poco a bocco

自然の素材がもつぬくもりやパワーに助けられての作品づくり
poco a poco のペースで進みます~♪

ただただ暑い日々

2014-07-30 12:22:26 | アイポンくん
ちょうど1週間前に東京に戻ってきました。
その日以来の暑さといったら。。。

首都圏の暑さは息苦しいものです。
空間と緑の多い地方都市ではゆったりとした空気の流れがあり
同じ気温でも感じ方がずいぶん違っていることを実感したばかりの私には
いきなりの猛暑がこたえます。

所用で都心に出かけた先週末、
夕方の雷雨が心配で駅まで自転車で行くのをあきらめました。
しかし、10分あまりとはいえ、炎天下を歩くのはなかなか厳しいものがあります。
幸いなことに、最寄りのバス停はいつも見事に庭の手入れがされてるお宅の前。
びっしりと葉の茂る大きな桜の木の下でバスを待ちました。

あるがままの自然の林や森が好き…と思っていましたが、
都会では十分に人の手が入った木々の存在も捨てたものではないと
自分の思い込みを反省した瞬間でした。


誤ってシャッターボタンに手が触れたミスショットながら、
日陰と日向のコントラストに陽射しの強さが表れています。

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貫頭衣のアトム

2014-07-21 17:18:41 | あれこれ
弟の家でこんなものを見つけました。
身長6cm弱、頭部が鉄腕アトムのチビキューピー…
私にはとてつもなく懐かしいものです。

1960年代後半、小学生だった弟と私は
このキューピーさんを一つずつ持っていました。
それぞれに着せるものを作ったのは私。
小さな布片を筒状に抜い
首の部分は三つ折りにして糸を通し結べるようになっています。
袖口はハサミで切り込みを入れただけ…
単純なつくりですが、小学生なりに一生懸命考えたのでしょうね。
縫い目がふぞろいなのもご愛嬌です。

弟のアトム服は、学校で使うざぶとんの残布で
たれ耳の犬がプリントされた薄黄色の細畝コール天…
当時はコーデュロイではなく、コール天と呼ぶのが普通でした。

私のは、夏のワンピースの残布だったかと思います。
でも、私のアトムは残っていません。
学校に行く時はこっそりカバンにしのばせ、夜は同じ布団の中…
たいそうお気に入りだったというのに
ある日突然行方不明になってしまったのです。

ちょっとせつない思い出です。
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遠い記憶

2014-07-17 06:55:39 | あれこれ
13日から鳥取にいます。
思いがけない再会…私が幼稚園に通っていたころ
この小さな教会の裏手に住んでいました。
当時はもっと小さくて素朴な建物だったように思いますが
もう何十年も眠っていた記憶はあやふやです。

当時、この教会にウーレイちゃんという男の子がいました。
でも、遠くからその姿を見かけたことがある…
その程度の記憶しかありません。
ウーレイちゃんはその後、北欧に戻り、今ごろは初老の紳士?

親に守られ、一つ違いの弟とじゃれあって遊んでいた
はるか遠い日々を思い出しました。

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タイミング

2014-07-11 23:54:00 | ひとり言
映画の後は所用で六本木へ
地下鉄の駅につながるミッドタウンでふと空を見上げる
梅雨の晴れ間とはいえ夏は目前
強い陽射しに窓ガラスはギラついていた


あやふやな記憶をたどると『終戦のエンペラー』(去年8月)以来の映画ということになるのだろうか。
この日見たのは『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』
生活のために歌うことをよしとせず 妥協しないルーウィン・デイヴィス。
頑固というのか 一途というのか 
不器用なのか それともただ単純なのか。
どこかの誰か…つまり自分を重ね合わせ 苦笑し ため息をつく。


ふとしたきっかけからカウンセリングを受け始めて3週間になる。
自分の認識とは大きく違う心理があることに気づく。

自分自身でありたい 自分らしさを大切にしたい。
そんなふうに思っていた割には
いくつかの特定の場面で自分を表現できていなかったことを発見する。

軋轢と抑圧を避けようとする気持ちから
どこか自分を抑えてきた この十年あまりの私。
それは仕事の場に限らない。
さまざまな場面で さまざまに 自分を表すことができていなかった。
そうと気づかず 自分の本音に蓋をしていた。

そういえば めずらしく落ち込んでいた1ヵ月前のこと。
“否定される” ことを何より恐れている自分を感じたのだった。
それを思うと このところの発見には うなずけるものがある。

もともと自分を前面に出したい性格ではない。
私が 私が と振る舞う気持ちはかけらもなく
私は私と居直ることも好むところではない。

ただ 他者の干渉や強制を受けたくないだけ。
むろん 他者に対して干渉や強制をすることもよしとしない。
自分自身と向き合い 自分に正直でありたいだけ。
互いを尊重し合う関係を求めているにすぎないのだが
どうやら そのあたりで 誤解されることが少なくなかったようなのだ。

先月の沢知恵さんのライブで「怒るときと許すとき」(茨木のり子『見えない配達夫』より)が語られたときに
自分でも驚くほど心が大きくふるえたのは
まさにこのことに通じていたからなのだろう。
この詩人との最初の出会いとなった詩だったからではなかったのだ。

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記憶はどんどん風化していく。
あの震災からちょうど3年半が経過した今日
震災直後の画像を閲覧した。
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