
荷物や馬の中継も行われました


(パート①)大津・追分⇒墨染
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

街道見て歩き<東海道五十三次>目次

2020年11月05日 | 街道見て歩きシリーズ
〜〜〜街道見て歩きシリーズ〜〜〜
 
 
<<東海道見て歩き>>
徳川家康は東海道をはじめ
中山道(木曽街道)、日光街道、奥州街道、甲州街道の五街道を整備しました
東海道はお江戸日本橋より
京都三条大橋までの五十三次の宿場を繋ぎ
その主な目的は各地の大名に参勤交代をさせるための街道だったそうです
街道には松並木が植えられ、
その道標となる一里塚が設けられ124カ所もありました
各宿場には問屋場が設けられ
荷物や馬の中継も行われました


<パート1>京都・三条大橋⇒逢坂・追分
<パート2>京都・追分⇒大津・札の辻
<パート3>大津・札の辻⇒膳所
<パート4>大津・膳所⇒瀬田唐橋
<パート5>瀬田唐橋⇒草津・狼川
<パート6>草津・狼川⇒草津宿
<パート7>草津宿⇒石部宿・六地蔵
<パート8>石部宿・六地蔵⇒石部宿・甲西
<パート9>石部宿・甲西⇒水口宿・北脇縄手
<パート10>水口宿・北脇縄手⇒水口宿・東見附
<パート11>水口宿・東見附⇒土山宿・松尾の渡し
<パート12>土山宿・松尾の渡し⇒土山宿・田村神社
<パート13>土山宿・田村神社⇒坂下宿・鈴鹿馬子唄会館
<パート14>坂下宿・鈴鹿馬子唄会館⇒関宿・小萬もたれ松
<パート15>関宿・小萬もたれ松⇒亀山宿・東町
<パート16>亀山宿・東町→庄野→石薬師宿・中町
<パート17>石薬師宿・中町⇒四日市宿・小古曽
<パート18>四日市宿・小古曽⇒四日市宿・諏訪神社
<パート19>四日市宿・諏訪神社⇒間の・宿・富田一里塚
<パート20>間の宿・富田一里塚⇒桑名・矢田立場
<パート42>箱根宿・権現坂→小田原宿・青物町
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

街道見て歩き<中山道六十九次>目次

2020年10月03日 | 街道見て歩きシリーズ
〜〜〜街道見て歩きシリーズ〜〜〜
 
 
<<中山道見て歩き>>

中山道は東海道の船酔や、川止を避けた又、往来する混雑を避けた人が利用したと云われ経済的に負担を避けるために、その分日数もかかったであろうに、又、山の中を通るにもかかわらず、江戸への脇往還として往来をした街道でもありました

東海道は海道と名のつく通り海近くの街道でしたが、中山道はその両端を除き、ほぼ山の中ばかりでした

そのため難所が3カ所もありました

西の入り口には十三峠、真ん中には和田峠、東の入り口には碓氷峠と人々を苦しめた街道でもありました

また宿場は六十九次と東海道より16宿も多くあり、一里塚は134カ所ありました

 

 

近江路

<パート1>草津宿・追分⇒守山宿・野洲川

<パート2>守山宿・野洲川⇒武佐宿・武佐駅

<パート3>武佐宿・武佐駅⇒愛知川宿・郡分の地蔵

<パート4>愛知川宿・郡分の地蔵⇒高宮宿・木之本分身地蔵

<パート5>高宮宿・木之本分身地蔵尊⇒鳥居本宿・旅人の像

<パート6>鳥居本宿・旅人の像⇒番場宿・久禮の一里塚

<パート7>番場宿・久禮の一里塚⇒醒ヶ井宿・居醒の清水

<パート8>醒ヶ井宿・居醒の清水⇒柏原宿・照手姫笠地蔵

美濃路

<パート9>柏原宿・照手姫笠地蔵⇒今須宿・今須峠

<パート10>今須宿・今須峠⇒関ケ原宿・脇本陣跡

<パート11>関ケ原宿・脇本陣⇒垂井宿・御坊

<パート12>垂井宿・御坊道⇒赤坂宿・薬師如来道

<パート13>赤坂宿・薬師如来道⇒美江寺宿・谷汲み道道標

<パート14>美江寺宿・谷汲み道道標⇒河渡宿・小紅の渡し

<パート15>河渡宿・小紅の渡し⇒加納宿・境川・高田橋

<パート16>加納宿・境川高田橋⇒鵜沼宿・地蔵堂

<パート17>鵜沼宿・地蔵堂⇒太田宿・今渡の渡し

<パート18>太田宿・今渡の渡し⇒伏見宿・御嵩宿堺道標

<パート19>伏見宿・御嵩宿堺道標⇒御嶽宿・宿外れ

<パート20>御嵩宿・宿外れ⇒細久手宿・三国見晴し台と馬頭観音

<パート21>細久手宿・三国見晴し台と馬頭観音⇒大湫宿・宗昌寺

<パート22>大湫宿・十三峠西の入口⇒大井宿・十三峠東の入口

<パート23>大井宿・十三峠東の入口⇒大井宿・広久手の馬頭観音

<パート24>大井宿・広久手の馬頭観音⇒中津川宿・すや

<パート25>中津川宿・すや⇒落合宿・石畳東

木曽路

<パート26>落合宿・石畳東⇒馬籠宿・馬籠峠

<パート27>馬籠宿・馬籠峠⇒妻籠宿・しろやま茶屋

<パート28>妻籠宿・しろやま茶屋⇒三留野宿・脇本陣

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする