手作りの塾と、明日へ

一念発起して立ち上げた私塾。
難しいのは、承知の上。自らが、どこまで行けるものか。峠の向こうにあるものを確かめに行く。

学習支援ボランティアのこと。

2015年06月28日 00時58分13秒 | 日記
初めての学習支援ボランティアを終えて、少し感想をと思う。

2つの中学校で一度ずつ参加した。
初回のほうは、ほとんど何もできなかったと言って良い。
生徒の参加人数は、そう、どれくらいだったか。
23,4人くらいだったかと思う。

質問に答えられなかったら、どうしようと心配していた。
が、質問されることは一度もなかった。

場所は図書館だった。
今にして思えば、小さ目の図書館だった。
英単語の意味が分からない様子の生徒がいたので、辞書を探したが最後まで見つからなかった。

英語の辞書もないのかと驚いた。
蔵書の少ない図書館のことが気になったというのは、生涯初めてのことかもしれない。

考え過ぎなことを書くが、貧弱な図書館は、自校の生徒への期待の無さのような気がしてならない。

話を戻す。
2つ目の学校での第二回目は、と言うと。
これがなぜか、少し様子が違った。

ある程度、だが、質問があった。
やはり、ではあるが、数学だった。
場所は、通常の教室を使用。
中学一年生のみを集めていた。

何とか答えられる内容でやれやれではあったが、うまく説明できたとはとても言えない有様ではあった。
それでも、頼りにされるということ。
分からなくて困っている生徒を前にして、いかに伝えるべきか、問題の中で、どこにどのようにつまづいているのかを、
推し量りながら、顔色を伺いながら。
そうして、何とか、一定の理解に達したときの、安堵したような、満たされたような表情を認めたときの手応え。
自分が志すものがそこにあることを確信したような思いに包まれた。

大学生の頃、自分には資格がないと、一度は自分で絶った道。
その後も、まともな就職先を見出せず、ブラック職場を転々としては、その度に、胸の内に呼び起し、夢に描いた道。
だが、求職先としての敷居はいろんな意味で高く、その度毎に断念することを繰り返した。
長い長い時間が過ぎ、若かりしときにあった、早く何とかせねばならない、早く道を見出し、どうしても結果を出さねばならないという、焦りに似た想い。
ゲームオーバーの時期になってしまい、開き直ることができている今。この今になって、皮肉にも、肩の力も抜けて、心から、自然に思えること、
見えてくるものがある。

その一つが「勉強を教える仕事に、自分はどうしても就かなくてはならない」ということだ。
まったく、私塾のホームページアドレスで、ローマ字の綴りに誤りがあることが発覚して、学力のレベルの低さを、実に間抜けな恰好で露呈していることに、
遅ればせながら気づいてるような、この自分が。まったく何を言うという感じだが。
ああ、HPアドレスの変更って、なんで利かないのだ。融通の利かない話だ。畜生め。

学習支援のボランティアの人数は、初回の学校では、自分を含め、3人のようだった。
途中から、実際の教師が3~4人くらいか、入ってきて教えていたようだった。

ボランティアの3人のうちの一人は、とても人の良い感じで、私としては馴染みやすいタイプの人であった。
現役で数学の講師を商業学校で担当しているという話だったが、少しブログでストレートに記述するのは憚られるが、
どもりの傾向があり、ボランティアの人材不足の事情を思い知らされる気がした。
かく言う私も、ボランティア登録後、先方から電話で勧誘を受けて、この度の活動参加に至っているのだ。
面談はしたものの、活動の継続が危ぶまれるくらい、人手が不足して煮詰まっているような状況があるのではないかと思わされる。
久々に何とか頑張ってブログを書こうとしているのだが、今日も時間が来ている。いったん終了。


「仕事の流儀」の番組を見て、少し息を吹き返す。

2015年06月15日 00時55分40秒 | 日記
NHKの番組の質が高いと感じていることは前にも述べた。述べたと思う。多分。
「仕事の流儀」。この番組はいつも視聴できているわけではないが、取り上げられる題材によっては、結構、熱心に観てしまう。そんな番組だ。

微妙な褒め言葉になったが、昨日観たのは時計職人。久々の視聴だったが、良かった。観られて良かったと思う。
話が脱線しまくって元に戻すのに苦労したり、あるいはそのまま元を忘れて突っ走るのはいつものことだが、「観られる」のこと。
「ら」抜き言葉について拘りがあり、何としても「ら」を正しく入れてやろうと、日頃健気な抵抗を続けている。

正直、「観れる」のほうが楽だ。言いやすいし、何か「可能」「できる」といった意味がむしろスムーズに伝わる感は否めない。
「観られる」は、舌がもつれそうになるし、「受け身」の意味っぽく響いて、落ち着かない。
が、負けるものか。言葉は生き物、変わりゆくのは宿命かもしれないが、ルール上、間違った使い方とされてきたものを容易く変えてしまうと、
何がいけないか。ぱっと思い浮かぶわけではないが、語学の初心者からすれば、いい迷惑だ。ややこしくなる。
文法書をちゃんと勉強しようと思ったことある人、実際に勉強した人ならきっと身に覚えがあるはずである。

旧い慣習に囚われるべきでないといったケースももちろんあるが、くだらない理由でルールというものを変えることに私は反対する。
野球部の丸刈りは基本的に反対だ、ちなみに。しかし、この年になると、何となく嫌な傾向にも感じるが、この手の慣習を決めている古い人間の気持ちというか、
意図も少しは酌めてくるというか、何と言うか。

高校球児には、見た目もこうあってほしい、変に色気づかず、高校卒業くらいまでは、純朴な感じでいってほしいような、そんな気持ちというか。
まあ、いずれにせよ、丸刈りで十分かっこいいというか、むしろ丸刈りがすごくカッコよく決まっている青年って必ずいるし、あれはある意味無敵な気がする。
ヘアスタイルにめちゃくちゃ時間掛けて頑張ってるプレイボーイの横に、ただの丸刈りでカッコいい奴が並んだら、プレイボーイの立場がなくなるような気がする。
まあ、俳優とかでも、ぱっと出てないけど、映画「スピード」のキアヌ・リーヴスとか、「ひとつ屋根の下2」に出てた頃の福山雅治とか、
サッカーのベッカムとかの短髪などのカッコ良さは記憶に新しい。
うん、脱線にも程があるな。元の話がホント何だったのか、思い出すのが大変なくらいだ。戻すことにする。強引にも。

時計職人といっても、時計を製造するのではなく、修理する側の人。
前に少し書きかけた創作物語をちょっと思い起こす。
何だったか、「靴屋」の童話の中に、疲れて眠り込んでしまった靴屋が目を覚ますと、仕掛かっていた靴がすっかりきれいに出来上がっていた、
実は不思議な小人たちの仕業だった、みたいなものがあった。
あの話をヒントに何か創作しようとして、結局途中で止めてしまったと思うが、ちょっと思い出した。

修理屋って、何かすごく物語の題材として、創作意欲をくすぐられるのだ。
しかし、やっぱりあるんだなあと思った。修理屋さんの仕事って。

まあ、電化製品など、故障の疑いが出たときなど、店では買い替えを強く勧めてきて、修理をしたいと言うと、あからさまに顔が曇るような空気があったりする。
旧いものを大事に使おうとすることは疎まれ、新しいものを買うことが良いとされる暗黙の慣わし。不文律。

と、また話がどんどん横に逸れていくようでキリがないな。
ともかく、まあ、基本的に儲かる業界ではないはずだ、修理屋さんって。今も昔も同じ事情だと思うし、むしろ今のほうがその傾向がより強くなっているのではないかと思う。
それを一度決めたら最後までの姿勢で、学校を卒業してからずっとみたいな感じで、一生の仕事として守り、貫き通してきている姿を見て、本当に感動したというか。
もう相当な高齢の人だったが、本当にカッコいいと心から思えるのだ。言い方は悪いが、カッコいい高齢者ってなかなか心当たりがない。

が、たまにいる。ホントに言い方が良くないな、自分もすぐそこの年齢に差し掛かってる癖にという感じであるが。
が、それだけに、年を取っていてカッコいいというのは、まれに外見的にイイ具合に年輪が刻まれて、渋いイイ感じの外見の人もいるが、それを除くと、
内面が、生き方が素敵だと感じさせるものだからこそ、良く見えるのだ。「カッコいい」の最上級と言っていいはず。
この世に生を受け、そこそこの年齢まで生きながらえた者なら、そうでない者でも例外ではないが、この種のカッコ良さをぜひとも目指して生きるべきではないかと思える。

仕事もろくにない時世の、しかも、どこだったか、場所。忘れてしまったが、確か瀬戸内海に臨む、四国がその近辺の島に住んでいらっしゃる環境だったかと思う。
その環境で、先行きの望めない修理の仕事。いや、何と言うか。その覚悟というか、腹の括り方というか。

今まで、ここまで生きてきて。
こんな私だが、誰にも認めてもらえない生き方にはなってしまっているだろうが、自分としては、自分なりに、
その時その時、何とか幸せになろう、何とか良く生きよう、少しでも良くなろうと、漠然としてはいるが、本当に一途に生きてきた、
本当によくやってきた、よくやってきていると、自分ではそう思っている。せめて自分自身では、こんな自分を褒めてやらねば、労いの言葉を掛けてやらねばならないと思っている。
そうして無論、まだこの先も、行けるところまで、夢中の姿勢で、最後まで走っていきたいと願っている。

でも。
やっぱり、ここまでで、強く、痛切に思わされるのは、一つのことに賭けて来られていない、貫けていないということである。
貫いていると言えるものがない、一つに賭けていないから、貫いているものがないから、未だに武器らしい武器を己の内に持てていないのではないかと思う。

何とかせねば、どうにかせねばと、もがいてきた道のりは、振り返ってみれば、右往左往とブレている。
いろいろ手を回してきた分、視野は広い状態を保持できている気はするし、総合的な何て言うか、懐の深さみたいなものを自分の内に感じるようなところはある。
でも、このままを最後まで続けてしまったら、きっと後悔するだろうと思う。このブレた様を続けてしまったら、後悔すると思う。
この先は、ここから先は、一つに賭けたい。貫きたい。

あ、余談だが、このブログ、結構ネット上で目について、私塾との繋がりを含め、私のプライベートが、下手したら面識のある人に筒抜けな感じになっているかもしれない感じだ。
まあ、随分前からヤバイかなあと思いつつ、敢えて野放しにしている。そして、こんなふうに思っている今も、「ま、いいか」と敢えて野放しにしようかと思ってる。
どうせ、私は隠し事ができないタイプの典型的な人である。大いに自覚がある。ホント、隠せない。悔しいほど、隠せないんだな、不思議なくらい。
この場で晒すプライベートにより、それが元で私塾に人が集まらない、ということが起きていたとして、または、これからそうなってしまうとしても、
そんなことを心配して恐れるようではいけない気がする。
本当に良い私塾を築いたなら、そんなことでは応えないようにも思う。そんなに自信がある話ではないが。
まあ、今日はとりあえず、終了。

新聞紙の購読のこと。

2015年06月01日 08時19分27秒 | 日記
大阪都構想の住民投票の翌日、どうしても目を通したく思い、久しぶりに新聞を購読した。

本当に久しくて、最後に読んだのはいつ頃だったろうと思い起そうとしても、なかなか蘇ってはこない。
読んでいたその時は、それだけ余裕があったのか、そのときは、どんな仕事をしていたのかなど、気になるがまるで思い出せない。

年のせいだと言われれば、言い返し辛い年齢ではあるが、それだけが原因ではないとは思う。

間隔が空いた後、読んでみていつも思うのだが、やはり面白い。
ニュースならインターネットで調べればいいと言われる時代だが、いやいやいや。
いつ、何が起こったのか。確かにそれならインターネットで容易く確認できることだが、新聞にはそれ以上のことが載っている。
だから、面白いし、根本的にインターネットやTVのニュース速報とは、ものが違う。

私も例に漏れず、活字は好きでも得意でもなかった。
が、年を経た今、活字がなぜ良いのか。未だおぼろげではあるが、それが分かってきたような気がしている。
いや、理屈のうえでは、もっと前から大事なことは認識はできていたと思う。
実感として、また、しみじみと深いところから理解できるようになってきたように思うのだ。

思えば、新聞とは結構、縁が深い。

初めて上阪したとき、大阪での生活、活動を可能にして、その道を拓いてくれたのが、新聞奨学生制度だった。
新聞配達や、販売所での諸業務に従事するかわりに、住居と、予備校などの学費を用意してくれるというものだ。
無論、学費は貸付という形だが、そのお蔭で進学の道を諦めずに済む若者がどれほどいることか。

だが、新聞の発行部数は減少の一途を辿っていると聞くし、奨学生制度も破綻しそうになっていると聞いた。
恥ずかしながら、今どうなっているのか知らない。
新聞を読んでいないせいだろう。

私塾の会場にしている貸家にインターネット回線を入れた。
またヤバイ費用が発生したわけで、そんな金の無茶な状態で我ながら何を言っているのか、正気の沙汰ではないが、
新聞購読を再開して、新聞業界を支援したいなどといったことを考えたりしている始末だ。

「ドS刑事」ではないが、「バッカじゃない?」である。余談だが、多部未華子は本当に綺麗になった。
TVで見かけだした頃は、まだ彼女が中高生ぐらいだったと思うが、何かクラスの学級委員が似合いそうな、
男子にまるでモテナイタイプに見えていたが、ドッコイ。すごくイイ感じに成長していて、芸能スカウトの目は只者ではない、
などと芸能界入りがスカウトだと決めつけたようなことを考えてしまう。

書きかけにも程があるというものだが、ここで終了。
この記事も少し前に書きかけて、途中にしていたものである。
書きかけにして、時間が経ってから続きを書くのは、思いの外、気の挫けるものである。
内容を思い出さないといけないし、今一度気分を乗せていくのもなかなか骨である。
まあ、前も言い訳したことだが、中途半端結構、雑な内容結構、気まぐれ、適当問題なし、である。
気楽に行かせていただこう。