介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

新しいブログにリンクしています。7つのテーマにわけました。引き続きお読みください。

第3881号 「万世」と「知覧」の違い

2010-08-25 15:19:26 | 政治社会
第3877号 万世特攻平和祈念館

の続き。

twitterで
sandanshikomiさんが

からいも育ち

のことを書いておられた。(8月24日 20:52)

今日、大学の図書館で借りることができました。
著者の野崎耕二さんは、万世のあった加世田の出身です。昭和12年(1937年)生まれ。

野崎耕二

この本の
冒頭近く(8ページ)に「飛行場作り」の説明があります。
子どもも動員された様子が書かれています。(写真)

「特攻隊員との別れ」という項目もあります。(20ページ)


詳しいことは、おいおい書いていきますが、

「知覧」鹿児島県南九州市(旧知覧町)の少し先、海に近いほうが

「万世」鹿児島県南さつま市(旧加世田町)です。(2箇所は距離にして15キロと聞きました)

特攻隊が飛び立った時期ですが、
「知覧」は、まだわかりませんが、「万世」については、昭和20年3月から6月で
こちらの方が遅く文字どうり「最後の特攻基地」だったようです。

*「鹿屋」の方が、規模が大きいのでは?と思いますが、これも近いうちに鹿屋の資料館へも行って確認したいです。
東京や大阪からみれば、「特攻隊=知覧」ですが、鹿児島にきてみると、(というか、私も昨日までは「万世」を知らなかったわけですが・・)もっと正確に確認べきことが多いようです。(重なり合うこともあります)

なんといっても、「知覧」は、鹿児島市内から日帰りできますが、「万世」となるとかなりきついですね。ですから、東京や大阪から「万世」まででかけることはなかなか難しい。

Maa-chanさんや岩清水さんからもコメントをいただきました。
私は、昭和16年生まれですから、この「からいも育ち」に書かれている子どもたちの日常はかなり近くて懐かしいです。

今日は、
・「知覧」と「万世」は違うこと。
・梅崎耕二という画家のこと
を書きました。

引き続き、わかったことを書いていきます。

*昨日、昼「万世」を訪問するについては、昨日の朝、坂之上で乗ったGタクシーのIさんの示唆が大きいです。ありがとうございました。
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3 コメント

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Unknown (masa)
2010-08-25 17:14:16
奄美で暮らしていた頃、鹿児島へ研修に行った際に時間を作り、知覧の特攻資料館へ足をのばしました。

「万世」という基地があったことは全く知りませんでした。まだまだ知らなくてはいけないこと、学ばなくてはならないことがたくさんあります。
Unknown (sandanshikomi)
2010-08-25 21:21:53
ツイートもしたんですが、先生に野崎さんの事を知っていただき、嬉しく思います。鹿児島には万世の他にも「串良」「第一国分」「第二国分」「指宿」「出水」などの、あまり知られていない特攻基地が点在しています。そして、気軽に使われがちな「特攻」という言葉に、今も傷ついて生活している人がいる事も。美化するのではなく、日本人として向きあう必要のあるテーマだと思います。
「最後の」という響き (JUNKO)
2010-08-26 01:23:15
「最後の特攻基地」の最後のと言う言葉の意味を考えると苦しくなりますね。
若くして散って行った命があること、死ぬのが当たり前と見殺しにされた人たちがいたこと、まっすぐの視線で事実に触れたいと思います。
私も今日、太平洋戦争関連の本を1冊買ってきました。

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