オートバイ地球ひとり旅・19年・140ヵ国・39万㎞・バイクの松尾

2000年10月~2019年9月・56才~75才まで19年。越えた国境238カ所・赤道直下4ヶ所走破

オートバイひとり旅・地球走行中・東南アジア・タイからラオス

2017年06月22日 | オートバイひとり旅122か国・38万キロ
2017年6月15日~22日まで

チェンーラーイにあった温泉





オイル交換…

6月15日木曜 はれ
午前中ブログの更新をすませる。

2000キロでオイル交換と言われてる、あと300キロ走ることは出来るが早めにオイル交換を近くの

オートバイ屋さんに頼んだ。200バーツ600円ぐらい。

オーナーにラオスの国境まで行たが125 ccだったので「入国できなかった」と話したら…

そんなことはない…従業員の女性は125ccで通過できた、国境越え出来たと話す。

「おかしいなーみたいな顔。



出身国によって入国できたり出来なかったりはないだろうとは思うけれどしばらく様子を見る

事にした。

それにアユタヤで買った時に「なんとかブック」はもらっていないのか。

とか…アユタヤヤマハに電話してくれてるようだった。結果についてしばらく待ってるよう

にとの事。どうなるのかわからないが待つ事にする。



6月16日金曜 はれ
上着の長そで、ズボン近くのクローニング屋さんに頼んだ。近代的な設備ではなくて、洗濯機で

洗ったあと天日干しする。5枚で180円。

オートバイ屋さんに行き「ノートブック」のこと、どうなったのか聞いてもらっていたが……

名義はアユタヤの「アユタヤの名義になっている」ので、ノートブックは発行できないようだった。

ノートブックはわたしにとってどうゆうメリットがあるのかさえ、わかっていない。


あってもなくても大丈夫じゃないかとわたしは思っている。問題が起きた時は、その時考えよう。

とゆうわけで、オイル交換も早めに終わらせた…あした17日ラオスの首都ヴェンチャンに近い国境

に向かおう。


地元じゃないと見逃すような‥ここも・・ガスリンスタンド





親切に日陰でこれから先の走る道を教えてもらった・・

チェックポイントのおまわりさんにも道を聞いた・・
ここにもとうせん棒が出てきてヒヤッとした




ふたたびラオスに向かう

6月17日 土曜 はれ

ラオスの首都ヴェンチャンに近い国境に向かってホテル6時出発。曇った朝が続いていたが、

今朝はカラッとした天気になっている。

約800キロ途中、一泊か二泊する予定。ネットで何回もルートを調べた。

本線一号から近道だと出ていた103号にはいった。


すぐに地元の人に確かめる。OKのようだ。だいぶ細い道だなー。それにしてもオートバイも

車も一台も走っていない山道になって来た。

ええーつ、この前国境で見た「とうせん棒」が突然出てきた…チェックポイントなのだろうか

前回ラオス国境に向かった時、地元の人たちは「ラーオ」「ラオー」と発音して「ラオス」と

言う人は一人もいなかった…



ここでも「ラオー」に向かうと日本語でしゃべる。地図を見せて確認してもらうとOK、OKと係官

うなずく。

小さいカーブは続く…2回目のチェポイント…すぐに通過。


不安になって来た…四駆を止めてこれから先の確認をする。

中年夫婦は日陰で丁寧に説明してくれた。この先から右に入る予定だったが「違う」左には入れと

……あーよかったなぁ。とんでもない方向へ走るところだった。

大きな通りに出た…この道だな…泊まる予定の街ピッサロヌークに向かう道路。


食事休憩…ここでも地元の人が丁寧に紙に書き直して、教えてくれた。

あーこれで安心してはしれるなー。ピッサロヌーク街についた、ネットで見ていた

中心の最初の交差点。

となりに来た・・二人乗り隣の女性スクーターにホテルまで連れってって、くんしゃい。

「OK・OK]なんと2・3分もしないでホテルに着いた、こんな ありがたいことはない。


今16時30分…400キロ…10時間かかった。助かりました、二人にお礼を述べる。

ありがとうございました。


ホテル260バーツ…900円…一階なので荷物の運ぶのも楽にすむ。



















6月18日 日曜 はれ
4時半に目が覚めた…今は暗いが出発準備すると明るくなるだろう。明るくなった6時に出発。

まず、ガソリン給油…すぐにスタンドがあった…プスプスとエンジンが止まる……エンジンを

かけると少しだけ走って止まる。

満タンで210キロ走って来たので、ガス欠なのだ。予備タンクを使おうとしたが、スタンドまで

走ることはできた。あぁでもスタンドがあってよかったなー。


「ラオー」(ラオスのこと)国境まで500キロ……走れるところまで走ろう。目の前には大きな

マヤが横たわっている……あの山をこえて、もしかするとトンネルがあるかもしれないなぁ。


どんどん登って行く…ひっきりなしにカーブは続く。ひとつの山を越えて、今は稜線を走って

いるのだろうか。周りは見えない。

道路修理した後のつなぎ目がトン…コトンとハンドルにひびく。

腰にも影響が出そうな感じもする道だな。


いい道路にかわった…70キロ…80キロで走る。きのうも、きょうもそうだが交通量は少ない方だ。

まわりの車を気にせずに安心して走れる。

12号線からコンケーンの街2号線に出た。ここから左に入って進むとラオス国境に着くのだ。


今14時…ガススタンドで給油…この近くに「ホテルありませんか…」

指差して「あそこのイエローの家」100mほどのところだ。

おおーラッキー。国境まであと100キロちょっと、あと2時間かかる16時を過ぎて…

国境での手続きもあるので、あしたにして今日はここに泊まろう。



モーテルみたいな感じのホテルは一戸建てになっている。400バーツ1300円ぐらいか…

ゆっくりできていい。WIFIも、もちろん、トイレシャワー、エアーコン付き。

ホテル入り口

英語との並列標識でもわたしにはよむのがむずかしい







もうすぐ国境だ


国境に長いトラックの行列


タイからメコン川わたってラオスに

タイの入国手続きが終わるとバスに乗ってラオスのカスタムに



タイ国境入り口






スクーターを国境パーキングに預けて‥一日150円。独り身でラオスに向かう



やっぱりオートバイでのラオス入国ダメだった・・・

6月19日月曜 くもり はれ

夕べ夜中の雨はすごかった、台風と思われるようなどしゃ降りの雨…の音に目が覚めた。

朝方はやんでいた。

きょうはラオス国境を越える、2回目の挑戦…宿を6時30分に出発。

雨にあってもいいように完全武装……あと100キロちょっとだ。2時間ぐらいで着くだろう。

ところがどっこい…途中の街、ロータリーが出て来た、どっちだぁ。


止まって確認を、またロータリだ…止まって確認を…

露天商のおばさんに聴く…厚紙に丁寧にヴェンチャンまでの道を書いてもらった。

ありがとうございます。

国境近くに来た…再び確認…オートバイの兄ちゃん…風呂敷に包んだカゴを持っている。

鳴き比べの小鳥のようだ。「OK」この道まっすぐだ…ありがとう。


トラックが並んでいる・・この光景は国境に着いたしるしだ…9時になっている。

国境事務所カスタムに向かう、「あっちに行ってくれ」あっちに行くと

「あそこに行って」また元に戻った。


結局1回目と同じ「250cc」以上のオートバイでないと「ダメ」らしい。

わたしのオートバイ125ccはダメだと言う。予想していた通りだ。

スクーターをミャンマーと同じタイ側のパーキングに預けて一人でラオスに渡ることなった。

スクーターパーキング一日150円・・前回のミャンマー国境と同じ料金だ


タイ側出国手続き終了。

ラオス入国は、バス150円に乗ってメコン川のタイ、ラオス友好の橋を渡る。

ラオス側カスタムに到着…入国手続き問題なく終了。



普通はここからホテルに向かうのであるが…乗り合いのタクシーに乗ってヴェンチャン市内の

ビザセンターで再び手続きになると乗り合いタクシーの運転手

ビザセンターでの手続きは終わり…パスポートは預けたまま、受け取りはあした20日

午後13時30分から16時までに受け取ることになった。




日本語勉強中の係官にひらがなで書いていたのがばれた

ビザ申請所にはいつものように「すみません」「わかりません」ひらがなでと記入して渡したが

「いらっしゃいませ、」「ありがとうございます」…などと日本語しゃべる女性・・

日本語を学んでいる女性係官がいて、ひらがなで書いた申請書「バレてしまった」事務所の中に

英語のわかる人がいるので書き直してもらうように言われてしまう。笑う。






ヴェンチャン市内



日本でラオスビザとってきているのに、入国した後ラオスのビザをまた申請するのか

入国した全員が手続きしているようなのでしかたないのか・・

この手続きはこれまで初めての経験だなぁー


ビザセンターから夕べネットで予約していたトクトクタクシーでホテルに向かう。

トクトクタクシー200バーツ600円ぐらいか。タイに比べるとちょっと高いなー。


ホテルは「アリ バックパーカー」1362円…部屋窓からは100mさきにメコン川が見える見晴らし

のいい場所だ。

11時30分…腹へった…近くの食堂に行ってどんぶりごとホテルに持ち帰り「ラオービール」

で一人カンパーイ…いやースクーターでの長距離はきつい。

2017年6月19日ラオー(ラオス)入国124カ国目。

*陸路国境209ヶ所




ホテルの窓から見えるメコン川

タイのビザセンターには日本人の旅人がいっぱい・・


長崎・大村出身の永松さん夫婦


佐賀出身の荒木さんとも会った





6月20日 火曜 はれ
ラオス一日目…夕べは大雨、これがスコールと言うのだろうか朝方にはやんだ。

きょうはビザセンターへパスポート受け取りに行く、きのう19日ホテル

まで乗ったトクトクタクシーのおじさんに予約していた。

13時から16時の受け取り時間…早めに行って受け取って帰ろう、

同じホテルに長崎、大村出身夫婦も泊まっていた。わたしのふるさと佐賀・嬉野温泉の隣の出身だ


いっしょにトクトクタクシーで向かう。

これから行く場所は…てっきりラオスのビザセンターだとばかり思っていた。永松夫婦が

「タイのビザセンター」に行くんでしょう…


受け取り表を見せられた。同じ受けとり表だ…あーっそうなんだー。


きのう寄ったビザセンターはタイのビザ申請だったのか…はじめて分かった、笑う

ラオスビザ日本で取って、入国したにもかかわらず、またラオスビザとるのかと

不思議に思っていただ。


13時30分についた、ビザセンター広場にはにはどっさり集まっている…1番から順番に渡している…

タイビザセンター・・ラオス、ヴェンチャン市内



わたしの順番は503番…N夫婦が495番あたり…待ってるだけで疲れる。

順番が来た、ビザ受け取ったのは5時に近かった。

受けとる時間帯には日本人6人集まっていた…その前には留学にタイに来ている同じ佐賀県出身の

荒木さんとも話した。

みなさんはこれから国境越えてタイに向かう旅人ばかりだった。

いっしょに記念写真を撮って…お互いにいい旅を続けてください。


時間がかるので片道払って帰ってもらうように話したが・・いい「まってる」と5時間近く終わる

まで待っていてくれたトクトクタクシーでホテルに戻る。

4時間以上待っててくれたトクトクタクシー代・・いくらなのか計算できないのでトクトク

タクシーのおじさんには紙幣を自分の手のひらに見せてそれなりの代金取ってもらった。

ありがとうございました。





















6月21日水曜 はれ

午後ヴェンチャン市内をトクトクのタクシーで回ってみた。

名前を覚えきれない観光名所めぐりと言ったところ…

市内の交通量は多くない…まだまだトクトクタクシーの出番は多いようだ

3時ごろから5・6箇所を見てまわり5時過ぎにホテルに戻った。



途中、トクトクタクシーのおじさんにあなたの、パパ、ママはどこなの

150キロ離れたところだと話す。

ホテルに戻ってホテルのスタッフに通訳してみらってくわしく聞いてみた

バスで約3時間ぐらい、150キロ山に入ったところらしい。

23日バスで行って見ることにした。



晩めし屋台のうまそうな焼き鳥があった。見た目は柔らかいだろうと

思って注文したが実際はそれほど柔らかくはなかった。

最近食欲の量が減って来たなー。ここんとこ、楽しみして食ってみたい

食べものがない。看板見てうまそうなステーキハウスに入って見た

まずくはなかったが、思っていたほどでもなかった。


太らないから、それはそれで自分はいいと思っている。ただ自分の気

いったたべものが、ほしい。




トイレあれこれ・・もう「ひっとずー」

6月22日 水曜 はれ

下痢がひどかった。ベッドに戻るとまたトイレに舞い戻る

ジェットシャワーに負けないジェット水便の繰り返し、寝る時間なくなるほどだった。

トイレはジェットシャワーなので助かっている、こんなに回数が多いと紙を使うので普通は

お尻が痛くなるのだが、ピストル式ジェットシャワーの水洗のおかげで助かっている。



2年前アラビア半島、オマーンの国で経験して以来、タイに来てからほとんどトイレはほとんど

ジェットシャワーになっている。

ただ、屋外のガソリンスタンドや公衆トイレは手桶を使うとところが多い。

日本の水洗トイレはチョロチョロと言う感じのオモチャみたいだが、水道管から直接だから

ジェットシャワーは圧力が違う、


こう言う国には日本の水洗トイレ売れないだろうなぁ。トイレットペーパーは水を拭き取るだけ

一回で済む。

そうだ、便器が詰まるからトイレットペーパーは「便器に流さないで」の貼り紙も結構見かける。

水洗でないときは、お尻を拭いたトイレットペーパーはとなりの容器かバケツに捨てる決まり事に

なっている国や地域は多く残っている。

わたしが走り始めた16年前(2000年10月)に比べると現在はトイレの紙の質、硬い紙は無くなって

世界的に紙の質は良くなって来ているなぁと感じている・・(わたし個人的な考えです)



トイレで一番困ったこと。

オートバイで走ってる途中、もよおしてきた。小さい食堂があったので駆け込んだ。

すみません…「トイレば貸してくんしゃい」メニュ~を持って来た、

メニュウにウンコはない…はず。違う…トイレが通じない、ラバトリ、トイレット、

バンヨウ…知ってる単語を並べたが通じない。

紙にお尻を描いてみたが通じない……

ウーン…お尻をふるわせて、もう「ひっとず、ばい」…

学校に行く前の小さい男が「こっちこっち」と手まねきしてくれた。

ついて行くと「トイレだった」あぁーもう少しでもらすところだった。



考えてみると、食べるところに、出す方を借りに行ったのが間違いだった。

お店の人はてっきり食事に来たと思っているから、トイレなど頭には浮かばない。

子どもは純粋だから言葉はわからなくても、何を言ってるのか、わかってくれたのだ。


トイレから出て来て、…よかった、よかった…みなさん大笑い

どうぞ、「この席へ」…いやすみません、トイレだけでよかとです。

助かりました、ありがとうございました。(この時、南米のどこかの国だったのか…忘れれてしもうた)



10数年前、硬い紙の場合、事前に水に浸してから用を足していたなぁ。

ホースを使っている国もあるが慣れないと、ズボンや脚にかかって肝心なお尻にうまく飛ばすこと

がむずかしい。

わたしも一時1メートルのホースを買って持ち歩いていた時もあった。



サハラ砂漠、昼間40度軽く越える暑いアフリカ、ニジェールでネット屋のとなりの民家のトイレを

借りたことがある。こころよく貸してもらった。

板をくり抜いただけの昔のわたしの家の便所(せっちん)そっくりだった。

そのアフリカでは土塀で作った民家は毎日40度(44度)を超える暑さの中、用を足しながら壁に

さわっても暑さはなかった。暑苦しさも感じなかった。土塀はいいいな・・


一方コンクリートで作った同じニジェールでのホテルの壁は朝方まで冷えないままだったので

寝苦しかった。



公衆トイレ、キャンプ場のトイレなども…わたしから見たらもったいなような上質の紙を使ってる

国はオーストラリアではないだろうか思う。



今回のこれほどの下痢はポルトガルとメキシコで経験した。

ポルトガルの時は食欲がなくて、この時ワインを熱燗にして飲んでた。

メキシコの時は間に合わなくて水便でパンツを汚したこともあった。それ以来だ。



このメキシコの時…正露丸と現地の水どっち強いか、試してみたら正露丸が負けた。


ラオス、ヴェンチャンに来て、食事のすべてが辛いのなんのって…とても

からくて全部は食い切れない、半分は残す羽目になる辛(から)さだ。ハーハーハ。

日本のトウガラシより辛く、口の中も腹の中までも辛さを感じる。ハーハーハー。



今回の下痢はカラサが原因だったかもしれない…今回は正露丸を多めに…胃腸薬もいっしょに飲んだ。

正露丸、胃腸薬を飲んだおかげか、下痢は収まったようだ……

別の薬(ビール)は欠かさず飲みつづけている…。

そうだ、今回も身体に良さそうなので、あったかいワイン飲んでみようかな・・・


あした23日150キロ離れた山奥(だとおもう)にバスで移動してみる。


あした向かう場所