<目次>
1 日本人は辺境人である(「大きな物語」が消えてしまった日本人はきょろきょろする ほか)
2 辺境人の「学び」は効率がいい(「アメリカの司馬遼太郎」君が代と日の丸の根拠 ほか)
3 「機」の思想(どこか遠くにあるはずの叡智極楽でも地獄でもよい ほか)
4 辺境人は日本語と共に(「ぼく」がなぜこの本を書けなかったのか「もしもし」が伝わること ほか)
内田さんは「はじめに」で本書について、次のように述べます。
~日本は辺境であり、日本人固有の思考や行動はその辺境性によって説明できるというのが本書で私が説くところであります。・・・もちろん、日本の周縁性や辺境性や後進性によって日本文化の特殊性を語られた方はこれまでにたくさんおられました。
ですから、最初にお断りしておきますけれど、本書のコンテンツにはあまり(というかほとんど)新味がありません(「辺境人の性格論」は丸山真男からの、「辺境人の時間論」は澤庵禅師からの、「辺境人の言語録」は養老孟司先生からの受け売りです。~
その「日本文化論」について、次のように言及します。
~「日本文化論」は大量に書かれています。世界的に見ても、自国文化論の類がこれほど大量に書かれ、読まれている国は例外的でしょう。「こんな日本文化論が好きなのは日本人だけである」とよく言われます。それは本当です。
その理由は実は簡単なんです。私たちはどれほどすぐれた日本文化論を読んでも、すぐに忘れて、次の日本文化論に飛びついてしまうからです。日本文化論が積層して、そのクオリティがしだいに高まってゆくということが起こらない。
それは、日本についてほんとうの知は「どこかほかのところ」で作られていて、自分が日本について知っていることは、「なんとなくおとっている」と思っているからです。~
私自身のことを振り返って見ると、内田さんが指摘するように、多くの日本人論、日本文化論を読んできた日本人の1人です。特に20代前後のときに読んだ本の中で最も影響を受けたのは、本書にも登場する梅棹忠夫さんの「文明の生態史観」(1967年)、加藤周一さんの「雑種文化」(1956年)、山本七平さんがイザヤ・ベンダサンの名で書かれた「日本人とユダヤ人」(1970年)でした。
これ以外にも日本、日本人、日本文化に対して知見を得た書籍は数ありますが、今の私の日本文化についての概観を述べると、それはまるで精巧な濾過器のような篩(ふるい)を通して異文化を摂取し、そのエキスだけを抽出して培養したものであると思えます。
内田さんは私のこうした概観を丸山真男さんが「執拗低音(basso ostinato)」として表現した、次のような文章を引用しています。
~主旋律は圧倒的に大陸から来た、また明治以後はヨーロッパから来た外来思想です。けれどもそれがそのままひびかないで、低音部に執拗に繰り返される一定の音型によってモディファイされ、それとまざり合って響く。そしてその低音音型はオスティナートといいわれるように執拗に繰り返し登場する」
(P25)
日本人が明治以来、欧米に感化され続けてきたその文化、そしてその文化に対し、「なんとなくおとっている」と今も思い続けている私たち。内田さんは「終わりに」で次のように結論付けます。
~外来の権威にとりあえず平伏して、その非対称的な関係から引き出せる限りの利益を引き出す。これはあるいは日本人が洗練させたユニークな生存戦略なのかも知れない。
ネガティヴな言い方をすれば「辺境人にかけられた呪い」ということになるのでしょうけれど、一つの社会集団が長期にわたって採用している生存戦略である以上、「欠点だらけ」のということはあっても「欠点だけ」ということはあるまい。欠点を補うだけの利点が何かあるに違いない。そういう視点からこの小論を書くことになりました。~
<備忘録>
本書の要約/梅棹忠夫「文明の生態史観」(P21)、変化するその変化の仕方が変わらない(P26)、辺境人の定義(P44)、日本の伝統的な外交戦略(P62)、学び(P136)、学び方を学ぶ(P144)、無意識の心の作用(P145)、道と成就(P161)、天下無敵(P173)、「敵をつくる」こと(P176)、無防備なほどの開放性(P190)、ブリコルール(P192)、首斬り朝右衛門(P185)
http://www.shinchosha.co.jp/book/610336/
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