ある会で、「最重度のため、不安」という声がありました。
ホームを求めての発言ではないんですけどね。
なにかあった時。
つまりはそういうこと。
緊急時、最重度の方を誰がどのように見れるのでしょうか。
日常的にみているなら、その方に対応した支援体制を確保することが出来ます。
でも、緊急時、本人も不安を感じるような時…当然、1対1対応以上の人手が必要となります。
「以上」というのは、どうしても目を離す時があるから。
支援者だってトイレくらい行きますしね。
それでなくても、1対1で、時間の途切れなく注意を払うのは精神的にも難しいこと。
1対1以上の支援が確保できないところでは、多少の「情」くらいではどうすることもできません。
ある程度の年代の方は、「希望を伝える」ことが難しい状況にあります。
過去、「なんとかしてあげる」支援だけで、「お願いします」と頭を下げる支援だけで…。
「どうしたいか」なんて聞かれることもまれだったし、言ったところで「出来ない」ことが多かった訳で…。
そういう年代の方は、「あなたはこの子にどう支援してくれるのか」が最も気になる部分であり、「この子のためにどういう支援をして欲しい」という要望を持つこと自体が経験的に少ないんですよね。
時折、聞かれるのが「365日24時間」の支援。
そこなら、依頼できる。
でも、そこに「本人の自由な人生」はあるのでしょうか。
「週3日でも、日常的に通う場所があれば、ホームで365日暮らせます」
「毎日24時間の支援の確保は出来ませんが、なにかあった時には対応します」
それでも不安だというのなら、24時間監禁するような施設でないと無理ということになってしまいます。
保護者だって、そんなことを望んでいる訳ではないんです。
それでも、不安から口に出るのは「365日24時間」なんですよね。
これまで「みんなと一緒にお出かけする行事」くらいしか支援がなかったから。
本人が一人の支援者と自由に出かける姿が想像できない。
一人の支援者では無理だから、依頼できない。
そんな不安ばかり気にしないで、どんどん我儘を言ってみましょう。
「この子に、自由な人生を謳歌させたい」
(ホームの場合)
「4人に対して二人の世話人をつけて欲しい」
「夜勤が必要」
希望を言ってもらえれば、そのためにはどうすればよいかの提案も出来ます。
中軽度の方なら、いざという時、「情」で預かる(制度的なバックアップ体制がなくても)ことも充分可能ですが、重度になればなるほど「情」だけでは対応できなくなります。
重度の方こそ、日常的な支援の確保が必要になってきます。
日常的な支援確保のために、重度の方ほど積極的にホームを求めて欲しいものです。
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