あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

徒然考えている体のこと

2023-02-28 | from:sachiaki
ここのところ考えていることの一つに
人間に体は必要なのか?
というものがあるんだけど、
こういうのって多分話の順序とかを間違えると
とんでもないことになりそうなので
Twitterなんかではできないなぁ
なんてことを思っているsachiakiです。

以前「赤鬼ちゃんの哲学地獄」っていう
イベントを打ってトークをしていた時にも
似たような題材でトークをしたことがあるんですけれど、
その時は身体はどこまで拡張可能か?
ってテーマで話をしたんですよね。
で、そのあと「体は分割できるのか?」みたいな話で
現在分身ロボットというサービスを展開している
エンジニアの方と話をしたんですよね。

現在AIのチャットボットがインフラ的に人々の手に渡りつつあり
まさに黎明期を感じているところですが
テキストで会話をしているだけの現在から
ボイスがつき、そこへヴァーチャルスキンがくっついて
実在しない人間と会話ができる時代まで
もうあと一息となっています。
なんなら触感を研究している人や
嗅覚の研究している人たちのものが
点在から集約に転じて
それらしい感触や気配までくっついてくるのも
それほど遠くないのかもしれません。

そうなってくると逆に人間のボディとは
いったいどうなるんだろう?
という疑問がついてきます。
「攻殻機動隊」という全身義体の主人公が
脳さえもクラウドに移譲されていて
自分の存在がなんなのか悩むという
いわゆる「我思う、我あり」の
コギトの話になったものですが、
攻殻が1995年ならデカルトが「我思う〜」を
提唱したのが1600年台半ばだと思えば
なんて長いこと人間は自分というものの曖昧さに
悩まされているんだろうと呆れもします。

しかしまぁ自分の体を含めて
身体と心(もしくは魂)というものが
分つことのなかった時代から
今はもしかすると分けられる時代、
というよりも自分の声やテキストが
別の場所や時代に届くのなら、
やはり身体と心は分つことができる
と考える方が自然な気がするんだけど
では体をなくすというのはどういうことなんだ?
ってのを最近よく考えています。

もちろん指一本だって失いたくないけれど
片や子供時代から父のボランティアの関係上
よく出会った足のない人や手のない人
叔母は10代の頃に失明した人だったし
今は従兄弟が全身麻痺だと聞いていてるし
実母は認知症にかかってしまったばかりに
現在という時間軸では生きていなさそう。
こうなってくると「身体とはなんぞや?」
って疑問も湧いてくるってもんですわ。

とくに答えはないので今日はこの辺で。
スプラトゥーン3のビッグランが今週末あるので
その練習をしなくちゃなのです。

というわけでまた明日。モイモイ。
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強いっていうもののベクトルについて

2023-02-27 | from:sachiaki
強さっていうのも結局のところ
グーチョキパーとか大貧民とか
三すくみみたいなもので
どれが最強ってことはないのだよなぁ
なんてことを思っているsachiakiです。

基本的に「強さ」と言われて思い浮かべるのは
身体的な強さであって、
それはいわゆる暴力的な強さだったりするんだけど、
今日の哲学対話のとっかかりで読んだ絵本にて
「せかいでいちばんつよい国」を見た時に
この絵本を描いた人はずいぶんと楽天的なんだなぁ
なんてことを思ったんですよね。

内容は
軍事力を誇る大国が他の国々を制圧していき
たった一つ小さすぎて制圧することも忘れていた国があったので
その最後の国を制圧するために訪ねて行ったら
そこには軍事力がなく、厚くおもてなしを受け、
気づいたら何ヶ月もその国にいることになり、
兵隊はすっかり弛んでしまって
小さな国の歌や遊びや仕事に興じてしまっている。
それではいかんと、たるんだ兵士は自国に帰し
新しい兵隊を呼び寄せるものの
結局同じことになってしまう、
しまいには軍事で制圧することもない
こんな国に兵隊はいらないと少数だけ残して
大国は去っていった。
そしてその大国といえば、
流行の遊びは小さな国のもの
流行の歌も小さな国のもの
料理を出しても小さな国で学んできたものと
すっかり小さな国の文化が大国に染み込み
ついに大国の戦争好きな大統領も
息子にねだられて歌う歌は全て小さな国のものになった。

というオチなんですけどね。

ハードなパワーに対してソフトなパワーが一番強いのだ
っていうことを啓蒙するための絵本だったのだろうな
って思ったんだけど、
いやさ、戦争する理由が「自国の幸せの押し付け」で
それって文化制圧ってことだから
軍事で攻めて行って軍事力がないから
じゃぁおもてなしだけ受けよう、
なんてことにはならんわな。
多少はおもてなしも受けてご満悦にはなっても
「ここを我が国とする!」ってなった時の
大国がすることっていえば
言葉を奪い、歌を奪い、書物を捨てさせ
建築などもすっかり自国のものにすり替えていくものだから
小さな国の文化なんてあっという間に制圧されちゃうんですよね。
それが発展を促すこともあるし
プラスの面がないこともないんだろうけれど、
基本的には制圧される側の自分達の生活様式ってのは
すっかり様変わりするのが世の常だってことなのですよなぁ。

なので、この絵本でソフトパワーの強さを出すためには
一度制圧されたけれども、
実は根強く文化は残ったっていうものの方が
”らしい”とは思うんだけど、
まぁ子供向け絵本なので、そんな複雑さはいらんかとも思ったり。

それはそれとして、ここでは暴力の強さを凌ぐのは
文化というソフトなパワーだっていうのもそうなんでしょ。
最近の中国が日本のアニメ力を取り込んで
世界中にクオリティの上がった中国のアニメを発信し
どんどん中国のものが浸透してきているわけですしね。
そしてそれを先んじていたのは
日本のアニメや「漢字」で
「漢字」は文字通り「漢の国(中国)」のものだったけれど
日本の国字となった「漢字」の方が簡単に表記できるってことで
いつに間にやらすっかり根付いたようなのですよね。
世界中で40年以上前の日本のアニメたちが放映され
40年かけてソフトな力はすっかりよその国を魅了し
アニソンは世界ツアーをすれば完売してしまうような
そんな力となったわけで
たしかにそれは凄いことだと思うんだけど
じゃぁ実際、日本に軍隊が攻めてきましたって時は
(そもそも現地に攻め込む必要もないんですよね。
 ミサイル撃ちゃ良いだけなんですから)
アニメあるぜ!コスプレあるぜ!日本の神社仏閣綺麗でしょ?
なんてのは通らないんですよね。
たぶん。

・・・

と、ちょっと不穏な方に話がいきそうだったのでとまれ。

そういう話だけでなく、
例えば未知のものに挑む無謀さも強さなら
未知のものを分析して理解するのも強さだし
未知は未知として受け入れるのも強さでしょうし
未知のものを無視するのも強さでしょう。

さまざまな方面の強さがあって
それの組み合わせ次第で
通用することとしないことっていうのがある
って感じなんじゃないかなぁ。

なんてことを思いながら哲学対話を楽しんできました。

最後には「強さ」と「生きること」に結びついた話になって
「死を受け入れ覚悟がでいること」が
「強い」ってことなんじゃないですかね
なんて話になったのでした。

ちょうど「いのちの初夜」を先日読んでいたのもあって
どんだけ「死」が身近になっても
覚悟が決まらないってのが人間な気もするんだけど
強いも弱いも出ているところ次第だしね。

と、もう3,000文字行ったのでこの辺にて。
他の人たちは「強さ」をどう答えるんだろう。
「はじめの一歩」でも答えは出てなかった気がするので
やっぱり答えはないのかもしれないなぁ。

このクソ長い日記を読んでくれた方は
ぜひ考えてみてください。
それではまた。モイモイ。
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哲学対話に久しぶりに参加したったよ

2023-02-26 | from:sachiaki
久しぶりに哲学対話をしてきて、
楽しかったのと、また色々と考えたので
頭の中がパッカーンとなっているsachiakiです。

「強いってなんですか?」

はじめの一歩の一歩君のセリフかよ
って思っちゃったりするんですけれど、
今日のテーマは「強さ」ということで
さまざまな話題にあっちこっちと飛んでいき
やっぱ人と話をするのは楽しいね〜
なんて思ってきたところです。

と、次のオンラインイベントのために
準備しなくちゃなので
いったんここで止めておきます。

また後ほど。
モイモイ
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楽しかったCP+2023バイト編

2023-02-25 | from:sachiaki
めちゃくちゃ急遽メッセージが飛んできて
23,24,26って空いてる?って話だったのですが
会社さんの都合上で23,24の二日間を
業界最大手のメディアさんのところで
バイトしていたsachiakiです。

デザイナーなのに、
デザインの仕事でないところがミソなw

内容は新しいサービスを始めるので
認知してもらうためのポスカ配りと
ポスカに記されているQRコードを読んでもらって
会員を増やすことがミッションでした。

私もそうだけど、QRコードを読むのは構わないけれど
メールアドレスや名前を渡すのは嫌だな
って人はやっぱり多いし、
機材やブースの華であるキャンギャルたちを
撮影したい人たちにとっては
さっさと目的地に辿り着きたい!って足早なので
手にとってくれる人もそんなに多くなく
苦心はしたものの、
なんやかやでポスカは私だけでも
二日間で述べ600枚は配っているので
ポスカ配りスタッフは他に3人いたので
まぁまぁ配れたんじゃないでしょうか。
そしてQRコードを読んでもらって
さらに登録してくれた人も
ちょこちょこといてくださって
愉快痛快なひとときでした ( • x •)و ̑̑ グッ 

なんちゅかね。
対人スキルが高いっていう能力があるらしく
こういう一期一会系の営業は性に合ってるんですよねぇ。

声は大きくなくても良いんだけど、
とにかくその人がこだわってそうなところを
ササッと見つけて、そこを褒めてくと
だいたい気が緩んで話をしてくれるので
そこからは営業トークをババッと言うんだけど、
私は舌が上手く回らなくって
途中途中引っかかるのだけど
「ん?」って聞いてくれるきっかけになるみたいで
そこも上手く噛んだ感じになってくれました。

そんなわkで、二日間ひたすらしゃべり倒したので
今は喉がめちゃくちゃガサガサです。
喉が弱いのが弱点だわね。

星の話をしたり、ゆるキャラの話をしたり
エキゾチックアパレルの話をしたり
とにもかくにも楽しかったです。

CP+の取材も受けたので
もしかすると載るかもしれません。

髪のお手入れちゃんとしとくんだった。
ただただそれだけ後悔していますw

CP+は今日と明日の二日間もあります。
ぜひ行かれる方は楽しまれて!モイモイ
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さようなら銀河鉄道999

2023-02-20 | from:sachiaki
私がアニメにハマったきっかけは
10歳の時に見始めた「魔神英雄伝ワタル」で
そのあとはちょくちょくと見るようになり
「銀河鉄道999」もその中の一つでした。
『さようなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』
このタイトルは何回見たか覚えてないぐらい
私の中の大きな礎となったものです。
松本零士さんの訃報を聞いて
シンミリとしてしまったsachiakiです。

このタイトルで検索すると
酷なレビューが出てきたりするのですが
幼い?頃の私にとっては
大きなインパクトをもたらした話ですし、
40歳を超えてもなお思い返せる名作なんですよね。
まぁスターウォーズやないけ、
って言われたら「たしかにそうかも」
って思うところはないんですけどねw

当時どちらも見てたけれど、
全然気づかなかったわ〜。
それは結びつけることのできる能力が
まだまだ低かったからってこともあるけれど、
父親超えってだけの話じゃなく
「耳触りの良い話には裏がある」っていうものであったし、
「永遠の命」になんの意味があろうか?
という話でもあったし、
「永遠の命」っていうのは命のバトンを繋ぐことで
それはなにも血縁に限ったことでなく
「地球」といった大きなものの生命を繋いでいくってことだし
私はけっこうスターウォーズよりも影響を受けたものですよ。
まぁこの頃のスターウォーズは無名、2、3の3つなので
もっと話がてんこ盛りになっている
4以降は見ていないので、スターウォーズの方がすごいぞ!
って言われても、当時の話でってことで止めて頂きたい。
ちなみにスターウォーズでは3本かけて伝わる話を
銀河鉄道999ではたった2時間ちょっとに収めているので
濃度もこちらの方が子供にはちょうど良かった感じがある。

なんにしても「銀河鉄道999」という旅を終わらせた話であり、
父親を超え、母親代わりの人は去り、
少年が一人の青年になる節目の話として
こんなかっこいい話はないって思ってしまうんですよね。
まぁメーテル許さねぇぞってのは
これからもずっと言い続けますけれどw

とにもかくにも。

今 万感の思いを込めて汽笛がなる
今 万感の思いを込めて汽車が行く
一つの旅は終わり また新しい旅立ちが始まる
さらばメーテル さらば銀河鉄道999
さらば少年の日

…そして少年は大人になる

松本零士先生の少年時代を思いながら
これからの時代をどうやって生きていけば良いのか
また999を見ながら考えようと思います。

では今日はこの辺にて。モイモイ。
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スプラトゥーン3イベントとおでかけ

2023-02-19 | from:sachiaki
オッス!オラ、バニーガールをやりたい人。
sachiakiです。

いきなり何いってんだお前?っていう出だしですみません。
なんかね〜、今年の新作として卯年だし
バニーガールの新作やりたいなぁ
なんてなってたんですけれど、
年始のタイミングで新型コロナに罹患してしまっていたので
新作を撮ったり作成する予定が全部飛んだ!
なんて日記を書いたものですが、
2月に入ってバレンタインあるじゃん!!!
って急遽撮影して加工してアップしたんですけどね〜。
でもあれよ、ネタとして消化できないからか、
評価が今ひとつでウ〜ンって感じですわw

まぁそんな話はさておいて。
昨日から始まったスプラトゥーンのバイトイベント
通称「クマフェス」がめちゃくちゃ楽しくって
S嬢の息子ちゃんとずっとケタケタ笑いながら遊んでました。
通常ブキではないレア(1ヶ月に一回出るかでないか)ブキ
しかないゲームは最高ですw

で、そんなゲーム三昧の中でも
なんとか時間を作り上げて
友人の写真展を一つと、
また別の知人の写真展を一つ鑑賞して参りました。
一つはネイチャーアーティスト?的な
自然そのものを切り取ることに心血注いでいて
その繊細な感情が剥き出しの自然とぶつかりあって
絞り出すように撮影したもので
見ているこちらの身も引き締まるようなもので、
もう一つはSNSに上げるとBANされちゃう、
ようはエロティック全開なもので
こちらもまた全身全霊で人と向き合っているので
むせかえるほどの「人間」を浴びれる写真展となっておりました。

しかも伺った時間がちょうどショータイムだったので
SMのさわりの部分となる緊縛と蝋燭と鞭という
三段プレイショータイムだったのですけれど
最高に見応えがあって、
なんかここのところあった「〜はダメ」みたいな
雰囲気から開放されたみたいでありがてぇ〜〜〜
ってなってきました。

まぁこれ以上書くと、この日記の相棒となっている
あもさんに迷惑がかかりそうな気もするので
ここいらで終わらせておきますw

いろんな人がいて、いろんな表現方法があるってことよね。
ってなったってことで。

さて、私はもう少しゲームしてポイントを稼いできます。
そんじゃまた!モイモイ。
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いのちとはなんぞや?

2023-02-18 | from:sachiaki
先日知人が投稿していた「100de名著」で取り上げられたという
「いのちの初夜」が気になったので
青空文庫で探してみたら無事見つかったので
ちょうどいいやと読んでみたsachiakiです。

北条民雄さんというあまり聞いたことのない著者でしたが
内容が癩病(らい病、ハンセン病)にかかった若者が
療養施設に入所する直前と入所してからの
最初の数日を手記風にまとめた私小説で、
著者自身、癩病にかかり23歳という若さで没した青年の
心のありのままが書かれていておりました。

ハンセン病は感染力はとても低いものの
治療法が確立されるまでとても長い年月が必要とされ
長らく「不治の病」とされていただけに
この病にかかったと知った時の絶望は計り知れないものがあります。

なんていうかね。
疱瘡とかもそうなんだけど、
自分の容貌が変化してしまうものっていうものは
とてつもない嫌悪感がありますよね。
それでも天然痘は一週間前後で死に至るか
最悪どうにかなっても三週間で跡を残しつつも
治癒に向かうということで、
感染力の高さは恐ろしいものの
その容貌への変化に対して恐怖に対峙する時間が短いのが
いくぶんマシなのではないか?と思われるぐらい
ハンセン病の進行していく先の恐ろしさ
とくに神経障害を生じさせるための二次症状が恐ろしく
年を経た私でもかかりたくないって思うのに
20代前半などでかかってしまうなんて
あまりにも残酷なのではないかと考えてしまったりです。

しかし、そういった相貌に対しての変化や
病に冒され、死が鬨の声を上げて迫ってきても
そこから脱することのできない中で
何度も自死しようとしてできない
心と体の乖離した様をジックリと内省し
「いのち」というものの死にたくない!って思いの強さに
ただただ鬼気迫るものを感じるのでした。

そういや文中に
「あなたはもう人間ではありません癩者になりきるのです」
とあったのを読んだ時に
ゴールデンカムイの土方歳三が言っていたセリフ
「生き残りたくば、死人になれ」
にも通じるものがあるなぁなんて思いました。

そして「いのち」とはなんぞや?
について、この著者自身が死に差し迫った中で
得た光明だと思われるものが作中に出てきます。

「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、
 いのちそのものなんです。
 (中略)
 あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。
 ただ、生命だけがびくびくと生きているのです。
 なんという根強さでしょう。
 誰でも癩になった刹那に、その人の人間は滅びるのです。
 死ぬのです。
 (中略)
 あなたの苦悩や絶望、それがどこから来るか、
 考えてみてください。一たび死んだ
 過去の人間を探し求めているからではないでしょうか」

だいぶ端折ったので、通じるかわかりませんが
「人間」とは「人」との「間」で成り立つもの
つまり社会性を持って初めて「人間」となり得るが
その「人」との「間」が隔たれてしまう
社会と切り離され、ただただ「生命」だけが残り、
その「生命」が滅んだ肉体の中で復活し
「生命」としてびくびくと生きるというのです。
そうまでして生き延びる価値があるとかないとか
そういう話ではなくて
ただ「いのちがある」という状況に対して
「人間」で居続けるか否か、
そういう話なのかな?と思いました。

ちなみに今の日本ではハンセン症にかかることは
まずないと言ってよく
かかったとしても治療法が確立されているので
重篤な二次症状などにもならずに済むそうです。

月岡芳年の浮世絵が癩病を患った夫を看病する妻を描いてますが
外見が変わっても愛せるかどうかっていうのは
かなり難題だよなぁっていつも思います。
私が眼底骨折をした時に、左の顔が大変なことになったんだけど、
旦那氏はそのことに一言も触れずに
いつも通りに接してくれて、
「この人すげぇな」って思ったものだけど、
私もそうできるかはいまだに自分を信じることができません。
ただ差別をしないだろうってことだけは
なんとなく分かるかな。
小学校の時に外見がそういう人がいた時に
すごく頑張って普通に接したことがあるので。
(内面的にどう思っているかよりも、行動の方が大切と思っておる)

さて、そろそろ17時。
スプラトゥーン3のクマフェスが始まるので
ゲーム三昧スタートしてきます!モイ
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コンプレックス産業の罪深さ

2023-02-17 | from:sachiaki
ダイエットの広告が「太っている人」を作り出した
ってのは広告の歴史をやったことがある人なら
なんとなく知っている知識だけど、
整形業界が「一重はよくない」を作り出しつつある
っていうのをツイートで見かけて
そうなぁ……なんて気持ちになっていたsachiakiです。

コンプレックス産業が介入するまでもなく
どの漫画や雑誌やドラマを見ても
二重のしっかりとした女の子像が主人公になっていて
「女の子かくあるべし」になっているので
どうにもならんよなぁ、なんて思ったりもしてました。
一重ってだけでモブ感高くなるし。

二重の人って、瞼が開くので目が大きく丸みをおびるので
幼く見えたり、好奇心旺盛な元気なイメージになったりするので
主人公格の性格にはぴったりなものになりがちなのですよね。
代わりに一重の人は瞼が重たいので
眠そうに見えたり、目を窄めるっていうのは
ものごとをシッカリと見ようとする仕草の一つなので
知性があるようにも感じられて
ずる賢い役回りに回されることも多いですねw
私も例に漏れず、「涼しげ」と言われるのと同じぐらい
「知的に見える」と言われるので
上のような意識がどこかであるのだと思います。

実際、目が丸いタイプの人と目が細いタイプの人といて
両方の人と話をしていると、目が丸いタイプの人の方が
新しいものが好きだったり無茶苦茶なことをしても平気だったりと
面白さを優先する人が多く
細めの人の方が理屈っぽい人が多いのが
私の会ってきた人からの印象です。
自分も理屈バカだしねぇ。

まぁ丸めなお目目と細めなお目目の違いはどうとして、
それでも二重の方が綺麗に感じるのは
結局のところ日本という国で二重がレアだから
っていうだけなんだろうと思います。
海外で東洋人の美しさを一重の切長に求めるのも
海外では一重の切長がレアだからに他ならないのだと思います。
珍しいものに宝感を感じるのは
生き物としての本能だと思いますしね。
(身内ではないものと交雑した方が多様性を担保できる)

そんなことを思いました。
とはいえ、やはり漫画やドラマなどで
なんとなく憧れるってものと
「あなたの今の現状を変化させることができますよ!」
って刺激することで煽りを入れて
欲望から渇望へと転化させる広告産業は
やはり罪深いなぁとも思います。

みんな違ってみんな良い。

なんて言葉が空虚なのは、
なんだかんだいって「良い」って思う共通の価値観が
無言で共有されていて
一極に集中することを知っているからですよね。
それでも「みんな良い」っていう価値観を取り込んでいったほうが
良いことには違いないんだけど。(DNA的に)

とりあえず自分自身が揺らぎやすい未成年に対して
直に訴える広告は控えた方が大人だと思いますね。
そんな感じです。モイモイ。
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どこのジャンルでもない中途半端感

2023-02-15 | from:sachiaki
昨日ほぼ撮って出ししてみた
バレンタインの画像のウケがあまりよくなく
やっぱ自分の作るものは中途半端なのかもなぁ
なんてことを思ったsachiakiです。

まぁ自分でも納得がいってないものだったので
仕方ないとは思うんだけど、
それでももうちょっと反応あるかなぁ
なんて甘く見積もっていただけにガックリしています。

かといって過激で刺激的なものへ進むのは
私の中では無しとなっているので
この中途半端さを個性にまで
煮詰めていこうと思っているところです。
エロのジャンルからはエロくなく、
ヘルシーなジャンルからはエロいからNGみたいな
中途半端な立ち位置はまさに自分の立ち位置そのものなので
シンドイけいれどここを守っていきたいなぁと。

どちらかに寄ればもうちょっと人と交われるはずなのに
どうしてこうも浮いた側にいようとするのか
自分でもプライドの高さに笑ってしまうところですw

私が最近好きな漫画で「生活保護特区を出よ」の中で
生活の糧に困っている女子高生の主人公に
「女の子は体を売れるじゃん」って言う人が多い中で
「向き不向きってのがあるのよ。あんたは向いてない」
ってバシッと言ってくれる女の子がいて、
その言葉にただただうなづくしかないのです。

きっと「簡単」と思われていることは「簡単」じゃないんですよね。
私はエロの世界がわりと好きなので
仕事の半分はアダルトジャンルのデザインをしているし
セックス産業に携わっている人たちのことは
むちゃくちゃ尊敬しているけれど、
じゃぁやってみたら?と言われると難しい。

私は自己肯定として人から嫌われにくいという
タレント(才能ともいうのか?)を大事にしているけれど、
だからといって自分自身に絶対の自信を持っていたり
どんなことがあっても心が折れないっていうような
そういった強さは持っていないので
どうしてもセックス産業や、それに類するものに
自分が携わった時にかけられる言葉や態度に
心が折れずにいられるとは思えないのです。



なんて日記を書いていた矢先にお店に来客が。
そしてそういった産業に関わる方が…!
なんていうシンクロニシティ。

お話を聞いていたらますますその産業の難しさに
滲みいるものがありました。
人生いろいろ、めっちゃ俗世の縮図。
同じ歳の女性で同じようにグラフィックを生業にして
それでも歩む方向が変わったことに
もう一人の自分を見たような気持ちになりました。

どんな職業を選んでも、どんな道を選んでも
自分のありようはその時々に現れるなんて
当たり前のことを感じました。
だから夢や妄言に惑わされずに
自分の場所で種を撒いて水やりし続けるしかないんだなぁ。

amazarashiの曲で「光、再考」って歌詞の中に

 今君は日陰の中にいるだけ ただそれだけ

って一節があるのですけれど、
きっとそういうことなのでしょう。
当然努力をした方が日向に戻りやすいのだろうけれど、
塞翁が馬ってね。
光が差さない時もある。
でもずっと暗闇であるってこともない。
だから腐らずに前を向いて歩いていきましょう。
ジタバタすることでより深みにハマることもあるけれど、
それさえも振り返れば歴史の一つになって
自分の慰みになるのだろうから。

てことで湿っぽいけれどこれにて今日は終わり。
また明日!
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お疲れお疲れ〜

2023-02-14 | from:sachiaki
重なる時は重なるってもので、
ゲームする時間はありつつも
久しぶりに忙しい日々を過ごしていたsachiakiです。

ちなみに本日は友人のおうちにお出かけしておりました。
心が脆いご友人に付き添いって形で
お部屋訪問をしてたんですが
その友人の家が昨年の夏よりずっと漏水で悩まされていまして
いまだに解決していないっていうので
現在はホテルに避難しているのですが
必要なものもあるので一度帰宅したいのだけど、
帰宅するのにストレスがやばいので付き添いして欲しい
って話だったのですわぁ。
それにしても夏に起こった事柄なのに
いまだに解決してないってどゆことなの??って
なっておりました。

うちの旦那さんであるところのパンダ氏が
数年前にバイクで走っている時に車にぶつけられまして
額の上を数針縫うようなことになった時に
普通は自賠責保険に入っているはずなので
先方の保険屋さんからお金が入ってくるはずなのですが
自賠責に入ってないってことで請求できず
本人に請求することしかできず、
そして本人に請求したら、本人はお金がないっていうので
ノラリクラリと逃げられまして(働いてもいないので
会社請求もできないし、銀行口座も持ってないんですってよ!)
完全に反社のそれじゃん…ってなったのですが
それでも粘り強く電話交渉したりしてたのですが……
相手方がなぜか弁護士の友人(なんでだよ)に頼ったそうで
その弁護士から「これ以上しつこいと恐喝になりますよ」
って言われて、なにも取れなかったという
泣き寝入り案件になったことがあるんですね。

で、今回の友人のお部屋の管理会社の対応の杜撰さに
思わずその時のことが頭によぎってしまいました。
知り合いのお金に強い人にも聞いてみたけれど、
「反社の会社かもですねぇ」とのこと。
もうそうなるとお手上げコースなので
さっさと引っ越しをした方が良いんじゃないかな
って友人に告げておきました。
まぁ、友人も他の方にそう言われているそうなので
そりゃそうだろうなぁってなっておりました。

とりあえず友人のお部屋の管理会社の酷さについては
筆舌に尽くし難いものがあるんですけれど、
弁護士案件だろうから、区の相談室にいらっしゃる
無料弁護士さんに必要な証拠を揃えてから
相談に行くのが良いんじゃないかって
必要な証拠部類を調べておきました。
はぁ面倒臭い。

なんにしてもどうしようもないことっていうのはあるもので
撤退戦をどういう風にうまくやっていくか
それがうまくいけば良いねって思っているところです。
ただまぁ友人も大変消耗しているので
撤退戦もせずに泣き倒れそうでもあるので
そうなった時にはどう慰めたら良いんだろうなぁ
なんてことを思ったりしているところです。

そんなこんな。
あ、日付を跨ぎましたね。
ハッピーバレンタイン!モイ
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