【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《河江肖剰》 =018=

2017-06-10 10:06:03 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠

◇◆ エジプト革命と発掘隊の危機管理 = 2/3= ◇◆

 1月28日(金)の深夜から29日(土)にかけて、ムバラク大統領(当時)が全閣僚の解散を発表したが、退陣には応じないというニュースが入ってきた。

 土曜日はエジプトでは週初めである。私たちは発掘がまだなんとかできるのではないかという期待を抱いていた。 それだけでなく、「普通の生活」に戻れるのではないかという期待もあったように思う。しかし私たちの期待に反して、ピラミッド地区が閉鎖されたというニュースが早朝に入ってきた。

 外出禁止令が解かれた朝の7時半にチームでミーティングを行った。 ピラミッド地区の封鎖に伴い、室内作業になったが、誰もあまり身が入らないような感じだった。

 11時に携帯電話が一部復旧した。この日に出た外出禁止令は16時から翌日の8時までであったため、ディグ・ハウスで食事をするのではなく、それぞれのアパートで夕食を作ることになった。 この頃から、銃声がそこら中から聞こえてくるようになった。人々の興奮が、首都カイロ中心部のタハリール広場から広がり、ピラミッドまで伝わり始めた。戦車や装甲車も急激に増えてきた。

 夜、カイロ博物館に略奪者が入ったというニュースがテレビに流れた。 彫像の足が壊されたり、展示ケースのガラスが割られたり、貴重な遺物が床に転がっているシーンだった。イラクのバグダッド博物館と同じように、軍隊が博物館内を巡回していた。 にわかには信じられない光景だった。 緊張で眠れないメンバーも何人か出てきた。

革命時の対策

 エジプト革命は未曾有の出来事だったが、私たちのプロジェクトはこれを乗り切るために、すぐに適切な対策を立てた。 下記のリストは、その対策をまとめたものである。実際には行えなかったこともあるが、動乱に巻き込まれた際、やるべき基本的な動きとして読んでもらいたい。

1 情報伝達方法の確立

1-1 緊急時におけるプロジェクト全体のリーダーと、その代理を決める。

1-2 泊まっている場所が分散しているため、グループごとにサブリーダーを決め、情報伝達の要とする。

1-3 定期的なミーティング時間を定める。毎食事前にチーム全員の安否の確認と新たな情報のシェア。

1-4 固定電話の確保。緊急時連絡リストを作成し、チーム全員に配る。

2 安全対策

2-1 極力出歩かないように注意。

2-2 緊急時に備え、アパートに数日間分の必需品を確保。3日ごとに食料を交換。*救急箱は既に用意されている。

2-3 緊急時に使える車の確保。空港、大使館への移動。

2-4 アパートとディグ・ハウスは、なるべくグループで往来。

2-5 緊急時に備え、各メンバーは手荷物をまとめておく:貴重品。そして、空港で数日過ごす可能性を考えた必需品。

2-6 緊急時の対応を決めて、チームメンバーに伝える:暴動が起きた場合、私たちのディグ・ハウスも襲撃される可能性があるため、メンバーはアパートに分散し、様子を見ながら空港へ移動。*メンバー配分は大使館への移動も考慮に入れると国別が望ましい。ただし男女比なども考慮すること。

2-7 ディグ・ハウスが襲われた場合には、一番近くのホテルへ待避し、リーダー(もしくはサブリーダー)へ連絡。

=資料・文献=

エジプト・ピラミッド学(8): ピラミッドの建造・その一

そもそも古代エジプト社会は古代ローマや古代アテナイの社会と異なり、農業や手工業といった通常の生産労働も奴隷労働に依存せず自由身分の農民によって成されており、人口の少数しか占めない奴隷は家内奴隷が主体だったと判明している。 吉村作治は、ピラミッド建造は定期的に発生したナイル川の氾濫によって農業が出来ない国民に対して、雇用確保のために進められた公共工事的な国家事業であったと主張している。

ピラミッドが国家事業として作られたという説は吉村のオリジナルではなく、クルト・メンデルスゾーンによって既出である(邦訳:ピラミッドの謎/文化放送開発センター出版部)。 ただしメンデルスゾーンは、ピラミッドを作る目的が公共工事だったとは言っておらず、事業形態が国家事業であり、建設の目的自体は主に墓であっただろうと述べている。

ピラミッド建設に必要な石材は主にナイル上流のアスワン付近で産出し、石切場で切り出された後、粗加工した状態で搬送されたと考えられている。 それらの石は一定の規格寸法があったわけではなく、現場で必要な寸法に合わせて専門の職人がで整形していた。 また初期のピラミッドと後期のピラミッドでは、石のサイズや積み方が異なる。

従来、石材を積み上げるにあたっては、日乾し煉瓦と土などで作業用の傾斜路が作られ、その斜面を運び上げられたと考えられてきた。 傾斜路の形状には、ピラミッドを取り巻くように築かれて4辺で直角に転回していたという説と、長大な直線傾斜路が使われたという説がある。

前者の説では、傾斜路がピラミッドの姿の殆どを隠してしまうために、建築中の測量が出来ず、歪んだ形にピラミッドが仕上がってしまう懸念の指摘があり、後者ではピラミッド本体と同じくらいの石材が傾斜路を作るために必要とされるという非効率性の問題がある。 ただし後者の方法だと、各ピラミッドの傾斜路がナイル川から石材を降ろして運び上げるのに丁度良い位置に来るという研究もある。 クフ王のピラミッドでは、直線傾斜路があまりにも長くなりすぎ、石切り場の位置を通り過ぎて先にまで達してしまうという矛盾が生じる。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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