【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《小林快次》 =39=

2016-10-17 10:10:05 | 冒険記譜・挑戦者達

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

○ 世界中を飛び回り、恐竜の姿を求める / 小林快次 ○

◇◆ エピローグとして  “恐竜・デイノケイルス” ◇◆

  デイノケイルス (Deinocheirus ) は、中生代白亜紀末期に生存した恐竜。 1965年にモンゴルで全長2.4メートルに達する巨大な両腕の骨格化石のみが発見されて1970年に記載されたが、長らく詳しい事はわかっていなかった。しかし、2013年の古脊椎動物学会で、2006年と2009年に胴体部分が発見されたと発表された。 属名は、ギリシャ語で「恐ろしい手」を意味する。ギリシャ語のケイロス(χειρος)は手を意味する単語である。

分類

 模式種はデイノケイルス・ミリフィクス (Deinocheirus mirificus ) 。 デイノケイルスはコエルロサウルス類のオルニトミモサウルス類に分類されたが、それまでの獣脚亜目の単純な二分法に再検討をもたらした点で注目される。

  この恐竜の発見・記載以前は、獣脚亜目の恐竜は大型のカルノサウルス類と小型のコエルロサウルス類に明確に分けられていた。  前者はアロサウルスメガロサウルスケラトサウルスなどがふくまれ、ティラノサウルスも当時はカルノサウルスの仲間とされていた。  これらは大きな体躯、大型の獲物を攻撃・捕食するための大きな頭部と口、体と不釣合いに小さな前肢が特徴である。  後者は体が小さく大部分が全長3メートル以下であり、頸部が長くて頭は比較的小さく、自分の体よりずっと小さな獲物を捕らえるか、もしくは雑食であり、前肢は長く大きい。

  それまでは小型のグループとされていたコエルロサウルス類に、カルノサウルスに匹敵する大型のデイノケイルスが加えられた結果、そうした分類は不完全なものである事が明らかになり、コエルロサウルスの仲間が非常に変化に富んだものであるとわかった。  実際には発見と記載はテリジノサウルスの方が早かったが、先に研究者の注意を引いて見直しの機運を導いたのはデイノケイルスである。

形態

  2.4mもある腕だけが発見されていた頃は、どのような恐竜であったかは想像の域を出なかった。  指は3本で、先端には鋭い鉤爪が付いているが、腕の骨そのものはさして頑丈ではない。  コエルロサウルス類に属するので、頸が長く頭部も比較的小さく、二足歩行をしており、体躯に対する前肢の比率はカルノサウルス類より大きかったとの推定から、カルノサウルス類の中でも最大級のものに匹敵する全長12メートルという説があったが、もう少し小さかったのではないかという異論もあった。

  新たに発掘された胴体部の化石を踏まえ、韓国地質資源研究院のイ・ユンナム(李隆濫)は「想像とはまったく異なる形態」として、全長11m(直立した場合の全高5m)とした。  さらに脊椎骨の分析結果として、スピノサウルスにも似た帆を張った背ビレを持っていた可能性も指摘された。

  2006年から2010年までゴビ砂漠で恐竜発掘調査を実施。  2006年と2009年に、2体のデイノケイルスの骨格化石が発見された。  また、同調査とは別にモンゴルから日本へ密輸され、現在はモンゴルへと返還されている標本も研究対象とし、2009年に採取した標本と比べたところ、同一個体であると判断したという。

  これらの個体を調べた結果、デイノケイルスは獣脚類オルニトミモサウルス類の恐竜であることが判明、全長11m、体重6.4tという巨体であったと推測された。  オルニトミモサウルス類は骨を空洞にして軽量化することで、走行性の優れた足の速い恐竜であることで有名で、体長も最大でも6mほど。  一方のデイノケイルスは軽くなった体を巨大化へと利用して進化を遂げたと考えられている。

生態

  胴体部から、胃石と思われる小さな石が1000個以上発見されたことから、草食性であると推定される。  なお、腕の化石のみが発見されていた当初は、恐ろしげな巨腕と鉤爪によって獲物を攻撃・捕食するどう猛な肉食動物とも考えられたが、前述のように腕はそれほど強力ではなく、また想像されるコエルロサウルス型の体型では頭部や口が小さいので、積極的な捕食者とする意見には疑問も出されていた。  そのため、爪で樹木の幹を引っかき、樹皮をはがして食べる草食恐竜との説もあり、腕と爪は肉食恐竜に襲われた時の防衛用とも考えられていた。

  テリジノサウルス : テリジノサウルスTherizinosaurus)は、中生代白亜紀後期にモンゴルに生息していた恐竜の一種。名前は「刈り取りをする爬虫類」を意味し、前肢の巨大なツメを“刈り取り用の大鎌”に見立てた命名である。  因みに種小名のcheloniformisは「カメのような姿の」と言う意味で、後述の前脚化石と共に幅広の肋骨化石が見つかり、カメのような姿に復元された事に由来する。  推定全長8 - 11m。  「テリズィノサウルス」、「ティリジノサウルス」とも呼ばれる。

  1948年に、全長2メートルもの巨大な前脚が、不完全な後脚、幅の広い肋骨と共に発見された。  その腕についたかぎ爪は70センチにも達し、生存時は表面に角質のサヤがついて90cmほどになったと見られている。  この巨大な前足から、当初は「超巨大肉食恐竜である」「アリクイのように巨大なツメで昆虫を掘り起こして食べる恐竜である」などと推測された。  また、幅の広い肋骨からカメのような姿に復元されたこともある。

  その後、1988年のアラシャサウルスのほぼ完全な骨格の発見により、その正体がようやく明らかになった。  テリジノサウルス自身は獣脚類に属するが、動きの鈍い植物食恐竜であったと見られている。  獣脚類は普通、3本の指を接地させ歩行し、4本目の指は退化する傾向にあるが、テリジノサウルスの場合、後肢は4本の指を接地させて歩いたと考えられる。  原始的なテリジノサウルスであるベイピアオサウルスでは4本目の指が退化したままであり、進化の過程で再び4本目の指が発達していったものと考えられる。  この種には原始的ながら羽毛があった痕跡が残されていた。

  ちなみに、テリジノサウルス科に属する恐竜は側面に腕を広げられ、鳥が羽ばたくような動きも可能な腕構造を持っていたが、なぜこのような進化を遂げたのかはよくわかっていない。  また、食性についても植物食であるという直接の証拠は少なく、魚食性であったとする説もある。


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森のなかえ

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