麻布十番未知案内 BLOG編

麻布十番のこと、赤い靴の女の子「きみちゃん」と「きみちゃんのチャリティー」のこと(HP編 http://jin3.jp)

★柿の実に 時間と健康の重さを見ました

2008年10月26日 | 店声仁語
★難病で寝たきりの信州の友人が柿をたくさん送ってくれました。5月の柿の花からときどきBBSに写真と書き込みを送ってくれた「信州人」さんです。たくさんの実が枝についたままの情態で送ってくれました。柿の花を見たのはその写真がはじめてでした。少しずつ大きくなる柿をベッドの上から見続けて季節の移りかわりを感じ知らせてくれるBBSの書き込みは重労働だと思うのですが、<寝たきりの彼にはインターネットを通して外の世界とつながる楽しみなのだそうです。摘果が出来ないので実が付き過ぎてなかなか大きくならない柿の実が、やっと送れる大きさになりましたとメールがきました。今日、ヘルパーさんに頼んでとってもらい送られたきた柿の実に、時間の重さが感じられました。信州人さん、ありがとうございました、厳しい冬に向かいます、ご自愛下さい。みなさんも健康第一ですね。そうそう、今日は私の誕生日、何よりの誕生日プレゼントでした。
(写真は順に 5月28日柿の花、6月28日青い小さな実、7月13日少し大きくなりました、10月25日送られてきた柿)



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★御利益いっぱい、麻布十番の大黒さまはちょっとちがう!

2008年10月09日 | 店声仁語
★「十番だより」10月号に寄稿しました。
DISCOVER JUBAN   麻布十番再発見  ─ 8 ─

一本松坂に大黒さまと親しまれるお寺があります。栄久山大法寺です。大法寺は慶長2年11月(1597)、慈眼院日利上人によって創建されました。享保15年(1730)日舜上人の時、法華経三万部読誦の功徳によって不思議な大黒天尊蔵を感得されました。この大黒像が伝教大師作「三神具足大黒尊天」です。この像は、もとは麻布六本木の旧家伊勢屋長左衛門の秘仏でした。ある夜、長左衛門の夢枕にご尊像が立ち、
 「我れ汝の家にあること久し、今法華経読誦の功徳により法華経守護の為め大衆に福寿を授けんことを誓い法華経読誦の地に往かん」
と告げられました。翌朝、長左衛門が夢からさめて、この秘仏を拝もうとしますが、不思議なことにご尊像のお姿はありませんでした。長左衛門は近隣に法華経読誦の地を捜し求め、一本松の日舜上人が法華経三万部読誦されたことを知り、また、不思議なことに消えた秘仏が上人のもとにあることをしりました。長左衛門は日舜上人に霊夢を語り、ご尊像を献納されたのです。大法寺五世日亮上人は、ご尊像の霊夢を知り大衆に福寿を授けることを誓い、日舜上人よりご尊像を拝受し永代大法寺に奉安し大衆帰依の道を開きました。大法寺は江戸時代には赤門寺と呼ばれ、甲子の祭日には縁日が盛んで賑わいました。縁日は戦後も5、15、25日に立ちましたが、今は行われていません。栄久山大法寺というより一本松の「大黒さま」として親しまれています。ご尊像「三神具足大黒天」の「三神具足」というのは、ご尊像のお姿が大黒天の小槌を持ち、弁財天の髪をいただき、背には毘沙門天の鎧をつけているところから、大黒天の福寿と弁財天の円満と毘沙門天の除災得幸を表して居られると讃えられています。
 さて、大黒天は福徳や財宝を与える福の神ですが、原形は闇の神様です。大黒は梵語の摩訶迦羅マハー・カーラ の訳で、マハーが大で、カーラが黒です。ヒンズー教ではシヴァ神の化身で、シヴァ神が世界を灰にする時この姿になるとされています。また姿も七福神の大黒さまとはかなり異なり恐ろしい姿をしています。曼荼羅の中に描かれている大黒天は後者に近い姿です。密教では自在天の化身です。
 七福神の大黒さまは、狩衣のような服を着て頭巾をかぶり右手に打出の小槌、左手に大きな袋を背負い、米俵の上に立っているのが一般的です。俵に乗っている由緒は「毎日ご飯を供えてお参りすれば、一生食に不自由はさせない」というお告げが、いつの間にか米俵と結びついたようです。食堂や台所にまつられることが多く、そこから転じてお寺の婦人(僧侶の妻)を大黒さまと呼ぶこともあります。また、建物の中心となる太い柱を大黒柱と呼びますが、これは大黒さまが天・地・人を守る事から屋台骨を支えるものをこのように呼びます。神道では大国主命(おおくにぬしのみこと)と大黒天を結び付け、大国天とすることもあります。神社にまつられる七福神では大国天が多いようです。
 大法寺の三神具足大黒天尊像は秘仏として普段は公開されていませんが、広く大勢のみなさまに福寿を授けたいというご住職のお気持ちにより御影を御朱印に写され、御朱印をいただくことで三神具足の大黒さまを知ることができます。大法寺にはこのご尊像のほかにも多くの大黒天像が祀られ、御利益多いお寺としてお参りされています。


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★麻布 氷川神社の宮神輿はすごい!

2008年10月03日 | 店声仁語
★「十番だより」9月号に寄稿しました。

DISCOVER JUBAN   麻布十番再発見  ─ 7 ─

 9月は秋祭りということで、もう一度氷川神社のもどってみましょう。前回も書きましたが、氷川神社には久しく宮出しされたことのない大きな宮神輿があります。昔、牛が引いたと聞いていたのですが、その牛に引かれた宮神輿の絵図が本村町会に保存されていることがわかり、本村町会のご厚意で見せていただきました。絵図は古く一部見にくいところもありましたが、PCで修復してみると図のように2頭の牛に引かれた華麗な行列を見ることがでしました。
 絵図では右から左へ、行列の先頭は太鼓、その後ろには木遣りを謡うとび職たち、牛に引かれた山車にはお囃子と大きな金色の獅子頭が一対(獅子頭山車)、世話役、猿田彦(鼻高面、天狗)、大榊、先導騎馬神職、朱傘、日像旗、月像旗、五色旗、騎馬禰宜、朱傘、御楯、御鉾、御弓、雅楽連、そして二頭の牛に引かれた宮神輿、馬車に乗るのは宮司でしょうか、さらに神社町内役員、町内氏子、辛櫃と続いています。絵図には書かれていませんが、この行列の後ろに氏子各町会のお神輿や山車が続き壮大な渡御が行われたのだと思われます。
 昔の祭礼ではこのような渡御が行われたようで、『武江年表 巻之八』に「寛政3年(1791)8月17日、麻布本村氷川明神祭礼出し練物等出る(其の後休む)」と書かれています。また、天保9年刊の『東都歳時記』には「町々より踊りねり物花出し等出す」とあり、「壱番=宮下町、弐番=本村仲町、三番=本村上ノ町、四番=一本松町、五番=三軒家町、六番=宮村町・新道町、七番=南日ヶ窪町附り北日ヶ窪町、八番=宮下町附り麻布新網壱丁目同弐丁目」と書かれています。(参照、山車・だんじり悉皆調査) 今のような太鼓を乗せただけの山車ではなく、それぞれの町の山車人形を乗せ練り歩いたようです。天保3年の版画「麻布氷川大明神御祭礼番付」では、壱番宮下町・南日ヶ窪町「三番叟の山車」、貳番本村仲町「鍾馗の山車」、」、参番本村上ノ町「武内宿祢の山車」、四番一本松町「鷹万度引物」「牡丹石橋の山車」、五番三軒家町「猩々の山車」、六番宮村町「金太郎、熊の山車」「山姥山賊の引き物」「大江山鬼の引き物」「花篭の山車」「雨乞小町引き物」「花万度引き物」、八番宮下町「汐汲の山車」「楠木正成と多聞丸の人形引き物」、新網町「鬼海ケ島の人形引き物」等々が読み取れます。(版が古く不鮮明でしたので読み取れたところを書き出してみました)。これらの山車の後ろに各町会の御輿が続いたようです。
 昔の祭礼、今とはずいぶんと違っていたようですね。さて、氷川神社の宮神輿、昭和初期、神田・宮惣の制作、台輪寸法四尺。絵図は新調された宮神輿の初めての渡御、乙亥九月(昭和10年)を描いたもののようです。私見ですが、昭和8年12月23日は平成天皇陛下のお誕生日です。昭和の時代に初めての皇太子殿下ご生誕を祝して宮神輿新調ということも考えられないでしょうか。


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