無冠帝王の繰り言=外房御宿の網代湾を朝夕眺めるおぼろ男は、野次馬根性旺盛ですからいろいろと寝ぼけことを繰り返します。

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椿落つ 無冠帝こそわが墓碑銘  安藤 三佐夫

無冠の帝王願望

2016-03-05 10:19:42 | 日記
椿落つ 無冠帝こそ わが墓碑銘  三佐夫
  安藤 操(三佐夫 あんどう・みさお)1936年1月25日 千葉県市原市に生まれる。
千葉大学教育学部国語科(荒井栄教授に師事)卒業、教職に就く。主に千葉市内の小中学校に勤務、全学年の学級担任や管理職を経験、実践に基づく文学・詩歌句・読書・民話教育の理論構築と、その普及活動に取り組む。
その一環として、国語教科書のあるべき姿を追究し、その編集(学校図書版中学国語10年間)などに携わる。また、千葉市教育委員会に勤務し、社会教育(公民館長)・指導課主幹・教頭(1校)・学校長(3校)を歴任。定年後は、短大(ポリテックカレッジ千葉)・大学(秀明大学)で6年間、コミュニケーション論と実践教育学を講じる。「NPO法人ふるさと文化研究会」理事長として生涯学習講座「千葉ふるさと文化大学」を17年間主宰。
日教組自主編成講座・全国教研助言者(文学・国語教育)各県教研講師などを歴任。その間、国分一太郎(教育評論)・寒川道夫(教育実践)・奥田靖男(言語学)・無着成恭(綴り方教育)・渋谷清視・今西祐行・松谷みよ子・鳥越信・古田足日・斉藤隆介・鈴木喜代春・神沢利子・安藤美紀夫・砂田弘・宮川ひろ(児童文学)遠山あき(農民文学)西尾光一・岩沢文夫(国文学)・明石要一・宇佐美寛(教育学)深尾須磨子・巽聖歌・巽聖歌・小林純一・香山美子・久米井束・寺山修司・吉野弘・天澤退二郎(詩人)金子兜太・西東三鬼・森澄雄(俳句)、深沢幸雄・浜田清(画家)・神谷紀雄(陶芸家)・竹久みなみ(染色家)・さとう有作(漫画家)・黒沼ユリ子(バイオリニスト)・小林研一郎(指揮者)・秋山衛(声楽家)・高岡良樹(吟游詩人)・牧久(ジャーナリスト)・湯浅みつ子(民謡歌手)・鈴木一正(書家)氏、また中道リベラルの議員(加賀谷健・小西洋之)後援会長を20年間つとめ、野田佳彦(前首相)・川村皓章・熊谷俊人・臼井日出男・森英介・松戸敏雄・安田敬一氏など多くの政治家実業家との交流あり。
趣味 歴史・民俗・民話研究・小説詩歌句とエッセー・評論の執筆・海外旅行(国際交流活動)・日本酒探訪。
表彰 千葉市・千葉県教育功労 ・感謝状 法務大臣(保護司10年間)・NHK千葉放送局長・キワニスクラブ 他
現在 学校法人山王学園理事・福祉法人豊樹園理事・中国天津市少年児童図書館名誉館長 他
   ※千葉市在住59年間を経て、現在は千葉県夷隅郡御宿町新町816-5-616に転居。地域に根差す小説を執筆中。また、「御宿町の歴史と文学」(観光パンフレット)を作成。※ブログ「おぼろ男・波静かなる余生を」で作品・エッセーなどを発表。また、千葉市の縄文遺跡「加曾利貝塚」の国特別史跡指定と世界文化遺産登録の運動に千葉市と連動して関わる。
過去 NHK ・読売文化センター千葉講師・千葉大学教育学部同窓会理事(26歳~75歳)・大学同期生会会長(23歳~現在、同期生約240名)・房総(千葉)学検定(5年間)と縄文文化検定(5年間)主宰※初期の目標を達成して終了。他
☆☆☆主な編著書100余点☆☆☆ 
文学・読書の授業(日本書籍)・文学教育入門(鳩の森書房)・文学教育(新評論)・感動体験を育む詩の授業(明治図書)・国語教科書の詩(小・中学校編2冊 有信堂)・はばたけ子どもたち(学校図書)・先生少しは反省せよ(三一書房)・国語教科書批判(三一書房)・民話への招待(有信堂)・民話のこころ(日本標準)・ふるさと民話全七冊(鳩の森文庫)・房総むかしむかし絵本全八冊(ほるぷ出版)・千葉のむかし話・伝説・歴史全四冊(日本標準)・写真集千葉県下の昭和史(全十巻 千秋社)・房総のふるさと言葉(国書刊行会)・写真集海女の群像・海女の習俗(彩流社 岩瀬禎之)・房総ふるさと歳時記(ふるさと文化研究会)・房総(千葉)学検定(2冊国書刊行会)・ドン・ロドリゴの日本見聞録(たにぐち書店)・縄文文化の魅力(東銀座出版社)・句集鋼の星・詞華論集火喰い鳥(2巻、金子兜太・八木三日女・武田伸一・山中葛子・塩野谷仁選句 国書刊行会)・千葉の地酒とうまい肴(彩流社)・房総酒造り唄(コロムビア 湯浅みつ子)・歴史小説 養珠院お万の方と家康公(幻冬舎ルネッサンス)他
(近刊=小説2冊)少女は貝の笛を吹く・茉莉のルーツ幻想(悠光堂 公立共済会友の会)

つばき(椿・海石榴)の花に思う
 神社の森や旧家の屋敷には、よく椿の古木が聳えている。この大樹には、厚みのある常緑の葉が茂っていて、よく見ると枝先に沢山の鉄砲玉のような蕾が春を待ち構えている。甘いもののない時代の村の子どもたちは、椿の開花を心待ちにしていた。蜜をヒヨドリやメジロに先に吸われてしまってはならないからだ。開いた花を宝物のようにそっと指でつまみ、蜜のたまっている芯の部分を吸う。この木の登り降りが幼い子には至難の業で、木から降りようとして下を見下ろし、その高さに足が震えて泣き出す子もいる。かく言う私もその一人
花蜜を分け合うメジロ ヒヨドリ コドモたち 首はぼたぼた大地を染める  三佐夫
  江戸時代に大名や文化人に愛された椿の原産地は日本である(生物学者のリンネは種子をヨーロッパに持ち込んだイエズス会のカメルにちなんでカメル・ジャポニカと名付けた)。私は色とりどりの交配種よりも森に咲く藪椿の慎ましやかな素朴さを好む。 
民俗学の柳田国男は、女性の遊行者八百比丘尼(やおびくに)が椿を日本各地の聖地に植樹したと推察している。八百比丘尼伝説では、若狭の漁師の娘が人魚を食べ不老長寿者となり、ついには知人も身寄りも亡くなり、比丘尼として各地を漂泊した。そして八百年後に懐かしの故郷へ戻り一人淋しく入寂したと言う。現代の少子高齢化をも暗示している。
旭市の「椿の海」伝説では、猿田彦神がツバキの木を植えたが、大樹となり村々に日が差さないばかりか鬼が住み着いてしまった。村人が困るので、香取神宮の神が矢を射かけると鬼は大樹を引き抜いて退散し、その跡が大きな海となった。江戸時代に干拓し干潟八万石の穀倉地帯となった所である。これは椿の木伝説では最もスケールが大きく興味深い。最古の歌集「万葉集」にも椿の歌は九首出ており、坂門人足(さかとのひとたり)の作がよく知られている。
巨勢山(こせやま)のつらつら椿つらつらに見つつ思(しの)はな巨勢の春野を
大宝元年、持統天皇と文武天皇が「紀の牟婁の湯」(白浜温泉)に行幸したとき、同行して詠ん
だ歌。「つらつらつばきつらつらに」が実にリズミカルで昂揚感がある。
  馬齢を加えて八十年
青年期には、せいぜい生きても70歳どまりだと思っていたのだが、戦中戦後のどさくさまぎれの中で育ったからだろうか、雑草精神だけは保持していたらしく、気づいてみると傘寿を2016年1月25日、記録的な厳寒の日に迎えた。感慨は、曖昧模糊とした実感だけしか生まれて来ないのだから困ったものだ。
 明確な目的もないままに大学の教育学部を卒業して、小中学校と大学で教鞭をとり、編著書は100冊あまりになるが、充足感も満足感もあまり沸いては来ないのだから恥ずかしい限りだ。ただ、同年の友人たちの3倍ぐらいは、あれやこれやと首を突っ込み、触手を伸ばして来たことだけは確かである。
雪夜生誕 散華懺悔の傘寿なり(大雪の夜生まれたことは、産婆さんを迎えに行った姉から聞いている)
 厳寒の沖 や々明るみて傘寿てふ(傘寿の日を迎え、小説の校正に取り組んで夕方になってしまった。)
傘寿の痩躯 春一番は沖を航く

民主党よ筋を通すべし!

2016-03-04 10:47:13 | 日記
 昨日の連合のイベントでプロレス姿のガウンを着た野田佳彦さんが「小沢一郎は唐の足をひっぱった人物だから党には入れない」と発言しました。けだし全くその通りです。よくぞわが友は、はっきりと主張してくれました。
 民主党は、中道リベラルの党として、政府与党の格差社会推進・弱者無視の強権政治に歯止めを死に物狂いで推進してほしいのです。

新ブログの開設ー春なれば

2016-03-04 08:20:24 | 日記
余生の海          安藤 三佐夫  
月の出にささやいている桜貝
 星を蒔く わがゆりかごの網代湾 
 海啸や セシウムひそか忍び寄る
 怪鳥の乱舞すさまじ 海哭くな
 崖をなす激浪寄せ来る 網代湾
 垂れ込める雲かとまごう浪の華


 今朝の海の荒々しさには驚嘆しました。恐るべき怒涛でした。沖から大うねりが押し寄せては砕けるのですが、その時に波しぶきが雲まで届くのです。また、風にあらがって霧となり、雲となるのです。これは、いつまでも見飽きない光景です。
何しろ10年に1度ぐらいの大野分だと言うのです。