ナザ~ルボンジュウなくらし

地中海に面したトルコのリゾート地を紹介する拙HP『フェティエの碧い風』から
日記ならぬ「月記」をこちらに移しました。

今週の花

2010-03-14 20:45:38 | うちの花たち
最近は花瓶にバサバサと投げ込むように生けることが多いのですが、『主張のある花』を生けてみたくなりました。
大輪のダリアとラン科のこれは名前を控え忘れました。
ドラセナのグリーンに映えて、ちょっとキリッとした感じ。

パンドラの箱 PANDORA'NIN KUTUSU

2010-03-13 02:24:04 | トルコ(カルチャー)
久しぶりに重たくて良い映画を見ました。

『パンドラの箱』
  2008年/トルコ=フランス=ドイツ=ベルギー
  イェシム・ウスタオール監督・脚本



昨年10月NHKで放映されたものを録画してはいたのですが、長らく放置していたのです。

  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

ある日イスタンブルに住む女性のもとに一本の電話がかかる。黒海地方の山あいの村に一人暮らす年老いた母親が行方不明になったとの知らせだ。イスタンブルには、家庭を持ってはいるものの夫や息子との間で問題を抱える彼女と行方の見えない恋愛関係に悩む妹、そしてまともな仕事につかずボロアパートに暮らす弟がいる。この三人が久しぶりに顔を合わせ、車で故郷へと向かう。

冷たい雨の降りしきる灰色の景色のなかを車が進んでいく。ようやくたどり着いた母の家。胸の奥底に閉じ込めてきた遠い過去の思い出が染み付いた家。村人や警察が夜の森を捜索し、やがて母親は発見される。幸い命に別状はなかったが、子どもたちは母親をイスタンブルに連れ帰る。

取りあえずは長女の高層アパートに落ち着くものの、娘たちに触れられるのを極端に嫌がったり、話しかけても反応がなかったりするなど様子がおかしく病院で検査を受けたところアルツハイマーがかなり進行していることがわかる。まったく不慣れな都会での暮らしの中で、わずかな隙を見つけては屋外に出て行ってしまう母親。それはあたかも故郷の山々の声に導かれるよう。彼女の生きる場所は決して都会ではないのだと。

そしてある日妹が恋人と会うために弟のボロアパートに預けられた老いた母は、そこで初めて長女の子である孫息子に会う。彼は自分に対して過剰に支配的な母親(母親にしてみれば子どもがまともに育ってほしい一心なのだが)に反発して、アウトローの叔父宅に出入りしているのだ。そこで老女は窓の外を見ながら孫に尋ねる。「山はどこ?」 自分がなぜイスタンブルに連れてこられたのかわからないままに、彼女の魂は故郷の山を求めているのだ。

やがて娘たちは母親の世話に行き詰まり、苦渋の選択ながら施設に預けてしまう。いつの間にか荒れた心の拠り所を祖母のなかに感じ始めた孫息子は、そんな彼女を不憫に思い、施設から連れ出す。二人は列車に乗って故郷の村を目指した。

自分が孫であることも彼女にはよくわからないようだが、それでも彼女は自身のいるべき場所に戻った。何日か経ち、ふらりと屋外へ出て行ってしまった祖母を孫息子は慌てて連れ戻すが、その後で彼女は言う。「山へ行かせて。山まで忘れてしまう・・・」
記憶や意識が混濁していく彼女の最後の魂の叫び。

そして孫が眠った隙にまた山へと分け入っていく祖母。彼が気づいて後を追おうとした時、山の奥へ奥へと向かう小さな白髪の頭だけが木々の間に見え隠れしていた。
もはや彼には祖母を追うことができなかった。山は祖母の心、魂、生そのもの。その故郷の山の記憶さえ失くしてしまうかもしれない自分に耐え切れないのだ、祖母は。彼女が永遠に山を忘れず、山も彼女を永遠に忘れないために彼女が選んだ最善の道。それは山の懐に抱かれにいくこと。彼女は生きるために・・・「生」を生き「死」を生きるために山に入る。誰にも追うことはできない・・・山に導かれるまま彼女は行く。

故郷の山の高い梢には明るい光が射している。その下に深々と広がる影の世界にやがて消えていった祖母の姿・・・・・。

  * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

胸が絞めつけられます。見るのが辛いけれど、それでも見てしまう。哀しいけれど、最後まで自らの「生」(肉体的な生だけでなく)を貫こうとする老女の「潔さ」は「美しい」と思いました。