Paraphrase

毎日楽しく、日々前進!
2008年は”バージョンアップ”がテーマです♪

フィルムコミッション

2005-07-27 00:47:11 | Weblog
最近、呉や尾道で戦艦大和の10分の1の模型の展示がされていたりその模型展示(といっても実際にあったものの半分しか復元できなかったみたい)が好評を博しているらしい。
それも、その映画撮影のためにもともと作られたものだということで、地元に撮影協力をしてもらっていてNPOがフィルムコミッションということで準備や協力に骨をおっているのは、ここだけじゃないらしい。地元におちる経済効果も年間3億はあるらしい。
そういえばNHKの大河ドラマの撮影も、数十年前からいくつかの地元にそういった特別の場所を設けさせてもらって毎年戦場のシーンが流せている。あれだけの合戦シーンはそうカンタンにできるものではないだろうし、やっぱりそのロケ隊がずっとそこに留まるわけだから衣食住もするわけで、そういうのは日本は遅れているのかと思っていたけれど、確実にそういうことは行なわれつつあるということだった。
映画がもたらす影響というのは配給会社だったり、その街の文化的効果ということだけじゃないのだ。それを作り出すその現場そのものがワンダーランドなのだし、その場が『ものを生み出す宝庫』なのだし、それこそが知的財産でもある。露出することがリスキーだという考え方もあるけれど、新たな視点でみた日本の財産を活用しつつ、良いものを再認識して、育てていってほしいなと思う。

つくばエクスプレス

2005-07-25 23:47:36 | Weblog
常磐線と並んでつくばエクスプレスがもうすぐ開通するみたい。

水戸には電車で2回、その他にも佐原などへ1回だけ出掛けたことがあるのですが、ホントにちょっとした小旅行でした。朝9時に東京西部をでて、目的地に着くのはお昼頃。のんびりしていると夕方をさしかかったころにはそこを出ないと東京に戻ってきたら暗くなってしまう。東京西部の人が新宿・渋谷を都内というように、千葉や茨城の人は錦糸町だったり茅場町だったりのあたりを同じような感覚で捉えているのかなと初めて認識しました。錦糸町に戻ってきた時はほっとしたりして。

もうだいぶ前になりますが、親友に教えてもらって川村美術館というところに行った事がありました。そこはとても静かな整然として庭園であり、小さな美術館でもあり、とても心休まるところでした。その親友もそこでの場所をとても大切にしているのだそうです。
こころを休めたい時のちょっとした小旅行をしたかったら・・・お勧めします。
でも、ここに行く時には、静かな気持ちで行って下さいね。

友だちの結婚式

2005-07-23 22:09:54 | Weblog
今日はみなとみらいで、友だちの結婚式がありました~。横浜はなんと6年ぶり。とても快適で魅力的な街に生まれ変わっていました。東横線が延びて、海にどんどん突き出していっている街もとても整然と建物がたって、とても華やかな街になっていました!

それにしても、友だちが選ぶ旦那さまというのは、友だちにどこか似ているものですね~。
その旦那様にはカラテの友だちがいて、その人たちが流行りのうたに合わせて派手なフリをつけて踊ってくれたのですが、きっと恥ずかしかっただろうに、そういうことをして盛り上げてくれてしまう、しかも友だちらしい替え歌に替えて歌いながら踊ってくれたのは、ただ面白かっただけじゃなくて、どこか感動的でした。いい友達をもっている、それはその人の財産でもあるし、その人を如実に語ってくれるものでもあります。そんな友だちがいる旦那さまをもてた友だちも、きっと幸せにしてあげられるだろうし、きっとそんな旦那さまだったら友だちを幸せにしてくれるだろうな!と思いました。
次の友だちの結婚式は12月。また、どんな結婚式になるか楽しみです。

今日は地震がありましたが、皆さん大丈夫だったでしょうか?
こんな時、家族の大切さを再認識します。

管楽器の練習のしかた

2005-07-17 23:21:52 | Weblog
よく中学生なんかが、吹奏楽をやるのに体力をつけるとか言って腹筋とか走らされたりするけれど、基礎体力も必要だけど、もっと楽しくやればいいのにーって思う。

例えば、トランペットやトロンボーンをやりたい子が大抵憧れるのは、やっぱりスター性があるかっこいい曲をパーンと弾いていて、自分もああやりたいから。フルートがやりたい女の子はやっぱり、しおらしく、横目でみながら銀色の楽器を奏でるとかっこいいから。
そんな感じで、例えばもっと学生でも練習に交響曲の抜粋部分なんか取り入れたらいいんじゃないかと思う。
例えば、ワーグナーのタンホイザー序曲の主旋律部分。ホルンもトロンボーンも、すごくかっこいい。
フルートはアルルの女第2組曲の有名な部分とか。私もクラリネットでモーツアルトのクラリネット協奏曲の吹けるところを、よく放課後、練習しましたー。

全部通しで吹こうとすると、やっぱり大曲は大曲。でも、おいしいところだけ練習するということは一番その楽器らしさが出ていて、一番カッコよくて、一番その楽器を好きになれるんじゃないかな。特に管楽器は一人で練習するととても地味~な感じだから、いかに一人の練習で楽しみを見出せるかというのがけっこう大事だったりするかも。
そう思うと、ピアノは・・・?身近にあるものほど、よくわかりません・・・

いろいろなピアノの先生ーその3とその後

2005-07-16 14:51:44 | Weblog
中学も高校も結局は音楽学校へ行かずふつうの高校へみんなといっしょに入学したころ、こわかった先生が「申し訳ないけれど、私はこのショパンの舟歌を持ってウイーンへ音楽留学するの」と打ち明けられました。それでその先生の友だちだった人が次の先生になることが決まりました。

先生に言われたとおり、新しい先生の家へ行ってみると、もちろんグランドピアノはあったけれどふつうの家でした。先生もこわいことは言わず、次々に新しい曲を挑戦させてくれました。ただ、そのたびに自分の中で不満が残っていきました。2人目の先生の指導を受けてしまった私としては、自分が完成度の高い領域に行っていないのに1週間経ってしまい、うまく指が回っているのだけをみて終わらせられてしまうのでは、もっと難しい曲をやっても進歩が無い。。どうしよう?そう思っていたら、大学受験の時がやってきて、レッスンにつくのはやめようと思ったのでした。2人目の先生にずっとついていたら、この時簡単にやめようとは思えなかったと思います。。。

ショパンもリストも、楽譜をみて何時間も練習すれば何とか弾けるようにはなりました。ただ、プロのように”ある一線”は超えられないのです。だからいい先生に就きたい。でも、そういう先生というのはどうやったらみつかるんでしょう?しかも、若い学生ならいざしらず、高校生をすぎたらもう、本格的にクラシックを教えても指の変化などは期待できないといいます。いい先生がもういい大人を真剣に教えてくれるかどうか。でもいい先生の要求に答えられるような、練習が果たして出来るのか?
こういうことを考え始めると、自分の人生の選択を本当に悔やんだりします。働き始めてからも、これで仕事を極めても自分にとって何になる?と思っている。それをわかっていて働いている。また、ピアノがあればすぐにでも弾きたいけれど、一番指が動いた学生の頃にはまだ遠く及ばないから、人の前で弾くのはものすごく抵抗感を感じてしまう。でも何となく上手な人(=下手)が弾いていると、気持ちが悪くなってしまう。なんか、ものすごくへんなものを抱えているわけです。。。

そういった学生時代だったため勉強もあんまりしていないし(笑)、テレビはNHKのニュースくらいで、当時流行っていた番組も映画もまったく知りませんでしたー  
私にとって知らなくて当然。というか、知らなくても困らないし関係ない世界だった。でも、ふつうの世界に戻ってくると、そういう話題を知らないことは非難されたり軽蔑されたりする。みんな、流行のものをこぞって追いかける。また、音楽はクラシック以外に様々なジャンルがある。いろんなアーティストが居るもんだ、これでアーティストって言っちゃうのか?・・・それが驚きでした。。。
また最近も、コンサートにいきたいと思っても、本当に素晴らしいとされるピアニストを聴きにいかないと納得できないからチケット代が非常にかかるし、その演奏家の今日の調子とか、まちがってごまかしたところまですごくわかってしまう。また、ホールの響き方のよしあしも2人目の先生にだいぶ教えられたのでそういうことも気になったりと、なんか他の人ほど純粋に楽しんでいないのでは、と心配になったりもします。また最近は、音大生だけでやっているようなコンサートを聞きにいったり、高名な先生の公開レッスンをみにいって、楽譜に書き込んできたりして、ますます深みにはまっていたり。
前職の会社はそういう意味で「古き良きものを大切に、高級というのは、こういうもの。社会的に地位のある、お金持ちの人というのは、よいものをよく知っている」というのが社風にあり、それを知っていることは当たり前で「大衆的・マス」というのが反対語でした。だから?何とかそういう「会社」の中でも自分が居られる場所はあるなあと思ったのですが、転職して新進気鋭の関西出身が多いIT企業などに来てみると、今度はま逆。そんな中で自分の本来持っているものを出してしまうと人とはあまりにも違いすぎるということを、働き始めてすぐに感じとったのでした。
またそこで出会った人に「変わってる」とか「あまり居ないよね」とか言われるのも、わかってはいるけれど、学生時代のことがみんなとあまりにも違うので、自分の中では「しかたないじゃん、こうするしか」と思っていたのでした。自分も、だから昔のことには触れません。出来るだけ。皆と共通点があまりにも無いからです。

自分がこういう人生を歩んでいると、子どもとかを見る見方がだいぶ変わりますね。そういう意味では私の身近には、オリンピックに出てみないかといわれた人がいたり、この子は数学者になれるからそうさせてやってください、といわれたとか、そういう人がいる中で自分も「ふつうでない人生」の歩み方の難しさを、自分なりによく知っているつもりです。それだけに、これからの人生がだいぶ、慎重になりますね。