Paraphrase

毎日楽しく、日々前進!
2008年は”バージョンアップ”がテーマです♪

ペットにフグ

2006-02-25 15:33:23 | 小さな楽しみ
今日、かねてから気になっていた日本茶のお茶屋さん(喫茶店)に時間合わせのために入った。とても暖かい小春日和で、外が見える席からは暖かい日差しが差し込むのが見えて、おいしいさくら茶をご馳走になった。
と、どこかから見られている気が・・・。
隣りの水槽にちいちゃいミドリ色と黒のシマシマのフグ!明らかにフグだった!
ヒレがいやに小さくて必死でかいていて、しかもおなかの部分が不気味に白い。
彼(?)は小福ちゃんというらしい。
じいっと覗き込んだり手をかざしたりするとどうやら彼は後ずさりする。どうやら私の顔が水槽に写って巨大に見えるらしい(笑)。
少しすると彼が膨れ始めた!一人しかいないのに!・・・一人でも怒ることがあるんだ。
どうやら、私がお茶を飲んだ時に岩にぶつかったらしい。

その後、美容室の予約の時間になって、小福ちゃんの話をしてみると、彼はけっこうこのあたりじゃ有名らしい。かわいがられているとのこと。彼は赤くて短いミミズが好物らしい。お店にお客さんが居ない時にもらうらしい。
しかもフグは海?と思ったら、どうやらあの水槽は塩分をつよく調整した水を使っているらしい。しかも小福ちゃんはペット屋さんで買われてきたとのこと。
小福ちゃん、また見に行こう。


トリノオリンピック-2

2006-02-25 02:27:03 | Weblog
フィギュアスケートは熾烈な戦いだったみたいだ。
私も素人ながらトリプルループ、ルッツ、ドールマンスピン・・・なんて技の名前をたくさん覚えてしまった。

金メダル・1位というのはノーミスであること、これはどんな世界でも同じみたいだ。『1位なしの2位』なんていうのが音楽のコンクールの世界でもあるが、スポーツにそれはなくても見ているほうが『文句無しの1位』かどうかはわかってしまう。そういう意味で荒川選手は文句無しの1位だった。
村主選手も健闘したが、自分の持ち味の『濃さ』というのはアーティスティックな場合、難しい問題だ。『優しくてけなげで折れそうな』女性を好むのは日本人特有かもしれない。だとすると、世界のトップを決める大会では世界標準の『理解される美しさ』を演じなければいけない。難しい問題だ。
安藤選手はまだ発展途上なので、すべて『経験することから』という大会だった気がする。4年後はそうはいかないと思うが、そう言う意味で4回転サルコーに挑戦したことは今しかできないチャンスを自分で作ったということだ。失敗してもチャンスを生かして次の経験につなげることは自分にとって非常に大事なこと。

みんな何も言わなかったが、開会式でトゥーランドットをパバロッティが歌った時、荒川選手はラッキーかも!と思っていた。たしかもう引退していたパバロッティが男性歌手として復活を期して選んだプッチーニのアリア。朗々と歌うあの曲は日本人だけじゃなくイタリア人が好きなのだ。しかもサビの歌詞は「誰も寝てはならぬ」。なんか偶然の一致とあの名曲が何度も聴けたことで、今日は幸せな一日となった。
トゥーランドットは氷のように冷たい心をもつといわれる女性でなかなか心を開こうとしない。そんな設定から始まるこのオペラのヴァイオリンのフレーズを巧みに使って、荒川選手が弧を氷の上に描くようになめらかにすべる様は、音楽とフィギュアスケートの特徴が大いに融合した演技だった。ブラヴァーです!!

ブログを書くこと

2006-02-18 16:33:07 | Weblog
ブログを書き始めるようになって、いろんな反応があっておもしろい。
だいたい感想は3種類。
・まめに書けるのはエライ。
・何を書くのか考えるのがすごい。
・対価をもらわずに書き続けるんだね。

3つともその人なりの感想でおもしろい。きちんとした回答をしたことは無かったが、たまにはまじめに考えよう。

まず『まめに書く』。これは草稿状態と公開とを分けられるので、ふだん書き溜めることがほとんどです。ふだん使わない単語をあれやこれや考えるきっかけにもなります。だから、まめに書いて時間的に占めている認識はあまりないですね。

『何を書くのか考えるのがすごい』。これは言う人によってきをつけたほうがいいかと思います。考えない大人はボケます。それも、例えば売上の計算ばかりとか、会社のしくみばかりとか、人間関係ばかりとか、そういうのはよくないらしいです。極端な例でいえば、休日は絵を描くとか、音楽を聴いて想像をかきたてるとか、いわゆる右脳も使わないといけないらしいです。私はたぶん、仕事は左脳の惰性でやっていると思うので(関係者には失礼!でも適当にやっているということではないデスヨ)、右脳の作業をするためにピアノは本能的に欠かせません。私にとってピアノを弾くことは常に新しい創造に向かい合うという意味で自分が挑戦モードになれるのでたぶん一番頭を使っていると思います。
よって『書く』とりわけ自分が思っていることを考えるという作業は、ふだん挑戦モードではない自分の、散らばっているものの整理をするのに近い作業です。文章がへたなのでいつも長文になってしまうのですが、考え無くしては書かないほうです。それは大学時代に『書くならきちっと書く(でないと卒業させない)』とたたきこまれた影響です。たまにはおもしろいことをちょこっと書ける人に憧れるんですけれどねえ・・・。

『対価をもらわずに書く』。これは仕事でやっていたりそちらの才能にたけていたり、そういう人ならでは、の感想ですね。
ただ、人にはそれぞれ『自分の得意な表現手段』というものが必ず持ち合わせられていると思っていて、それが今の私の場合は、着飾ることでもなく、自分のマネジメントで人をひっぱっていくことでもなく、文字で表現することでもないということです。
今の私の日常生活においては、たぶんわたし的には、何一つ自分を表現していないのですが、でもそんな日常生活における『自己表現』はある意味どうでもいいや位にしか思っていなくて、そんな言葉だとか道具だとか気を使って自己主張するくらいなら1曲弾くわって思います。 たぶんそういう意味で、バッチリお化粧して、会社でカッコいい(かわいい)人を探している人よりかリラックスしているじゃないかと思います。 あと会社などで退職する人が私のことを「こういう面白い人だと思います」なんて言ってくれると、面白いことを言うんだなあと思います。

つまるところ『見えているものだけがその人のすべての表現』ではないということが、人の面白さだと最近思います。例えばブログで、ものすごく流暢な文学を展開していたり、はっと驚かされるようなアングルの写真をとっていたりする人を見ると、その人の核心にとても興味が湧きます。自分にとってやはりそのようなソースというのは重要な自分のエッセンスになるんですね。
ただブログは音楽の手段とちがって、日本語が出来る人だったら誰でも読めてしまうので、考え方とか言葉の使い方だけは気をつけるようにしています。上手になったら小説家とかあるんでしょうか?でも文字でご飯を食べるようにはなりたくないかもー。私はやはり人と関わっていてこそ新しいものも生まれると思っているので、一人ぼっちで家で書き続けるというのはかなりの苦行っぽい気がしますね。

トリノ・オリンピック-1

2006-02-18 00:46:06 | Weblog
今回のトリノ・オリンピックは時差でライブは見られないから、あまり無理して夜更かししないようにしてきたのですが、それにしても日本勢の不調?あんなにメダル濃厚といっていたのは日本のマスコミが買いかぶりすぎていただけ?
どうやら、食事と環境がよくないみたい。ものすごく暖房が効かない部屋があるとかペンキの臭いが強くて体調を壊した選手も他の国にいたらしい。日本勢はというと、でるはずの日本食がまったく無く、近くの日本人の料理屋さんが見るに見かねて出前を作ってくれることになった、なんて言っていた。

ふつうの人が2週間位旅行気分でイタリアにいくなら、本場の味を食べられる♪ということもあるかもしれないけれど、それはトップシーズン。しかもトップアスリートが世界記録をめざしにいくわけじゃない。もし本当に世界新記録や自己ベストを狙いにいくようなレベルになったら、たかが食事とは言っていられない。かつての名選手と言われる人は連戦連勝するために日本食でなくても恋しくならないようにどんな食事でも勝てるよう体も味覚も十分鍛えたと言っていた。世界の頂点にたつということはそれだけ世界標準にならなければならないのですね。。。
ということで、残されたメダル候補はやはり女子フィギュアスケートなのかもしれませんが、直前まで点を伸ばすためのテクニック的な調整をしているらしいので、がんばっていただきたいです

わたし的には面白かったのはスノーボードクロス。これからも公式種目になるといいです。スキーより何が起こるかわからなくてスリリング、コースの作り方でもかなり勝敗を分けそうです。スキーにいろんな種目があるようにスノボも出来そうです。
またハーフパイプはアメリカではすでにショービジネスとして十分発展しているらしいけれど、日本勢ももう少し安定感があるといいのかも。でもNHKのアナウンサーもカゼをひきつつ憶えたてのテクニックの名前をぎこちなく連呼していて、日本はまだマスコミでさえこうだから、選手の土壌としてはまだまだなんだな・・・と思いました。あらゆる選手に好待遇というのは国や協会としても難しいんでしょうけど、寸分の違いでそのようなバックグラウンドを見せられるとかんがえものですね。。。

また衛星放送では、トリノにちなんでイタリア紀行的な番組の再放送や紹介番組をやっていて、結局ライブ放送は避けたのにこちらをみて夜更かし・・・早く寝なきゃイケマセン


タチアナ・ニコラーエワのバッハ

2006-02-15 00:30:12 | 音楽
今日は帰りが少し遅くなったのでピアノはできなくて、その代わりに先人の演奏を聴いて、弾いたことのない曲に筆を入れていこうと思って、夕ご飯をたべながらニコラーエワの平均率・上巻全曲を勉強しました。(ピアノとなると、ペンをもって勉強するのより行動が早いです、

ニコラーエワの平均率全曲CDは、小学生の時になんと2枚組5千円もするCDを、当時バッハ生誕250年?とかの記念発売で手に入れて、その頃はまだ平均率が弾けるほど上手でなかったけれど、数年後に絶対に弾くぞ!と思って、自分のためにお小遣いを全部使って買って、大事にしていたのでした。その後高齢だったニコラーエワ先生は他界、彼女のCDは”最後のバッハ弾き”として、貴重なアルバムになり、店頭ではめったにみつからないCDになりました。

ニコラーエワさんのバッハは、とても教会音楽的で、まるでフルート管とトランペット管が本当に鳴っているかのような音でピアノを弾きます。4声でも5声でも、各声部のメロディがはっきりと横につながっていて、本当にそこで4人(5人)が歌っているかのように4人(5人)に分かれて聴こえます。また、劇画調に盛り上げたり泣かせるような”揺さぶり”はほとんど無く、ある意味厳格で拍子は崩れず淡々と、音量もあまり変わらずに弾きます。その『淡々さ』というか『淡白そうに聴こえる内面で大きな盛り上がりの見え隠れする』彼女の演奏には小学校のころから大好きで、自分では表現できないけれど魂が震えるような!、そんな感動をいつも感じていました。
そういえば、私の先生はあまり劇画調に盛り上げることを良しとしない上野の音楽学校の人で、大学で教わったことをそのまま私にも同じように教えてくれました。今思うと、もっともっと練習して、孫弟子としてもっともっと教えてもらえばよかったと思うのですが・・・。数年後このCDを聴きながら練習し始めて数曲終えたときには次のパルティータへ進むという、ハードな練習になってきていました。
ただ私は相当へんな子で、小学生なのに「好きな音楽家は?」と聞かれると3B(バッハ、ベートーヴェン、ブラームス=威厳があって重くて暗い曲が多く、女の子はあまり好まない作曲家ばかり)がいいと言ったり、「発表会はやっぱりショパンとかやってみたいでしょう?」と言われても、小学生~中学生にかけてはシューベルトがマイブームだったようで(今考えると。)、地味な曲を選んで、結局先生に変えられたりと、一風変わっていたかもしれません。それがわかったのは、大学生の時に、ドイツのオケがサントリーホールに来たので、マーラーを一人で奮発して1階席で見ようとしたら、周りが40,50代の怖そうなおじさんばかり!!
ふつうトイレは女性が長蛇の列になるのに、その日は男子トイレが列をなしていて、女子トイレはガラガラだったのを見て、「あれ?」と思ったことでした。
今は作曲家にそんなに偏った好き嫌いはなく、シューマンもリストも、モーツアルトもショパンもだいたい平均して弾きます。偏ると弱点が出てくるからです。
おっとニコラーエワさんのバッハの話題でした。彼女のCDは平均率の上巻部分の全曲しか持っていないのですが、これからもお小遣いが貯まったら下巻、パルティータと、名曲と言われる録音を数多く聴いて、耳を肥やしていきたいです。