「政治を国民の手に」国民会議

政治を国民の手に取り戻すために、腐りきった菅政権や検察、裁判所などの実態、権力と癒着したマスコミの横暴を暴きます。

第3回党首討論(政治の本質が見えないマスメディア)

2007年05月19日 | Weblog
最近の国会論戦や新聞、評論家の論調を見ていると本質からほど遠い揚げ足取りや上っ面の議論が多い。例えば5月16日の党首討論についても、読売新聞はじめ各メディアは「議論がかみ合わない」とか「小沢代表が党首討論を逃げている」「将来像や重要政策の違いが見えない」など揚げ足取りばかり。

肝心の討論の中身については淡々と紹介するだけで、何が問題なのかという見識すら示されていない。「討論が充実していない」ことが問題と言うが「本質が見えない」記者の頭の方が問題だ。さて小沢代表は党首討論で1)天皇制を含めた国家のあり方2)教育制度3)補助金や地方分権のあり方などについて安倍総理に論戦を挑んだ。

まず小沢代表の「安倍総理は国や社会の仕組みの価値判断基準を天皇制に求めているのではないか」という質問に対し、本来ならば「日本は国民主権であり天皇は象徴」と中学生でも答えられるべきところを、安倍総理は「自然・文化・歴史・伝統を大切にする国でありたい」と美しい言葉を並べただけで訳の分からない回答をしている。

また安倍総理が防衛大学の卒業式で行った訓示について小沢代表は「危機に際して自衛官は的確な判断をすべきと言っているが、それは個別の戦闘への心構えなのか、侵略を受けた場合の心構えなのか」という質問に対し、安倍総理は「侵略された際にはそういう判断を彼ら(自衛官)がしなければならない」と述べている。

これに対して小沢代表は「侵略された場合は国家的危機。個々の行動とは違う。大きな判断は政治家がすべき」と諭していたが、安倍総理には今ひとつ分かっていないようだった。これは日本の最高首脳が「文民統制」を否定するような重大発言でもある。メディアも大々的に取り上げるべき話だが、最高首脳の言葉が軽いのかそんな記事は全くない。

さらに小沢代表は「戦後の教育制度」について「国が「指導と助言」だけで正面から責任を持っていない。その仕組みを変えるべき」と主張しているが、安倍総理は「教育委員会にも問題があり研修もしていただくし、保護者にも委員会に入ってもらう」と回答。どうやら安倍総理は「研修」や「保護者参加」をすれば済むと思っているようだ。

小沢代表は地方分権、補助金改革についても福井県の美山町の事例をあげて補助金の無駄遣いを指摘し「根本原因は省庁主導の補助金政策」「中央集権を改め地方分権にして国は国本来の仕事に限定すべき」と述べたが、これに対し安倍総理は「無駄遣いゼロを宣言した」「公務員も5.7%削減」と回答した。

もし安倍総理が「美しい言葉や数字を並べる」だけで結果がでると思っているのならば大間違い。小沢代表が言うように仕組みを変えなければ改革はできない。安倍総理は「言うだけでなく責任を果たす」というが政治家は「結果」を出してはじめて評価されるもの。

党首討論を聞いて感じるのは、小沢代表の「本質を突いた」質問に対し的確な回答ができないのは、安倍総理の最高首脳としての資質に問題があるのかも知れない。小泉前総理は政策音痴でまったく話にならなかったが、安倍総理もそれに近いものがある。メディアはこのような人物を日本の総理に担いでいる現状をよく認識すべきだろう。