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平御幸先生の弟子日記

平御幸先生 公式応援サイト

大発見!

2009-11-11 23:28:32 | Weblog
大きなニュースの片隅に、小さく載っていました。
奈良県で、卑弥呼の宮殿と思われる遺跡が発見されたそうな。これがほんとに卑弥呼の遺跡なら、大発見です。とうとう邪馬台国に決着がつくそうな。でも、どうかなあ・・・
先生が、邪馬台国のことは、もう解明されました。以外なところにありました。邪馬台国も銅鐸の謎も、それから、古墳のもう一つの意味があることも。
エフライム工房に出逢うまでは、私も、どっちかなあ・・と、想像していました。九州説を読むと、九州に違いない! 畿内説を読むと、やっぱり畿内だ! なんてね。
優秀な考古学者や、郷土史家や、考古学好きの方たちが、長年にわたり研究し、論争し、それでも、答えが出ないのは、どちらも、そうじゃない! からだと思いました。銅鐸の謎も、先生は、見事に解明されて、なあーーんだ、と納得しました。昔も今も、地震の怖さは、同じなんだなと、思いました。
奈良県で発見された遺跡は、3世紀ごろの大きな宮殿とのことです。いつも思うのは、古代の宮殿って大きいなあ、と思います。とても太い丸木を何本も柱にして、人間の労力だけで作り上げることに、とても感心します。
この宮殿跡から、どんな発見があるのか、古代の人の声が聞こえるのか、すごく楽しみです。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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四世紀説 (平御幸)
2009-11-14 16:47:37
今回の纒向(まきむく)遺跡は四世紀説があり、僕も四世紀だと思います。

邪馬壹国近畿説の学者は、遺跡を古いものに認定しようという傾向があります。今回の遺跡の柱間も、僕が古代史で述べているように古代イスラエルの寸法のようです。↓

太陽角度連動メートル法の実際

http://www.geocities.jp/atelier_efraym/angle.htm

古代イスラエルとの関係を提示できない学者は無能ということです。
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先生へ (弟子カノン)
2009-11-14 20:26:07
よくわかりました。
四世紀だったんですか・・・やっぱり卑弥呼とは関係ないですね。
先生、これからもどんどん真実を解明して、私たちに教えてください。何よりも先生が真実だといううことは、私たちはもう知っていますから。
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