青い空のもとで(日記)・・・・青い空の下で

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【聖書入門コース・テキスト】 ④(最終回)救いとは?

2010-05-14 19:53:08 | 聖書(重要なこと)
【④救いとは?】

<1.イエスはなぜ「救い主(キリスト)」と呼ばれるのですか?>
イエスは罪人を救うために来られたので「救い主」と呼ばれます。

<2.イエスは私たちを救うために、どのような方法をとられましたか?>

イエスは、私たちに代わり十字架で死んで下さいました。
(ローマ5:8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。)


<3.私たちはどうすれば罪から救われることができますか?>

私たちは新しく生まれなければなりません。
(ヨハネ3:3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。)

***

<4.新しく生まれる(生まれ変わる)とはどういうことですか?>

キリストを受け入れることを意味します。
(ヨハネ1:12 しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。)

<5.私たちはどうすればキリストを救い主として受け入れられますか?>

神に対して罪を悔い改め、イエスが「私たちの罪を背負って、私たちの代わりに十字架にかかって下さった」ほどに、「私たちを愛して下さっている」ことを信じなければなりません。
(コリントⅠ・1:21 そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。)

<6.救われるために、この他にも方法があるでしょうか?>

いいえ、私たちが罪から救われるには、この他の方法は何もありません。
(ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」

【参考:十字架こそが神の「義と愛」を同時に満たすものなのです。神の「義」による「罪の正しいさばき」と、神の「愛」による「救い」を、「十字架による あがないと救い」は ともに満たすことになります。】

***

<7.私たちがイエスを信じるとき、神は何を下さるのですか?>

神は、私たちに永遠の命を下さいます。
(ヨハネ5:24 よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。)

【参考:視点を変えてみると、イエスを信じるときに、「善悪の知識の木」(創2:17)の生き方から、「命の木」(創2:9,3:24、黙22:2)の生き方に移っているといえます。】


<8.私たちは救われたと知ることができますか?>

はい。私たちは、神の言葉である聖書の約束によって、知ることができます。
(ヨハネ20:31 しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。)

(終)

【聖書入門コース・テキスト】 ③人間とは?罪とは?

2010-05-14 19:40:16 | 聖書(重要なこと)
【③人間とは?罪とは?】

<1.神はなぜ、人を創造したのですか?>

●神ご自身の栄光のためです。(新改訳;イザヤ43:7 わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。)

●神が人を愛し、人が神を愛するためです。

●究極的には、「神が人と共に住む」ためです。

(黙示21:3-4 神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。)


<2.神はアダムとエバに何を命じましたか?>

「『善悪の知識の木』からは取って食べてはならない。それを取って食べる時、あなたは必ず死ぬ。」と言われました。(新改訳;創世記2:17)

<3.彼らはこの命令を守りましたか?>

いいえ、彼らは神の命令に従わず、サタンを信じ、自分の道を進みました。そして罪をおかしました。

***

<4.神の命令にそむいた時、彼らにどんなことが起こりましたか?>

彼らは霊的に死にました。              


<5.霊的に死ぬとはどういう意味ですか?>

神から離されることを意味します。

<6.彼らの不従順は、今日の私たちにどんな影響を及ぼしていますか?>

その不従順の結果として、私たちはみな罪びととなりました。つまり、霊的に死んだ人となったのです。(ローマ5:12 このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類に はいり込んだのである。)

***
 
<7.罪とは何ですか?>

①神にそむき、神から離れてしまうことです。(罪の「状態」)

②その結果として行なってしまう正しくない行為のことです。(罪の「行ない」)

(マルコ7:21-22すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪、あざむき、好色、ねたみ、そしり、高慢、愚痴。)

(ガラテヤ5:12-21 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。)

【参考】
自分は何も悪いことはしていない」と言う方もいるかもしれませんが、「神を神として認めないこと」も罪といえます。なぜなら、それは「自分の親を親として認めないこと」と同じことだからです。


<8.罪の報いは何ですか?>

罪の報いは死です。(ローマ6:23 罪から来る報酬は死です)


<9.どうすれば罪と死からのがれて、本当の命を得ることができますか?>

ただ、イエス・キリストを救い主として受け入れることによってのみ、罪からのがれて、本当の命である永遠の命を得ることができます。

(使徒行伝4:12 この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。)


【聖書入門コース・テキスト】 ②神とは?

2010-05-14 18:20:05 | 聖書(重要なこと)
【② 神とは?】


<1.神はどんなお方ですか?>  

神は霊的存在です。
(ヨハネ4:24 神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである)


<2.神は何人存在しますか?>

真の神はただひとつです。(申命記6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。)


<3.神にはいくつの人格(位格)がありますか?>

3つの人格があります。父なる神、子なる神(キリスト)、聖霊なる神です。
(三位一体の神とは、神は「異なる3つの位格をもつが、本質はひとつ」ということです。)

(マタイ28:19 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との
名によって、彼らにバプテスマを施し、)

***

<4.神はいつからいつまで存在するのですか?>

神には始めがなく、終わりもありません。(詩篇90:2 山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。)


<5.神はどこにおられますか?>

①どこにでもおられます。(使徒行伝17:27  事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。)

②神のみ座は「天」です。(イザヤ66:1 主はこう言われる、「天はわが位、地はわが足台である。あなたがたは私のためにどんな家を建てようとするのか。またどんな所がわが休み所となるのか」)


<6.神の性質をあげて下さい。>

聖・・・(レビ記19:2 『あなたがたの神、主なるわたしは、聖であるから、』)
義・・・(申32:4 「主は真実なる神であって、偽りなく、義であって、」)
愛・・・(Ⅰヨハネ4:8 「神は愛である。」 ヨハネ3:16 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

光・・・(Ⅰヨハネ1:5  神は光であって、神には少しの暗いところもない。)
全知・全能・・・(詩篇147:5 われらの主は大いなる神、・・・その知恵ははかりがたい)(創世記   17:1 主はアブラムに現れて言われた「わたしは全能の神である。」)

真理・命・・・(ヨハネ14:6 私は道であり、真理であり、命である。)

***

<7.私たちは、神に対してどのような態度をとるべきですか?>

ほかの何ものよりも神を愛するべきです。(マタイ22:37 イエスは言われた、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。」)


(続く)

【聖書入門コース・テキスト】

2010-05-14 18:10:00 | 聖書(重要なこと)
所属教会で編集した「聖書入門コース」のテキストです。

(作成は、私HSと教育部、監修は主任牧師のT先生です。参考図書は「カテキズム」「私たちは信じる」「聖書教理ハンドブック」「ルークさんHPのテキスト」などを使わせていただきました。何かの役に立てれば感謝です。)

***

【聖書入門コース・テキスト】

【①聖書とは?】


1.聖書はだれが書きましたか?

神を信じる人々が、聖霊に動かされ、神の霊感を受けて書きました。(著者は約40人)

(Ⅱテモテ3:16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 )


2.神はなぜ、私たちに聖書を下さったのですか?

私たちに、神がおられることと、救いの道を示し、どのように生きたらよいかを教えるためです。
(詩篇119:105 あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。)


3.聖書のポイントは何ですか?

●旧約聖書では、ユダヤ人の歴史を通して、「律法を中心とした神と人間の関係」を示し、来るべき救い主「キリスト」の出現の準備をします。

●新約聖書では、救い主イエス・キリストご自身を啓示し、「恵みによる神と人の関係」を示しています。

●そして一言で言うならば、全聖書はイエス・キリストという一人のお方を人類に紹介す
る書物といえます。

(続く)

数学と聖書信仰の意外な関係

2009-12-07 17:01:08 | 聖書(重要なこと)
数学と聖書信仰の関係はあるか?


数学と聖書信仰の関係はあるだろうか?
最近、「じつは数学は、信仰を整理する上での思考に役立つ」という重要な事実に
気づいたように思う。

【要約】
結論を書くと、

・・・・数学の作図問題という『モノ』の背後には、拡大体による数の拡張という
『コト』が隠されていることが明らかにされた。「キリスト者がしてはいけない行
為問題」という『モノ』の背後には、「命の木と善悪の木の生き方」という『コト
』が隠されていると思われる。

・・・・という事である。これは思考の整理に役立つ。

【本文】

(以下、「はじめての現代数学・早川書房」より引用・要約)

ギリシアの作図問題に、「ある立方体の2倍の体積を持つ立方体の一辺をコンパス
と定規だけで作図できるか?」というものがある。これは結局、「ある数(長さ)
が作図できるためには、その数が与えられた数(長さ)から四則演算と開平算を有
限回繰り返して作られなければならない、という風に考えられる。

これが作図できるという『コト』の本質であった。この事実を発見するためには人
間が約2000年もかかってしまったことを考えると、「モノ」的視点から「コト」的
視点へという転換を成し遂げる作業は、人間にとって本当に難しいといえる。

四則演算が自由にできるような数のシステムを「体」という。

作図可能問題の骨格は「有理数体から出発し、それに√aの形の数をつけ加えて体を作り・・・・3√2を含む体にたどり着ければ3√2は作図可能、・・・などとなる(らしい)。

***

そして、(宗教改革の時に、あのカルヴァンが、何と反対者を火あぶりの刑にした
ように)キリスト教会も、「キリスト者のしてはいけないことは何か?飲酒は?礼
拝の欠席は?」などという『モノ』的な問題から、2000年間も抜け出せないでいる
のではないだろうか?

そして、それを「本質的に」解決するのは、「実はその問題の背後に隠れている『コト』は、「キリスト者のしてはいけないことは、『キリストの命の木にもとづかないこと』である」というものであり、これに気づくことであろう。

数学者が2000年もかかったのであるから、キリスト者が2000年かかってもしょうが
ないか。。。。


【命の木と善悪の木の生き方についてはこちら】
http://blog.goo.ne.jp/bluewhitered34/c/3d9f56b7cc22ca51df003a76773b09b7



旧約聖書の聖戦について

2008-10-10 09:24:31 | 聖書(重要なこと)
旧約聖書の聖戦について、大変わかりやすく、参考になる記事を見つけました。

***

(http://www7.ocn.ne.jp/~bereshit/seisensisou.htmより、要約し引用)

内坂 晃(うちざかあきら)牧師

「旧約聖書の聖戦思想-偶像崇拝との戦い」

●歴史の事実としては、イスラエルの民はカナンの偶像崇拝の精神に深く侵されていきました。そのために預言者がどれほどの苦難をなめねばならなかったか、・・・。預言者はそこに亡国の徴を見ました。

●したがって旧約聖書における聖戦とは、それは

「偶像崇拝との戦い」

を描いたものであると言えると思います。

***

●では偶像崇拝とは何か。それは神ならざるものを神とすること、いかにも

「神をあがめているような姿をとりながら、実は自分の願望達成の手段に神を利用しようとする態度」

であります。


●ヨシュァ記を通して、聖書記者は選民イスラエルとカナン人との戦いという形で、真の神ヤハウェと偶像との戦いを描いているのであり、

「偶像崇拝との戦いに一切妥協の余地はないのだ」

というメッセージを、敵の殲滅(せんめつ)という形で伝えているのだと私は思うのです。


***


●しかし注意しなければならないのは、偶像崇拝との戦いは、神ヤハウェの絶対化(真の神のみを神とする)であってヤハウェ宗教の絶対化ではないということであります。宗教団体や信徒が、ヤハウェの名の下に自己絶対化をはかるとき、それは

「偶像崇拝そのもの」

なのであります。



●宗教戦争とは、人が神の名の下に自己正当化と自己絶対化をして戦ったものであり、それは神ならざるものを神とする姿であって

「偶像崇拝そのものである」

と言わねばなりません。


(要約し引用、終わり)

「聖霊を汚す罪」とは?

2008-10-06 12:01:22 | 聖書(重要なこと)
ルーク・カラサワ氏が、「聖霊を汚す罪」について、分かり易くHP内で解説されていますので、記録のため掲載させていただきました。

(アドレスは、http://www.kingdomfellowship.com/Kfc/Msg/MSG030615.htmlです)

***

(以下、引用)

2003.06.15 御言葉の学びシリーズ


「聖霊を汚す罪」とは?


聖書の御言葉の適用は、その文脈と対象を見極める必要があります。聖霊派ではその一部を取り出して勝手な解釈を施し、人を脅したり、恐れさせたりすることがよくあります。律法学者たちはイエスがしているわざを見て、あえて「イエスはベルゼブルによってわざをなしている」とか「イエスは汚れた霊につかれている」とか主張し、聖霊を汚しました。聖霊を汚す罪は律法学者たちのように、神のわざを見ていながら、あえて信じようとしない人々に対して適用されるものです。現在私たちはイエスを見ていないが、愛しており、イエスを信じており、救いの喜びを享受する者、私たちのうちには御霊が内住してくださり、いのちなるキリストが私たちのうちに住んで下さっています。キリストと御霊はパースンとしては区別されますが、父と子がひとつであるように、ひとつです。さらにこの方はいまや私たちの霊とひとつです。もし私たちが聖霊を消したり、悲しませたりすることを恐れる心があるのでしたら、また罪を犯すことに対する恐れがあるのでしたら、私たちは「聖霊を汚す罪」を犯していないのです。そもそも私たち信じる者は「聖霊を汚す罪」を犯すことができないのです!イエスに言い逆らうことすら赦されます。私たちのあらゆる罪(sins)はすでに完全に取り除かれており、今やキリスト・イエスにある者は罪定めされることがありません。恐れる者には愛がまっとうされていないのですから、愛を求めましょう。私たちがイエスを愛していることはイエスがご存知でいてくださるのです。神の子の自由を満喫しましょう!

                    聖書個所 マルコ3:28-30

***【以下、レジメより引用】**************


1.聖書解釈の原則

 ①日本語で考えないこと

 ②御言葉の文脈を無視しないこと

 ③語られている対象を無視しないこと

 ④私たちに対する適用の仕方に注意すること


2.聖霊を汚す罪とは?

 ①聖霊と人の関わりはイエス以前と以後では異なる→本質的満たしと機能的満たし

 ②御霊は現在「信じる者」の内にいのちとしておられ、同時にいのちを与える霊としてキリストがおられる

 ③聖霊は現在「自ら語ることはなく聞いたままを語り、イエスのパースンとことばとわざを証し、イエスに栄光を与える」→イエスと御霊は切り離すことができない(パースンとしては区別されるが、父と子がひとつであるように、キリストと御霊も「ひとつ」である、2コリント3:17)

 ④私たちは「聖霊を悲しませる」(エペソ4:30)こと、「聖霊を消す」(1テサロニケ5:19)ことはあり得る→私たちの不信仰や不従順によって

 ⑤④の罪はイエスの血によって赦される!(ローマ8:1、1ヨハネ1:9)

 ⑥「聖霊を汚す罪」の条件:「イエスが 汚れた霊につかれている」とすること(マルコ3:30)→イエスとイエスのしるしと奇跡を目撃し、それが聖霊によることを知りつつも、あえて悪霊のわざであると主張すること

 ⑦マルコ3:29は信じようとしない、罪の意識さえも感じていない律法学者(信じない者)に対して適用されるべきもの(マタイ12:32、13:14-15)

 ⑧現在の信じる私たちには「聖霊を汚す罪」を犯すことは不可能!!!


3. 結 論

① 私たちは目に見ていないが、イエスを愛しており、そのことはイエスご自身が主観的に知ってくださっており、イエスには何でも申し上げることができる。

② 恐れがあるときには愛がまっとうしてないから、神の愛を求める。愛は恐れを取り除く。

③ 罪の意識・恐れがあることは聖霊を汚していない証拠である(ヨハネ16:8)

④ すでに私たちのあらゆる罪々をイエスの血によって洗い流していただいており、キリストにある者が罪に定められることがなく、御霊の内住を得ている私たちは「聖霊を汚す罪」を犯すことができないから、すべての罪は赦されていることに安息することができる!!!

(引用終わり)



神の存在と苦難 ③

2006-09-02 23:32:11 | 聖書(重要なこと)
(続)

【注】結局、2通りの考え方があると思います。

①「この世に災難が存在するから、神はいない。」

②「神は存在するが、神は災難をどういう目的で許容されているのか?を考察する。」

       

【注】

「神がいるのに、この世に大きな苦難があるのは、【不条理】である。
従って、神はいない。」という考えがあります。

これに対しては、キリストの十字架の死が、1つのヒントになります。

聖書によれば、キリストは「神」(子なる神)であり、
全く罪の無いおかたであるのに、人類のために、身代りに十字架にかかりました。

これこそ、【最大の不条理】です。

つまり、聖書は「【最大の不条理】を行なったのは、神である」と主張しています。
従って、「不条理の存在は、神の存在を否定しない」と考えられます。

神の存在と苦難 ②

2006-09-02 23:27:48 | 聖書(重要なこと)
(2)

また、小さい子供が難病になったり、殺されたりすることの意味や、大災害の意味は、解釈が容易ではありません。

しかし、神が存在するならば、「それらは全く無意味な出来事である」とは考えられません。

例えば、

「この世で、不幸が多くても、神の国(≒天国)での人生を加えると、すべての人が「平等」になると考えられる。」という考え方もあります。

また、一般論としては、以下のような考え方があります。

(長いですが、とても重要なことと思いますので、どうぞお読み下さい。
要点・・・「人類は、神なしでは、幸福になることはできない。苦難は、それを証明するために、必要不可欠のものであると考えられる」)

●サタンは(創世記3章において)重要な問題を異議として提出した。

●それは、「人間は、神なしでも、命と幸福を保っていける。」という「異議」であった。

●(注:サタンの誘惑の言葉は、
「もし、その実を食べれば、あなたがたは、神のようになる(創世記3:4-5)」
というものでした。「神のようになる」とは、「他に依存しない、主権者のようにふるまう者になる、ということです。)


●「人類は、神中心に生きる必要はない。神の支配や導きのもとにいる必要はない。自分で、自分たちの社会を築きなさい。人間自身が神(主権者)になってこそ、幸福になれるのだ。」・・・というのである。


●こうした、【重要な問題】は、全被造物の前で、決着が着けられることが必要とされた。

●(神は、神なしの世界は、結局、悪と不幸が絶えず、真に平和で幸福な社会とはならないことを実証できる、と知っておられた。)

●こうした理由から、神は、人間がサタンに誘惑され、神から離れてしまうのを許容された。

●そして、結局は、それによって、「最大の問題」に決着がつけられ、
長い目(注:神の国(≒天国)も含めた、長い目)で見れば益となり、
神と人間の幸福を確立するものとなることを、神は知っておられた。

【参考】
「終末への歴史が見える(久保有政師著)」レムナント出版.p162~.一部改変)

・・・私には、説得力のある説明に思われました。

(続)

神の存在と苦難 ①

2006-09-02 23:18:04 | 聖書(重要なこと)
HPのエッセイで、以前、「神の存在と苦難の存在については、別の機会に書きたい」と記しました。

「神がおられるなら、なぜ、苦難があるのか?」という問題は、
結論から言うと「かなり難しい」問題です。

しかし、可能な限りの解答を試みてみたいと思います。

**********************************************

(1)苦難が、個人や集団に益となる場合は以下のような場合と思われます。

①【苦難を通してでなければ悟れない、何か大切な事】に気付く場合。

「苦しみにあったことは私にとって良い事でした。
それによって、私は、神のおきて(≒人生の大切な法則)を知ることができました。」
と聖書にあります。

②【苦難が、人に対して「教育、訓練」になる】場合。

(ローマ5:3-5)

**********************************************

(続)

原罪についての分かりやすい説明②

2006-06-14 11:48:07 | 聖書(重要なこと)
(続)

***

「KINGDOM原理からの聖書解読」は「原罪」を明瞭に説明するための
、ひとつの「モデル」として考えてみても、きわめて有効な考え方であると感じた。

***

私の理解した要点は次の通りです。(もとの説明は、文末のアドレスからたどれます。)

(注:「創主(つくりぬし・そうしゅ)」=「創造主・神」
「KINGDOM」=「神の国」)

①KINGDOMには、創主が発した法・秩序がある。

②また、この世には、この世の法がある。

③それらの間には、ずれがある。

④罪とは、KINGDOMの法の方に沿わないことを言う。

⑤人間には、KINGDOMの法が「感知できない」。

⑥KINGDOMの法は感知できないので、従いようがない。それで、人間は、少なくとも当面この世の法に従って生きるしかない。

⑦罪とは、「人間のその状況」を言っているだけの言葉である。

⑧また、聖書では「人間はみな罪人だ」というが、生まれながらの人間は皆、KINGDOMの法は認知できないので、当然である。

http://blog.goo.ne.jp/shunpeita1/c/b3e02e3ffb3a49d6851b1e4dbe3fa1c7

***

(以上は、鹿嶋氏の著書「聖書のことがよくわかる本」
中経出版:P103の罪の説明より、さらに分かり易いものであると思われる。)

原罪についての分かりやすい説明①

2006-06-14 11:44:02 | 聖書(重要なこと)
聖書に、
「ひとりの人(アダム)によって、罪がこの世にはいり、また、
罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を
犯した・・・」(ローマ5:12)
とある。

これまで、「なぜ、初めの人の罪が、全人類に及んだのか」ということについて、なかなか、明瞭な説明を読んだことがなかったが、
鹿嶋氏のHPの「KINGDOM原理からの聖書解読」に、明瞭な説明がなされていた。

ちなみに、これまで自分では、
「『罪の状態』とは、「本当の親である神 から離れていること」である。人は、もともと、神から離れた状態の この世界に誕生する。したがって、『人が皆、罪の状態の中に生まれる』」ことが、すなわち、『すべての人は生まれながらに罪びとである』という意味である」
などのように、考えていた。
(続)