白銅錫之助(はくどうすずのすけ)

「ジジイ 名を名乗れ!」「ワシか? 白銅錫之助じゃよ。」

ノックピン

2011-06-30 08:13:50 | 日記


ケロヨン号の前後カウル サイドポンツーンとの密着面にノックピンを 各部2本ずつ設置しました。これにより 広くて ややウネウネするカウルの位置がピッタリとします。
あとはズス・ファスナーなり スプリングなりで固定する作戦。



倉庫(工場)脇の胡桃が だいぶ大きくなりました。
胡桃のお陰で ジュース類の自動販売機に日陰が出来 冷却の一助になっていると思われます。


ケロヨン ドア補強

2011-06-29 08:51:30 | 日記


ドアの補強が終了。この際 ねじれたり、余計なカーブが付かないようジグ化しての貼り込みを行わないと 相当大変なことになります。
本来は裏型も製作し 袋状にしたい気持ちも有りましたが 製作期間の事情も有りました。



ドアのチリは現在 1~4ミリ。これを5ミリで揃える予定です。
写真のサイドポンツーン上とドア下の間には 5ミリの板を挟んで ドアを乗せて有ります。
FRPは 延長、短縮と言う面においてチリ出しには都合が良いです。アルミだと厳しいので。それぞれ メリット、デメリットが有る、と言うことでしょう。

「佐倉で教えた画家たち」展

2011-06-28 08:50:06 | 日記


「佐倉で教えた画家たち」展が市立美術館で行われ 見学して来ました。
この建物は大正期の旧川崎銀行で 外壁を残しつつ 内装は現代的にレストアされたもので シドニーのビルなども 同様の修復がなされています。好きな建物の一つです。



「市制だより」に秋吉先生の名を見つけたため 懐かしさで見に行こうと思っていたのです。
秋吉先生は 私の高校時代の美術の先生でした。芸術と言う科目が 音楽と美術からの選択で 音楽だと人前で歌わされるのが嫌だったため 美術を選択した、と言う消極的選択でした。
たまたま 先生が検見川で 私が稲毛だったことから 試験前短縮授業の際には「オイ 一緒に帰ろうや。」と言われ ちょくちょくご一緒したものです。
当時 美術部が有ったのか無かったのか知りませんが 何故か陸上部の私に「展覧会の準備 手伝ってくれ。」と頼んで来られ 県立美術館にエンヤコラしに行きました。「公欠」と言って 授業は出席扱いとなります。
もう一人 少し若い美術の先生が次年から着任し この先生からも「公欠したいか?」と問われると 「ハイ!!」と答え公欠させて貰ったものです。弁当も二人分 食べさせて貰ったりでした。
そんなことから 旧い木造校舎の奥に有り隠れ家的雰囲気の 美術教官室は時間潰しさせて貰ったものです。その代わりでは有りませんが 夏休み中 陸上の練習の前か後に 何かしら手伝いをさせられてもいました。

卒業後 先輩から「あの先生は けっこう偉い人なんだぞ。」と聞かされましたが 私には面白いオッサンの印象です。

展示会の略歴を見ると1985年に亡くなっていたことが分かりました。64歳の若さで亡くなられたようです。



ストロボを焚かなければ写真を撮影して良い、との許可を戴き 撮影しました。
「バス停にて」(S46)か「バスを待つ人々」(S47) どちらのタイトルだったか?

ムクロジ

2011-06-27 08:05:34 | 日記


日はズレたが 母の月命日で父、孫、ひ孫などを連れて墓参に行って来ました。

寺の駐車場で 住職の娘さんと 私の娘が何やら談笑していました。娘が1月末に出産した病院のベッドに 次は住職の娘さんが入院したのだと言います。そして 当時 何やら物々交換を行ったりもしており お互い どこかでお会いした様な、から話をし納得した、のだと言います。
そんな長話しのさなか 小1、2の孫達が 何かの実で遊び始めました。梅の実のようなシワシワの実で振るとカタカタ音がしました。もう一つは真っ黒な硬い実で 落とすと良く弾みます。
住職の娘さんによれば「ムクロジ」と言う実で カタカタ音はソノ黒い実が入っています。昔はお正月の羽根突きの玉と言うかハネを コレで作ったのだとか。そして果肉の方は 石鹸として使われていたのだそうです。

ちなみに この木が生えている脇の通りが 娘さんは大好きなのだそうです。そこは 昔 貧しかった人たちに住まわせていた貸し家が両サイドに数件並ぶ通り(30m位)で 昭和20年代の趣を残します。漫画に例えれば「ハリスの旋風」の石田国松の家の様なたたずまいの粗末な木造、トタン屋根の家です。街灯がまた旧い。
来月の月命日の際にでも 写真を撮って来よう。

白い秘密兵器

2011-06-25 06:18:41 | 日記


野球漫画「黒い秘密兵器」ならぬ 「白い秘密兵器」。 などと昭和30年代チックなタイトルを付けましたが 要は「手持ち砂袋」と言うか アンビル、当て盤的な「当て袋」。
知人にデントリペア屋さんがいるのですが そのデント屋さんのアイデアを戴きつつ 板金用に考えてみました。
槌目のデコボコを小さくし なだらかな面にしたい場合 当て盤とハンマーで行うと 特にアルミだと微妙に潰され面積は広がってしまいます。シュリンクハンマー、ヤスリハンマーと言う手はりますが それでもです。面積が広がるのに 端部は決まっている場合 面はドンドン丸くなってしまいます。それを避けたい。凸のみを凹まし 凹みだけを出したい、そんな発想から作ってみたのです。
アルミ板金に興味を持つ S社の工場長に「手持ち砂袋 作ってみましたよ。」と言うと 「アメリカの工具屋さんのホームページにも 出てましたね。」と・・・。
な~んだ 私の考えること位 外人は既に考え済みなのか・・・ ガクッ!!

ちなみに「黒い秘密兵器」は昭和30年代の漫画で 忍者が野球を行い 多くの魔球を投げる漫画だったと記憶(いわゆる 確か? と言う感じ)します。漫画そのものは 面白い、程度でしたが スカウトが伊賀の山奥に探しに行く冒頭のシーンが何とも幻想的とでも言いますか 引き込まれる感じの設定でした。
単行本が売られているようですから 第1巻については また読み返してみたいとも思います。