★「十番だより」10月号に寄稿しました。
DISCOVER JUBAN 麻布十番再発見 ─ 8 ─
一本松坂に大黒さまと親しまれるお寺があります。栄久山大法寺です。大法寺は慶長2年11月(1597)、慈眼院日利上人によって創建されました。享保15年(1730)日舜上人の時、法華経三万部読誦の功徳によって不思議な大黒天尊蔵を感得されました。この大黒像が伝教大師作「三神具足大黒尊天」です。この像は、もとは麻布六本木の旧家伊勢屋長左衛門の秘仏でした。ある夜、長左衛門の夢枕にご尊像が立ち、
「我れ汝の家にあること久し、今法華経読誦の功徳により法華経守護の為め大衆に福寿を授けんことを誓い法華経読誦の地に往かん」
と告げられました。翌朝、長左衛門が夢からさめて、この秘仏を拝もうとしますが、不思議なことにご尊像のお姿はありませんでした。長左衛門は近隣に法華経読誦の地を捜し求め、一本松の日舜上人が法華経三万部読誦されたことを知り、また、不思議なことに消えた秘仏が上人のもとにあることをしりました。長左衛門は日舜上人に霊夢を語り、ご尊像を献納されたのです。大法寺五世日亮上人は、ご尊像の霊夢を知り大衆に福寿を授けることを誓い、日舜上人よりご尊像を拝受し永代大法寺に奉安し大衆帰依の道を開きました。大法寺は江戸時代には赤門寺と呼ばれ、甲子の祭日には縁日が盛んで賑わいました。縁日は戦後も5、15、25日に立ちましたが、今は行われていません。栄久山大法寺というより一本松の「大黒さま」として親しまれています。ご尊像「三神具足大黒天」の「三神具足」というのは、ご尊像のお姿が大黒天の小槌を持ち、弁財天の髪をいただき、背には毘沙門天の鎧をつけているところから、大黒天の福寿と弁財天の円満と毘沙門天の除災得幸を表して居られると讃えられています。
さて、大黒天は福徳や財宝を与える福の神ですが、原形は闇の神様です。大黒は梵語の摩訶迦羅マハー・カーラ の訳で、マハーが大で、カーラが黒です。ヒンズー教ではシヴァ神の化身で、シヴァ神が世界を灰にする時この姿になるとされています。また姿も七福神の大黒さまとはかなり異なり恐ろしい姿をしています。曼荼羅の中に描かれている大黒天は後者に近い姿です。密教では自在天の化身です。
七福神の大黒さまは、狩衣のような服を着て頭巾をかぶり右手に打出の小槌、左手に大きな袋を背負い、米俵の上に立っているのが一般的です。俵に乗っている由緒は「毎日ご飯を供えてお参りすれば、一生食に不自由はさせない」というお告げが、いつの間にか米俵と結びついたようです。食堂や台所にまつられることが多く、そこから転じてお寺の婦人(僧侶の妻)を大黒さまと呼ぶこともあります。また、建物の中心となる太い柱を大黒柱と呼びますが、これは大黒さまが天・地・人を守る事から屋台骨を支えるものをこのように呼びます。神道では大国主命(おおくにぬしのみこと)と大黒天を結び付け、大国天とすることもあります。神社にまつられる七福神では大国天が多いようです。
大法寺の三神具足大黒天尊像は秘仏として普段は公開されていませんが、広く大勢のみなさまに福寿を授けたいというご住職のお気持ちにより御影を御朱印に写され、御朱印をいただくことで三神具足の大黒さまを知ることができます。大法寺にはこのご尊像のほかにも多くの大黒天像が祀られ、御利益多いお寺としてお参りされています。