見ないフリ

一時的な対応策にしかならない現実逃避をずっとするブログ

牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件

2017-07-21 | 本と漫画と映画とテレビ
人間って不思議なもんですね。
今あったことをすぐ忘れるくせに、ショウジ(息子)が元気だった時分のことははっきり覚えてるなんて

―映画『麦秋』より


『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』という
名作かつ幻の(※)台湾映画が4Kレストア・デジタルリマスター版で
絶賛上映中だよという噂はずいぶん前から聞いていたけれど、
上映時間3時間56分、特別料金2200円という事実にずっと尻込みしていました。
(※権利関係が複雑化してDVD化されていなかった)

だけれど。

この間、
映画『ブエノスアイレス』(1997年、監督:ウォン・カーウァイ)のDVDを借りて
切ない切ない言って観てたら、チャン・チェン(張震)という俳優さんが出ていて。
あれ? この人『百年恋歌』(2005年、監督:ホウ・シャオシェン)に出てたイケメンじゃない? と気づき、調べてみたら、『クーリンチェ少年殺人事件』がチャン・チェンのデビュー作だった。

「こ、こ、これは観ておかないといけない!!」
つって、己の中の面食いお化けが俄然騒ぎだし、
気づけばそこは渋谷のアップリンク。2列目。



『クーリンチェ少年殺人事件』(1991年、台湾)
監督:エドワード・ヤン
撮影:チャン・ホイコン
録音:ドゥー・ドゥージ
出演:チャン・チェン、リサ・ヤン、ワン・チーザン

1961年に台湾で起きた中学生男子による
同級生女子殺傷事件をモチーフにした青春映画。


かわいかった~。
15歳のチャン・チェン、かわいかった~。
何あのえくぼ。照れ笑い。罪深い。

休憩なしの3時間56分は、なかなか疲れるけれど、
主人公役のチャン・チェンが画面に登場するたびに、頬が緩む。かわいいから。
あと、リトル・プレスリーが出てきても笑顔になる。かわいいから。(違う意味で)

さらに、チャン・チェンの父親役の俳優さんも男前で、
台湾人ってばイケメン揃い~❤ とニヤニヤしていたら、
チャン・チェンの実の父親なんだとか。
あと、兄役の俳優さんもリアルお兄ちゃん。台湾の三國家。眼福。謝々。


映画の雰囲気は小津安二郎。

「たとえば、小津が青春ギャング映画を撮ったら」

(はい、ここでBGMにサイモン&ガーファンクルの『冬の散歩道』が流れる)
なんつって。

いや、小津映画とかぜんぜん分からないけれど、
カメラの動きとか、日本家屋に大家族の感じがそれっぽい。
『珈琲時光』(2004年、監督:ホウ・シャオシェン)よりは小津っぽい。

1960年代の台湾になぜ日本家屋? なんていう疑問への答えは
映画の中でもちょこちょこ触れられるし、
知っていて当然の知識なのかもしれないけれど、
せっかくなので、ざっくりと台湾の近代史をおさらいします。


まず、台湾は東アジアの太平洋に浮かぶ小島(日本の九州くらいの面積)。



17世紀頃から中国大陸の清に統治されていましたが、
日清戦争後の1895年、下関条約によって日本に割譲。

以降1945年までの半世紀の間、台湾は日本に統治されます。
その間、台湾へ移り住んだ日本人が、農業政策や建物の建設、インフラ整備、
日本語教育などいろいろおせっかいを焼いたり、迷惑をかけたりする。

なので、
台湾のご老人には日本語が通じることがあるし、
今でも台湾各地に日本式の木造家屋が残っている。

台北市内の青田街は日本人高級官僚の住宅街だったらしく、
それらの立派な建物を再利用したカフェが人気。
(「青田七六」なんかはよくガイドブックに載っていますな)

そんなわけで、
1941年から始まる太平洋戦争の際も
台湾は日本軍側の立ち位置。一応。

この日本統治時代のいろいろは、
『戯夢人生』(1993年、監督:ホウ・シャオシェン)
『海角七号 君想う、国境の南』(2008年、監督:ウェイ・ダーション)
『セデック・バレ』(2011年、監督:ウェイ・ダーション)
『KANO 1931海の向こうの甲子園』(2014年、監督:マー・ジーシアン)
なんかで味わってください。




んで、1945年。
日本が太平洋戦争に敗れたことで、
台湾は蒋介石率いる中華民国(国民党政府)に接収され、
中国大陸から多くの人々が移り住んできます。

なお、このとき中国大陸から国民党政府とともに
台湾に移り住んだ人々を「外省人(がいしょうじん)」、
日本の植民地時代から台湾に住んでいた人々を
「本省人(ほんしょうじん)」と呼ぶそうな。

お互い話す言語も異なり、
外省人はおもに北京語(出身の省によって異なる)、
本省人は台湾語。だったんだとか。

つい先の戦争では敵対する立場だった外省人と本省人が
いきなり同じ社会で暮らしていくことには何かと問題もあったようで、
1947年には本省人の民衆が蜂起する二・二八事件が起こります。

この辺りのいろいろは
『悲情城市』(1989年、監督:ホウ・シャオシェン)でどうぞ。
(本省人役のトニー・レオンが台湾語を話せなかったため、
聴覚障害者の役になったというのは有名な話)



そして、1949年。
中国大陸で国民党政府が毛沢東率いる共産党軍との内戦に敗れたことにより、
蒋介石は国民党政府を台湾に撤退させ、台北を臨時首都に定めます。

1950年には、大陸の半島で朝鮮戦争が勃発。
韓国側の国連派遣軍として参戦したアメリカは、台湾を「反共産主義の防衛ライン」とするために国民党政府との関係を強化へ。

そこで国民党政府は、台湾に共産主義が入り込まないようにと大奮闘。
結果、戒厳令が布告され、それは長期間続くことに。
戒厳とは、戦時において国民の権利を停止し、行政権や司法権を軍部の指揮下に移行することであり、台湾では1949~1987年までの38年間(!)、集会、結社、言論、報道、学問の自由などが制限されます。

このとき、数多くの政治犯(とみなされた人々)が逮捕、
処刑されたのだとか。(いわゆる「白色テロ」というやつ)


……以上、アンダースタンド?

歴史って難しいね。
プログラムに載っていたエライ先生の解説を
参考にしてみたけれど、ぜんっぜんわからん。。。

とにかくまぁ、映画の舞台である1950年代後半~60年代の台湾は、
トンデモ戒厳令の真っ最中で、子供を導くべき存在の大人たちが大混乱だったということ。

中盤、主人公の父親が警備総司令部に連行されたのは、戒厳令のせい(多分)。
一家は、戦後上海から台湾に移り住んだ外省人(しかも公務員)だから、
大陸の共産サイドの人間と通じているんじゃないか? と疑われた模様(おそらく)。

中国大陸では中華人民共和国(共産党)が成立していたものの、
国連の中国代表権は1971年までは中華民国(国民党政府)。

だから、
戒厳令におびえつつ、国民党政府がそのうち中国大陸で
復権するんじゃないかという淡い期待も抱きつつ、
それでも、やっぱり将来に対する唯ぼんやりした不安。。。

そんな不安定な精神状態の大人たちを傍目に、
映画は、外省人の少年たちの抗争を軸にゆったりと進んでいきます。

少年たちは徒党を組み、仲間のためには命がけでケンカをする日々。
そんな彼らが夢中になる存在は、
アメリカのエルビス・プレスリーやジョン・ウェインの西部劇。それと恋愛。
(この時代は、まだビートルズもデビューしていない)

あと、主人公のお兄ちゃんが得意なビリヤードは
台湾ではメジャーな遊び。らしい。
ビリヤード場は街のあちこちに点在していて、台湾はビリヤード強国。
(そういや、『百年恋歌』でも第1幕の舞台はビリヤード場だった)


この辺の情報を頭の片隅に置いて観ると、
混乱が少なくて済む。(ような気がする)

登場人物が多いので、
ある程度、人間関係を予習しておくのもアリ。
(4時間あるので、最後はイヤでも把握できるが)




どうでもいいけれど、
個人的には、原題の『牯嶺街少年殺人事件』より、
英題の『A Brighter Summer Day』のほうが好み。
(英題は映画の中で流れるプレスリーの曲の一節)

1991年の公開当初は、約3時間の映画だったらしいので、
今回鑑賞した4時間バージョンは主題がボケちゃっているのかもしれないけれど…

少年たちが死体を探しに行く物語でも、
小説の原題『The Body』(死体)より、
映画の題名『スタンド・バイ・ミー』の方がしっくりくるように、

少年が殺人を犯す映画でも
原題の『牯嶺街少年殺人事件』より、
英題の『A Brighter Summer Day』の方が映画に似合う。なんとなく。

てか、タイトルの殺人事件より、
ハニー事件や大雨の日の抗争の方がよっぽど大事件じゃないのか?


ちなみに。

1961年に実際に起きた事件というのは、
建国中学夜間部を退学になっていた少年(16歳)が、
同校在学中の少女(15歳)を殺害したというもの。

1947年上海生まれのエドワード・ヤン監督は、
2歳のときに台湾に移住した外省人で、
1961年に起きた事件の加害者とは同年代かつ、
同じ学校に通っていたんだそう。

映画監督になるくらいの優れた感性を持ったヤン少年が、
事件によって受けた衝撃は、相当なもんだったのだろうと想像されます。

だからこそ、
映画のタイトルにまで取り上げられているんだろうが、
肝心の殺人事件は、「時代のせい」「その時代ならでは」という感じはない。
(60年代の台湾に生きたことはないが…)

少年の不器用な恋心とニンフェットっていうのは、
時代や国に関係なく、どこでもあるように思う。万国共通、普遍的。
ちょっとしたハズミで、大事件に発展することもあるでしょう。
実際、私が高校生の時も似たような事件あったぞ。春休み中だったけど、緊急の全校集会になった記憶。

最近、
金鳥のラジオCMが気に入っているんだけれど、
あれに登場するオオサワ少年だって、一歩間違えたら、
タカヤマさんのことグサリだと思う。


そして、「殺人事件」とかいう物騒なタイトルに反して、
映画の映像はとびきり美しくて、そして良いエピソードがいっぱい。

だから、
1カット1カットにいちいち胸をグサリグサリと刺されます。
(そういう意味では「観客」殺人事件ですな)

なかでも、終盤、
主人公が映画監督に向かって叫ぶ場面。

「彼女が自然? 映画で何を撮ってんだー?」
的なことを主人公が叫んで撮影所を出ていくシーン。
これが切なくってもう重症。瀕死。ぐったり。

あんなに怒っていたのに、
ヒロインの血が付いた服は脱ぎたくないっていう。。。。

「恋に狂うとは言葉の重複。恋とはすでに狂気なのだ」

そんなことを言ってたのは19世紀の詩人、ハインリヒ・ハイネだったっけか。
煙が目にしみますなぁ。

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