今日2月18日付 The Jordan Timesによると、
・17日日曜には2000人、ここ3日間では計9000人のシリア難民が国境を越えヨルダンに入ってきた。
・シリア反政府軍であるFSA, Free Syrian Armyが、シリア南部を今月2月末までに解放するとしたことが背景であり、Nasib, Tal Shihab, Al Jiza などの国境の町では激しい銃撃や爆発が報告されている。
・FSAは、シリアのDaraa近郊のHijarneh 政府軍兵舎を奪取しコントロール下に置いた。これは2011年3月の紛争開始以来、最大の収穫と言える。
・そしてヨルダンからシリアへ抜ける主な国境であるRamtha(25号線)とNasib/Jaber(15号線)を反政府軍は狙っている情勢。
・すでにヨルダンには35万人のシリア難民が入っているが、国連は、戦闘が継続すれば6月末までにさらに30万人増加すると予想している。
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人口600万人のヨルダンにとってはたいへん大きな数だ。
既にザータリ難民キャンプは6万人を超え、次のキャンプも用意されているという。そして、難民キャンプ以外にキャンプ外にあるホストコミュニティーと呼ばれる場所での難民支援も広がっているという。
中東の歴史を思う。
ヨルダンは1940年代のイスラエル独立を契機とした中東戦争以来、300万人ものパレスチナ難民を受け入れてきた。
それは、当時の人口と同じ数だ。
同じ言語、ほぼ同じ文化、国境は時の政権が作る・・・そういう長い共同性を持った歴史が、アジアとは違って、ここには在る、と感じている。
ここアンマンに来て、シリアでの活動経験を持つ人々と会うことが少なくない。
人々の素朴なあたたかさややさしさは異口同音だ・・・
その社会が、ヒトが、変わって表われている・・・
しかし1日に2000人から3000人が増加し続けるという状況での難民支援は困難を極める。
1月中旬には降雨や降雪があり、テントの倒壊も多かったという。
2011年に巨大な津波災害で壊滅的な被害を受けた岩手・陸前高田では、それでも避難を余儀なくされた方々は2万人は越えなかった。
それが支援の対象人数であり、ぼくの実体験だ。
具体的に支援をする時には、そこからさらに地域を縛って支援活動の具体策を創った。
しかしヨルダンではすでに35万人、これからまだ30万人加わるかもという数字が大きすぎて実感がわかない・・・
心理社会支援は、だれに、いつ、どういう形で・・・!?
まずは、戦闘の終結を願わずにはいられない。
恐怖政治の専制アサドは、頼むから、もう諦めろよ・・・