いつおばさんからお婆さんになるんだろうね

お姉さんからおばさんになったのもいつだったのかしら

メガネを作るのに苦労した話

2017-04-24 13:28:20 | 雑記

父も父方の祖母も近視や乱視が強く、その血を引いた私は5歳からメガネをかけている。なぜ5歳かと言えば、今のように機械で測定とかできなかったし。文字盤が読めるようになってようやく作れたという感じ。

それ以後、毎年、成長期には半年に一回、総合病院や大学病院に検眼に行ってメガネを作り変えてきた。何本作っただろう。見えないのでメガネをかけたまま海に入って流してしまったこともある。

そんな私も大人になればそれほど進行もせず、普通に眼鏡屋さんで作れるようになった。しかしある時から幾ら作っても目が疲れてしまうようになり、続けて4本無駄にしてしまった。何しろ強度の近視&乱視でレンズだけで7万とかである。また失敗したらと思うと恐くて作れない。そこからインターネットを検索しまって、ようやくある眼鏡屋さんにたどりつけた。

 

以下は、その眼鏡屋さんに送ったメールである。固有名詞は伏字などにしていある。

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メガネに大変困っていて、色々な検索をした結果こちらのお店にたどり着きました。

直接お伺いしてお話をすれば良いのでしょうけど、話が長くなるので取りあえずメールさせていただきました。
 
 
私は5歳から眼鏡をかけている**歳の女性です。(近視&乱視)
 
10年ほど前に作った眼鏡を使用しています。(H眼鏡店製)一日中この一本だけです。
 
その後この10年の間に4本眼鏡を作りましたが、全て全く使い物にならずにお蔵入りしてしまいました。
さすがに今の眼鏡では遠くも近くも見えにくくなっていますが、恐くてメガネが作れません。一番最近作った眼鏡は2年前に作ったものですが、レンズだけで7万円+フレーム35000円の10万以上かけました(Tメガネ店)が、目が痛くなって5時間もかけていられず、かなりショックを受けました。
 
何とか使えるメガネが欲しいですし、このメガネが壊れたらもう終わりなのでどうしようと思っています。
 
因みにその4本はどういう眼鏡かと言いますと、
 
1本目。多分9年位前にもう無くなってしまいましたが、**良品が眼鏡ショップをやっていた時に、替えの眼鏡として「同じ度数で」と頼んで作りましたが、すぐに目が痛くなって全く使えませんでした。
2本目。7年位前にH眼鏡店で新しく作ろうと思い、検眼してもらったところ、「老眼もあるので少し弱めにしましょう」と言われて作ったのですが、やはり4-5時間が限度で目が痛くなってしまい、使えませんでした。なまじ弱くしたので遠くが見えにくくなり不便なだけでした。
3本目。6年ほど前に正常眼圧緑内障であることがわかり(左目の内側と下の方に視野欠損あり)、定期的に眼科に通っています。遠くが見えずらくなってきたので5年ほど前に運転用の眼鏡を作りたいと、その眼科で検眼をして処方箋でM眼鏡店で作りましたが、涙が出てきて疲れてしまい、使えませんでした。
4本目が先ほどの2年前の眼鏡です。Tメガネは子どもの頃から20代まで作っていた眼鏡店(私は茨城県出身ですが、50年近く前は水戸では私の眼鏡は作れないと言われて飯田橋の**病院に毎年通ってそこの提携先であるTメガネで作っていました。更にその病院の医師が**大学に移ったので、その後は**大病院に通ってやはり提携していたTメガネで作っていました。尚、11歳の頃右目に弱い外斜視があることがわかり、20代まで**医大に通っていましたが今は行っていません。右目がやや疲れやすいというのはありますが、プリズムは入れていないです。因みに利き目は左です)。
 
メガネに行った2年前は今のメガネでもまだ結構見えていたので、やはり「これと同じ度数で」と依頼しました。しかし、念のために検査をすると「強すぎるはずだが」と言われました。けれどもかけているメガネでは全く疲れることもないので、同じ度数で作ってもらったところやはり、くらくらしてしまい、使い物になりません。特別にもう一度度を変えて作ってもらいましたが、やはりだめでした。
 
メガネでは、「目が繊細すぎる」と言われました。つまり、同じ度数でもレンズが違うとそれを感知してしまうかららしいです。あとは今の眼鏡を「長く使いすぎた」とも言われました。
 
しかし、さすがにこのメガネでは見えなくなってきました。3m先のテレビもはっきりしませんし、家族が言うにスマホは顔をしかめて見ているらしいです。自分ではこのメガネでは疲れるという意識はあまりありません。ただ、運転はかなり厳しくなってきています。
 
大体、今眼鏡を作るとしたら何を作ったら良いのかもわかりません。免許の更新はまだ3年も先ですし、パソコンは普通に見えますし本も読めます。私は電車で出かける時は短時間でも必ず車内で本か新聞か電子書籍を読んでいます。電車で眼鏡をかけ替えるのは避けたいです。
 
メガネでは、「目が繊細だから中近とか遠近は無理ではないか」とも言われました。
 
しばらくメガネのことを考えずにいましたがさすがに見えにくくなってきたこともあり、散々ネットを検索してドイツ式やらアメリカ式やら両眼開放屈折検査やらがあることを知り、比較的近くの貴店にたどり着きましたけれども、正直安くもない眼鏡を作るのは怖いです。
 
こんな感じですが、いかがでしょうか。
 
それから他店の新品のフレームは不可と書いてありましたが、お蔵入りしたメガネのフレームにレンズを入れられる可能性はありますか?もちろんどういうレンズを作るかにもよるとは思いますが、無駄にしたくないというのはあります。複数作る可能性は高いですし、また駄目だったことを考えると正直費用は抑えたいです。
 
とにかく使えるメガネというのが望みです。
お伺いして検査してからではないと話は始まらないとは思いますが、取りあえず事情を知っていただきたく長文メールさせていただきました。
 
どうぞよろしくお願いします。
 
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いかに大変であったかおわかりいただけたと思う。
 
そして結局この眼鏡店で遠近両用を前に作ったフレームに入れて作ってもらった。レンズ代のみで35000円である。
あの7万のレンズは何だったのか。
 
 
その職人さん風の眼鏡店で検眼をしてわかったことは、私は左目を上目使いで見ているということだった(もしかすると緑内障の視野欠損と関係あるのかもしれないが)。検眼方法も普通の眼鏡店や眼科とは違っている。このずれがわかったことで私は疲れない眼鏡をようやく手に入れられたのである。その後、使っている内に狂いが生じて2度調整してもらい、この4ヶ月快適に使用できている。インターネットって本当に素晴らしい。

眼鏡で困っている人は、どこの店だか教えますのでご連絡下さい。


ブログは落ち目だということだけど

2017-04-10 11:48:38 | ライブ

このブログも7年もほったらかしにしていた。

もちろんその間はFBやツイッターやインスタや。

今やブログを書くのは有名人か何かの分野に特化していないとという感じだけど、でも自分が長い文を書きたくなった時にはやっぱりブログかなと思う。

 

昨日レ・フレール&吉田兄弟のライブに行ったのだが、そのことはFBに書いたけど、FBはもうどうかなーというのもあり、ちょっとこっちにもそのまま書いてみる。

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普段は異種コンサートは好まない(それぞれのファンがいてノリが違うから)。

しかし、前々から一度聞いてみたかった吉田兄弟がレ・フレールと一緒にやるという。兄弟繋がりのこの組み合わせ、誰が考えたのやら。

物珍しい気分でほぼ足を踏み入れることは無い板橋区へ遠征。

最初はレ・フレール。音が良くない。音響?かと思ったが、よく見たらいつもの自前の97鍵のベーゼンドルファーではなく、会場備え付けと思われるYAMAHA。ちと残念。

津軽三味線はそれなりに好きだったけど、生の迫力あるデュオは期待通り。

そしてピアノ&津軽三味線。周りからも「どうなるかしらね」の声が聞こえる。それぞれのオリジナル曲をアレンジ。びっくりするほど全く新しい世界だった。6曲演奏したが、いずれも素晴らしく最後は観客総立ち。

いや是非コラボCD待っています。
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というもの。

この後、ツイッターで検索したら感動した人を多数発見。良かったですよ、ほんとに。是非またやってほしい。
というのをお知らせしたい気分なので書いてみました。
 ↓このチラシのデザインはだめだめだと思いますけどね。
 
 
 

 

 


山下達郎ライブ

2010-10-01 00:40:25 | 雑記
昨年から今年にかけて、ライブやら芝居やらに頻繁に通っているのは、子供が高校生になり、手を離れたことと、親が元気な内に遊んでおこうというのが大きい。更には、ライブの場合は昔好きだったミュージシャンが元気な内に見ておきたいというのもある。

というわけで山下達郎。高校生から大学生にかけてはよく聞いていた。レコードも持っていたし。しかし、その後は積極的には聞いていないと思う。

でも、今回達郎のコンサートツアーの文字を見た時は、これは行かねばならない、と思った。そして運良く先行抽選で第2希望のNHKホールが当たった。席は3階のLeft3列目だったけれど。

ミクシィの達郎のコミュにも入り、情報収集も始めた。熱心なファンが多い。今回のツアーはデビュー35周年ということで、35回やる(実際は追加公演が入ったので39だったか)。その内の20回目。コミュでセットリストも把握し、「Let's Dance Baby」ではみんなでクラッカーを鳴らすこともわかり、100円ショップで音だけクラッカーを購入。you tubeを聞きながら、鳴らす練習もした。

午後半休を取った夫とほぼ開場と同時に入場。グッズを見た後、階段の上から、入場者を眺めていた。もちろん年齢層は高い。夫が職場の同僚ではないか、という人を発見(今日確認したら、本当にそうだった)。

午後6時半開演。1曲目「HAPPY HAPPY GREETING」で、隣のおばさんは既に涙を拭いだした。席が左寄りで音のバランスがどうしても良くなく、それが残念。

達郎は57歳、声は全然衰えていない。伸びのある声で休まず歌い続ける。MCもラジオ同様面白い。そして、作り上げられたサウンドが素晴らしい。とにかく凝っている。夫は別に達郎はそんなに聞いたことは無く、4曲しかわからなかったと言っていたが、他のライブとは全然違うオタクの音楽だ、と言っていた。本当に他のミュージシャンの音楽が単純に感じてしまう。

途中バンドは休憩があるのであるが、達郎はアカペラで歌い続け、休まない。そうそう、今回、東京公演は3日しか取れなかったため、殆どファンクラブの人で埋まってしまったそうである。よくチケットが取れたもんだと、再び思う。

ただ、多分私の周りはファンクラブでは無いらしく乗りが悪い。「Let's Dance Baby」でも、クラッカーを出している人はほんの僅か。私もちょっと躊躇しているうちにタイミングをはずしてしまったが、後出しで鳴らした。1階は後半は結構立っていたが、3階は角度もあって、殆ど立つ人はいなかった。

アンコールも含め、3時間15分。密度の濃い時間だった。古い曲を多くやったというのもあるし、それに私がずっとラジオっ子であったというのも大きいのだろうが、達郎の曲としてやった曲は全部知っていた。

願わくば、今度は1階席で聞きたい。ツアーは来年もやると言っていたので、今からファンクラブに入ろうかと思った次第なのである。



2年ぶりの沖縄5

2010-08-15 14:00:23 | お出かけ
最終日、那覇は大雨。飛行機は夜8時。今日は国際通りをぶらぶらの予定。時間はたっぷりあるので、チェックアウト後タクシーでやちむん通りへ。運転手が「焼き物買うなら読谷村の陶芸センターが安い」、とそちらに連れて行きたそう。別に、量を買うわけではないからね。

降りたら、豪雨。ちょっと雨宿りなんかまでしたりして。特に買う予定無く、ぶらぶら通りを歩いていると、2年前にシーサーを買った店が戸閉め。その向かいに新しい店ができていて、中を覗いたら、その戸閉めになった店のおばさんが。

夫に、「あのおばさんだよ、あっちの店にいたの」と話していたら、店に入っていく別のおばさんが「そうです、そうです。どうぞ入って」と言われて。入ることに。この店は全般に高めなことはわかっているんだけどね。

結局、お茶を振舞われ、おしゃべりして、6000円の湯飲みを5000円にしてもらって1個買ってしまった。まあ、入ったら買わずにはなかなか出られんってこと。

それから今まで行ったことがなかった桜坂劇場へ。ここは基本映画館なのだけど、本や雑貨も置いてある。古本もあって二人で見入ってしまった。挙句、安めのご飯茶碗を購入。

お昼は、そこの本に載っていた地元の食堂へ。味は普通だった。それから雨が上がったので、ぶらぶら国際通りへ。いつも入るキーストーンでは、西表島に移住した夫の同級生の小さな変なシーサーを購入。ハブボックスではまた夫がTシャツを。

そんなこんなであっという間に夕方。那覇空港に移動して、前回と同じステーキを食べ、更にまたお土産やコーナーを物色して、息子に沖縄そばを買い、中へ。

ところが入った途端、飛行機が遅れるというアナウンス。一本後のは関空かもとか言われているし。ひょえー。関空は勘弁。(羽田で確認したら大丈夫だったみたい、でも更に一本後のスカイマークは欠航だった)。

風雨が強く、更に遅れて9時に離陸。羽田に11時着陸。12時半には帰宅できるだろうと思ったのに、何と首都高で新宿への分岐を入れず、一周しようかと思ったが代官町で下へ。
地図を見て、一度道を間違えたが甲州街道にたどり着き、1時過ぎに帰宅。

天気がこんなに悪かったのは初めてだったが、子供がいないので「海」とか言われずに済んだのが幸いでした。それに毎晩のんびり飲めたしね。

次回は是非、波照間島に行きたいものです。

2年ぶりの沖縄4

2010-08-08 16:45:14 | お出かけ
4日目。曇り。2時の飛行機で那覇に移動するので、今日は石垣島の買い物日。
まず、またTシャツ屋に行き、そこの店のオリジナルを2枚購入。1枚は店名入り。息子に。それから市場の2階のお土産品売り場に。気になるものはかごに片っ端から入れていく。

夫は、前々日も行ったミンサー織のコーナーに行き、ずっと店員のおばさんと話している。
沖縄に来ている間に、弟夫婦からお中元の桃が届いたようなので、何か送らねばならぬ。

夫の親にもお中元兼お土産を。肉かな。肉なら下の市場がいい。弟にはマンゴーとドラゴンフルーツにするか。

泡盛請福と梅酒の2本に請福のTシャツ付のセットがすごくお得だったが、TシャツはLサイズとのこと。夫には大きすぎて諦める。

夫はミンサー織の名刺入れとブックカバーを購入。その他店に流れていた石垣島出身の女性二人組やなわらばーの「凪歌」のCDも。達郎とかサザンとかのカバーアルバム。

その後、市場の肉屋オリジナルのTシャツを買いに行くと、おばさんがさっきのTシャツ屋でお買い上げありがとう、と言う。何と店の奥さんは娘なんだって。「3回も行きましたよ」と言うと、喜んでポークジャーキーの小袋を二つくれた。

夫の実家には石垣牛のステーキ用肉を奮発して送り、弟には市場の外で店を開いているおばあのところで購入。耳が遠いので、ちゃんと送ってくれるかちょっと不安だったけど(大丈夫でした)。

それから、八重山そばを食べに。大きな店だが、麺の量が少なくて、高目だった。

3時に那覇着。モノレールの駅で、1日乗車券を買おうか迷っていたら、いきなり目の前に一日乗車券を差し出された。家族連れのお父さんが「もう帰るので」と言って2枚くれたのである。ありがたや。

モノレールで儀保へ。ホテルにはそこからタクシーと書いてあったが、タクシーが来ないので諦めてバスに乗る。ホテルはもちろんJAL。首里にあるホテルに泊まるのは初めて。国際通りと離れていて、いまいち飲み食いには不便な所。ホテルは、高校総体の高校生や親がいっぱい。

しばし、ホテルで休んでどうしようかと考える。部屋にあったるるぶにホテルの近くの沖縄料理屋が載っている。ホテルの最上階では、夜景を見ながら飲み放題もあって、かなり安い。

そのうち、夫は寝てしまった。持って行った古いガイドブックを眺めていると安里の駅のそばにスーパーのりうぼうがある。夫がソックスを買いたがっていたし、その近くには飲み屋があるので、夫を起こしてそこに行くことに。

タクシーで15分ぐらい。しかし、りうぼうは食品スーパーだった。で、その近くの沖縄料理の居酒屋へ。有名店らしい。予約の観光客が多い。でも、ラッキーなことに入れた。で、この店は当たりだった。夫はかなり嬉しそう。

2時間ぐらい飲んで、リウボウに入り、カットされて、値下げになっていたマンゴーやお菓子、缶詰を買い、タクシーを拾って帰還。

いよいよ残り一日。

2年ぶりの沖縄3

2010-08-02 22:49:04 | お出かけ
夜中に台風並みのすごい暴風で目が覚めたが、朝は小降りになっていた。

朝食後、折角なので海岸まで散歩する。雨は殆ど降っていない。
柵に沿って歩くと、柵の中に黒い牛が現れた。一応、地図に牧場ってなっているが、牧草地ではない。藪である。どうやって管理されているんだか。

20分ほど歩いて、カイジ浜に。星の砂があるところとのこと。遊泳は禁止。
ちょっと探してみたが、見つからない。そばで瓶入りを売っていたけど。

帰りに、島で作っている陶器店に。元々は島の人ではないらしい。面白い絵柄だったので、小皿を一枚買う。

チェックアウトし、また石垣島へ。今日の予報も雨だったのでレンタカーでドライブをすることに。チェーンではない地元のレンタカー店は、車どれでもいいよ、とアバウト。ただし、閉店は午後7時だから、と2回念をおされた。

フィットを借りる。ショッキングピンク。10万キロも走っている。
まず、泡盛の請福へ。そこで、少量生産されている泡盛を購入。
それから、鍾乳洞へ。結構、長かった。
そして、展望台がある山の上。天気が回復し、眺めが良い。
それから西側の海岸沿いに最北端の岬を目指す。

途中、椰子の木が自生している山があるというので、細い道を入っていくと、何と椰子の博物館があった。椰子に魅せられた精米機の会社の社長が自ら研究したということらしい。

誰もいないので、一人しかいない職員の方が果物やお菓子を出してもてなしてくれた。しばし、おしゃべり。

続いて、川沿いのマングローブの密生地に。一面、無数のシオマネキ。南国だー。
のんびりしていたら、北端まで行くと閉店に間に合わない感じがしたので、途中で東海岸に。また、展望の良いところに。ここは観光客も多数。

6時過ぎに車を返し、是非ヤシガニが食べたいと思い、ガイドブックに出ていた店を2軒渡り歩いたが、1軒は無く、もう1軒は大きいのしかない(9000円)と言われて諦めた。

その後、A&Wでお茶していて、外に出たら何と豪雨。
ホテルはすぐ斜め前なのであるが、びしょ濡れ。ところが部屋に戻って外を見たら、やんでいるのである。あー島の天気というやつは

2年ぶりの沖縄2

2010-08-02 00:06:07 | お出かけ
朝、目が覚めたら大雨。目の前の山も見えないほど。今日は波照間島に渡るつもりでいたが、船が出るかどうか。ケータイで調べると9時半発のは出たが、その後は未定と出ている。

タクシーで離島桟橋へ。運転手さんが「今日は出ないでしょう。今、飛行機も着陸できないみたいだし」と。それじゃあ、前日に石垣島に来られただけラッキーだったということか。

離島桟橋のチケット売り場で聞くと、出航の一時間前に決まるとのこと。取りあえず予約券だけ貰う。

それから、前日のモールへ買物へ。涼しくてノースリーブしか持っていない私は寒い。前日と同じ店でTシャツを買い、その場で着替える。

公設市場を見回り、お土産の品定め。今日は買わない。それから八重山博物館に行ってみるが、月曜で休み。お昼を食べようということになり、椎名誠がお勧めしていた、キミ食堂を目指すと、重要文化財「宮良殿内」というのがあったので、そこへ。昔の家である。入場料200円と書いてあるが、誰もいない。中の方へ声をかけるとおじいさんが出てきた。

それから20分ぐらい、戦争の話、歴史の話を語り続ける。年を聞いたら90歳とのこと。時々話がわからないが、急いでもいないのでずっと聞いていた。

そこから出て歩いていると、突然のスコール。夫が建物の壁にくっついて慌ててカメラをしまいだす。そうしたらそこの建物のドアが開き、「雨宿りなら中へ入れ」とおじさんが。「選挙事務所だけど」と。二度言われて、入ると市議会議員の選挙事務所。それもばりばり保守。尖閣諸島に無断上陸15回とかの記事を見せられた。夫はかなりびびったもよう。私は平気だったけど。そこで、お茶とグアバをいただき、少し雨が弱まったところで、再びキミ食堂に向かった。

味噌そばがここの売りとのこと。まあ、可も無く不可もなし。
また、離島桟橋を目指すが少々遠いので、タクシーを拾うことに。でもなかなか来ない。諦めかけた頃にようやく捕まえられた。そして、乗った後に豪雨。よかったー乗れて。

桟橋に着くと「欠航」の文字が。仕方がないので、すぐ近くの竹富島に行くことにする。良さそうな宿に電話したら、一泊なら空いているとのこと。

竹富島は船で10分。しかし、本当にすごい豪雨で船に乗る間にびしょ濡れに。宿はコテージ形式。雨は止みそうに無いが、小降りになったところで、散歩に出る。この島の売りは赤瓦の昔ながらの家並。お巡りさんもいないのんびりした島である。

集落は小さく、あっという間に一周してしまった。
この日は散々であったが、宿の食事がすごく美味しかったのが唯一の救い。

2年ぶりの沖縄1

2010-07-31 23:56:32 | お出かけ
前回、韓国旅行で子供に「家族旅行は終わり」と宣言した通りに、夫婦で行くことに。息子は沖縄に行きたくて、ぶーぶー言っていたけど。

本当は26日から行きたかったが、ホテルが取れず夫の休みの初日25日から。飛行機は12時50分。10時過ぎに車で出発したが、クリーニング店にも寄ったので実際は10時半ごろ。首都高は空いていて、1時間で着いたが、そこは日曜。駐車場が満車で、長い列。おおっ大丈夫かとちょっと思ったが、まだ1時間以上あるし、車はどんどん出てくるので気長に待つことに。

12時ごろ入れて、次は手荷物預かりへ。これがまた長い列。ところがラッキーなことに離れたところのカウンターが一つ空き、私達の2組前ぐらいからそちらに案内されたので、すぐに中へ。

2時間ちょいで那覇到着。石垣島行きの乗換えを待つ。石垣島までは1時間。距離は東京-大阪間と同じ。遠いよね。石垣島は初めて。


石垣島に着いたら、26度で曇り時々雨。涼しい。ホテルはJAL(JALのパックだから)。街のはずれで、部屋は街とは反対側で一面、山と草地。

ドクターフィッシュに角質を食べてもらうコーナーがあって、10分500円だったので、やってみる。足首から下だけど、他に客がいなかったので、魚が殆どくっついてきて、めちゃくすぐったかった。途中で子供が2人入ってきたが、さすが子供にはあまり行かない。お陰で足はつるつるになりました。

夕食は、石垣牛の店へ。焼肉と刺身など。すんごく美味しかったし、それほど高くなくて、満足。

それから、よくわからないけどメインの繁華街を目指して歩いてみた。小さなアーケード街を発見。しかし、もう閉め始めている。まだ8時なのに。那覇とは違うようである。

面白いオリジナルのTシャツ店を見つけて夫が早速1枚購入。その後はホテルに戻り、最上階のバーで泡盛のカクテル。800円で、チャージもつかないという安さ。更におつまみもサービスしてくれた。

というわけで1日目はまあまあ満足して終了。


辻堂行

2010-07-20 16:34:39 | お出かけ
6月は、一度も散歩に出られなかった。
よってとっても久しぶりの三連休中日に、辻堂へ行くことに。海なので、息子一名も行きたいと行っていたが、電通大のオープンキャンパスに行くことになり、夫婦でお出かけ。

普段はまず国分寺の駅そばを食べるのだが、湘南新宿ラインのグリーン車でお弁当でもということで、まず新宿へ。しかし、平塚行きまで30分もあり、南口の駅そばを食すもこれがまずいそばだった。そばの味が全然しないし。ここでは二度と食べない。

グリーン車は7割ぐらい埋まっていたけど、2階席が取れて快適。夫はすぐに寝てしまったが、私は大学時代によく行った武蔵小杉の駅前高層マンション群に驚いたり、かつて勤めていた戸塚の勤務先が無くなっていたり、など驚くことばかりで、寝ず仕舞い。

55分で辻堂に到着。初めて降りる駅。降りた途端に海風を感じる。内陸の我が家とはえらい違い。駅前が毎度のとおり、古いガイドブックとは違っているので、適当に歩き出す。古道を歩く予定なのだが、わからなくなり、道を聞いてようやくその道へ。同じ姓の豪邸が続く。

その後幹線道路に出ると、丁度昼時で待ち人のいる店の前に「生しらす丼」ののぼり。まずいそばを食べた後悔が・・・。

辻堂海浜公園に向かう道々、西海岸風の方たちが多い。自転車の横にサーフボードを載せている人が何人も。そういう小道具を初めて見た。

公園で少し休んだ後、海岸に出ると、そこそこの人出。私的には、こんな汚いところでは泳ぎたくない、という感じなのだが。暑いのに、ガード下でバーベキューをやっている人も多い。

どこかでお茶でもしようかと思って、公園を横に抜けると、前方におでん「ひげでん」の看板。何となく店構えがいい感じ。お腹はあまり空いていないが、ビールは飲みたい、ということで入る。先客2組。カウンターに座り、ビンビールとおでんとサザエのお造りを頼む。

結果から言うと、この店は大当たり。おいしかったー。そばの失敗も吹き飛んだ。客もぞくぞく入ってきてほぼ満席。(後で調べたら、おでんの老舗とのこと。ユーミンも来たことがあるらしい)。

ビール2本を空け、いい気分で辻堂駅へ。結構疲れた。
湘南新宿ラインは20分後。何と一時間に一本しか止まらない。行きは気がつかなかったけど、止まらないのもあるのだ。運が良かったということで、楽しい小旅行と相成りました。


「アット・ホーム・アット・ザ・ズー」に二回も行っちゃった

2010-07-14 17:31:35 | 映画・舞台
この芝居のチケットを取るのは、すんごく大変だった。まず、劇場である世田谷パブリックシアターの会員に3,500円払ってなった(因みにこの芝居はシアター・トラムという小劇場で行われる)。

で、友人も行きたいと言うので「じゃあ年会費半額払ってね」という合意の下、2枚申し込んだ。それと同時にチケットぴあでもぴあカード会員向け抽選というのがあったので、これにも入会(初年度は年会費無料)して、自分の分だけ申し込んだ。二つとも当たったら2回行こうと思っていたのだけど、何と、ぴあカードの方だけが当選。(友達、ゴメン)。

で、友人のために、更に朝日新聞のアスパラクラブの抽選に申し込んだり、雑誌ぴあの綴じ込みはがきを送ったり、更にはぴあの一般販売にも電話をかけたけど、抽選は勿論ダメで、電話は11分後には売り切れていた。

7000円のチケットは、チケット屋で見ると、何と5万という値段が付いていましたし。

で、友人は立ち見の当日券にチャレンジすると言ったのだけど、私が当選したのは、堤真一の誕生日の日の公演。多分そのせいか、友人は立ち見券も取れなかった。

で、当日、私の席は何と四角く張り出した舞台の横側の一番前。見にくいが、役者がすぐそこまで来る。大森南朋の汗とか飛んできそうだった。

この芝居は二部構成で、一部は堤真一と小泉今日子、二部は堤真一と大森南朋の2人芝居である。一部は夫に不満のある妻と、ちょっと情けない夫のやり取り。会話の中味は結構卑猥。アメリカの話だから、「愛している」と口にするけど、それほどでもないんだよ、本当は。という感じが漂う。英語の"I love you."は軽いのかもね。

二部は怪しい男大森南朋が饒舌にしゃべり続ける。11ページもあるシナリオを一人で話し続けるので、寝てしまう人も。で、最後は、あーそうですかー、そういう終わり方なんですか。っていう不条理劇。

特に芝居好きっていうわけでもない私は、どう評価してよいのかわからなかった。カーテンコールでは、正面にお辞儀した後、横側にも三人揃って来て、お辞儀。横側って20人もいなかったと思うのだけど。うわーわざわざこちらにもありがとう、っていう感じ。

で、1回やったところで明かりが点いて、終わりのアナウンスが流れた。通常はここで終わるらしいが、そこは誕生日。もしつこい。で、もう一回出てきてくれたのでした。でも、それだけだけど。そういや、カーテンコールの時は堤真一は明らかに情けない男とは表情が違っていた。

で、友達に芝居の感想をお知らせしたら、やはりどうしても当日券を取るというので、それじゃ、私のも取って、と頼んで取れたのが昨日の夜の部。整理券番号36,37なので大丈夫かしらって感じだったけど、階段の一番上でした。私の後、6人ぐらいはいたと思うけど、チケットは反対側の階段に3枚分しか残っていなかったから、入れなかった人もいたんじゃないかと。

チケットは5000円。まーやっぱり立ち見は辛かった。一番上なので、割と動けて少し座り込んだりしたけど。そして、前回見えなかったところもよく見えたし。でも、芝居はやっぱりあーそうですか。というところですね。そう言えば、観客に渡辺えりさんがいましたよ。