第3877号 万世特攻平和祈念館
の続き。
twitterで
sandanshikomiさんが
からいも育ち
のことを書いておられた。(8月24日 20:52)
今日、大学の図書館で借りることができました。
著者の野崎耕二さんは、万世のあった加世田の出身です。昭和12年(1937年)生まれ。
野崎耕二
この本の
冒頭近く(8ページ)に「飛行場作り」の説明があります。
子どもも動員された様子が書かれています。(写真)
「特攻隊員との別れ」という項目もあります。(20ページ)
詳しいことは、おいおい書いていきますが、
「知覧」鹿児島県南九州市(旧知覧町)の少し先、海に近いほうが
「万世」鹿児島県南さつま市(旧加世田町)です。(2箇所は距離にして15キロと聞きました)
特攻隊が飛び立った時期ですが、
「知覧」は、まだわかりませんが、「万世」については、昭和20年3月から6月で
こちらの方が遅く文字どうり「最後の特攻基地」だったようです。
*「鹿屋」の方が、規模が大きいのでは?と思いますが、これも近いうちに鹿屋の資料館へも行って確認したいです。
東京や大阪からみれば、「特攻隊=知覧」ですが、鹿児島にきてみると、(というか、私も昨日までは「万世」を知らなかったわけですが・・)もっと正確に確認べきことが多いようです。(重なり合うこともあります)
なんといっても、「知覧」は、鹿児島市内から日帰りできますが、「万世」となるとかなりきついですね。ですから、東京や大阪から「万世」まででかけることはなかなか難しい。
Maa-chanさんや岩清水さんからもコメントをいただきました。
私は、昭和16年生まれですから、この「からいも育ち」に書かれている子どもたちの日常はかなり近くて懐かしいです。
今日は、
・「知覧」と「万世」は違うこと。
・梅崎耕二という画家のこと
を書きました。
引き続き、わかったことを書いていきます。
*昨日、昼「万世」を訪問するについては、昨日の朝、坂之上で乗ったGタクシーのIさんの示唆が大きいです。ありがとうございました。
の続き。
twitterで
sandanshikomiさんが
からいも育ち
のことを書いておられた。(8月24日 20:52)
今日、大学の図書館で借りることができました。
著者の野崎耕二さんは、万世のあった加世田の出身です。昭和12年(1937年)生まれ。
野崎耕二
この本の
冒頭近く(8ページ)に「飛行場作り」の説明があります。
子どもも動員された様子が書かれています。(写真)
「特攻隊員との別れ」という項目もあります。(20ページ)
詳しいことは、おいおい書いていきますが、
「知覧」鹿児島県南九州市(旧知覧町)の少し先、海に近いほうが
「万世」鹿児島県南さつま市(旧加世田町)です。(2箇所は距離にして15キロと聞きました)
特攻隊が飛び立った時期ですが、
「知覧」は、まだわかりませんが、「万世」については、昭和20年3月から6月で
こちらの方が遅く文字どうり「最後の特攻基地」だったようです。
*「鹿屋」の方が、規模が大きいのでは?と思いますが、これも近いうちに鹿屋の資料館へも行って確認したいです。
東京や大阪からみれば、「特攻隊=知覧」ですが、鹿児島にきてみると、(というか、私も昨日までは「万世」を知らなかったわけですが・・)もっと正確に確認べきことが多いようです。(重なり合うこともあります)
なんといっても、「知覧」は、鹿児島市内から日帰りできますが、「万世」となるとかなりきついですね。ですから、東京や大阪から「万世」まででかけることはなかなか難しい。
Maa-chanさんや岩清水さんからもコメントをいただきました。
私は、昭和16年生まれですから、この「からいも育ち」に書かれている子どもたちの日常はかなり近くて懐かしいです。
今日は、
・「知覧」と「万世」は違うこと。
・梅崎耕二という画家のこと
を書きました。
引き続き、わかったことを書いていきます。
*昨日、昼「万世」を訪問するについては、昨日の朝、坂之上で乗ったGタクシーのIさんの示唆が大きいです。ありがとうございました。
「万世」という基地があったことは全く知りませんでした。まだまだ知らなくてはいけないこと、学ばなくてはならないことがたくさんあります。
若くして散って行った命があること、死ぬのが当たり前と見殺しにされた人たちがいたこと、まっすぐの視線で事実に触れたいと思います。
私も今日、太平洋戦争関連の本を1冊買ってきました。