べに丸日記

二胡とテニスに明け暮れる、熟年主婦の明るい毎日

手話の基礎講座終了

2012年02月10日 | 要約筆記&手話

市が主催する手話奉仕員養成講座の 「基礎コース」 が終了した。
入門コースのメンバーがそのままスライドしての受講だったので、
クラスは
すっかり仲良し。なんだか名残り惜しかったりする。

Hさんが言う。

   「今日で終わりだなんて淋しい。私、うっかり来週も
    ここに来ちゃうかも」

閉講式、市ろう者協会の副会長が手話で挨拶をした。易しい単語を
選んでゆっくりと話してくれたから、受講生は通訳なしでもほとんど
読み
とることが出来た。毎週毎週めげずに通い続けたものねぇ。

そして問題は、次のステップに進むかどうかということ。今度は、奉仕員
ではなく通訳者を目指すことになるから格段に難しくなる。しかも、期間
は3年間。 あまりにも長い。

 

 

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ちょっと感じ悪いかもよ

2012年02月08日 | 私のイライラ

ショッピングモールの入り口付近には、週替わりでいろいろなお店が出る。
銀座に本店のある 有名あんぱん屋さんもそのひとつ。

私は見かけると買うことにしている。その日はすでに先客がいて店員さんと
何やらやりとりを。

  「私はあんぱん大嫌いなの、実は。ただねぇ、主人と息子が
   どういうわけか好物なのよ〜」

なんかちょっと失礼な物言いだなあと、私、思わずその女性の顔をチラリと
見る。

  「そもそもアンコがダメなのよね。どこが美味しいんだかわからない。
   でも、ここのあんぱん、主人たちが気に入っちゃってるもんだから、
   お宅が来るたびに買ってるのよ」

まだ言ってる。教育の行き届いた店員さんだけどさすがに顔が引きつり気味。
しかも、順番を待ってるお客の私は、あんぱん5種類の入ったセットを2袋
買う気満々なんですけど。この店の酒種あんぱん大好きですから。

好き嫌いは自由だけど、いちいち公言しないで黙って買ったらいかがでしょう?


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写真を探す

2012年02月03日 | 義母ユキコさん

ユキコさんの葬儀に遺影として使う写真を探す。

夫を含めて4人の子供がいるのだが、結局我が家のアルバムの中に
もっとも多くのユキコさんが存在するということが分かった。娘のおかげ
である。誕生日、雛祭り、クリスマス…子供のいる
家庭で繰り返される
様々な行事の席には、常に義父母の姿があった。

働く母親である私に代わって幼い時期の娘を育ててくれたと言っても
過言では
ない。保育園の送迎はすっかりお任せだったし、小学校入学
当時はいつも娘の帰宅を出迎えてくれた。ただ一人の内孫である彼女が
ユキコさんにとって小さな楽しみになっていただろうか。

 

小学校入学式の朝。 

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話好き

2012年02月02日 | ご近所

チャイムが鳴ったので表の木戸まで出て行く。ご近所に住むKさんだった。

ユキコさんの葬儀に参列しても構わないだろうかとのお尋ね。親族だけで
こじんまりとやるつもりなので、そのことを自治会の班長さんには伝えて
おいたのだが、ユキコさんとは長いお付き合いのご近所さんのこと。
お通夜には伺いたいとおっしゃってくださる。

恐れ入ります、ありがとうございますとご挨拶して話は終わるはずだったが
このKさん、とにかく話好きなのだ。

  「お義母さま、おいくつだったの? 病院へは何年ほど?
   大変でしたわねぇ」

そして、自らの介護体験へと話題はスライドしていく。介護の話をさせたら
1時間や2時間はしっかり座が持ってしまうほど彼女の引き出しには材料が
ぎっしりと詰まっている。何しろ100歳で亡くなったお姑さんの介護を最後
まで自宅でやり抜いた主婦の権化みたいな人なのだ。

うっかり薄着のまま外に出てしまった私は冷たい外気に身をさらし、ガタガタ
震え始めた。だが
Kさんの話は終わる気配もない。ついにしびれを切らして、
話の打ち切りを
試みる。

  「寒い中お引き留めしちゃってすみません」

しかし、Kさんには全く通用せず。

  「いえいえ大丈夫よ」

そちらは防寒ばっちりでしょうけど、私の方が大丈夫じゃないんですってば〜。

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ユキコさん逝く

2012年02月01日 | 義母ユキコさん

デパートの食品売り場をウロウロしているところにその連絡は入った。

  「午後2時50分 医師が死亡を確認しました。僕は今
   病院へむかってます」

夫からのメールだ。

ユキコさん、やっと大往生できたんだね。強靭過ぎる心臓の持ち主だった
ユキコさん。
チューブから流し込まれる栄養で命をつなぎ、朦朧とした覚醒と
不規則な眠りとを繰り返すだけの日々。この一年は、ただひたすら楽になって
ほしいと病院に通いながらいつも思っていた。お墓の
草取りに行くたび義父に
頼んだ。ユキコさんを早く迎えに来てあげて。

結局 義父が差し伸べたかもしれない手を振り払い、実に実に頑張りぬいて
義母は天寿を全うしたのでした。97歳の誕生日にはわずかに2カ月届か
なかったけれどね。

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