まるちゃんの めざせ!快適シンプルLife

本当の幸せを見つけて・・・
  第2の人生を歩き出した
      まるちゃんの徒然日記
    
 

ようこそ

いらっしゃいませ! このブログは、まるちゃんのひとりごとを中心に テキトーに、マイペースで更新していきます。好きな読書記録や、菜園日記等もかねてます。一緒に元気になれるブログをめざしたいと思いますが、しょもないことも書いてます。ちなみに、いちおう人気ブログランキングと日本ブログ村に参加してます。遊びに来られたついでに、記事下か左サイドバーのボタンを2つポチ、ポチッとしてくださると嬉しいです。ゆっくり遊んでってくださいね。 あ、コメント・置き手紙・トラバ・ボケ・ツッコミご自由にどうぞ。

地球劇場の茶番劇

2024年07月18日 | 
大西つねきさんのお話

時々は地球を俯瞰して眺めないとね。
雲の上の青空から。

自由な心で。
(ミクロの視点と、マクロの視点と)

確かに、感情のジェットコースター🎢てお腹いっぱいだし、楽しめなくなった
現実は映画や小説より面白い

【メモ(4:30〜)】
情報は一部でしかないので求めすぎない
起きた事は起きた事として、「あっそうなのね」と軽く受け取る

今、大きな変化が起きている
人が囚われ続けてきた“常識、ルール、思い込みなど”から解放されて、
一人ひとりが本当に自由になる時代が必ずやってくる

政府の借金なんて絶対返せない
ただ、返せてた時代があった
過去には通用してた事が今は通用しなくなってる

民間のお金が十分つくられてた時代は、、
資本家は上がった利益を我が物にできる(欲、インセンティブ)から頑張り成長してきた
みんなが物が欲しかった 大量に物を作っていた 経済が回ってた

でももう、物が充足して売れなくなった
お金を借りて物を作って売って、利子をつけて返すという
お金と借金を増やすというシステムは回らない

お金が増えてもしょうがない、物が増えなければ
でも物ももう増やせない 作っても売れない

利益のために労働者を安く使って消費者に高く売り続ければ(吸い上げ続ける)
世界の1%が8割の富を握っていたり、格差が拡大しているのは当然の帰結
売れなくなれば企業は自分の身を守るために内部留保を貯めこむ

お金が増えすぎた
制度疲労、システムが時代に合わなくなっている

人の在り方が変われば、あらゆる事が変わっていく
面白い時代になった

今までは、権力者の言う事を聞かないと不利益を被るという世界だった

個人が思い込みを捨てて自由になれば、権力者は隠蔽できなくなる
嘘が通用しない時代
自由とは自らに由(よ)る 自分の心に正直になっていく 
自分に嘘がつけなくなる

色々な隠された事が明るみになっていく
一人ひとり、自由=人権を取り戻そう

人が言う事を聞くから権力は集中する
みんなが自由になったら一部の権力者が支配なんてできない
みんなが依存するから支配者が生まれる

人が自由になるという大きな流れの中で、そうさせまいとする人たちが
色んな統制を強めてくる
人をコントロールするために必要なのは「恐怖」(ショックドクトリン)
「恐怖」と「解決策」セットで人を誘導する(意識をコントロールする)

これから色んな事が起こる
地球劇場で繰り広げられている茶番劇として眺めてみよう
「やってんなあ」って
面白がって、、、
楽しんで、、、

自由に
自らの心で動こう

(お金より土地だよね)
超面白い時代を楽しもう@大西つねきのパイレーツラジオ

超面白い時代を楽しもう@大西つねきのパイレーツラジオ

先日行われた都知事選から11月のアメリカの大統領選、来年の参議院選と政治イベントが目白押しの中、金融経済の世界も激動必死。これからどうなるのか不安に思っている方も...

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初期仏教のお坊さんのお話 停滞する期間が長いと無気力になる

2023年12月01日 | 


Q  高校生の息子が無気力で寝てばかり、、、何かアドバイスを

A  社会経済の停滞、衰退が問題。長過ぎる。若者の無気力は社会全体の問題。子どもたちは被害者。
 大人はみんな、人類的な哲学をもとう。ビジョンをもとう。
 息子さんには「ゴロゴロしてる場合じゃないよ。すぐに歳とって臭いオッサンになるよ。
 若い時代はあっという間に終わるんだよ。
 人生は儚いんだよ。流されて死ぬんじゃないよ。」と教えてあげよう。

Q  大人も頑張る気力を(政府や社会に)抑え込まれ、削がれているような、、、

A  進化の途中。進化(変化)しないと無気力になる。
  明るくふざけてみよう。

人類的な哲学、ビジョン、ゴールをもって、
明るくふざける。

、、、ですね。はい。


おまけ〉
寒くなってあまり変わり映えがないように見える菜園ですが、
大麦が育ってます。




ジャガイモ4株を収穫。
秋植えは収穫量が少ない(試し掘りの2個は食べた)けど、
寒いし期間が短いからこんなもんかな。
味噌汁のいい具になります。


柚子は50個ほどお裾分けした後、少しずつ取って、
鍋や柚子ジュースにして頂いてます。
ほぼ放ったらかしだけど、実をつけてくれてありがたい。




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慈悲の瞑想の言葉

2019年07月11日 | 

慈悲の瞑想の言葉は色々あるようです。(長老によって?なのかな?)

スマナサーラ長老から教わった慈悲の瞑想の言葉も、簡単で覚えやすくていいんだけど、グナラタナ長老の慈悲の言葉はより具体的で、胸にグッときます。

覚えにくいけど、大事なのは中身、心です。いつでも、こういう言葉を携帯して慈悲喜捨の心を育てたいと思います。(多分ですが、お釈迦様の「慈経」を基にしてるのかな?慈経は本当にいいお経です。よく口ずさみます)

日本では般若心経を写経して心を落ち着かせますが、グナラタナ長老のこの慈悲の言葉も写経のように書き写してもいいかもしれない。


「ひとりひとりの心から、欲、怒り、嫉妬、恐怖がなくなりますように。慈しみの心で包まれますように。身体の全細胞、すべての血液、すべての原子、すべての分子と心が、慈しみで満たされますように。慈しみの安らぎと静けさが全身に溢れますように」

「宇宙のあらゆる方向にいるすべての生命が、安穏でありますように。幸せでありますように。生きとし生けるものが、、、豊かで、尊厳があり、無量の慈しみで満たされますように。敵意がなくなりますように。悩み苦しみがなくなりますように。幸せに暮らせますように」

「私の嫌いな人、私を嫌っている人々が、幸せでありますように。危害がありませんように。困難がありませんように。苦しみがありませんように。いつも成功できますように」

「私に害をもたらす人々が、欲、怒り、嫉妬、恐怖から離れられますように。慈しみの心で包まれますように。身体の全細胞、すべての原子、すべての分子と心が、慈しみで満たされますように。身体が安らぎますように。身体と心が慈しみで満たされますように。慈しみの安らぎと静けさが全身に溢れますように」

・・・一部です。

  生きとし生けるものが幸せでありますように、、、

(『マインドフルネス 気づきの瞑想』バンテ・H・グナラタナ著 出村佳子訳より)

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自然農法家   福岡正信

2013年05月31日 | 

自然農法を提唱した福岡正信さんのお話は、 深い! すばらしい!!

 

人間の知恵は自然を滅ぼす。人間のする事なす事全部が反自然。
砂漠をつくっているのは文明。

人間は自然の一部でしかありません。傲ってはいけませんね。

 

YouTubeにありましたので、お借りしました。

ちょっと長いですが、じっくりお聴きください。

https://www.youtube.com/watch?v=IXFJoTkEIWs

 

https://www.youtube.com/watch?v=aBtaRJvvsK0

草一本 人間がつくっているんじゃない。

自然がつくっているんだ。

 

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変わり続ける

2012年11月20日 | 

まるちゃんのブログはむずかしいと言われたことがあります。
たまに哲学的なことを書くからでしょうか。(ですます体にしても難しい?)

日々生きていると、色々と問題はあるわけで、田舎のただのおばちゃんも
ちょっと色々考えたりするわけです。で、ついつい自分の思いを書き込んでしまったりするわけです。
もう、ほんと個人的に書いてるものなので、読み飛ばしてくださって無視してくださっていいんですがね。
いろんな考えの人がいるなあって。

で、今日もちょっとうずうず哲学?したい気分・・・ (嫌な予感・・・て人、読まなくていいですよ!)


変わらないものは何一つない

私は私であって私でない

私は(まるちゃんは)生まれた時から、あらゆるもの、人との関係(つながり)の中で生きてきた。
私という器の中身は変わり続け、(器自体も変化しつづけてる。 最近はしみしわ白髪・・・老化が・・・)
産婆さん(古い)、親、兄、親戚、友だち、先生、近所のおばちゃん、学校、職場の人々、本、
テレビ、映画、あんな経験こんな経験、(うれしかったこと、つらかったこと)・・・あげればきりがない、
ありとあらゆる人々とのつながり、影響によって私はできている。

それは、今この瞬間も。昨日読んだ本、聞いたニュース、人と話したこと、言われたこと・・・すべての
影響を受けて今の自分がある。(何に影響を受けるか、それは人それぞれみんなちがうね)

自分という器の中の自分は、初めから何か自分というものがあったわけではなく、
あらゆるつながりの中でできているし、それは常に変化し続けている。

今の自分は昨日の自分とはちがう自分であり、そして、明日の自分は、今日の自分とはちがう自分になっている。また、昨日今日の自分から学んで次の自分をつくることもできる。よくもわるくも。

だから、どうせ変わるなら、変われるんだから、過去を悔いるのではなく、
常によりよい自分に変われるようにしたい。 (何か決意表明みたいだな

 

人は変わり続けるもの。 
変わりたくない、と抵抗しても無駄、苦しいだけ。昨日の自分には戻れない。 
白髪は染めて、シミは隠す。変化を受け入れよりよく変化させてるだけ。(話が逸れた?)

変わるということは、これで完全完璧というものはないということ。
ま、はなから、自分は完全完璧だという人はいないと思うけど。(自分は神様だと言う人くらいかな?)
みんな何かしら問題があって、苦しんで(苦しみの中に楽しみを見つけて)生きているんだよね。

だから、完璧正しいって人も、ものもないってこと。ちょっとずつ、直し直しやってる。

正しい、完全完璧なものはない

人はみんな一人ひとりちがう。同じじゃない。人と全く同じになることはあり得ない。
器の中身は人によってみんなちがうんだから。
私は自分の人生を生きてきて、自分の立ち位置からものを見て周りと関わってきたんだから、
あなたの人生を生きてきたわけじゃないのだから、ちがっていて当たり前。似ていることはあっても。

だから、人のことを完全に理解することも不可能。できなくて当たり前。
いくら言葉で説明しようが、言葉自体が不完全であり、その言葉を不完全な私が完璧に理解し、
その人のことを完全に理解することなんて無理。
自分の立ち位置から自分の経験などをもとに自分なりに想像する程度。
だから、違っている可能性も大。

つまり、みんなちがっていて当たり前だし、人のことをちゃんと理解できないのだから、
人を非難したり、決めつけたり、自分の考えを押しつけたり、ちがうからといって腹を立てたりすることはない。

(まあ、非難や押しつけをする人は自分が正しいと思ってたり、思い通りにならなくて腹を立てるわけですね。でも、よりよくなりたい人は自分を正しいとは思わないし、人はそれぞれだと思うので、できないし腹も立たない。腹が立ったり押しつけてしまったら反省してしまう。ほんと人それぞれだなあ。)

できることは、人に対してではなくて、問題点に対してまず自分なりに理解しようと努めることと、
どうすれば問題がよりよく解決するかを自分なりに考えるということだけ。



・・・・とまあ、ダラダラとひとりごとを書いてしまいました。
わかっちゃいるが、難しい。 だって、人間だもの・・・・・・

 

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殺してはいけない

2012年11月10日 | 

昨日のつづきです。(飛躍しすぎだ・・と思われるかも知れませんが)

幸せの反対、怒りの先にある最大の不幸はというと、戦争、破壊、殺戮、支配、差別ではないでしょうか。
(欲も絡みますが。欲が強いと怒りが生まれるのです)

昔、食事時の「いただきます」は命をいただいて生きているということだという話をしたことがありますが、もし、
こどもに「なぜ、人を殺したらいけないの?魚や牛は殺してもいいの?」と尋ねられたらどう答えますか?

私ならこう答えます。
人はみんな生きたい、生きてしあわせに暮らしたいと思っています。死にたいという人は本当は
幸せに生きたいのです。できないのなら死んだ方がましなどと思ってしまっているだけなのです。
自分がしあわせに生きたいと思うように、人もみんなしあわせに生きていたいと思っているのだから、それを奪ってはいけないのです。殺してはいけないのです。

悪いことをした人は死刑にされてもいいんじゃないかって?

初めから完璧に悪い人も完璧によい人もいません。人、この世のあらゆるものは必ず変わります。
悪いことをした人も全てが悪いわけでなく、必ずよい所もあるはずです。そして、99%悪いとしても
変わる可能性はあります。だから、殺してはいけません。
日本の社会(不完全な人が作った不完全な社会)の中では、死刑は認められていますが、
それは社会の都合(経済的、時間的他諸々)で仕方なくしているのであって、
ホントは殺してはいけない。
悪い心を改めるまで、どこかに隔離すればいいのです。社会の中で仲よく暮らせないなら独りぼっちを経験してもらえばいい。
でも、この社会では今の段階ではできないのです。社会が未熟だからです。人間が未熟だからです。
人間は間違います。間違ったら直せばいい。でも、殺したら終わりです。
みんないつか必ず死ぬのですから、殺すことはないのです。

ちょっと話が逸れた?


魚や牛、豚・・・は?

人間は食物連鎖の頂上にいるから、人間が食べる分にはいいんだ・・・という人がいますが、
私にはどうも納得いきません。

人間が勝手に人を頂上に置いてるのであって、人は自分たちは一番賢いから(文明を持ってるとか)
何でもできるんだ、と言ってるように聞こえます。これは、人間の傲りではないかと思うのです。

やっぱり、
どんな生き物でも殺してはいけない、人間はいけないことをしている(仕方なくでも)

と自覚したほうがいいと思います。


なぜなら、どんな生き物だって生きていたいのです。人間と同じように、生きてしあわせに
暮らしたいのですから。すべての命は平等なのです。その命を自分の都合で奪うのは、
してはいけないことなのです。殺してはいけない。
だから、ホントは「いただきます」だけじゃなくて「ごめんなさい」もいるんじゃないでしょうか。
そして、生きるのに必要最小限にとどめるべきだと思います。
命をもっともっと重く考えるべきだと思います。


虫もそう。害虫という虫はいない。人間にとって迷惑だという意味。殺す以外の方法をとればいい。
殺す以外の方法を見つけることができなくて、やむなく殺してしまったら「ごめんなさい」というべき。
虫には何の罪もない。ただ生きてるだけ。

全ての生き物は、お互いに助け合うことで成り立っているのです。



地球上に、人間だけいて、動物も虫も細菌も植物も他に何もいなければ、人間は生きていられない。
そもそも、人間ははじめから人間だったわけではないし(進化論によれば)。
人間は、他の生き物もふくめて、互いに仲よくしなければ生きていられないのです。

そして、
悪いことをすれば、その結果は絶対よいことにはならない

つまり、人間は(肉食動物も他の生き物も)みんな罪を犯して生きている。
完全完璧な人間はいないということになりますね。

だから、
謙虚になって、少しでも罪を少なくする努力をすることが、しあわせに生きるためには必要だと私は思っています。

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怒りの感情は要らない

2012年11月09日 | 

今日はちょっと哲学?してみます。

「幸せ」は人それぞれだろうけど、私は幸せはとは、心がおだやかであること だと思っています。
しかし、自分の周りを見てみると、怒っている人のなんと多いこと。いや、日本、世界中に怒って
いる人がいる。この世は、怒りで満ちているといってもいいかも。

怒りからあらゆる不幸が生まれているのに。

怒りと言ってもさまざま。
他人に対する怒り 腹立ち、恨み、嫉妬、張り合うこと、軽視(バカにすること)、反抗、ケチ・・・
自分に対する怒り 後悔、自分に対する苛立ち、あせり・・・

まあ、怒りは人間の性質なので、ほっておくと自然と出てくるもの。でも、繰り返すことで強化され
怒りやすい性格を作ったりするのです。

怒りが出てくるのは仕方ない(だって人間だもの・・・)(完璧な人間なんていないんだし・・・)
でも、だから、怒りの気持ちが生まれたら、すぐに消そうと努力することが必要なんだよなぁ。
意識するだけでもいいから。

「怒り」で不幸になることを選ぶのか、「怒り」を消しておだやかに生きることを選ぶのか、
それは自分次第。

 

バカにされたら怒って当たり前?非道いことをされたら怒って当然?
仕方ないことではあるけど、そんなことはない。

「怒って当然」と思う人は「○○が自分を怒らせる。○○だから腹が立つのは当たり前、みんなそうだ」と
しょっちゅう怒っていて、その姿を見ると、
「そんなに怒ることないのになあ。苦しそうだなあ。気の毒だなあ」と思ってしまいます。
○○が怒らせるのでも、○○だから腹が立つのでもなく、
自分中心に考えるから(自分の思い通りにならないから)、怒ってしまっているだけなのです。
人は人、自分は自分。みんな違うんだから自分の思い通りになるわけがないのに。
人間は(自分は)完璧じゃないから、うまくいかなくても当たり前なのに。

怒るのは誰のせいでもないのです。
自分次第なのです。怒りの感情は自分でコントロールするものなのです。

 


我慢

我慢も怒りです。しかも、心の中に押さえつけているので、怒りのエネルギーがさらに強くなる。
我慢はしてはいけません。

ならば、吐き出すのか?「バッキャロー #$%&*?!!」と怒鳴るか?
相手に「あのねえ!!!!#$%&¥*」とやり返すのか?

怒りにまかせての言動行動は100%ロクな事になりません。

 

我慢するのではなく・・・・つまり、怒らなければいいのですよ。

平常心で、どうすれば問題が解決するのかを客観的に考えればいいのですね。
怒りの感情抜きで。
こっちから見たりあっちから見たり、他の考え方はできないか、とか。
問題だけに集中するのです。
考えた方法がよければ解決するだろうし、よくなければうまく解決しないだろうし。
うまくいかなくても当たり前。人間は(自分も相手も)完璧じゃないんだから。
誰かに協力してもらうのも、一つの方法かも。

つまり、やっぱり自分次第。


とにかく、
怒らず、心おだやかに生きることが自分にとってしあわせであるし、みんなが心穏やかに
助け合うことで、社会もよくなるのではないかと思うのですが。

怒りの感情は要らない。

なくす努力をしましょうよ。みなさん。

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自分のこころ

2012年08月18日 | 

 

http://www.youtube.com/watch?v=0p65KBdI6lg&feature=my_watch_later_videos&list=WL7469B3D8D3517FFD

 

人は不合理、非理論、利己的です

気にすることなく人を愛しなさい


あなたが善を行うと利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう

気にすることなく善を行いなさい


目的を達しようとする時、邪魔立てする人に出会うでしょう

気にすることなくやりとげなさい


善い行いをしてもおそらく次の日には忘れ去られるでしょう

気にすることなくし続けなさい


あなたの正直さと誠実さがあなたを傷つけるでしょう

気にすることなく正直で誠実であり続けなさい


あなたの作り上げたものが壊されるでしょう

気にすることなく作り続けなさい


助けた相手から恩知らずな仕打ちを受けるでしょう

気にすることなく助け続けなさい


あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい

蹴り落とされるかも知れません

それでも気にすることなく最良のものを与え続けなさい


最後に振り返ると、あなたにもわかるはず

結局は、すべてあなたと内なる神との間の事なのです

あなたと他の人の間であった事は一度もなかったのです

                               by マザー・テレサ

 

神ではなく、「内なる神」。それは自分のこころ・・・

自分のこころが、本当に善であるかを問いましょう。

 

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自分と地球をしあわせにする食べ方

2012年08月17日 | 

体と地球にいい食事をしようと思っています。

 

左のブックマークのコーナーに新しく「じぶんと地球をしあわせにする食べ方」
というブログを加えました。

共感するところが多いです。

食事の仕方を少し考えるだけで、健康にも、地球(環境)にもいいことができるんです。

菜食、マクロビオティックホリスティック栄養学など、勉強すればするほど、
無意識のうちに健康にも地球にもよくない食べ方をしていたことがよくわかります。

どんな食事が体にいいかは、またできたら紹介します。


そして、食べ方は「生き方」にも通じる。

環境破壊(多くの森林が必要以上の肉食の犠牲になっている事実、地球温暖化も)や
飢餓問題(飽食の先進国が貧困に苦しむ人々を余計に苦しめている事実)と、
私たちの食べ方が大きく関わっているということを知ったのです。
見て見ぬふりはできません。

必要のない肉食のために、多くの生き物(特に牛、豚、鶏)が、
世にも恐ろしい虐待をされ惨殺され続けているという事実も。
(動画で見て、言葉を失ってしまいました・・・

 

なるべく、自分にも地球にもやさしく生きていきたい私は、
人間が生きるために必要ではない、牛や豚や鶏などの肉は食べたくなくなったのです。

食べなくても人間は健康に生きていけるのなら、食べる必要がない。

 

申し訳ないけど、必要な魚介類(養殖じゃないの)は動物性食品として少しだけいただきます。
放牧牛からの乳製品も時には分けてもらいます。地鶏の卵も少しだけ分けてもらいます。

でも、虐待されてる動物からの肉は、必要としません。

 


無理せず、自分にできることをできるようにやって、

平和におだやかに暮らしていけたら、私はそれだけでいいのです。

 

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好きなことだけ・・・

2012年07月08日 | 

   

   

こんなカレンダーを使っています。毎月、かわいい子猫がつぶやいています。

今月は・・・

うん、いいよ。

少なくとも、嫌なことはしなくていい。

好きなことなら、どんなにしんどくても、ストレスにはならないからね。

嫌だと思うことがストレスになるんだよ。

 

でも、好きじゃなくても、どうしてもしなくちゃいけないこともある。

生きていくために必要ならば・・・。(必要かどうかの見極めは大事だけど。)

本当に必要じゃなければしなくていい。でも、生きていけないなら好きじゃなくてもする。

とりあえず・・・。

ただし、できないことは無理にしなくていい。不可能なら。でも、できることならする。

もちろん、やっちゃいけないことは断固としてしない。(不幸になるからね。)

 

好きなことじゃなくても、嫌だと思わなければいいんだ。

ムリ?いやいや、ムリじゃない。

嫌だと思わずに、ただ、淡々とすればいいだけ。

何にも考えず、ただ、目の前のことを淡々とこなす。

工夫次第(考え方次第)では楽しくもできるけど、淡々でもOK。

とにかく、「嫌だ」という気持ちをもたないこと。

ストレスは自分の心がつくっているんだよ。自分次第。

 

好きなことだけして生きていけたら、こんな幸せはないだろうね。

みんな、幸せに暮らせたらいいね。

だって、人生は一度きりしかないんだから。

 

・・・てことを、ちょっと思った。

 

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つぶやきまるちゃん

2012年05月16日 | 

あっという間に午後の部の家事終了。

さて、ウクレレでも弾こうか、本でも読もうか、ブログでも書こうか…

残りの時間がせまってくると、何だか何をしたいのかわからなくなる。

やる気は心の余裕と比例するのですな。

自由度が高ければ高いほどやる気は出てくるモノなのだ。

だから世のお母さんがた、子どもに「ああしてこうして」とか、
「こうじゃなきゃダメだかんね」などと言ってはいけません。

「自由にやれい~」「やりたいようにやれ~」 これが一番です。

適度なプレッシャーは、自分で自分にかけるのがよろしい。

人にかけられても人にかけてもダメですな。

 

久しぶりに歩いたからか、左のひざが痛い。

老いはやってくるねえ。若くても(若いと思う人はみんな若いのだ)老いは老い。

生まれた時からみんな平等に老いていくのだ、とはいえ健康な方がいい。

不思議なことに、痛みは、楽しいことしてる(思っている)と感じなくなります。

「病は気から」はホント。

私はあまり細かいことを気にしない方だと自分でも思ってたけど、

忘れっぽい(記憶力が劣っている?)のは事実だけど

気にしないように気をつけているだけで実は気にしいなんじゃないかと思ったりする。

 

阿川さんの「聞く力」という本を買った。

私はしゃべるのが苦手なので、じゃあ聞くのが得意なのかと言われたら、

聞くのは好きだけど聞き上手ではないなあ。

話し上手、は諦めたけど、できたら聞き上手になりたいなあ。

(姪がこっちに帰ってきてしばし中断。 アイスとお菓子を食べて米を持って帰った)

人の話を聞くのも人間力だね。話すのも聞くのも要は人柄かな。

阿川さんの「サワコの朝」(6チャン土曜朝7時半)という番組が好きだ。

さて、久しぶりにビール飲むかな・・・

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愚かな人間

2012年03月11日 | 

自然は ただ流れていく

地震も津波もしかたがない 

しかし 自然の中にいるはずの 人間の何と愚かなこと

愚かな人間の作った 欠陥だらけの原発のために どれだけの苦しみが生まれているか

そして また愚かな人間のために 放射能を浴びた家畜が動物が 殺処分されようとしている

何という 思い上がり 傲慢 エゴ

我が子が放射能を浴びたら殺すのか?

生命をなんだと思っているのか?

何様のつもりか・・・

 

復興に向けて 「絆」という言葉が言われている

だけど 「絆」は人間だけのものではないはず

すべての生命が繋がっているのだ

すべての生命は支え合い補い合い助け合って成り立っているのだ

思い上がった人間が そのつながりを断ち切るとき

また 新しい苦しみが返ってくるにちがいない

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「なりきりごっこ」注意事項

2012年03月01日 | 

昨日書き忘れたのだが

「なりきりごっこ」には注意することがある つまり・・・

みんなが「なりきり教」(いつ出来ただ?)の信者であればいいのだが、まあフツーの人が見たら

「何 かっこつけてんの」とか「イキっとる」(これ井原弁)、又は「ついに脳ミソやられたか・・・」となる

なので、

なりきりごっこは 一人のときにすること(信者がいない場合) 

フツーの人がそばにいる場合は 頭の中だけで(動作控えめに)すること

この2点に気をつけられたし!!(ま、気にしなくてもいいんだけどね・・)

ちなみに 日常生活の中 あらゆることでできる

シャンプーするとき・・・ 「痒いところはございませんか」「おしりのあたりがちょっと・・・」(一人でね)

ウォーキング・・・ アスリートになる ただの息切れでも「これがランナーズハイか!?」とつぶやきながら歩く

雨や風の中を歩くとき・・・ 台風中継のアナウンサーになってもいいし 雨が大好きな幼児になってもいいし(ただのアホか?いやアホでいい)

これで毎日がハッピー まちがいなし 妄想は無限に広がる・・・

だたし、はまりすぎて素の自分に戻れなくならないよう(ビョーキです)お気をつけて

(中2の姪に話したら “それいいなあ”って なりきり教の信者ひとりゲットか?)

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なりきりごっこ

2012年02月29日 | 

何かするとき(掃除でも料理でも畑仕事でも何でもいいんだが) その道のプロ、達人になったつもりで

いや 人格ごとなりきってすると イヤな仕事でもかなりモチベーションがあがる

たとえば 料理・・・

「私は フランス名門レストランのシェフ」と 目をつぶって(もつぶらなくてもいいが) あの白い服(なんてゆうの?)と帽子を着ている自分を想像(妄想)する で 意味もなく「トレビア~ン」とか「ジュブジュボ~ン」とかつぶやいてみる

野菜を切るときは 高速でトントントントントントンッ って口で言って(実際はトン4回に1回でも) 最後フィニッシュのポーズ(包丁を高く上げてみるとか)を決める 

塩は必ず手を頭上までもっていき 上から(顔は斜め後ろに)ねらいを定めてパラパラとふりかける

または 岩塩のつもりで 卓上塩をごりごり回しながらかける(こしょうも)

味見は指で ・・・・ とにかく プロのシェフがやってそうなことはやる

そうすると たとえインスタントラーメンでも ものすごい料理ができそうで 楽しい

たとえば 畑仕事・・・

農業のプロは 土が命 とにかく土を握る やたらと握る うなずく

土を握って「いい土になってきたなあ」といってなめる(ふりをする)

言葉のおしりに「~だべ」「~ずら」をつけるのも何となく気分が出る(これ ダメ?)

掃除なら・・・ 

たとえば「みがき職人」になる で 細部に、仕上がりに、徹底的にこだわる 

「私 プロですから! この道一筋30年」とつぶやきながら・・・

 

これが茂木健一郎さんのいう「根拠のない自信」ではないかと思ったりするのですが・・・

いかがでしょう

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お節介おばちゃん

2012年02月26日 | 

「本当に好き。やっていて楽しい。」と思えるものをもつことは生きていく上ですごく大切なこと(味方 心の支えになる)。その時、人と比べて上手だとか劣っているとかを気にする必要はない。「本当に」好きなら、ただ楽しい。
だから、ずっと○○でやっていてもいい(先生から教わるだけで)。
でも、もっと上手になりたいのなら++はチャンスだと思う。「お手本」(先輩や上手な人)がたくさんあるし。お手本と思えるならば、本当にもっと上をめざすのなら、もっと大きく強くなりたいのなら。

不安とか劣等感とか思うなと言われてもそれが生まれるのは仕方がない。人間だもの。しかし、自分の考え方次第で感じなくなるのも事実。

だって 人と自分はちがって当たり前。人は人 自分は自分。人の目なんかいいかげんなもの。どう言われようと、思われようと(思ってるかどうかは分からないし)言う人の勝手。人は不完全なんだから。もちろん自分も不完全。今、うまくできなくても当たり前。人も自分も必ず変わっていく。

不完全なもの同士、しかも、みんな変わっていくのに、比べても意味がない。先のことは誰にも分からない。だったら、今 本当に好きで楽しいと思うことを、本当に楽しいと思えるやり方でやればいい。
もっと上手になりたい 上をめざしたい 大きくなりたい と思うなら++
今のままでーーーができれば十分(物足りないと思わない)と思うなら○○

ママは**ちゃんに「強く大きくなってほしい」と願っている。「将来、何か壁にぶち当たった時、くじけてしまわない力をつけてほしい」と。だから、あえて++に挑戦してほしいと思うのだ。それは「願い」。子どもの成長を願う親の愛情であることは理解してあげてほしい。ただ、強制はできない。

**ちゃんの人生は**ちゃんが作るものだから。自分の人生の主人公は自分。
どちらを選ぶかは**ちゃん自身。もう少し時間がかかるのであれば時間をかけてよく考えて決めればいい。ちょっと見てみるとか、人の意見を聞いてみるとか、試してみるとか(データ、判断材料を集める)・・・・
      決めるのは自分だけど、一人で考えすぎないこと とにかく動いてみること
      とりあえずやって、ダメならちがう方法を見つけて変えていく
      比べない  人は人自分は自分  みんな不完全
      自分の人生は自分で作る  データを集める 
      変わる 変えられるんだから「とりあえず」でもいい

経済的に無理なら、無いなりにお金をかけずに続ける(本人の意志でできる)
続けるお金がないなら仕方がない、自分で稼げるようになるまで待つ。(優先順位)

とりあえず参考まで・・・
  (ちなみに、これは“お節介”です。こんな考え方もあるということで・・・選択の自由(苦しむ自由悩む自由も)は**ちゃんにあるのですから)

    人は迷惑をかけずには生きられません 悪意でなければ、迷惑はかかって当たり前
    迷惑と思うのではなく 助け合うのだと思いましょう

 

子どもに強くなって欲しい親と、葛藤し尻込みする子ども・・・こんな手紙を書いてしまったお節介おばちゃんです

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