こないだの土曜日は鎌倉へ行って来ました。
由比ガ浜の海岸沿いの国道134号から、鶴岡八幡宮へ向かう若宮大路へ。
鎌倉駅の手前にある交差点を右へ。
民間の有料駐車場に車を止めたら、とりあえずJRの電車で北鎌倉へ行きます。
北鎌倉の駅を降りると、そこはもう
円覚寺 の真ん前です。
円覚寺の開基は北条時宗です。
だいぶ前(2001年)のNHKの大河ドラマで和泉元彌がやってましたね。
こちらは円覚寺の三門(山門)です。
三門は三解脱門(空・無相・無願)を象徴するといわれ、
諸々の執着を取り払って佛殿(涅槃・解脱)に至る門とされます。
『佛日庵』 ではお抹茶をいただけます。
(拝観料込みで500円、お菓子付きです)
佛日庵は弘安7年(1284)に没した円覚寺開基北条時宗の廟所であり、北条氏の廟所でもあります。
こちらに北条時宗から三代の像がまつられています。
『洪鐘(おおがね)』弁天堂の前にあります。
この弁天堂は丘の上にあって見晴らしがいいんですが、
長い石段を登っていかなければいけません。
洪鐘(おおがね)は9代執権北条貞時が、物部国光に鋳造させた。
鎌倉三名鐘のひとつで国宝。
円覚寺を出て、次に向かったのは、東慶寺です。
円覚寺を出て、次に向かったのは、東慶寺です。
鎌倉尼五山で唯一現存。
1285年(弘安8)、北条時宗の妻・覚山尼[かくざんに]が創建した臨済宗の寺。
覚山尼は、「妻が寺に駆け込んで3年間修行すれば離縁できる」という縁切り寺法を定めたといわれ、
以来「駆込寺」「縁切寺」として知られるようになった。
今でいう「DVのシェルター」のような役割です。
妻の方からは離縁を要求することが出来なかった時代、
夫の暴力などからの女性の唯一の救いとなりました。
しかし、明治になり尼寺は廃止され、女性の唯一の救いの場さえ無くなってしまい、
日本は長い暗黒の時代に…
日中戦争・太平洋戦争を経て、やっと女性も法律上は男性と同じ権利を勝ち取りました。
でも、今現在もDVの被害にあっている女性はまだまだなくなりません…
今の時代、また縁切り寺が必要なのかもしれませんね。
今の時代、また縁切り寺が必要なのかもしれませんね。
さて、次に行ったのは、浄智寺。
『浄智寺』
臨済宗円覚寺派の禅寺で、鎌倉五山の第四位。
すり減った石段を登って鐘楼を兼ねた中国風の山門を入ると、
右手に本尊の木造三世仏坐像を安置する仏殿の曇華殿[どんげでん]がある。
禅寺にふさわしい閑寂なたたずまいをみせている。
また、参道入口には鎌倉十井[じっせい]のひとつ、甘露ノ井[かんろのい]がある。
浄智寺から、源氏山のハイキングコースを上って行きます。
このハイキングコースは、甘く見ていましたが、なかなかの難コースでした。
かなり汗をかき、いい運動になりました。
山を越えて少し下ったところにあるのが、『銭洗弁財天』です。
『宇賀福神社 銭洗弁財天』
このトンネルを抜けた所にあります。
ここの霊水でお金を洗うとお金が貯まると云われています。
千円札を洗いましたが、お金が貯まるといいのですが…
弁財天は、元は弁才天で、もっと遡ればヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーで、
それが仏教に取り込まれ、仏教の守護神となり、
音楽神、福徳神、学芸神など幅広い性格をもちます。
つまり才能の神様で、音楽、芸能や仕事運の神様でもあります。
日本では、才が財となり、財運の神様としても信仰されました。
銭洗弁財天を出て、鎌倉駅のほうへ向かいます。
途中に立ち寄ったのが、『佐助稲荷神社』です。
『佐助稲荷神社』
この佐助稲荷神社は、鎌倉の総社で、とても由緒のある神社のようです。
下社と上社がありますが、
上社は長い長い石段を登った所にあって、かなりばてました。
恋愛成就とか、出世にご利益があるのだとか。
かまくら子ども風土記(上巻)P163~P164
佐助稲荷
源頼朝が、伊豆の蛭が小島に流されていたとき、病の床につき、三晩続けて同じ夢を見ました。
佐助稲荷
源頼朝が、伊豆の蛭が小島に流されていたとき、病の床につき、三晩続けて同じ夢を見ました。
ひとりの白ひげの老人が現れて、
「おまえの病気はこの草をせんじて飲むとよい、そうすれば必ず治る。治ったら兵をあげよ。成功疑いなし。」
というのです。
「おまえの病気はこの草をせんじて飲むとよい、そうすれば必ず治る。治ったら兵をあげよ。成功疑いなし。」
というのです。
頼朝が、 「あなたはどなたですか。」と尋ねますと、
「わたしはかくれ里の稲荷である。」といって消えてしまいました。
頼朝がその老人の教えに従って薬を飲むと、病も治り、やがて鎌倉に幕府を開くこともできました。
「わたしはかくれ里の稲荷である。」といって消えてしまいました。
頼朝がその老人の教えに従って薬を飲むと、病も治り、やがて鎌倉に幕府を開くこともできました。
その後、家来にいいつけて捜させたところ、かくれ里の西に小さな祠を見つけました。
さっそくここにお宮を建てて、お宮の名まえを「佐助稲荷」とつけました。
頼朝は幼いころ「佐(すけ)殿」と呼ばれていたためです、
佐(すけ)が助けられた稲荷であるからこの名(佐助)をつけようといったからです。
円覚寺の弁天堂の石段、源氏山、佐助稲荷神社の石段など、
けっこうハードなコースでした。
これで少しは日ごろの運動不足が解消されたかな?
個人的には浄智寺が好きです。
自転車で鎌倉まで走りますが、海より山、里山が大好きです。
何となく落ち着く鎌倉は一番好きです。
浄智寺は静かでいいですね!
鎌倉は好きなんですが、小町通など混み過ぎですよね。
私、中2なんですけど、今月学校行事で鎌倉に行ってきましたよ!
感動的でした!!
鎌倉は観光にはいいところですね!
学校行事で鎌倉に行けるなんて、羨ましいな
でも、歴史を勉強すると、もっともっと何倍も面白くなりますよ!