無冠帝王の繰り言=外房御宿の網代湾を朝夕眺めるおぼろ男は、野次馬根性旺盛ですからいろいろと寝ぼけことを繰り返します。

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椿落つ 無冠帝こそわが墓碑銘  安藤 三佐夫

智恵子抄の智恵子療養の家

2017-07-16 16:56:27 | エッセー
  智恵子療養の家―九十九里片貝
高村光太郎と房総』と言う手作りの小冊子が送られて来ました。著者は、市原善衛さん。
かつて、千葉ふるさと文化賞を3年間、マスコミ各社にお願いして、大賞と各社の賞を渡したことがありますが、その時の受賞者の一人です。
 大賞は、幕張のアマ写真家鈴木仁太郎さん、銚子のかっぱ村長大内恭平さん、鴨川の島を守る平野仁右衛門さん、各社の賞には、声楽家の秋山衛、演出の大川義行、民謡の鶴屋奏英さんなどがおります。
 市原さんは、成田市役所に勤務しながら文学風土を熱心に調べて新聞などに連載していました。この賞は、その後は人材難で開店休業状態ですが、また復活してもよいでしょう。
「智恵子抄」の智恵子は、晩年精神に異常を来して、叔母の片貝町眞亀の別荘で療養をしていた時期があり、光太郎の「千鳥と遊ぶ智恵子」の絶唱は海岸の小高い公園に草野心平の書の石碑で残っています。
この建物は、後に隣町の大網の道路沿いに移築されて、近くの工場の社員食堂として使われたのですが、私の訪れた時にはホームレスが入り込んで荒れていました。文学的価値が高いと考えて、九十九里町役場に保存を申し出たのでした。ところが、なかなか話が前に進まないので心を痛めて、知人のW一宮町長に移築を提案し、一宮町長が九十九里町に引き取りを申し出たのですが、「町が対対応する」と言うことでした。ところが、町議会に予算が提案されたのですが、反町長派によって否決され、そのままに放置されてしまいました。
そうこうする間に所在地の大網町は、社会教育審議会で「何ら文学的に価値がないので撤去するべし」と決議してしまいました。町のK会長は私の古い知人でしたから抗議したのですが、決議は撤回されなかったのです。
 その後、近くの民宿経営の方が、見かねてリニューアルし、文学同好者などに使わせていましたから私は喜んでいたのですが、春の嵐の吹き荒ぶ3月末の夜中に建物は、忽然と消えてしまったことを翌朝の民宿経営者の涙声の電話で知りました。驚いた私は、現地の知人の記者たち4人に電話で調査を依頼したのでしたが、すでに時遅し!全く誰がどうしたのかは闇の中です。
もう当時の智恵子を知っている方は、ご存命ではないでしょうから防砂林の松林を吹き渡る丘に忘れ去られて建つ石碑だけが文学風土の唯一の時の証なのです。ただ、光太郎は三里塚に入植した当時の売れっ子作家水野葉舟の親しい友でしたから房総にはゆかりがあり「春駒」と言う名詩もあります。
 市原氏の冊子を眺めながら思いは過ぎ去りしあれこれにたどり着くのです
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