写真は、熊本県阿蘇市内で。見見楽楽~九州ぶらり放浪記~の7月26日付記事からお借りしました。
今日のテーマは、岩清水日記(7月25日付記事)と、そのコメントで社会福祉士Maa-chanさんと岩清水さんのやり取りを読んで考えました。
* 介護支援専門員の比較的新しいブログ:「想い・思い・おもい」のどりーむさん
ベテランでは、「masaの介護福祉情報裏板」のmasa さん(施設長。社会福祉士)
なども、折に触れて、同様のテーマを提示されていますね。
【北欧では、市民=市会議員】
スウェーデンでは、市長や市会議員のほとんどは、無給で、ごく少数のひとが常勤だという、つまり、日常は、市民としての生活をしています。医療や介護の問題があっても、市民である日常から政策を考えるので、政治の世界の議論はおのずと具体的ですね。
【アメリカは、新しい国】
大統領制ということもありますが、アメリカでは、国民が、長い時間を共有した選挙戦の中で「自分たちが選んだリーダー」ということが確立しています。大統領が変わると、行政庁の幹部も変わる。(政治的任用)
*東洋のどこかの国では、総選挙を経ないで政治のリーダーが「たらいまわし」される。密室でボスたちが「次はアンタだ」と決めていたこともありますね。
【古い国では「官僚」が実務を継続して担当します】
日本国憲法が、国家元首である天皇の政治的権力に大幅な制限をしているのは、太平洋戦争による敗戦の結果でもありますが、日本の長い天皇制の歴史からいえば、天皇が儀式を取り仕切り、ほんとうの政治権力は別の場所にあるということのほうが普通でしたね。(例えば、初期・中期の江戸時代)
戦後における官僚制が強大になっている真因は、1940年ころ、戦争遂行のために行われた行政権の拡大が、1945年以降も持続していることにある・・野口悠紀雄先生の「1940年体制」論が実証しているとおりです。
【面々と続いた専門職】
1945年の問題は、もっと、昔に遡るのでは?
前にも書きましたが、明治維新直後、岩倉使節団が欧米を歴訪しました。このときの記録が、岩波文庫で5巻本として残っています。その調査団の名簿には、明治新政府の行政官よりは、旧政府の行政官である「幕臣」の方が多いくらいでした。
政治権力の首を挿げ替えても、膨大な国家管理の仕事は、多数の専門職によって支えられています。
・「天文方」とか、暦を作成する専門職
・「雅楽」など、式典で音楽を奏上する専門職
などは、わかりやすい例示ですが、江戸期よりは前に遡りますね。その意味では、日本は、北欧やアメリカとは違う。行政の専門職が強いという体質を内包している。
【専門職としてのソーシャルワーカー】
アメリカ社会では、日本で言う「社会福祉士」に比較して、専門職の役割・実質的権威は大きいですね。イギリスのテレビなどでも、虐待などの事例があると、ソーシャルワーカーのコメントが放映されたりしていますね。
【官製の資格は、組織も官製のにおい】
日本では、
・社会福祉士はできて20年ほど(それも法制化のときは、当時の社会福祉系の大学の先生たちは反対していました)
・社会福祉施設の経営ですらその責任者はを社会福祉士を充てるという義務規定がない。(既得権ということで業界が反対するため。医療機関の長は、医師と法定されている)
・社会福祉士の職能団体は、官製組織になってしまう。
・社会福祉士、介護福祉士、介護支援専門員などの全国組織が、サービス現場の課題をしっかり把握していない。
【政治の場の活用】
日本では、
冠婚葬祭のときに、国会議員や県会議員など「偉い人」を招待するということがありますね。例えば、結婚式では、当の新婚夫婦が面識がなくても、偉い人が祝辞を述べたりしますね。
政治家のむしろ重要な仕事と考えられています。
*「総理日程」の中でもよく見かけます。
この「日本の政治家は、ほとんど政策の勉強はしていない」の話は、別件として、
冒頭の「岩清水日記」のメッセージに戻ると
「せめて4年に1度の選挙には投票したい」
今日のテーマは、岩清水日記(7月25日付記事)と、そのコメントで社会福祉士Maa-chanさんと岩清水さんのやり取りを読んで考えました。
* 介護支援専門員の比較的新しいブログ:「想い・思い・おもい」のどりーむさん
ベテランでは、「masaの介護福祉情報裏板」のmasa さん(施設長。社会福祉士)
なども、折に触れて、同様のテーマを提示されていますね。
【北欧では、市民=市会議員】
スウェーデンでは、市長や市会議員のほとんどは、無給で、ごく少数のひとが常勤だという、つまり、日常は、市民としての生活をしています。医療や介護の問題があっても、市民である日常から政策を考えるので、政治の世界の議論はおのずと具体的ですね。
【アメリカは、新しい国】
大統領制ということもありますが、アメリカでは、国民が、長い時間を共有した選挙戦の中で「自分たちが選んだリーダー」ということが確立しています。大統領が変わると、行政庁の幹部も変わる。(政治的任用)
*東洋のどこかの国では、総選挙を経ないで政治のリーダーが「たらいまわし」される。密室でボスたちが「次はアンタだ」と決めていたこともありますね。
【古い国では「官僚」が実務を継続して担当します】
日本国憲法が、国家元首である天皇の政治的権力に大幅な制限をしているのは、太平洋戦争による敗戦の結果でもありますが、日本の長い天皇制の歴史からいえば、天皇が儀式を取り仕切り、ほんとうの政治権力は別の場所にあるということのほうが普通でしたね。(例えば、初期・中期の江戸時代)
戦後における官僚制が強大になっている真因は、1940年ころ、戦争遂行のために行われた行政権の拡大が、1945年以降も持続していることにある・・野口悠紀雄先生の「1940年体制」論が実証しているとおりです。
【面々と続いた専門職】
1945年の問題は、もっと、昔に遡るのでは?
前にも書きましたが、明治維新直後、岩倉使節団が欧米を歴訪しました。このときの記録が、岩波文庫で5巻本として残っています。その調査団の名簿には、明治新政府の行政官よりは、旧政府の行政官である「幕臣」の方が多いくらいでした。
政治権力の首を挿げ替えても、膨大な国家管理の仕事は、多数の専門職によって支えられています。
・「天文方」とか、暦を作成する専門職
・「雅楽」など、式典で音楽を奏上する専門職
などは、わかりやすい例示ですが、江戸期よりは前に遡りますね。その意味では、日本は、北欧やアメリカとは違う。行政の専門職が強いという体質を内包している。
【専門職としてのソーシャルワーカー】
アメリカ社会では、日本で言う「社会福祉士」に比較して、専門職の役割・実質的権威は大きいですね。イギリスのテレビなどでも、虐待などの事例があると、ソーシャルワーカーのコメントが放映されたりしていますね。
【官製の資格は、組織も官製のにおい】
日本では、
・社会福祉士はできて20年ほど(それも法制化のときは、当時の社会福祉系の大学の先生たちは反対していました)
・社会福祉施設の経営ですらその責任者はを社会福祉士を充てるという義務規定がない。(既得権ということで業界が反対するため。医療機関の長は、医師と法定されている)
・社会福祉士の職能団体は、官製組織になってしまう。
・社会福祉士、介護福祉士、介護支援専門員などの全国組織が、サービス現場の課題をしっかり把握していない。
【政治の場の活用】
日本では、
冠婚葬祭のときに、国会議員や県会議員など「偉い人」を招待するということがありますね。例えば、結婚式では、当の新婚夫婦が面識がなくても、偉い人が祝辞を述べたりしますね。
政治家のむしろ重要な仕事と考えられています。
*「総理日程」の中でもよく見かけます。
この「日本の政治家は、ほとんど政策の勉強はしていない」の話は、別件として、
冒頭の「岩清水日記」のメッセージに戻ると
「せめて4年に1度の選挙には投票したい」
この問題の深さを思い知りました。
政治家も日本独特。
官僚も同じ。
頼るべき理念は持ちたいですね。
金のかからない政治と行政を志向しなくては、
この国はもちません。
それは、政治家や官僚自身では無理。
まずは、官僚や政治家が金を使わせないことを、
提案実行する政治家を当選させることでしょうか。
で、だめなら、次の人、どんどん替えていく。
そのためなら、手弁当で支援したいと思います。
専門職として,時には政治的な発言をし,社会を変えていくような動きをすることは大切なのだと思います。その一つの意思表示が選挙です。
しかし,「選挙にいく」意味が多くの社会福祉士に理解されていないことは,とても残念に思います。
危機感を持っているのであれば,せめて自分自身が選挙に行くことの意味だけは,理解していてほしいと願っています。
もとはといえば貴ブログを読む中で
かねての疑問を掘り下げて考えてみたいと
思うようになりました。
とりあえず
「地域に暮らす」ことが大事ですね。
鹿児島市会議員に一人
将来をかけてみたい人がいますが
私の住所とは
遠くの地域でもあり
まだお会いすらしていないのです。
岩清水さんは
故郷の岡山の先人たちを
たずねる日々でもあり
「よそ者」の私としては
うらやましいです。
*救世軍とかも。
コメントありがとうございました。
まずは
参加ですね。
外の世界を知ろうとする意欲が失せる社会は寂しいですね。
土曜日の午前
初めて
マンションの総会に参加してみました。
詳しくはかけませんが
参加してみて学ぶことが多かったです。