すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

その人は、私だ。

2016-10-12 08:11:13 | ひとりごと
たとえば、

あいさつしても無視する人
相手によって態度を変える人
他人の悪口ばかりを言う人
いつも不機嫌な人
笑顔がない人
遠慮がない人
自分勝手な人

目の前にいる、その人に強く反応する私がいる。

嫌い、苦手、不快、一緒にいたくない。

ある時、
その人のその要素は、全部、全部、私の中にあるものだってわかった。

その人は、私だ。私なんだな。
私であってほしくない私。
私が見たくない私。

でも、
見えている、ということ、
反応する、ということが、
その何よりの証拠。

自分の中にないものはそもそも見えないし、
反応だってしないから。


否定して、押し込めて、受け入れたくない私のその要素が、私の前に現れて、私に何かを懇願しているようにも見える。
ここから出してくれ、って呻き声をあげているようにも感じる。


目の前にいる、
その、嫌い、苦手、不快、
一緒にいたくない相手を受け入れるんじゃなくて、その要素を受け入れるということ。
私の中にも、それあるよーって、受け入れること。

そしたら、
相手に反応しなくなる、というしくみ。


じゃあ、受け入れるってなんだ。

実際に、その要素を決行してみるのもいい。
不機嫌な人に不機嫌に返す。
あいさつしない人にあいさつしない。


でも、
もっとシンプルなのは、

その要素が自分の中にあることを認めること、
そんな要素がある「悪い私」も、
その「悪」さえもすでに許されているんだと信じること。


その人は、私だ。
そんな眼差しで周りの人を見るとき、私の中の「その要素」が、フーッとゆるむのがわかる。


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