人はなぜうまれるのだろう
生物的な話ではなく
なぜうまれるのか
死ぬという理由はわかってる。
けれど、なにか役目を終えられたということなのかな
手の届く距離。
その距離だけを幸せにする。
人それぞれ、届く距離は違うんだよ
うまれたらなにかギフトをもってるんだよ
うん
なにか、理由があるんだろうけど
それは、きっと
その人を、その生まれてきたことの
理由を周りがそう思い込んでるからだろうな
わたしには、なにかあるのかな?
きっとある
いや、あった
いや、これからもあるだろうし
死ぬまで、死んでからも、あるのかもしれない
人はなぜうまれるのだろう
幸せとか苦しみとか
一杯あるのに
生命活動以外で
たくさん、肉体的な箇所以外で
こころが病むのに
人はなぜうまれるのだろう
その人にしか、なしえないものがあるからなのかな
十人十色
一期一会
この辺の言葉は
人が誰しも、その個人を認めた言葉なのだろうね
そんなことを、熱が出た頭で思い付きながら書いておくことにする
ホワイトソースから一から作ってみたので、忘れないように簡単なレシピをあげておこう
用意しておくもの
小麦粉 おおさじ すりきり2杯(盛盛で2杯いれてしまって多かった)
バター 10g(雪印きれてるバター 一個 今回は小麦粉が多かったので2個入れた)
牛乳 200cc(上記のように他のものが多かったので、ギリギリになってしまった)
コンソメ ブロック一個を削りながら
塩・胡椒 気持ち程度 味見しながらいれること
① バターをフライパンで溶かす
② 小麦粉投入
③ 小麦粉をまぜまぜ・・とろみがでてくるまでまぜまぜ
④ 小麦粉がしっかりバターと混ざりあったら、牛乳を少しずついれる
⑤ 一生懸命まぜまぜ
⑥ ダマがなくなってきたら、塩とコンソメ入れる。そして胡椒も少し
これでホワイトソース完成
中身にはペンネとしめじを入れてみたけど、なかなか美味しかった
具材を入れるときは、ホワイトソースをひいてから、具材を入れて、もう一度ホワイトソースでフタをする感じ。
その上にチーズを盛盛。
トースターで6分くらいで完成。
今度は、玉ねぎとか他の野菜やお肉を炒めて、その炒めた中で①から⑥を進めていくと、ホワイトソース自体に味がしっかりついて、もっと美味しくなる気がする。
楽しみです!
新しい料理を覚えるのは楽しい。
座椅子に星座した
星座じゃない
干しになるのかな
干してない
星にもなれないんだ
ざんねんすぎる
狙って書いたつもりはないけど、
いつなんどきも文章はきれいに書きたいなと思っている
そういう意味で、この文はいまいちで私らしい
なんて私は幸せなんだろう
そう、なんて幸せなんだろう
不幸せに見えるのかもしれない
そう見えるのかもしれない
けれど
私は幸せなんだよ
だって、いまの私がいるのは
幸せだったからだよ
これからも幸せだからだよ
それ以外に言葉が見つからない
そう、それこそが「いいたいこと」
どうも私には変な癖があるのです。
【言の葉】
この子達に、私は随分と縛られます。
「ずっとまえに言っていたよね?」
「こういう言葉を言っていた気がしたから」
気をつけないといけないのは、【言の葉】たちは、伝えようとしている人の気持が乗らない。
気持ちとかバックグラウンドとか、そういうものたちが乗らないで、ただただ【言の葉】だけが独立してしまっている。
それを知らないとダメなんだけど、どうしても独立して考えてしまう。
だから起きてしまうことがある。
「そういうつもりで言ってない」
「なんで、そういうふうに受け止めるの?」
「どんな解釈でそうなったの?」
けれど、逆もある
「そんな言葉を覚えていてくれたの?」
「うん、言っていた。ありがとう」
「そんな風に受け取ってくれたんだね」
感謝も非難も、どちらも起きる。
それでも、私は
【言の葉】
に縛られる。
だって、言わないとわからないんだから。
だって、伝えないとわからないんだから。
だって、【言の葉】は大切なんだから。
その人が、発していた言葉で、そこにひとつ大切なものがあると思い込めるから。。。
勘違いしないように、行間?言の葉間?をもっとよめるようにならなくてはなりませんね。
いつか【言の葉】の向こう側を感じられるように、私はなりたい。
誰にでもできるようにする仕事、を
した人がいたから
誰にでもできる仕事、を
誰にでもできるようにする仕事、は
大変な労力がいる
誰にでもできる仕事、と
誰にでもできるようにする仕事、に
なんら差異はない
誰にでもできる仕事、
誰にでもできるようにする仕事、
この2つは、
どちらが欠けても成り立たないのだ