これまで現代中国の基盤が形成されたと云われる宋以降に興味を持っていた。またこの時代の文化が日本文化の基盤ともなっていると感じていたからだ。 ところが最近になり五胡十六国時代、魏晋南北朝時代に興味の対象が広がる。
これまでこの時代は、秦漢帝国と隋唐帝国の間に挟まれた混乱の4世紀。暗黒の時代、と云うのが一般的な理解ではなかったか? 少なくともそのように世界史では習ってきたように思う。
ところがその後、色々な本を読んでいくうちにこの時代に仏教が、道教が広まり、北方や西方の民族が中原に進出し民族の融合が進んだ。この北方ならびに西方民族の中原への進出により「中華民族」が形成された。 またそれが先の費孝通氏の云う、「中華民族の多元一体構造」 の原点かもしれない。
このことは、現代の問題でもある新疆、チベット問題を考える場合にも何らかの示唆を与えるかもしれない。勿論、費孝通氏の云う、「中華民族の多元一体構造」ついてはいろいろ批判があるだろう、しかし時には、
「どちら「側」かを変えてみよう」
という姿勢は大切だ。
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『中国史を学ぶということ』3
14世紀中国では明が建つ。時の室町将軍足利義満は明の求めに応じて日本は再度、「日本国王」として永樂帝から冊封される。p231
初めて知ったことだが、この時点でまた日本は中国皇帝の臣下として「冊封」されることになるのだ。大学受験では理系にも関わらず某大受験の為、日本史と世界史をとったがこのことは初耳だ。おそらく意識的に教科書には載せていなかったのではないか? 前後に倭寇禁止令や勘合符貿易については憶えなければならない出来事として習ったが、まさかこの時点での「冊封」があったとは…!
<データーベースとして>
南北朝時代、梁の元帝が描かせたという「梁職貢図」には当時日本が冊封されていなかったので倭国使は来ず、絵には漂流者のような裸足のハチマキ姿だとか。それに対し冊封され朝貢していた百済使は礼儀正しい姿をしているとか。p209
これは早速、web検索
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