土曜日、天気も今日までいいということなので、またまた夫と散歩へ。
まず新宿三井ビルのキヤノンの修理センターに行き、ごみが入ってしまった夫のカメラを出す。
山手線で日暮里へ行き、京成線の特急で津田沼、乗り換えて京成稲毛で降りる。
ぶらぶら歩いていると酒屋の前に手書き看板。ここでしか手に入らない「名無しの酒」と書いてあり、ついひかれるように入ってしまう。試飲をして、購入。いきなり荷物。
続いて鳥居をくぐり、稲毛浅間神社へ。何だかもうかっているらしく商魂溢れていた。
細い路地に何気なく入ると、「愛新覚羅溥傑ゆかりの家」という木造家屋があったので、入ってみる。溥傑(1907-94)が、浩(1914-87)と結婚後半年ほど住んだ家だった。素敵な庭があり、縁側でのんびりしてしまう。その当時はすぐそこが海岸であったとのこと。
溥傑が1990年に詠んだ詩2首が歴史と妻への思いをを感じさせる。
「過ぎし世を顧みて千葉に来る 余齢を駆し旧居を訪ぬれば 哀れ往時の夢破れ ただ立秋の時ぞ偲ばる」
「かの妻の微笑や今何処 庭にたたずみ胸の騒ぎを覚ゆ 夫婦の契り昨日の如く 愛しき憶い出 老いの身に耐え難し」
続いて、旧神谷伝兵衛稲毛別荘へ。神谷バーや牛久シャトーなどで有名な方であるが、略歴を読むとそれだけではなかった。すごい実業家。
それから稲毛海岸を目指す。埋立地だから、道がひたすらまっすぐで、団地だらけ。歩いても歩いてもなかなか着かない。ようやく稲毛海浜公園に着いたが、海が見えない。何でこういう作りなんだか。ヨットハーバーに行き、ようやく東京湾が見えた。多くのヨットが出ている。曇りなので、あまり遠くまで見えないのが残念だったが。
それから人工海岸である砂浜に。端に少しだけ岩場があり、親子連れがカニなどを取っている。私も潮溜まりをジーっと見ていたら、ヤドカリを発見した。
6時までにキヤノンに行かなければならないので、そこからは急ぐ。京葉線・中央線を乗り継いで新宿へ。まだ時間があったので、立ち食いそば。さすが新宿。立ち食いそばでも結構高い。たぬきが470円もした。
カメラを受け取り、ベルクへ。運よく席が取れたので軽くビールを飲んで帰宅。
単純な道だったけど、意外に歩いたらしく結構足が疲れた。
まず新宿三井ビルのキヤノンの修理センターに行き、ごみが入ってしまった夫のカメラを出す。
山手線で日暮里へ行き、京成線の特急で津田沼、乗り換えて京成稲毛で降りる。
ぶらぶら歩いていると酒屋の前に手書き看板。ここでしか手に入らない「名無しの酒」と書いてあり、ついひかれるように入ってしまう。試飲をして、購入。いきなり荷物。
続いて鳥居をくぐり、稲毛浅間神社へ。何だかもうかっているらしく商魂溢れていた。
細い路地に何気なく入ると、「愛新覚羅溥傑ゆかりの家」という木造家屋があったので、入ってみる。溥傑(1907-94)が、浩(1914-87)と結婚後半年ほど住んだ家だった。素敵な庭があり、縁側でのんびりしてしまう。その当時はすぐそこが海岸であったとのこと。
溥傑が1990年に詠んだ詩2首が歴史と妻への思いをを感じさせる。
「過ぎし世を顧みて千葉に来る 余齢を駆し旧居を訪ぬれば 哀れ往時の夢破れ ただ立秋の時ぞ偲ばる」
「かの妻の微笑や今何処 庭にたたずみ胸の騒ぎを覚ゆ 夫婦の契り昨日の如く 愛しき憶い出 老いの身に耐え難し」
続いて、旧神谷伝兵衛稲毛別荘へ。神谷バーや牛久シャトーなどで有名な方であるが、略歴を読むとそれだけではなかった。すごい実業家。
それから稲毛海岸を目指す。埋立地だから、道がひたすらまっすぐで、団地だらけ。歩いても歩いてもなかなか着かない。ようやく稲毛海浜公園に着いたが、海が見えない。何でこういう作りなんだか。ヨットハーバーに行き、ようやく東京湾が見えた。多くのヨットが出ている。曇りなので、あまり遠くまで見えないのが残念だったが。
それから人工海岸である砂浜に。端に少しだけ岩場があり、親子連れがカニなどを取っている。私も潮溜まりをジーっと見ていたら、ヤドカリを発見した。
6時までにキヤノンに行かなければならないので、そこからは急ぐ。京葉線・中央線を乗り継いで新宿へ。まだ時間があったので、立ち食いそば。さすが新宿。立ち食いそばでも結構高い。たぬきが470円もした。
カメラを受け取り、ベルクへ。運よく席が取れたので軽くビールを飲んで帰宅。
単純な道だったけど、意外に歩いたらしく結構足が疲れた。